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アーコレードへようこそ  作者: 松穂
第1部
46/114

裏14話  咆哮する弟、水奈瀬萩

「――っんなのダメに決まってんだろっ! 何考えてんだよっ! 大体、会って何を話すってんだっ? 今更許してくれなんて虫が良すぎんだろがっ! 葵もお人好しすぎんだよっ! あいつの言うことなんか真に受けてバカだろっ? あいつに何されたか、葵、忘れたのかっ?」


 怒りにまかせて思いつく限りの怒号を撒き散らせば、当の姉はちらと上目づかいにこちらを(うかが)い、はぁ、と小さく溜息をついている。

 ――ナンなんだよ、その “やっぱりねー” みたいな目は……っ!

 萩はソファの上で、ギリリと歯をむき出した。



 今日、姉の葵は、クロカワフーズ主催の納涼会に出かけていた。準備担当だとかで朝からだ。こうして一日中外出するのは久しぶりだっただろう。

 夏休みと盆休みをくっつけて長期休暇をもらえたらしい姉は、色々あって一週間ほど前からずっとここ、実家マンションにいた。

 傍目には、洗濯したり家の中を掃除したり、料理を作ったりしながら、のんびりと過ごしていたように思う。一度気晴らしに、萩と一緒に電車で近隣の大型ショッピングモールへ行ったが、その他は近所のスーパーへ買い物に出たりするくらいで、ほとんど家の中で過ごしていたのではないか。

 萩は何気なく普通に接しながらも、内心はそりゃあ、ビクビクものだった。

 先日、葵の店で自ら繰り広げてしまった乱闘騒ぎ。萩自身、あの男を殴ったことに後悔も懺悔もないが、あの場を姉に見られたことは、一生の不覚だと思っている。

 会わせたくなかったのに会ってしまった。きっと四年前をリアルに思い出してしまっただろう。そんな姉が精神的にどうなるか。事態が収束し、ようやく冷静さを取り戻した萩は、腫れ物に触るような心地で姉の様子に気を配った。

 ――当の葵も兄の蓮も、突然牙を抜かれた獣のごとく大人しくなってしまった萩を、密かに苦笑していたことなどつゆ知らず。

 幸いなことに、あれから姉に危惧した兆候は見られなかった。

 睡眠や食事はしっかり取っていたようだし、体の不調も見られない。何かの折に、ぼんやり物思いに耽ることはあったが、病的な表情は感じられない。

 だから、納涼会に参加すると言われた時、萩は快く送り出してやった。

 このまま日常生活に戻れば、あいつのことなんか忘れてしまうだろう……二度と会わなければ、古傷など痕かたなく消えてしまうだろう……そう、思っていたのだ。

 ――なのに、なのにだ。

 葵は納涼会から帰って来るなり、ローテーブルの脇にペタンと座り込み、とんでもないことを言ってのけた。

『――萩、私ね、伊沢さんと会って話をしてみる』


 リビングでテレビを見つつ寛ぎまくっていた萩は、「はあぁっ?」とソファから跳ね起きて、前述の通り、怒鳴りまくったのである。



 点けっぱなしのテレビから、間抜けな笑いがドッと沸く。

 しかし、萩はテレビを消すことすら念頭になく、葵のいつになく真剣な、そして妙に冷静な声を忌々しい思いで聞いた。

「あのね、萩。……私は伊沢さんと、ちゃんと話をしたいだけだよ。向こうが何を話したいのかはわからないけど、私は、彼に話さなきゃならないことがあるの。……もう、逃げちゃダメなんだよ」

