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アーコレードへようこそ  作者: 松穂
第1部
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第16話  会議終わりに、乾杯

「……ったく、ホンットにマジ勘弁って感じ。話が長い割に全っ然要点見えてこないし、昔は、昔は、って、いったいいつの話だっつーの。鶴岡さんがいないのをいいことに、我が物顔で喋り倒すんだもん。黒河マネージャーが来てくれなかったら、あと一時間は延びてたはず。……あんの “コンダヌキ” め……」

「ぶ……っ…… “コンダヌキ” っていいネーミングですね。 “今田” だけに “今田(こんだ)()き” ? ちょっと親父ギャグ臭いですけど。大久保さんがつけたんですか?」

「違うって、坪っち。こんな親父なネーミング、牧さん以外に誰がつけるってゆーの」

「さすが(ねえ)さん! 怖いもの知らず」

「さすが姐御(あねご)! 親父臭いけど」

「お黙り小野寺1号2号! あんたたち親父親父ってうるさいわよ! いーじゃない “コンダヌキ” ! キツネ顔にタヌキ腹で、まさに “コンダヌキ” ! 思いついた十年前の私を褒めてよ! ねぇ葵ちゃん!」

「は、はぁ……」

「牧野さんって、十年以上クロカワフーズにいるんだ」

「諸岡くん。何が言いたいの?」


 月定例会議終了後、都内某所の洋風居酒屋にて。

 賑やかな笑い声が弾け、場は大いに盛り上がっている。

 今夜のメンバーは、葵を含む『アーコレード』メンバー、牧野女史と諸岡以外にも、『櫻華亭』松濤店のアテンドに昇格したばかりの坪井青年、そして『プルナス』広尾店と表参道店の小野寺両店長も参加している。もちろん『櫻華亭』麻布店の大久保恵梨も一緒だ。

 その大久保といえば、いつものクールビューティーはどこへやら、アルコールで上気した頬を、怒りでさらに赤くしている。


「牧さん! あのクソタヌキ、『私は顧問という責務のほかにマネージャーとかいう雑用もこなさなきゃならんのかね』とか何とか言ってたくせに、黒河マネージャーが『アーコレード』に移った途端、やりたい放題ですよ。どーにかしてください!」

「うーん、私に言われてもねー、関わりあいたくないし」

「前から思ってたんすけど、ホテル店舗の人たちって高慢ちきな人、多いですよね。なんつーか、自分たちが『櫻華亭』のパイオニアだと思ってるっつーか。そりゃ、フィーデール・アンド・シングラーが外資系ホテルのトップクラスだっていうのもわかりますけど、『櫻華亭』の本家本元は “本店” なんだってこと忘れちゃってるんですかね?」

 坪井青年もここぞとばかり、不満をぶちまけている。

 この二人は『櫻華亭』所属である。午後からの店舗別会議でよほどうんざりしたのだろう。口をついて出てくる愚痴は止まる様子もない。

 ホテル店舗と呼ばれる三つの『櫻華亭』――『グランド・シングラー赤坂』、『シングラーホテル日比谷』、『ホテルシングラー・インターナショナル汐留』それぞれのホテル内にテナントとして入っている『櫻華亭』は、そこで働く面々にもいくつか問題があるようだが、それに加えて現在、小さなトラブルが立て続けに発生している状況らしい。

 ――正式な担当マネージャー不在が、原因とされている。


 何でも、ホテル店舗担当マネージャーであった黒河侑司が、四月の人事異動で『アーコレード』に移る際、本来ならそれに代わる人間がホテル店舗担当マネージャーを引き継ぐところなのだが、どうしてもその時点で適任者がいなかったという。

 能力云々の前に、『紫櫻庵』オープンに向けて各店舗から人員が引き抜かれていたこともあって、最低限のスタッフ数がどの店舗でもギリギリだったのだ。

 結局、徳永GM含む五人のマネージャー陣が、時間に都合をつけながら交代で各店舗を見ることになったのだが、今のこの時期、徳永、鶴岡、杉浦の三名はどうしても『紫櫻庵』にかかりきりになってしまう。

