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第六章「対決」

 翌日、九月十日金曜日。大阪府大阪市大阪ビジネスパーク内中阪商事本社ビル。午前十時頃、その前に再び一台のパトカーが停まり、そこから三人の男が姿を見せた。府警の川嶋と熊谷、そして朝早くに京都から駆け付けた榊原だった。

「榊原、まさか君と一緒に捜査できる日がまた来るなんて思わんかったで」

「クマさんも相変わらずですね。川嶋警部もお変わりなく」

「細かい挨拶は抜きだ。今日のこの一件、我々はお前にすべてを託すつもりだ。入り次第、お前主導で事を進めて構わん。私たちはサポート役に徹する」

「ありがとうございます」

「じゃあ……行こうか」

 その言葉を合図に、三人は正面玄関からビル内部に足を踏み入れた。受付に行くと、あの本居月子が今日も座っていた。

「あ、刑事さん……」

「何度もすまないね。今日も話を聞きたい。早川部長に連絡を取ってもらえるか?」

 川嶋はソフトでありながら有無を言わさぬような口調で月奈に迫った。月奈も今日はどこか川嶋たちの放つ雰囲気が違う事に気付いたのだろう。反論する事なく内線で連絡を取った。しばらくして、月奈が緊張した様子で言う。

「会うとの事です。この前の会議室へどうぞ」

「どうも。行くぞ」

 そのまま三人は奥のエレベーターから五階へ昇り、問題の会議室へ向かう。中に入ると、すでに人事部長の早川が苦々しい顔で待っていた。

「話す事は全部お話しましたよ。なのに、まだ何かあるんですか?」

 川嶋たちが何か言う前に、早川はそう言って川嶋たちを牽制をした。が、榊原は涼しい表情で一歩前に出ると、早川の前に対峙した。

「今日は何かお話してもらうためにここに来たわけではありません。我々からあなた方に報告する事があって来ただけです」

「あなたは?」

「榊原です。府警の捜査に協力しています。座っても?」

「……どうぞ」

 その言葉に、榊原たちは椅子に腰かけ、早川と睨み合う形になった。そんな中、早川が早速口火を切る。

「それで、ご用件は? 私も忙しいものでしてね。くだらない話だったらお帰り願いますが」

「あぁ、大丈夫です。私が言いたいのは次の一言に尽きますから」

 そう言うと、榊原はいきなり早川にこんな爆弾を叩きつけた。

「早川部長、あなたはどうして小堀川陽子さんの『内定取り消し』を行ったんですか?」

 その瞬間、早川の顔が真っ赤になり、榊原と早川の対決のゴングが鳴った。


「……何を言い出すんですか? 全く訳が分からないんですが……」

 早川はそう言って取り繕おうとしたが、榊原はそれしきの事で崩れるような男ではなかった。

「わからないならもう一度言いましょうか? あなたはどうして……」

「それは聞こえましたよ! 人聞きの悪い事を言うなって言ってるんです!」

 早川が怒り心頭にそう言った。が、榊原は静かに首を振る。

「残念ですが、事実である以上、人聞きが悪いも何もないでしょう」

「……このままお帰り頂いてもいいんですがね」

 早川の言葉に、榊原は静かに宣告した。

「ですから、今からそう考えた理由をお話します。よろしいですね」

「……いいでしょう。やってみてくださいよ」

 そう言われて、榊原はゆっくりとした口調で語り始めた。

「では、遠慮なく。まず、あなたは大阪府警の聞き込みに対して小堀川陽子さんの事は一切覚えていないと言っていましたが、これは嘘ですね? まずは、そこから確認しましょうか」

「嘘も何も実際に覚えていないんだから……」

「ですが、社員の一人があなたから『彼女は内定辞退をした』と聞いたという証言をしています。聞けば、急な内定辞退で怒っていたようですね。この分なら、他の人事部の社員にでも聞けばまだまだ証言は出てくると思いますが」