 ゆっくりと噛み含ませるようなその言い方に、萩はますます苛立つ。

「葵は逃げたわけじゃねーだろっ? 逃げたのはあっちだ!」

「私だって、逃げたんだよ。……追いかけることもしなかった」

「――ったり前だっ! あんなクソ野郎、追いかける価値もねーよっ!」

「……萩」

 葵がきゅっと眉根を寄せて睨んだが、クソ野郎はクソ野郎だ、撤回無用。

「いいか、葵、四年も経ってんだぞ? 葵はもう立ち直ったじゃねーか! だったらもう、このまま忘れればいいんじゃねーの? 今更何を喋ったところで、ヤツと葵はこの先人生関わることなんかねーだろっ? もうほっとけよ! これ以上関わり合いになるなって!」

 ゲシッゲシッとソファのアームを蹴りながらまくし立てれば、葵は再び溜息を吐きだした。

「もう……ホントに難関だな……」

「あぁっ?」 

「あのね……えっと、ほら、萩や麻実ちゃんが、彼に手を上げてしまったでしょ? それもきちんと謝まらなきゃ。元はと言えば、私のためにしたことだから、私にも責任があるでしょう? ね?」

 ――ちっ、そこ突くのか? しかも、何だよその喋り方! 子供に言い聞かせるみたいでムカつくんだって!


「確かに殴ったのはオレだ。だけどあんなの自業自得だろ? 葵が受けた痛みに比べりゃあんなの屁でもねーよ! 当然の報いってヤツだ! 正当防衛だっ!」

 自分でも一瞬、違うかなとは思ったが、そこは勢いでゴリ押しする。が、葵はやはり、むぅっと顔をしかめた。

「 “正当防衛” は、違うよね? 大体、蓮兄に聞いたけど、伊沢さんは一度だって反撃も防御もしなかったんでしょ? なのに、萩は彼を二発も殴ったって」

「……っ! だからっ! 何であんな奴の肩を持つんだよっ! 葵のそういうところがヌルいってこと、わかんねーのっ? 傷つけた女に謝られたところで、こいつまだオレに気があるんじゃねーかって、そう思われるのがオチなんだよ! わかるか? そういうところにつけ込まれんだよっ!」

「つ、つけ込む、とか……そういうことはないよ、だって、伊沢さん、結婚してるでしょう?」

「――してねーよっ! あいつはあの後婚約破棄され――」

「え、そうなの?」

 ――ヤベ。

 興奮のあまり、つい口が滑った。

 別に隠すことじゃないだろうけれど、あの男に関する情報など、これっぽっちも知らせたくはない。葵には知る必要のないことだ。

 ちら、と(うかが)い見れば、姉は困惑したような顔をしている。

「……だって、……お腹に赤ちゃんが……いたって……」

 小さく呟いた葵の声音に、再びテレビからドッと沸いた歓声が重なった。

 ――と、突然、リビングのドアが開いた。


「――ずいぶんデカイ声で叫んでたな。近所迷惑もいいところだ」

「蓮兄。おかえり。遅かったね」

 葵が座ったまま迎えたところで、萩は「あ」と思い出した。

 一時間ほど前、萩の携帯に《 葵を拾ってから帰る 》という蓮からのメールが入っていたのだ。てっきり一緒に帰って来るかと思っていたのに、葵が一人で帰ってきたので、あれ?と思ったのだが、問いかける前に爆弾発言を受けたため、兄のことは木端微塵に吹き飛んでいた。

 蓮は、ソファ上の萩をちらりと一瞥して、葵に応じた。

「ああ、実はクロカワフーズに寄ったんだよ。お前を迎えに行ってやろうかと思ってな。でも本社ビルを見つけるのに手間取った。本店と本社って繋がってるんだな、知らなかったよ。……で、やっと着いた時にはもう帰った後だった。メール、見てないんだろ?」

「うそ! ゴメン、見てないや……」

 葵は普段からあまり携帯電話をこまめにチェックするタイプではないので、バッグに入れたまま着信やメールに気づかないことはよくある。

 それって仕事上の緊急連絡とかマズイんじゃね?と、萩は思うのだが、葵曰く、仕事関連はほとんど店の電話とPCメールで事足りているので、どうしても携帯の存在を忘れがちになるらしい。


