第八章「決着」
東京駅から本富士署に連行された内浜将志は、一年前の小堀川陽子殺害を素直に全面自供した。動機は、やはり榊原の推察した通り、自分が落ちた中阪商事に内定したにもかかわらず、その内定を辞退してまた自分と同じ企業を受けようとした彼女に対する怒りによる衝動的犯行だった。
ケースを改めて調べると、外側のみならず内側からもルミノール反応が出た。おそらく、彼女の遺体を中に詰めたときに付着したものだろう。その内側に残っていたわずかな血痕からDNAが検出され、それが遺骨から検出された被害者のDNAと一致。これが決定的な証拠となって、裁判所は改めて内浜将志に対する正式な逮捕令状を発行した。
逮捕された内浜は、刑事の尋問にも素直に答え続けていた。それによれば、東邦証券の面接で彼女に出会った内浜は、この時点ではまだ怒りを覚えるだけだったのだという。だが、東邦証券の圧迫面接ですっかり気落ちし、最寄り駅のコインロッカーに預けておいたスーツケースを取り出したとき、面接を終えて偶然同じ駅を歩いていく彼女の姿をたまたま目撃してしまい、それで怒りが再発したのだという。
「気づいたら、僕は彼女を尾行していました」
その後、彼女は湯島にある別の会社……フェニックス・ソフトウェアに入っていった。ここで尾行をやめる事もできたのだが、内浜の怒りと憎悪は収まらず、むしろ時間が経てば経つほどひどくなっていたのだという。
「面接が終わって彼女があの会社から出てきたときには……僕の殺意は抑えきれないところまで行っていました。今思えば、まともじゃなかったと思います」
何で僕だけ……何で彼女にここまでコケにされなければならないんだ……そう思った瞬間、彼は彼女が歩いている道に人気がない事に気付いたのだという。その瞬間、内浜の体は勝手に動いていたらしい。手に持っていたスーツケースを振り上げながら彼女の後ろに近づき、そのまま振り回すように横から……
「……僕の記憶はそこでいったん途切れます」
今も殺害の瞬間の記憶はないという。気づいたら、内浜は返り血にまみれたスーツで、道端に倒れる彼女を見下ろしていたという。
「その後は……反射的の体が動いていました」
スーツケースの中身を取り出して彼女の遺体をそこに入れていったん裏路地に運び、返り血にまみれた自分のスーツも予備のスーツと着替える。出した荷物は近くのごみ箱に捨ててあった紙袋にとりあえず入れたとの事だ。また、近くに清掃用のホースがあったので、それで道路に流れた返り血は洗い流したという。幸い流れた量はそこまで多くなく、すぐに全部流す事ができたらしい。
「人が誰か来れば終わりでしたけど……幸か不幸か、誰も来ませんでした」
その後、遺体を隠すにあたって思いついたのが、かつてこの近くで自分が通っていた学習塾の入っていた金橋ビルだった。塾がつぶれてビルが空きビルになっているのは知っていたので、そこに遺体を放置する事にしたのだという。ただ、携帯電話だけは彼女のスケジュールや位置情報がばれると怖いので、近くの川に捨てたらしい。
「最初はすぐ遺体が見つかると思っていました。でも、何日待っても遺体が見つかったってニュースも出なくて……僕自身、だんだんあれは夢だったんじゃないかと……この記憶も、さっきスーツケースを検査されて初めてはっきりしてきた記憶なんです……」
あまりにショックが強すぎたせいか、殺害した事は覚えていたものの、自分がどうやって遺体を処理したのか、どうやって殺害したのかと言った詳しい事はほとんど記憶から消えてしまったのだという。おそらく自分が認めたくない記憶からの逃避だろうと思われたが、皮肉にもその結果、スーツケースという最重要証拠を処分しないままになってしまったのだった。
「僕は……僕はただ、人並みの生活を送りたかっただけなのに……何でこんな事に……」
そう呟いた内浜に対し、尋問をしていた竹村は厳しい口調で言ったという。
「人の人生奪って幸せになれる人生なんかあるわけがないだろう。あんたはどう思ったか知らないが……彼女だって前を向いて生きようとしていたんだぞ。賭けてもいいが、あの就職活動は彼女にとって『遊び』じゃなかった。それを、自分の嫉妬だけで奪いやがって……許されるわけがないだろうが」
その言葉に、内浜は机に突っ伏して嗚咽を漏らしたという……。
同日、大阪地検特捜部は中阪商事の早川直哉、近石恭也の二名を業務上横領の容疑で逮捕した。事件を担当した中峰検事は、取調室で早川に対して今回の事件の全貌を説明し、こう言ったという。
「結果論ではありますが、あなたが違法な内定取り消しをしなければ、彼女は死なず、内浜も殺人者にならずに済んだ。直接的でないとはいえ、あなたはその責任を痛感すべきです」
「いや、そんな……そんなところまで責任を取れと言われても……」
疲れたように言う早川に対し、中峰はピシャリと言った。