 そう言われて、早川は一瞬唇を噛んだが、やがて吐き捨てるように告げた。

「……あぁ、わかりましたよ! 確かに、私は彼女の事を覚えています! それは認めますよ!」

「何で先日訪れたときは正直に言わなかったんですか?」

 後ろから川嶋が質問するが、早川はしかめ面でこう答えた。

「あんな失礼な学生は今まででも初めてだったものでね! あんな時期に内定辞退なんかして、私たちがどれだけ迷惑を受けたか……」

「では、内定辞退した時、彼女はどんな事を言っていましたか?」

 不意に榊原はそんな問いを発した。

「は?」

「内定辞退ともなれば直接会うのが基本でしょう。つまり、あなたも彼女に会っているはず。その時の反応を詳細にこの場で話して頂けますか?」

「えっと、それは……」

「例えば彼女が内定辞退をした理由。当然、辞退する以上それは必ず言っているはずです。それを教えてもらえますかね? 言っておきますが、この期に及んで『覚えていない』は通用しませんよ」

 その瞬間、早川の視線が一瞬泳いだ。

「そ、それは……確か、他の企業に内定をもらったからとか……」

「それはあり得ませんね。その後彼女は東京まで言って就職活動をしているんです。さらに、ここの内定をもらった後で他の企業を辞退していた痕跡さえあります。他に内定をもらっていなかったのは明白です。つまり……あなたは出鱈目を言っている事になる」

 早川の言葉を遮るように榊原が反論すると、早川は焦ったように叫んだ。

「ま、待ってください! ちょっと勘違いをしていました。あれは……そう確か、家庭の事情で……」

「彼女の両親は数年前に事故で死亡しています。また、両親が駆け落ちだった事から親類との付き合いもほぼなし。家庭の事情なんか起こりようがないんですよ」

 榊原はばっさり切り捨てる。立て続けにダメ出しされて、早川は本格的に動揺し始めた。

「ち、違う! そうじゃなくて……そうだ、大学の単位が足りないとか……」

「彼女の成績は優秀で、残るは卒業論文を書くだけになっていたというのが大学の恩師の言葉です。単位不足はあり得ません」

 そこまで言って、榊原は深くため息をついた。

「……もういいでしょう。多分、よくある内定辞退の理由を片っ端から言ったという感じなんでしょうが、残念ながらそんな言い訳はここでは通用しませんよ」

 そう言うと、榊原はすっかり青ざめた表情の早川に鋭い言葉を叩き込んだ。

「ここまで答えられないという事は、答えは一つ。あなたは彼女から内定辞退の理由を聞いていないという事です。しかし、内定辞退に来た人間がその理由を言わないなんて事はどう考えてもあり得ません。となると、私としてはこう考えざるを得ない。そもそも、この一件は本当に彼女の意思による内定辞退だったのか? むしろあなた方……企業側からの一方的な『内定取り消し』ではなかったのかという考えです」

「な、何を言って……」

 早川は反論するが、その声は弱々しい。榊原はそれを無視して推理を続行する。

「そう考えればすべてに説明がつくんですよ。事が『内定取り消し』なら彼女の辞退理由をあなたが聞いていないのにも納得はいく。そんなものは最初から存在しないんですからね。さらに、彼女が内定辞退をしたにもかかわらず、その直後に就活失敗を理由に自殺未遂をした事にも、事が一方的な内定取り消しならば何の矛盾もない行動です。ここに入るために他の企業からの内定を全部辞退したところにこの仕打ちでは、そうしたくなる気持ちもわかります。あなたが彼女の事について隠したのも、この内定取り消しの事実を公にしたくないがゆえの行動だったんじゃないですか?」