「――で? 何をそんなに喚いていたんだ?」

 特に不機嫌でも怒っているようでもなく、蓮はローテーブルの上にあったリモコンで点けっぱなしだったテレビの電源を切り、荷物を置いてソファへ腰かけた。ソファ全面を陣取っていた萩は仕方なく片側に移動する。何故かこういう場面では逆らえない。


「蓮兄。……私、伊沢さんと会って、話をしてみようかと思って」  

「バカなこと言うなって、蓮兄も言ってやれよ」

 妹弟それぞれの訴えに、蓮は「なるほどね」と思案気に頷いた。

「大丈夫なのか、葵」

「うん、大丈夫」

 葵がきっぱり答えれば、「そうか、わかった」と、蓮は吐息交じりに吐き出した。

 ――はぁっ? ちょっと待てっ!

 萩は思わずソファからガバッと立ち上がる。

「――ナンだよ蓮兄までっ! いいのか? 許すのか? あいつと葵が会うこと、蓮兄だって反対してただろっ? 何で今更OKなんだよっ! おかしいじゃねーかっ!」

「まぁ、落ちつけよ、萩。とにかく、座れ」

 うんざりしたように蓮は宥めるが、萩はもちろん治まらない。

 ――ナンだよ、ナンだってんだよ、二人とも頭おかしいんじゃねーの?

 立ったまま威嚇するように蓮を睨みつければ、そんな萩に構わず、兄は静かに語り出す。


「もちろん昨日も言った通り、俺はあの男を許したわけでもなく、今でも葵に近づいて欲しくないと思っている。でも、それは俺の(、、)意思だ。そして、萩、お前の(、、、)意思だな。でも、これは葵の意志じゃない(、、、、、、、、)

「んなこと――っ、」

「なぁ、萩。……今まで俺たちは……葵のため、と言いながら、葵の気持ちをまったく聞こうとしなかった。葵がどうしたいのか、何を考えているのか一つも聞かず、ただ災いから遠ざけ危険を排除することで、葵の幸せを守ろうとした。……これは、本当に葵が幸せになれる方法か? 確かに、あの時の葵の状態を見れば、それは仕方なかったことだ。……俺は自分のしたことに後悔はない。でも、もう四年経った。葵はずいぶん立ち直ったように思う。葵が今、自分の未来のために動こうというなら、俺はその気持ちを尊重したい。お前はこれからずっと、葵の意志を無視するのか? 葵が自力で立とうとするのを(はば)むのか?」


 ――くっそ……!

 思わずギリ、と歯噛みする。

 こうして冷静に理詰めで淡々と諭すのは蓮が最も得意とする論法だ。そして、萩はこのやり方が最も苦手である。「無視するのか?」とか、「阻むのか?」とか問いかけながら、萩の心にじわじわと後ろめたさを埋め込んでいくのだ。

 こういう言い方をされてしまうと、さすがの萩も勢いに任せて怒鳴り返すことができない。それをわかっていて、兄はこうした物言いをするのだ。

 ――でも。それでも。許せないものは許せない。


「だからって! わざわざ会う必要はねーだろ? 葵に何かあったらどーすんだよ! 話をするだけっていうけどな、えげつない話されて、また葵が傷つくかもしんねーんだぞっ! もうヤなんだよっ! あんな葵、見たくねーんだよっ!」

「……萩」

 もはや意地になって反論する萩を見上げ、姉は悲しげな眼をする。

 そう……萩は、怖い(、、)のだ。

 萩の中には、いつまでたっても消えない “怖れ” がある。

 大事な家族が次々に失われていく恐怖。自分の目の前で壊れていく恐ろしさ。

 そして、何もできない、見ているだけの自分。


 父が亡くなった時、萩はまだ中学三年生であった。母が病んで遠くへ去ったのが高校一年、その後、姉までもが病んでしまった。僅か三年の間、立て続けに起きた家族の危機。萩は最も多感な時期だった。