 ちなみに、ダイニングバー『プルナス』担当の西條マネージャーは、クロカワフーズの正規社員ではないという複雑な事情がある。実は、彼個人でやっている店が他にいくつかあるらしく、そちらが本業なのだそうだ。

 そういう背景もあって、問題の多いホテル店舗のトラブル処理に、前担当の黒河侑司が度々呼ばれてしまうという現状なのだ。

 折しも、つい先頃自分のせいで彼に迷惑をかけてしまった自覚のある葵としては、この話は耳に痛かった。

 ――大丈夫かな、黒河さん……

 彼を意識する時間が、あれからさらに増えていることに、葵自身まだ気づいていない。


「大体、あの豊島支配人もムカつきます! 松濤は客数が取れていないですね、とか言っちゃって! うちは『櫻華亭』の中でも一番席数が少ないんだから当たり前じゃないですか! 日比谷より利益は取ってるっつーの! コンダヌキのイソギンチャクめ!」

「坪っち、よく言った! でもそれを言うなら “腰巾着(コシギンチャク)” だ!」

「大久保……アンタ、見た目ほどお酒に強くないんだから、ほどほどにしときなさいよ。……まぁ、日比谷の豊島や赤坂の蜂谷は今田顧問のお気に入りだからね。特に豊島は、媚び売りおべんちゃらが買われて役職が付いたようなものだし」

「統括も徳永さんも、どうしてコンダヌキの我儘を野放しにしてるんですか! あのタヌキが人事に口出ししまくるからホテル店舗にロクでもないスタッフばかり集まるんですよ!」

「んー、そうなんだけど。コンダヌキも昔は名ギャルソンだったらしいのよ? 今じゃ信じられないけど、ずいぶんクロカワフーズに貢献した人だそうだから、統括も徳永さんも……社長だって、あまり強く言えないんじゃないかな」

 牧野女史の説明を受けて、大久保が耳慣れぬ語句を吐き捨てた。どうやら公共電波上ならピーというモザイク音がかかる言葉らしい。

「ま、同じ顧問でも、茂木さんとは正反対だってことだね」

 諸岡がニコ顔で呆れた声を出す。何とも言えず、葵はグラスに口をつけた。


 クロカワフーズにおける顧問という役職は、現在二人いる。表向き、経営に関する権限は一切持っておらず、あくまでも相談役として置かれた少々特殊な立場なのだそうだ。

 そのうちの一人――先ほどから藁人形のごとく矢面となっている今田という人物は、ここ十数年、『櫻華亭』のホテル店舗、特にグランド・シングラー赤坂店に拠点をおいて、その権力をふるっている御仁だ。

 還暦はとっくに過ぎた高齢ながらも、恰幅の良いその姿は矍鑠(かくしゃく)として威厳に満ちており、その昔、クロカワフーズの設立時も一流外資系ホテルとの業務提携時も、身を粉にして尽力した功労者であると葵は聞いている。が、いつからか自分勝手な振る舞いが増長しだし、今では社内の厄介者として煙たがられているそうだ。

 ほとんど接点がない葵には何とも判断しきれないが、 “過去の栄光に縋る古い時代の化石人間” と、以前諸岡が珍しく中傷めいたことを言っていたのが印象深く残っている。


 一方の茂木顧問とは、葵も面識があり会話を交わしたこともある。本店での研修時に一緒に働かせてもらったからだ。

 葵が研修生として初めて本店へ入った時、面倒そうな顔を隠しきれなかった面々の中で、唯一最初から変わらず気さくに声をかけてくれたのが、この茂木顧問だ。人の良い笑みを浮かべ「今日はいいお天気ですね」「今日の賄いは期待できそうですよ?」など、他愛もない会話で葵の不安と緊張を和らげてくれたのをよく覚えている。

 外見は小柄で細身、あまり特徴らしい特徴もない平凡な姿形の男性だが、どんな場でも上手く調和させてしまうような不思議な力を持っている気がした。彼も今田氏と同じくすでに還暦を過ぎているのだが、今も現役で店(主に本店)に立っている。いつも静かに穏やかに陰ながら『櫻華亭』を支えているような、そんな人物であった。