「それは……」

 早川は何か言おうとするが、その先が出てこない。榊原は無言で相手が何か言うのを待つ。重苦しい無言の中、静かな心理戦が榊原と早川の中で繰り広げられていた。

「……仮に……仮に、ですよ」

 と、耐えきれなくなったのか、不意に早川が振り絞るように言葉を発した。

「仮に、あなたの推理が正しかったとしましょうか。でも、だから何なんですか? 我々が彼女の内定を取り消した。そこに何の問題があるんですか?」

「と、言いますと?」

「内定取り消しは別に違法行為ではない! 企業に認められた立派な権利です。それを行使して、一体なぜ責められなければならないんですか!」

 その言葉に対し、榊原は静かに答えた。

「……確かに、内定取り消しそのものは違法ではありません。それはあなたの言う通りです」

「だったら……」

「ただし!」

 榊原はそう言って早川の反論を封じ、そのまま一気に自分の言葉を叩き込んだ。

「現在の労働法解釈においては、内定者は留保解約権付の労働契約を結んでいる存在として扱われています。簡単に言えば、内定者は単なる口約束によって成立しているだけの存在ではなく、ちゃんと法的に労働契約関係を結んだ労働者だという事です。したがって、労働者としての契約がなされている以上、内定取り消しは一般的な労働者に対して行われる解雇同様に厳しい条件が成立しない限りは行えないのが原則となっているはずです!」

 そこで後ろの川嶋が言葉を添えた。

「一般的に、企業が内定者の内定を取り消す事ができる条件は限られています。例えば内定者が何らかの病気もしくはけがにより労働力を喪失した時、大学を卒業できない事が明らかになった場合、犯罪などの非行事実が発覚して不適格と判断された時、履歴書に虚偽の記載が確認された場合、あるいは会社の業績悪化などに伴いやむを得ない人員整理が必要とされた時……まぁ、大体この辺でしょう」

「それ以外の場合における内定の取り消しは、企業側の違法行為と判断される可能性があります。さて……今回のケース、事がもし内定取り消しだったとした場合、あなた方の行為は正当な内定取り消しだったと言えるのでしょうか?」

 そう言うと、榊原は一つ一つ条件を確認していった。

「まず、彼女には病気やけがなど労働能力が喪失したとされるような事象は一切確認されていません。四月に大学で受けた健康診断結果が残っていますが、いずれも異常なし。従って、このパターンでの取り消しはあり得ません。次に、さっきも言ったように彼女は単位を順調に取っていましたので、大学が卒業できない事を理由とする取り消しもあり得ない。さらに、彼女が犯罪などの非行事実を行っていた可能性も皆無です。今回の事件を捜査するにあたって、警視庁、京都府警、大阪府警の三県警が総力を挙げて彼女の過去を調べましたが、そんなものは一切確認されませんでしたから。これは三県警がしっかり保証してくれるはずです」

 榊原の言葉に、早川の表情が顔面蒼白になっていく。が、榊原は攻撃の手を緩めない。

「また、履歴書の虚偽記載という可能性もない。昨日、改めて彼女の自宅を捜索しまして、彼女が保管していた履歴書やエントリーシートのコピーを全部チェックしました。就活生ともなれば、やはりそういうものは保管しているんですね。その中に中阪商事に出した履歴書とエントリーシートもありましたが、京都府警が内容を逐一確認したところ、そこに虚偽の記載は全くなかったという事です」

 榊原は早川を厳しい視線で睨みながら言葉を紡いでいた。

「そして、会社の業績悪化に伴う整理解雇的側面を持つ内定取り消し。二年前のリーマンショック以降この手の内定取り消しが多発しているという事はニュースにもなっていますが……これは中阪商事には当てはまりませんね。聞くところによれば、中阪商事はここ数年業績を伸ばし続けているそうじゃないですか。だからこそ就活生の中でも人気の企業になっているはず。そんな企業が業績悪化を理由に内定取り消しなんかできるはずがありませんね。もしこの理由で内定取り消しをしていたのなら明らかな不当解雇ですし、大体これができるのは、それこそ倒産寸前まで企業が追い詰められているような場合のみです。赤字になったくらいでできるようなものではないんですよ」

