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第三章「企業」

「三百万円?」

 その夜、東京の本富士署捜査本部行われた捜査会議の席上で、報告を受けた本富士署署長は険しい声を上げていた。それに対し、京都府警から連絡を受けた新庄は努めて冷静に事実を報告する。

「はい。彼女の自宅の本棚から、現金三百万円が押収されたそうです」

「どう考えても一人暮らしの女子大生が現金でもてる金額じゃないな」

 署長は厳しい表情でコメントする。確かに何ともきな臭い話になりつつあった。

「府警は念のため、彼女の銀行口座もチェックして見たそうですが、それほどの大金が一度に引き出された形跡は全く確認できなかったという事です。ちなみに、口座残高は四十万円前後だったとか」

「つまり、その三百万円は口座なしで直接取引された代物というわけか」

 署長の言葉に、新庄は頷きながら京都、大阪両府警から送られてきた情報を確認していく。

「大阪府警の情報によれば、彼女は五月頃に中阪商事の内定を得たものの、その二ヶ月後……すなわち七月時点でなぜか内定を辞退した様子だったと言います。内定辞退の理由は不明ですが、中阪商事側は突然の内定辞退にかなり不満を持っている様子だったと言います」

「何でいきなり内定辞退なんかやったんだ? そこが第一志望だったんだろう?」

 署長の問いに、捜査員全員が首をひねった。

「気が変わって、別の企業に行く事にした、とか?」

「だったら、何でその後で東京まで出て就職活動をしているんだ? 辻褄が合わないぞ」

 本富士署所属の若い刑事が遠慮がちに呟いた言葉を、新庄はにべもなく否定した。

「少なくとも、彼女が内定辞退をする事になるような何かがこの七月頭にあったと考えるべきでしょう。そして一ヶ月後に彼女は殺害された」

「そして自宅には三百万の現ナマか。大いに臭うな」

 署長の感想に、ほとんどの捜査員たちも同意見のようだった。

「それと、京都府警の情報によれば、携帯の記録から彼女が昨年八月四日に東京駅にいた事が確認されています。携帯電話の記録はそこで切れていますが、自宅で炊飯器の準備をしていた事などから、彼女が日帰りか一泊二日程度の短い期間で京都に帰るつもりだったのは明白です。つまり、死亡推定時刻はこの八月四日から数日と考えるのが妥当かと思われます」

「携帯電話は発見されていなかったな?」

「現場からは見つかっていません。犯人が持ち去ったと考えるのが自然でしょう」

「白骨死体にしては思った以上に死亡推定期間を狭められたな。それで、その八月四日の彼女の足取りは?」

 その問いに対し、新庄はいったん息を吐いて答えた。

「被害者の自宅のパソコンに残されていたメールを分析した結果、彼女が東京に来た昨年八月四日に訪問予定だった企業は三社だけです。順番に『松紅出版』『東邦証券』『フェニックス・ソフトウェア』。いずれも大手ではありませんが、中堅企業としてそれなりに堅実な経営をしている会社となります」

「業種も全部バラバラか。なりふり構わず受けているようにも見えるが……」

「ちなみに府警による例のメールの分析では、五月に中阪商事の内定が出て以降、面接や説明会の日程はばったり途絶えていましたが、問題の七月頭辺りから再びその数が急増しています。また、彼女が東京駅に姿を見せた八月四日以降にも面接や説明会の予定は入っていましたが、該当企業に確認したところ、予約したはずの面接や説明会に彼女はすべて来ていないという事です。一方、前日の八月三日には京都市内の繊維企業の説明会が入っていましたが、府警が確認したところこれに彼女は顔を出しています。つまり、この観点からも彼女の死亡時期が八月四日である事が確認されるという事です」

「となると、怪しいのは事件当日に行く予定だったというその企業三社だな」

 署長の目が光り、新庄も大きく頷く。

「ひとまず、当面の捜査対象です。三社とも都内の企業ですので、こちらが主導で捜査ができます」

「よし。うちはここからが本番だな。両府警はこれからどうすると?」

「京都府警は別方面から被害者の素性を当たるそうです。何でも、被害者宅から被害者と親しげに映る男の写真が見つかったそうで、ひとまずこの男を探してみるとか。大阪府警は、七月頭の被害者の中阪商事内定辞退について突っ込んで調べると言っています」