 特に葵が病んでしまった時は、なかなか家にいられなかった蓮の代わり、萩がずっと葵の傍についていた。夜中、葵の金切り声で飛び起きたこともある。駅のホームで過呼吸になった葵を迎えに行ったことだってある。手が震えて箸を取り落とす葵、紙おむつのCMでさえ蒼白になって逃げ出す葵、仏壇のある和室で魂の抜けたように何時間も座り込んでいる葵……全部全部、萩は傍で見てきたのだ。

 もう二度と、あんな葵は見たくない。


「ごめん、萩……」

 萩の中にある消せない記憶を、葵も今、辿ったのだろうか。辛そうに目を伏せた姉を見れば、強張った身体からようやく力が抜ける。ボスっと投げやりにソファへ座り直した。

「――オレは、何もできなかった。……家族が苦しんでんのに……母さんの時も、葵の時も……オレは、ただ見てるだけしかできなかった。……それって結構、キッツいんだぞ? もし今度また葵が傷ついたら、オレに何ができる? 蓮兄みたく社会に出てるわけでもない。家族のために稼いでいるわけでもない。弁護士に頼む金だってたいして持ってねーし……」

「――頼むつもりだったの?」

 驚いたように目を見張った葵から、萩はプイと顔を背けた。

「……あいつがストーカーなら、警察か弁護士、って思ったんだよ。でも警察って “実質的被害” ってのがないと、あんまし動いてくんねーんだろ? だったら弁護士に頼んだ方が “内容証明” とか、場合によっちゃ “告訴” とか、色々できるんじゃねーかって……」

「……なるほどな。よく調べたもんだ」

 それまで黙って聞いていた蓮が、不意に可笑しそうに笑い出した。

「だから、こんなもの用意したのか」

 と言いながら、床に置いていたレザーブリーフケースを開けて、中から手の平サイズの小型機器を取り出す。

 ――って、おいぃっ! それっ!


「――ちょ……っ、いつの間にっ! 返せよっ――……ぅぐ……っ!」

 萩がすかさず伸ばした手を、蓮はひょいと軽くかわし、手を伸ばしたことで隙だらけとなった萩の身体を絶妙な間合いでソファから蹴り落とした。

「……ってぇ……卑怯だぞ……蓮兄……」

 みぞおち……入った。

 床上でうずくまる萩を見下ろし、蓮は勝ち誇ったように、そのブラックメタルな小型機器をかざす。

「黙って持ち出したのは謝る。でも、その辺に放り出しているお前も悪い」

「何それ……ウォークマン?」

「いいや、ICレコーダー、だな」

「ICレコーダー。……へぇ……私、初めて見たかも」

 兄姉二人のやり取りを耳にしながら、萩は痛恨の思いで歯噛みする。

 ちっきしょ……出しっぱなしだったっけ……ちゃんとしまっておけよ、オレ。


「これで伊沢尚樹との会話を録音して、あの男がストーカーだという証拠にでもするつもりだったんだろう? お前にしちゃなかなか手の込んだことをしたよな。確かに、こういったICレコーダーを使って脅迫めいた言葉や嫌がらせ行為がわかるような言質が取れれば、ストーカー犯罪の立派な証拠には、なる。……しかし、だ。これじゃ(、、、、)無理だな」


 蓮は肩をすくめてそのICレコーダーをポイっと萩に投げる。危ねっ、と慌ててキャッチした萩は、あまりの恥ずかしさに言葉もない。

「それ、こないだの時のだな? お前の声と伊沢の声と、矢沢遼平や伸悟の声も入っていた。……ああ、俺のもだ。ずいぶん雑音まみれで聞きとりづらかったが、その録音された内容を聞いた人間は、十中八九、お前が加害者で訴えられるべきだ、と思うだろう」