 榊原はとどめを刺しにかかった。

「要するに、確かに内定取り消し自体は企業の権利ではありますが、彼女の場合はその内定取り消しに求められる条件がどれも成立していないんです。この状況で内定取り消しが行われていたとすれば……それは労働基準法及び労働契約法違反、言い換えれば企業側による権利の濫用と判断されても致し方ない話になるはずです。いかがでしょうか?」

「だ、だったとしても……」

 早川は目を見開いて反論する。

「だったとしても、その条文に刑事罰は規定されていないはずです! 解雇無効を求める損害賠償請求はできるかもしれないが、本人は亡くなっている上に遺族もいないんでしょう! だったら、そもそも訴える人間が……」

「どうして隠したりしたんですか?」

 榊原の唐突な問いに、早川は思わず言葉を止めた。

「は?」

「どうして、あなたは内定取り消しの事実そのものを隠蔽しようとしたんですか? 社外どころか社内の人間にまで『内定辞退だった』などと嘘をつくのはあまりにも不自然です。それ以前に、あなたが彼女を内定取り消しにした理由にも疑問が残る。先程の通常的な内定取り消しの理由でなかった事はすでに証明済みです。となれば、あなたが彼女を内定取り消しにした背景には、人には絶対知られてはならない何か異常な理由があったという事になります」

「い、言いがかりだ!」

 直後、早川は絶叫した。だが、その態度自体がすでに一つの答えになっていた。榊原はそれを冷静に受け止めると、静かな口調で別の切り口から切り込んでいく。

「さて……それはともかく、実はもう一つ話さなくてはならない事があるんです。京都府警が彼女の自宅を捜索したという話はしたと思いますが、その中である不可解なものが見つかっているんです。三百万円の現金……帯がしたまま手付かずだったそうですが、何か心当たりは?」

「い、いえ……」

 そう言いながらも、早川の視線は明らかに宙をさまよっている。それで、榊原は何か確信を持ったようだった。

「ずっと不思議だったことがあります。仮に内定取り消しが事実だったとして、なぜ彼女はそれを誰にも話さなかったのでしょうか? リーマンショックでかなりの内定取り消し事例が出ている昨今ですから、当然就活生側もそれに関する知識は知っているはず。不当な内定取り消しに関しての対処の仕方なども各大学のキャリアセンターが指導しているはずです。にもかかわらず、彼女はただ泣き寝入りをし、就職活動を再開しています。なぜ何も言わなかったのか? そこに、先程の三百万円の話が加われば、一つの仮説が浮かび上がります。そう……あなたによる口止め料です」

「っ!」

 早川は息を飲んだ。

「おそらくあなたは、内定取り消しをする見返りとして彼女に三百万円を渡し、同時にこの一件をあくまで彼女による内定辞退として扱う事、この件を他言しない事などを求めたのでしょう。だからこそ、彼女は誰にも相談する事ができず、ついには自殺未遂するまでに追い詰められてしまった。そんなところではないですか?」

「ち、違う! そんなのは作り話だ!」

 当然のように早川は否定する。が、榊原は全くひるまない。

「まぁ、否定するのは結構ですが、これに関して証明するのは簡単だと思いますよ。さっきも言ったように、発見された現金は帯が巻かれたままでほとんど手付かずの状態でした。おそらく、受け取りはしたものの使う気になれなかったんでしょうね。つまり、この現金は受け取った時そのままの状態だという事です。となれば、おそらく封筒や帯、それに札束自身にも、これを渡した人間の指紋が付着しているはずです。あなたの指紋、採取させてもらってもいいですかね?」