「わかった。その辺りは向こうさんに任せるとしよう。こっちは問題の三企業と、被害者の東京での足取りを追う事に全力を注ぐ。両府警に後れを取るなよ」

 署長のその言葉に、刑事たちは無言で頷いたのだった。


 被害者・小堀川陽子が昨年八月四日に訪れた企業は三つ。『松紅出版』、『東邦証券』、そして『フェニックス・ソフトウェア』である。

 捜査会議の翌朝、すなわち九月八日の水曜日。捜査員たちはそれぞれの企業を一斉に急襲する事にした。捜査一課第三係の面々も分散し、新庄は松紅出版、竹村は東邦証券、そして杉山はフェニックス・ソフトウェアである。それぞれ所轄の刑事とコンビを組んでの捜査となった。

 午前十時、会社が開くのを見計らって、新庄と本富士署の若手刑事は同じ文京区内にある松紅出版のビルの前に立っていた。比較的小規模な出版社で、ビルそのものも三階までしかない。主に雑誌などを販売しているようである。

「従業員数二十人前後の小規模出版社だ。社長は松紅勝人。元大手出版社で社会派の雑誌の担当をしていたが独立し、硬派な社会派雑誌を専門とするこの会社を設立したという事だ。ハローワークに確認してみたが、確かに昨年の夏頃に求人をしていた。採用予定は二人。被害者のパソコンのメールによれば、八月四日は一次面接だったらしい」

「時間は何時からだったんですか?」

 小河原というその本富士署刑事課所属の刑事が真剣な表情で尋ねる。

「メールによれば、朝の十一時から一時間の予定だったようだ。三社の中で最初だな。問題の携帯電話の最後の位置情報が東京駅で記録されたのが同日午前九時五十七分。東京駅からここまでの移動時間も考えれば、時間的に辻褄は合う」

「なるほど……」

「じゃ、行こうか」

 そう言うと、新庄と小河原刑事はそのままビルの中へ入っていく。一階に受付があり、しばらくそこで待たされると、やがて奥の方から頭にバンダナを巻いた男が一人出てきた。

「失礼、警察が来たと聞いたんですが、あなた方ですか?」

 男の言葉に、新庄は警察手帳を取り出す。

「警視庁捜査一課の新庄です。こっちは本富士署刑事課の小河原刑事。あなたは?」

「弊社の副社長をしています野桜孝也と言います。正確には、副社長兼編集長、ですがね」

 男……野桜はそう言って低い声で笑った。

「それで、今日はどんなご用件で? うちも立場上色々反権力的な記事を書いていますが、捜査一課にお世話になるような事に心当たりはありませんがね」

「ちょっと聞きたい事がありましてね。立ち話もなんですから、落ち着いて話せる場所はありませんか?」

「……いいでしょう。こちらへどうぞ」

 そう言うと、野桜は二人を受け付け横にある小部屋に案内した。野桜曰く、打ち合わせスペースのようなものらしい。

「単刀直入に聞きますが、昨年八月、この会社は求人募集を行っていますね? 実際に面接もしたようですが」

「……えぇ、しましたよ。担当は僕だったからよく覚えています」

 野桜は探るように新庄を見ながらそう答えた。

「あなたが人事の担当だったと?」

「小さな出版社ですからね。人事専門の役職を置く余裕もなくて、求人については僕や社長が直接見ていました」

「何人くらいが応募を?」

「さぁ、詳しい数は覚えていませんが、多分二十人くらいだったかな。最終的に、予定通り二人だけ採用しましたよ」

「では、この人物に覚えはありませんか?」

 新庄はここで被害者の写真をテーブルの上に差し出した。野桜はかけていた眼鏡をずり上げながら写真を確認する。

「うーん……顔写真だけでは何とも言えませんが……」

「名前は小堀川陽子といいます。心当たりは?」

「小堀川……あぁ、はいはい。確かにそんな珍しい名前の女の子がいましたね」

 どうやら、記憶に残っていたようだった。

「面接はどうでしたか?」

「待ってくださいよ……そうだ、思い出してきた。この子、二次面接で音信不通になった子だ」

「音信不通、ですか」

 新庄の言葉に、野桜は頷く。

「そうなんですよ。一次面接の印象が良かったから二次面接に進んでもらおうとは思っていたんですが、なぜかその後連絡が取れなくなりましてね。仕方がないからそこで落選にしましたよ。いやぁ、惜しい子だったんだけどなぁ」