「……? どういうこと?」

 葵が訳のわからない顔をしている。

 蓮は腕と足を組み直して、ふふんと鼻で笑いソファにふんぞり返った。


「最近のICレコーダーは昔に比べてかなり性能が良くなったらしいが、それでも一般には卓上に置くなり内臓スタンドを使うなりして、録音中はなるべく本体に触れないようにするのが望ましいんだ。やむを得ず胸ポケットなどに入れる場合でも、ハンカチなんかで固定すればノイズはだいぶカットされる。……萩はジーンズのポケットに、そのまま突っ込んだんだろ? あれじゃあ、まず人間の声だけをクリアに録音するのは不可能だ。――しかも。萩は録音中だということをわかっていたのか忘れていたのか、さんざん暴れ回った。あれでよく録音が継続できたもんだと、最近の小型機器の耐久性についても感心するな」

 澱みない蓮の弁舌に、葵は呆気にとられてポカンとしている。

「……まぁ、勝手に聞いたのは悪かったけどな、そこから聞き取れるのは、何かを懇願している男性に、何度も罵詈雑言を浴びせ二発も殴りつけたもう一人の男、派手な乱闘騒ぎとおびただしいノイズの嵐……、ま、そんなところか。懇願している男をストーカーだと言い張るには、かなり信憑性に欠ける内容だ。お前なりの手回しは褒めてやりたいが、実に詰めの甘い残念な結果となった。次回はもっと熟考した上で実行するんだな」

 ムカつくほどのドヤ顔で悠然と笑んだ兄。唖然と聞いていた姉はゆっくりと萩に目を向けて「萩って、そういうところあるよね」と痛そうな目をした。


 ――……っかつくっ! 誰のために苦労して調べたと思ってんだっ!

 浅はかと言われ、考えナシと言われ、猪突猛進だの計画性皆無だの散々言われてきたが、萩だって色々調べて考えたのだ。

 殴って解決するならいくらでもボコってやるが、それではあの男を完全に遠ざける方法ではないことくらいわかっている。(結局、殴ったのだが)

 だから、決定的証拠、というものを手に入れて、然るべきところに出してやろうと考えた。

 だが、結果は悔しいことに、蓮が今、得意げに述べた通りだ。

 電気屋を回って手に入れたICレコーダーは、使い方こそ簡単で取扱説明書もほとんど流し読みで済ませたのだが、いざ本番一発勝負で録音し、帰宅後いそいそと再生してみれば、とにかく雑音(ノイズ)が酷くて人間の会話はほとんど正確に聞き取れず、しっかりクリアに入っている声と言えばほとんど自分の喚き声だった、という散々さ。

 そりゃあ兄の言う通り、履いていたデニムのポケットにそのまま突っ込んだのはマズかったかもしれないが、じゃあどこに入れときゃよかったんだよ、と思う。まさか首からぶら下げときゃよかったのか? そんなの、録音してますってバレバレじゃねーか。


 完全に不貞腐れた萩に、蓮はくつくつと喉奥で笑って言った。

「でも、お前にしちゃあいい思い付きだったと俺は思うよ。盗聴器じゃなくICレコーダーっていうのがヌルい(、、、)けどな。ああ、葵が伊沢尚樹と会うなら、そのICレコーダーで会話を全部録音しておくか?」

「……ヤ、ヤダよ、そんなの。録音なんて必要ないし」

 本気とも冗談ともとれる蓮の言い草に、葵がは慌てて首を振る。それに対して蓮は「そうか? なかなかいいアイデアだと思うけどな」などとうそぶいている。

「せっかく萩が大枚はたいて買ったのにな。そのメーカー、わりといいやつだろ?」

「へぇー、そうなんだ。……あ、でも、ICレコーダーと盗聴器って違うの?」

「ICレコーダーだって盗聴目的に使えば盗聴器になるさ。ただし、盗聴器に分類されるものはそれ目的で作られているからな、性能もずば抜けているだろうし値段ももちろん高いはずだ。ま、萩のバイト代じゃ買うのはキツイな」