 茂木顧問に会うため本店へ通う常連客、茂木氏こそ本店の支配人だと思い込んでいる常連客は、決して少なくない。“『櫻華亭』の生き字引” とは、まさに茂木顧問を指し示す敬称なのだと、皆が言う。


 こうして比較すると、二人の顧問今田氏と茂木氏は実に正反対とも言える人物像だ。

 そして、葵は最近知ったことなのだが、実はこの二人の顧問……非常に仲が悪いという。いや、仲が悪い、というのは語弊があるかもしれない。

 何故か今田氏の方が一方的に、茂木氏に対する反感を募らせているらしい。


「タヌキめ、こないだなんか茂木顧問のこと陰で “卑怯者” 呼ばわりしてたからね!……あいつ、いつかこの手でブン殴ってやる……!」

「マジッすか! 俺、茂木さんのこと超尊敬してんのに! 許せませんね!」

「ちょっと大久保、気をつけなさいよー、ただでさえ今田さんたちに睨まれてるんだから」

「わかってますよ。今度何かされたら、洗いざらい統括にブチまけますから!」

「はいはい、それが賢明ね。坪井くんも役職付いたからには、賢く世渡りしなきゃダメよ」

 ヒートアップが収まらない大久保と坪井を、牧野女史が苦笑いで(たしな)めている。それを眺めつつ、葵は大久保の発した言葉に引っ掛かりを覚えて首を傾げた。


「……よかったね、俺たち『アーコレード』で。変な派閥争いに巻き込まれることもないし」

 こっそり葵に囁く左隣の諸岡に、葵もこっそり尋ねてみた。

「あの……大久保さん、前に何かされたこと、あるんですか?」

 入社以来『アーコレード』勤務で、役職に就いてからわずか二年しかたっていない葵には、社内の裏事情がいまいちよくわからない。

 ―― “今度何かされたら” ……?

 諸岡が「あー、それね」と説明しようとした時、葵の前に座る二人が口を挿んだ。

「今田一派はやっかいだよ~、葵ちゃん」

「目をつけられたらとことん虐められるよ~」

 同じ顔、同じ声でニヤリと笑うこの二人は、『プルナス』広尾店、表参道店の店長、小野寺兄弟だ。この二人、見た目そっくりの一卵性双生児で、年齢は諸岡と同じ二十七歳。

 実は諸岡とこの小野寺双子、年だけでなく大学も同じで、元々同じバイト先の仲間だったとか。諸岡曰く、切っても切れない腐れ縁なのだそうだ。

 『アーコレード』と『プルナス』は午後の店舗会議が合同なので、葵もこの双子兄弟とは気安い仲である。こうして会議終わりに一緒に飲むことも多い。

 しかし申し訳ないことに、葵にはどちらが1号(兄)でどちらが2号(弟)なのか、いまだにまったく区別がつかない。何故ならこの二人、無意識なのか故意なのか(おそらく後者)、髪型も着る服も持っている鞄一つにしても、ほぼ一緒なのだ。

 たまに色違い程度の差異を見せることはあれども、普通、ここまでお揃いにする双子も珍しいと思う。

 その瓜二つツインズが、意味ありげな視線を全く同じタイミングで葵の右隣の大久保に向けて、また葵に戻し、「ね?」という。ワケがわからずパチパチ瞬く葵に、諸岡が苦笑した。


「大久保はね、俺と同期なんだけど、入社後はすぐ『グランド・シングラー赤坂』に配属されたんだ。あいつマルチリンガルでしょ? 英語、ドイツ語、フランス語と中国語……だっけな。ハングルも日常会話程度ならいけるらしいし。外資系ホテル内レストランにしたら喉から手が出るほど欲しい人材なんだよ」