「素質があったんですか?」

「まぁね。世の中で理不尽な目に遭っている人たちの真実を追いかけたい、それは凄い意気込みでしたよ。あぁいう子が最近は少なくなってねぇ。嘆かわしい事だ」

「内定を出した二人は?」

「あぁ、一人はさっきの受付の子ですよ。最初から事務希望でしてね。もう一人は記者活動させているけど、まだまだでね。今は僕の雑用ですよ。まぁ、将来有望ではあるかな」

「お会いする事は?」

「構わないよ」

 野桜が「おいっ」と呼ぶと、しばらくして若い男性が顔を出した。

「遅い!」

「すみません、コピーとっていたところだったんで」

「んなもん、さっさと済ませろ! まぁ、いい。刑事さんが聞きたい事があるそうだ」

「刑事?」

 その男性は訝しげな表情をする。

「警視庁の新庄です。あなたは?」

「えっと、久我谷弘達っていいます。一応ここの新米です」

 久我谷はそう言って頭を下げる。

「時間もないようですから手早く済ませます。この人に見覚えは?」

 写真を見せると、久我谷はしばらく首をひねた後で声を上げた。

「あぁ、この人なら知ってますよ。去年、面接を受けに来ていた人ですよね」

「覚えているんですか?」

「それがこの人、僕の前に面接だったんですけど、部屋から漏れ聞こえてくる意気込みが凄くって……正直、僕はこりゃ駄目かなって思ったんです。でも、結局なぜか僕が受かっちゃって……何でこの人が落ちて僕が受かったのか今でもわからないんですよ」