「……萩、無駄遣いはやめなよ?」

「――んなこたぁ、どーだっていいんだよっ!」

 若干話がずれてきている二人の会話に、萩は我慢ならずブチ切れた。


「――とにかくっ! オレは認めねーからなっ! あいつと会うなんてぜってー認めないっ! 大体、あれ以来あいつからのコンタクトはねーんだろ? もう葵と会うのは諦めたかもしんねーじゃん! こっちだってあいつの連絡先知らねーんだし、このままほっとけば――」

「ああ、連絡先はね……」

 今度は葵が自分のバッグをガサゴソ探す。そして、シンプルな手帳の裏表紙ポケットから、一枚のカードを取り出した。

 ……しわくちゃになった白い、カード……? ……っておい、それって、まさか。


「これ……伊沢さんの名刺でしょ? 萩のデニムのポケットから見つけちゃった」

「マジか……!」

 思わず頭を抱えたまま仰向けで床に倒れ込んだ拍子に、ゴンッ、とローテーブルの角が後頭部に直撃する。

「~~~っ!」

「ちょっと、もう……相変わらずあちこちにぶつけるよね。……大丈夫?」

 葵の心配そうな声を浴びながら、萩は痛みに悶絶し記憶をたどる。

 ――すっかり忘れていた……そうだ、あの時、遼平から渡されたあの男の名刺だ……

 確か裏にはご丁寧に携帯の番号が走り書きされていたはず。

 ――あの時オレ、遼平から渡されて、その後どうしたっけ? ポケットから見つけたってことはポケットに突っ込んだんだろうな、でもまったく記憶にない……

 うおぉぉ、と床の上を転がりまわる萩を見て、蓮が「打ちどころが悪かったようだな」と言えば、葵まで「テーブル、凹んでない?」と、無情なことを言う。

 いい兄貴と姉貴だよ……まったく。

 ――って、そーじゃねーよっ! 全然ダメじゃんオレ! まったくイイとこねーじゃんっ!


「……葵、どこで会うのか決めたのか?」

「うーん、それなんだけど……実は、その、黒河さんが」

「黒河……?」

「うん……黒河さん。場所は俺が提供する……って」

 そこで萩はガバリと身を起こした。

「ナンだよ、黒河って、あのマネージャーか? なんで葵の上司が出てくんだよ。つーか、オレずっと気になってたんだけど。あの黒河ってやつ、ナンなの? ナニをドコまで知ってるわけ?」

「えっと……黒河さんは……たぶん全部、知ってる。……と思う」

「はぁぁっ? 全部? ナニ全部って。何で? 葵が話したのかっ?」

「……萩、うっさい。お前はもう一度、それの取扱説明書をよく読むんだな。葵にも使い方を教えてやれ」

「ちょっと、蓮兄! 私、会話を録音なんてしないよ! 盗聴は犯罪でしょ!」

「てゆーか、ナニ会うこと前提になってんだよっ! オレはゆるさねーぞっ!」

「盗聴だなんて人聞きが悪いな。伊沢に了承を取れば構わないだろう?」

「そういう問題じゃないってば!」

「オレはぜってー認めねーからなぁぁっ!!」


 日付は変わり、夜は更けていく。

 怒鳴り喚きながら、自分が何を言ってもどう反対しても、葵はあの男と会うのだろうな、とわかっていた。

 少しずつ少しずつ、姉は過去の痛手を乗り越えて前に進もうとしている。それを邪魔しちゃいけないことくらい、萩だってわかっているのだ。

 だからこそ、口では反対を主張しながら、胸の内では次なる行動計画をしっかりと練り始めていた。


 ――いつどこで会うのか知らねーが、バイトのシフトは慎重に調整しとかなきゃなっっ!





 

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