 その言葉に、早川は完全に体を硬直させた。が、榊原の追及はこれで終わりではなかった。

「さて、仮にこの三百万円があなたによって手渡された口止め料だったとして……そうなるとさらに問題が発生するんですよ。すなわち、この大金はどこから出てきたのか?」

 榊原はそう言うと、早川をジッと見据える。それは、獲物を狙う肉食獣のそれをほとんど大差なかった。

「もちろん、口止め料なんてものをいつも通りに財務処理するわけにはいきません。というより、社内の人間にも秘密にしていた事から考えて、これはあなたが勝手に支出した金銭だと考えるのが妥当です。かといって、これだけの金額をあなた個人が出せるとも思えない。そうなってくると……考えられるのは別名目で経理部に金銭を請求し、それを個人的に手渡したというケースです。言うまでもありませんが……これは業務上横領罪に該当する可能性があります」

 今度こそ早川の反論が止まった。その顔色はこれまで以上に虚ろなものになっている。

「あるいは、経理部の人間も一枚噛んでいるのかもしれませんね。いずれにせよ、この件に関しては徹底的な調査が必要だというのが私の判断です。そこで、助っ人を呼ぶ事にしました」

 そう言うと、榊原は川嶋たちに目で合図を送った。それを受け、川嶋は黙って立ち上がると会議室のドアを開ける。そこには二人の男が無表情に立っていた。

「ど、どなたでしょうか……」

 弱々しく尋ねる早川に対し、男たちは名乗った。

「大阪地検特捜部の中峰といいます」

「大阪労働基準監督署の館山です」

 二人の肩書に早川はすくみ上る。が、二人はそんな早川に容赦なく宣告した。

「榊原さんから面白い話を聞きましてね。特捜部は、あなたの横領疑惑に関して調査をする事を決定しました。すでに令状も下りています」

「我々労働基準監督署は、ここで行われたとされる不当な内定取り消し事案についての聴取を行いたい。構いませんね?」

「そ……そんな……」

 ついに早川はその場に崩れ落ちてしまった。榊原はそんな早川を、黙って見つめているだけだった……。


「じゃあ、早川は最初から横領をしていたという事なんですか?」

『そのようです。近石恭也という経理部所属の社員がいるんですが、そいつが横領の共犯です』

 あれから数時間後、大阪府警本部の会議室で、榊原は大阪地検特捜部の中峰忠雄検事からの電話を受けていた。

『持ち掛けたのは早川。近石が帳簿を細工し、気付かれない単位で少しずつ横領をしていたようです。問題の三百万円も、その横領金の中から出したと言っています』

「内定取り消し事案の動機は何だったんですか?」

『そっちは館山労働基準監督官が取り調べていますが、早い話が人数ミスのようです』

「人数ミス?」

 思わぬ言葉に、さすがの榊原も戸惑ったような声を上げた。

『昨年度における中阪商事の新卒募集枠は三十名。中阪商事は内定を出す際の条件として「その時点で他の就職活動を停止する事」を挙げていて、万が一他社と迷っているようならば最終選考でその旨を伝えるようにとあらかじめ伝えていました。で、去年の選考では全員が第一志望である旨を伝えたので、予定通り三十人に内定を出して終わった……はずだったんです』

 そこで榊原も何かピンと来たようだ。

「もしかして、人数ミスというのは?」

『はい。本来内定者は三十名。しかし、この時中阪商事……と言うより、早川部長のミスで数え間違いが起こってしまったらしく、誤って三十一人に内定を出してしまったんです。人事や予算の都合上この三十名という数字は絶対です。留年などで内定辞退が出て補充募集をかける事は想定していても、内定者が一人多いなどという事態は想定していません。このままでは、ミスをした早川部長の出世に響くのは間違いないと本人は考えたようです。とはいえ、全員が第一志望であると言っている以上、この先内定辞退が出る可能性は限りなく低い。そこで……』

「内定辞退を装った内定取り消しを行った、という事ですか」

 榊原は苦々しい口調で言った。

『その標的になったのが、内定者の中で内定可否のボーダーライン上にいた小堀川陽子でした。彼は彼女を呼び出し、横領で引き出した三百万円と引き換えに内定辞退という形で彼女の内定を取り消した。彼女は当初抗弁したようですが、最終的にこの取引に応じています。どうも、こんな事を強要してくる会社に入る意欲をなくしたようだったと、早川は証言しています』