 どうやら、野桜は音信不通の件を久我谷に告げていないらしい。

「直接話したりとかは?」

「していませんね。彼女の後すぐに僕の面接だったし、面札が終わった時にはもういませんでしたから」

 そう言ってから、久我谷は遠慮がちに尋ねた。

「あの、彼女がどうかしたんですか? 取材させてもらえませんか?」

「……彼女が遺体で見つかった。今言えるのはそれだけです」

 新庄は最低限の情報だけ告げた。野桜が口笛を吹く。

「へぇ、そうなんですか。もしかして、死んだのは僕が面接したあの日ですか?」

「……それは後ほど発表します。今はこれで。ご協力ありがとうございました」

 新庄はそう言って頭を下げ、ここでの聞き込みを打ち切ったのだった。野桜と久我谷が煙に巻かれたような表情をしているのが少し印象的だった。


 同じ頃、竹村は同じく所轄署の飯口という若手刑事と一緒に『東邦証券』のビルに到着していた。場所は渋谷区。湯島からは少し離れている。

「ここが、被害者が事件当日二件目に面接をした会社だ。面接時間は午後二時から一時間。第一次面接だったようだ」

「どんな会社なんですか?」

「中堅の証券会社だな。社長は佐田沼義定。大手証券会社勤務後に脱サラして作った会社らしい。社員数は百名前後。業界での評判もそれなりにいい、上り調子の会社の一つだ」

 いくぞ、という竹村の合図で、二人はビルの中に入っていった。受付で来意を告げるとそのまま会議室に通され、しばらくすると二人の男が姿を見せた。

「どうも。社長の佐田沼です。こっちは人事部長の上月」

「上月美佐雄です」

 二人がそれぞれ名刺を差し出す。どちらも証券マンらしく実直そうな男だった。

「社長と人事部長が直接来てくださるとは……」

「いえ、警察の捜査にご協力するのは当然ですから」

 佐田沼は真面目な表情でそう答える。どうもやりにくそうな人種だった。

「それで、御用件は?」

「実は、彼女に心当たりがないかと思いまして。先日、遺体で発見された女性なんですが」

 竹村はそう言うと、被害者の写真を取り出した。二人はしばらくそれを見つめていたが、やがて佐田沼は軽く首を振った。

「残念ですが、私に覚えはありません。上月君はどうだね?」

「そうですね……どこかで見覚えがあるような気はするんですが……。彼女は一体弊社とどのような関係が?」

「去年の八月四日にここで面接を受けているはずなんですがね。覚えていませんか? 名前は小堀川陽子と言うんですが……」

 その言葉に、上月が少し考え込んだ。

「そう言えば、そんな子の履歴書を読んだような気も……あれは、一次面接だったと思いますが」

「あぁ、じゃあ私が知らなくても当然ですね。私は最終面接しかしませんから」

 佐田沼はそう言って首を振る。

「昨年度の新卒採用はどのような状況だったんですか?」

「採用は五名を予定していました。一次面接は当時の人事課長、二次面接は人事部長の私、最終面接を社長が担当する予定でした。確か、二次面接に進む受験者の履歴書という事で、この子の履歴書を読んだ事がありますね」

「では、直接面接したのはその人事課長?」

「えぇ。今年から営業部長ですが。濱長光史郎といいます」

「お話を聞けませんか?」

「呼びましょう」

 しばらくして、ドアが開いて、眼鏡をかけたこれまた真面目そうな男が姿を見せた。さっきから誰も個性がなく、この会社にはこういう人間しかいないのかと竹村は内心少し呆れていた。

「営業部長の濱長です。私の話を聞きたいとか?」

「まぁ、そうなんですがね」

 とにかく、話さないわけにもいかないので改めて写真を見せる。

「彼女に心当たりは? 名前は小堀川陽子といいます」

「……あぁ、あの子ですか」

 どうやら、彼は覚えていたようだ。

「覚えていましたか」

「えぇ、印象に残る子でしたからね。喋り方もビジョンもはっきりしていて、私としては次に進んでもらおうと思っていましたよ」

「何かそこで変わった事はありましたか?」

「さぁ……こっちも型通りの質問をしただけですのでね。成長性のある企業でやりがいを感じた、とは言っていましたが」

 どうも要領を得ない。

「その後彼女は?」

「それが、その後急に音信不通になってしまいまして、結局それまでになりました。うちとしては残念でしたがね」

 竹村はため息をついた。これ以上彼らから話を聞いても当たり障りのない事しか言わなさそうだと思ったのだ。

「じゃあ、最後にその時採用した何人かに話を聞きたいのですが」

「そうですね……じゃあ、営業部に一人今年からの新入社員がいますから、呼びましょう」

 が、竹村はあえてこの申し出を断った。この三人がいる状態では何も話さないだろうと思ったからだ。

「いえ、こちらから伺います。案内してください」

 そう言われて、濱長は初めて眉をひそめたが、黙って立ち上がってついてくるように促した。営業部の部屋に入ると何人かが作業をしているところだったが、濱長が声をかけたのは今しがた出張から帰って来たばかりなのか使い古されたスーツケースを机の横に置いて何やら書類整理をしている男だった。

「内浜君、ちょっと」

「はい? 僕ですか?」

 いかにも大学卒業したてと言わんばかりの若い男は、そう言って顔を上げた。

「新入社員の内浜将志君です。こっちは警察の方」

「内浜です。警察が何の御用ですか?」

 竹村は黙って被害者の写真を見せた。

「ちょっとお聞きしたいんですがね。この人物に心当たりはありますか?」

 内浜はしばらくそれを見ていたが、やがて首をひねった。

「えーと、わかりません。彼女がどうしたんですか?」

「最近遺体で見つかった人物なんですがね。どうも昨年、ここの面接を受けたようなんですよ。どうですか?」

「さぁ……もし同じ面接を受けていても、受験者同士それぞれの顔なんてなかなか覚えられませんし、よく覚えていません。すみません、お役に立てないようで」

 そう言って内浜は頭を下げる。それからしばらくいくつか質問をしてみたが、彼もどこか当たり障りのない答えに終始しているようだった。そのまま時間がきて、竹村たちはビルを後にするしかなくなった。