「あなたがどう思っているのかは知りませんが、就活する側だって人生を賭けているんです。ならば、あなた方もそれ相応の覚悟で臨むべきでしょうし、実際に大半の企業はそれをやっているはずです。初心忘れるべからずとはよく言ったものですが……あなた、こんな事をして、人生の先輩として全国の真剣に活動をしている就活生に恥ずかしくないんですか!」
中峰の言葉に、早川は黙り込むしかなかったという。
また、大阪労働基準監督署は、違法な内定取り消しがあったとして中阪商事に対して本格的な調査に着手する事となった。この事実は全国的に報道され、中阪商事の株価は大幅に下落する羽目になったという。とはいえ、最終的には上層部を刷新する事でけりがつきそうだというのが大抵のマスコミの予想だった。
こうして、東西で発覚したそれぞれの事件がマスコミの話題をさらっている中、しかしある人物がひっそりと上京してきたのを知る報道関係者はいなかった……。
事件解決から一週間後の九月十九日日曜日、本富士署の玄関から一人の男が出てきた。手に骨壺を持つその男は、滋賀の中学校教師・梅里祐樹だった。
そして、署の入口には梅里を待つ二人組……榊原と瑞穂の姿があった。梅里は二人に近づくと頭を下げた。
「お待たせしました」
「いえ……早かったですね」
「えぇ、まぁ……こんなに軽くなって」
……小堀川陽子の遺骨は、絶縁状態の親族が受け取りを拒否したため、危うく無縁仏になりかけた。が、それを知った榊原が梅里に連絡をし、諸々の交渉の末に梅里が遺骨を引き取る事になったのである。
「無理を聞いてもらって申し訳ありません。ですが、こうするのが彼女にとって一番嬉しい事だと思いまして」
「私もそう思います。家内とも相談して、引き受ける事にしました。琵琶湖の見える墓地に葬ってあげようと思います。彼女も……こんな形でまた私の元を訪れるとは思っていなかったでしょうが……」
三人はタクシーに乗って東京駅に向かった。しばし、車内が無言になる。
「……一つ、聞いてもいいですか?」
東京駅に着く直前、不意に梅里がそんな言葉を発した。
「何でしょうか?」
「彼女は……前向きに生きていましたか? 僕のアドバイスは、役に立ったんでしょうか?」
それに対し、榊原の答えは単純だった。
「そうでなければ、わざわざ東京まで出てはこないと思います。それに、警察から聞いた話だと、彼女は社会派の記事を書く『松北出版』という会社で、『理不尽な目に遭っている人たちの真実を伝えたい』と言っていたそうです。それが彼女の本音だったんでしょう」
榊原は真剣な口調で告げた。
「彼女は先生に救われたんです。社会の理不尽さから絶望で押しつぶされかけていた彼女が、最後はしっかり未来を見据えて生きていた。それだけは確かだと思います」
「……ありがとうございます。私も……彼女に会えてよかったです」
タクシーが停まる。下車すると、梅里は深々と一礼し、そのまま人ごみの奥へ消えて行った。榊原と瑞穂はそれを見送りながら、しばらくその場で感慨にふけっていた。
「先生……就職って、こんなに厳しいものなんでしょうか?」
現役大学生の瑞穂がポツリとそう呟く。それに対し、榊原はこう答えた。
「厳しいだろうね。今はリーマンショックの影響もあるから、ますます求人も落ちている。だから、就職戦線はこれからさらに激しさを増していくだろう」
「そうですか……」
「……でもね」
榊原はその後でこう言い添えた。
「だからこそ……こんな世の中だからこそ、私は就活の中で自分を誤魔化さず、自分が本当に将来的にやりたい事を見つけてほしいと思っている。何の目的もなく履歴書に書くためだけにボランティアに参加したりせずにね。失敗してもいい。何度失敗しても……生きてさえいれば、必ずチャンスはある。現に、私も刑事を辞めて探偵をやっている口だが、今の人生を負け犬だなどと思った事はない。そう思う事は、私自身の人生に対する冒涜だと思っているからだ。私は……私自身の選択に悔いは残したくない。そう思うようにしているよ」
「……そうですね」
瑞穂は真剣な表情で頷いた。それを見て、榊原はふと疑問を感じたようだった。
「そう言えば瑞穂ちゃん、君は大学を卒業した後で何になりたいんだね? 就活をするのかい?」
「え、うーん、一応やりたい事はあるんですけど……今は、教えません!」
「……まぁ、興味はないがね。気が向いたら教えてくれ」
「何ですか、それは! あっ、そう言えば歌美からお礼の電話があったんです! 『香奈の件、ありがとうございます。また、近日中に依頼料は払います』だそうです」
「そう言えば、今回の一件はそこから始まったんだったな。やれやれ……随分長い依頼になったが……ようやくゆっくり休めそうだ」
そう言うと榊原は歩き出し、瑞穂もそのすぐ後に続いた。その姿は、すぐに人ごみにまみれて見えなくなっていったのだった……。