「……当然、こんな内定取り消し、と言うより内定辞退の強要は違法行為ですよね」

『もちろんです。今の所は労基法及び労契法絡みでの取り調べですが、この際に脅迫的な言葉を発していたのなら脅迫罪が適用できる可能性もあります。それに、彼が行っていた業務上横領罪は明らかな犯罪です』

「皮肉ですね。人数ミスを隠すためにやった事で、横領の罪がばれる事になるなんて」

『まったくです。で、中阪商事の人事部と経理部を家宅捜索したんですが、そこで押収したのが……』

「今、こちらに送られてきた履歴書やエントリーシートのコピーですか」

 榊原はチラリと横を見ながら言った。そこには大量のファイルの束が机の上に置かれていて、川嶋と熊谷、それに京都から急遽駆け付けた中村たち京都府警と、竹村、瑞穂たちが必死にその中身を調べている。

「やっぱり、履歴書残してへんっていうのは嘘やったな」

「考えてみれば当然だ。送り返すにしたって、コピーくらいは残すだろう」

 と、川嶋たちがそんな事を言っているうちに、榊原は礼を言って電話を切った。

「榊原さん、やっぱり犯人は早川ですかね? 内定取り消しの事実を公にされそうになったから殺したとか?」

 だが、中村のその言葉に対して榊原は首を振った。

「いえ。特捜部が確認したところ、早川には昨年八月四日のアリバイがあったそうです。スケジュール帳を確認したところ、この日は一日本社の会議に出席していた事になっていました。実際に当時の議事録を確認したそうですが、確かに早川の発言が記録されています。アリバイは完璧です」

「となると、こっちは振り出しか」

 竹村が舌打ちしながら言う。が、榊原は真剣な顔でこう言った。

「そうでもない。少なくとも彼女の行動の謎がこれで完全につながった。となれば、この一連の行動のどこかに動機になる何かがあったはずだ」

「それを探すわけですか。で、この履歴書の山をどうするつもりですか?」

 竹村の問いに、榊原は答えた。

「もし、この内定取り消しが殺人の動機になっているとすれば、犯人は彼女が内定を取った事や表向き内定辞退した事を知っていなければならない。それに当てはまる人物を探す」

「具体的には?」

「この履歴書の大半は落選した受験生のものだ。その中で、彼女と同じ西城大学在籍者のものを探してくれ。繋がりがあるとすれば、そこしかない」

 それからしばらく、榊原たちは黙々と二〇〇九年度の新卒応募者の履歴書をチェックする作業に追われた。やはり近隣の大学だけあって応募者は多い。作業が終わったのは二時間が経過した頃だった。

「えーっと、西城大学出身者は、小堀川さんを除けば内定を勝ち取ったのが二人、不合格になったのが十三人ですね」

 瑞穂がそう言って履歴書を並べる。その中には、先日受付で出会った本居月子の履歴書もあった。

「全部で十五人か。この中に事件の関係者はいませんか? それぞれの県警の立場から、もう一度見直してください」

 榊原の要請に、各県警の刑事たちが履歴書を覗き込む。と、次の瞬間だった。

「あっ!」

 声を上げたのは、警視庁の竹村だった。その顔がある一枚の履歴書に釘つけになっている。それを見て、榊原の声も鋭さを増した。

「見覚えがあるのか?」

「え、えぇ。でも、何でこいつがこんなところに……」

 そう言うと、竹村は落選者の七枚目に置かれた履歴書を指さした。その履歴書には本人の顔写真と共に、次のような氏名がはっきり書かれていたのだった。


 『内浜将志』


 それは、竹村が数日前に訪れた東邦証券にいた新入社員の名前であった……。


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