「何ともまぁ、随分ガードの固い会社だな!」

 ビルを出たところで竹村はそう悪態をついた。飯口も疲れた表情をしている。

「これは苦戦しそうですね……」

「事なかれ主義というか何というか……奥まで踏み込ませないみたいでなんか嫌な感じだ。被害者はよくこんな会社に入ろうと思ったな」

 竹村としては、深いため息をつかざるを得なかったのであった。


 杉山典子刑事が担当したのは、最後の『フェニックス・ソフトウェア』という会社だった。相方は本富士署刑事課のベテランである下矢という警部補である。

「あの、下矢警部補。今日はよろしくお願いします」

「あぁ……」

 杉山の挨拶に対し、下矢は小さく頷いただけだった。寡黙な性格らしい。どうも少し苦手なタイプのようだと杉山は密かに思ったが、これも仕事だと割り切って改めて目の前の四階建てビルを見やった。

「ここですね」

 フェニックス・ソフトウェアは文京区内にあり、場所的には三社の中で現場に一番近い会社であった。事前に調べた情報では主に新作ソフトウェア開発や各種プログラミングに主軸を置いた会社で、元ハッカーの火神鳥夫が五年ほど前に始めた会社だという。社員数は三十名。調べた限り、昨年の求人では三人を採用しようとしていたようで、問題の昨年八月四日は午後四時から一時間面接という事になっていたらしい。

 と、ここで下矢がぼそぼそと呟いた。

「俺はこの手の業種に詳しくない。質問は嬢ちゃん、あんたに任せる。構わないか?」

「え? は、はい」

 杉山は思わずそう答えた。杉山自身、コンピューターにそこまで詳しいとは言えないが、今まで場数を踏んできた所轄のベテラン刑事の手前、弱音を吐く事はできなかった。

「よし……行くぞ」

 下矢の言葉を合図に、二人はビルの中に入っていく。受付で来意を告げると、しばらくして出てきたのは、意外な事に外国人の女性だった。

「あ、えっと……」

 咄嗟に英語で話そうとした杉山だったが、その前に相手がにっこり微笑んでこう言った。

「ようこそ。警察の方ですね? どのような御用件でしょうか?」

 見た目に反して完璧なイントネーションの流暢な日本語だった。思わず二人は顔を見合わせる。

「あなたは?」

「申し遅れました。私、この会社の社長秘書をしています井足カトリーヌといいます。母がイギリス人ですが、生まれも育ちも国籍もちゃんと日本ですよ」

 女性……カトリーヌはそう挨拶した。

「警視庁の杉山です。こちらは下矢。実は人事担当の方にお話を伺いたいんですが、呼んで頂けませんか?」

 杉山のその言葉に、カトリーヌは少し困ったように頭を下げた。

「弊社は社長の火神自ら人事を担当しています。ですが、火神は今来客中でして」

「終わるまで待ちます」

「……わかりました。では、あと三十分ほどお待ちください」

 カトリーヌはそう言うと一度奥へと引っ込んだ。特にする事もないので、二人はロビーのソファに腰かけて待つ事にした。その間、ロビーを通る人間を観察してみるが、ソフトウェア会社だけあってか全体的に若い人間が多いように見える。

 カトリーヌが姿を見せたのは、それからきっかり三十分後だった。

「お待たせしました、どうぞ」

 そのまま四階の社長室に通される。部屋に入ると、そこにいたのはまだ三十歳前後と思しき若いラフな格好をした男の姿だった。杉山たちが部屋に入った事に気付いていないのか、パソコンの画面を見ながらヘッドフォンをして何やら話をしている。どうやらテレビ会議か何かのようだ。

「うん、そういう事だからよろしくね。これから来客だから少し切るよ。じゃあね」

 そう言うと、大きく息を吐いてヘッドフォンを外す。そして、改めて杉山たちの方に目をやってにっこり微笑んだ。

「やぁ、僕の会社にようこそ。社長の火神です」

 そう言うと、二人に来客用のソファを勧める。杉山たちが座ると、火神は反対側のソファに座ってフランクに話しかけてきた。

「いやぁ、刑事さんの訪問を受けるなんてびっくりしましたよ。僕の会社、何かやりましたか?」

「いえ、実はちょっとお聞きしたい事がありまして」

 杉山はあくまでペースを崩されないように冷静に話を進める。

「つれないねぇ。いいよ、聞きたい事って何?」

「この写真の人物に心当たりはありませんか?」

 そう言って、被害者の写真を差し出す。火神はちらっと写真を見たが、すぐに首を振った。

「んー、ちょっとわからないかなぁ。この子がどうしたの?」

「先日遺体で発見されました。それで、調べたところ、彼女は昨年この会社を受験している事がわかりまして」

「去年? 古い事を聞くね。えーっと、どうだったかな」

 と、ここで後ろに控えていたカトリーヌが助言をした。

「昨年なら、まだ受験者の履歴書が残っていると思いますが」

「あぁ、そうなんだ。じゃあ、探してきてよ」

「かしこまりました」

 カトリーヌは一度秘書室に引っ込んだが、五分ほどして戻ってきた。

「お待たせしました。この方だと思いますが」

 そう言って差し出した履歴書には、確かに『小堀川陽子』の名前と彼女の顔写真が載っていた。それを見て火神は首をひねる。

「小堀川、ねぇ。スケジュール、どうなってる?」

「昨年のスケジュールによれば、去年の八月四日に確かに面接しています」

 カトリーヌがシステム手帳を見ながらそういうと、ようやく火神は何か思い至ったように手を打った。

「あぁ、あの子か! はいはい、思い出したよ。でも、残念だけどその子は一次面接で落としたから、あんまり印象がないなぁ」

「落としたんですか?」

「うん。何て言うかなぁ、この業界には合わないみたいな感じがしたんだよねぇ。まぁ、理想は高いみたいだったけど、文系でパソコンもそこまで詳しくないみたいだったし、僕としては即戦力がほしいから残念だけど落とさせてもらったんだ」

 確かに、履歴書を見ると端の方に「不採用」の印が押してある。

「彼女、面接で何か言っていませんでしたか?」

「別に、普通だったよ。と言うか、普通過ぎてちょっと地味だったかな。うちは個性的で面白い人間を採用するようにしてるからさ。そういう意味でも彼女はうちに合わないと思ったんだよね。もし入ったとしても、多分続かないと思うよ。だったら、最初から断った方が互いのためになると思ったんだ」

「言い切りますね」

「僕もこの業界長いからさ。だから、途中でつぶれた人間を何人も見てきた。彼女はそういうタイプに似てると思ったんだ」

 若くてフランクな性格とはいえ、さすがに何年も社長をやっているだけの事はある。その辺の事はシビアだった。

「念のため、昨年採用した社員の方にも話を聞きたいんですが」

「無駄だと思うよ。基本的に僕は一日一人しか面接しないから、一次面接で落ちた彼女が他の受験者に会う事はない。だから、話を聞いても彼女を知らないと思うよ」

 そう言われてしまってはどうしようもない。

「では、その履歴書を頂けますか?」

「あぁ、別にいいよ。捜査に役立ててよ」

 その後、もうしばらく杉山と下矢が交互に質問を重ねたが、結局それ以上の事を引き出す事ができずに時間切れとなった。

「もういいでしょ。これから別の商談があるんだ。帰ってくれるかな?」

 その言葉を最後に、二人は追い出されるように部屋を後にしたのだった……。


 結局、この日行われた三企業に対する捜査では、特段新しい情報は得られないままに終わった。もちろん、それぞれの会社に対する内偵……特に事件当時被害者と直接会話した人事関係者に対する調査は行われる事になったが、これと言った進展は正直あまり期待できそうにないというのが捜査員たちの見立てだった。

 だが、この時点で事件はすでに大きく動いていたのだ。警視庁側が大きな壁にぶつかっていた頃、そのはるか西で、この事件のキーポイントとなる捜査が行われようとしていたのだった……。

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