「大久保さん……すごい人なんですね……」

 語学堪能とは聞いていたが、ここまで多国語に精通していたとは葵も知らなかった。

 隣に座る大久保恵梨へと尊敬のまなざしを送るものの、目下彼女は坪井や牧野と一緒にコンダヌキ撃退法を白熱考案中だ。


「でもねー、その性格がねー。クールで毒舌、男尊女卑に真っ向反対、上司関係なくバッサリ言いたいこと言ってちゃあ……」

「しかも仕事ぶりは完璧だから、無下にもできないしさー? ……で、陰湿なイジメが始まっちゃったワケ」

 小野寺双子が(ひそ)めた声で囁いて、同じタイミングで小エビのフリッターを口に放り込んだ。

「……イジメ……」

 絶句する葵に、諸岡がニコリと笑う。

「でもね、すぐに統括の知るところになって、彼女は『櫻華亭』麻布店に異動。彼女に嫌がらせしていた連中も、こっぴどいお咎めをくらったはずだよ。その中に今田顧問がいたかどうかは知らないけどね。今じゃ彼女も麻布の穂積支配人や鶴岡マネージャーに重宝されているようだし、のびのび仕事しているみたいだね」

 すると小野寺1号2号も、すさまじい勢いでエビを奪いあいながら続ける。

「こうやってオレらとツルんじゃうのも良くないんだよねー。あのおっさんたち『アーコレード』や『プルナス』のこと、クロカワフーズの……というより、由緒正しき『櫻華亭』の “蛇足” だと思ってるじゃん?」

「そーそー、たまに会議で会えば、ゴキブリ見るような目つきで見られるもんなー。悪かったね由緒正しくなくてー、って話」

 そう言って、今度はメニューを取ろうと同時に手を伸ばす小野寺双子。

 ……葵は、思わずキュッと唇を引き結んだ。


 ここにいる牧野昭美や大久保恵梨は、入社して間もないうちに店長の大任を預かってしまった自分を、疎まず見下さず、いつだってさりげなくフォローしてくれた。特に大久保は、言い方が辛辣で厳しい時もあるが、フェアな視点は絶対にブレない人だ。当然、『アーコレード』を、そして葵自身を馬鹿にしたり蔑視したりしたことなど一度もない。

 同じ女性としても、一流ギャルソンを志す同志としても、葵にとって大久保は尊敬する憧れの先輩なのだ。

 しかし……『アーコレード』に所属する自分と一緒にいることで、彼女の評価が下がるのだろうか。

 そんな考え方は間違っている、と思う一方で、確かに感じる自分とのレベルの差は、小さくない。


「でも……私は大久保さんとこうやって一緒に飲みたいです……」

 思わず沈みこんでしまった葵を、二人の小野寺店長は首を傾げて覗き込む。

「葵ちゃんて、イイ子だね」

「ホント、惚れちゃいそう」

「え……っ」

「今度うちの店においでよ。お酒好きでしょ?」

「いやいや、表参道よりうちの広尾の方においでよ。サービスするよ?」

「は、はぁ……」

「ほらほら、グラスが空だよ? 次何飲む?」

「はいメニュー。ここはカクテルのバリエーションが少ないね」

「あ、ど、どーも……」

 代わる代わる話しかけられ、葵の首は右に左に忙しい。

 そこへ、ぱふっと白いおしぼりが飛んできた。

「こらーっ! そこ、なにしてんのーっ!」

「1号2号! ちょっと目を離すとすぐこれだ!」

「水奈瀬さん! その二人から離れて下さい! かじられますよ!」

 コンダヌキ抹殺法を熱烈思案中だった三人がようやく我に返ったようだ。


「葵ちゃん、こっちおいで!」

 グイッと肩を引き寄せられた大久保の腕の中、葵は思わずそのままそのしなやかな体躯に抱きつく。ほんのりいい香りをすん、と吸い込んだ。

「あ、葵ちゃん? どーしたの!? 酔った? まさか……こいつらに何かされたわけじゃ……」

「1号2号……うちの可愛い娘に手を出すとぁいい度胸だ……」

「ヒ……ッ」

「お、鬼……!」

 ドスの利いた声音の牧野女史がゆらりと立ち上がって、二人の小野寺は同じ顔を恐怖に引きつらせる。


「……掌中の珠か……逆さの(うろこ)か……」

 諸岡が一人、ぽそりと小さく呟いた。



* * * * *



 数時間後、一同は名残惜しさと満足感の入り混じった表情で、楽しかった酒の場をお開きにした。

 店を出て、みんなで最寄りの地下鉄駅へと向かう途中、前を行く坪井と大久保が歩きながら踊る、という器用さを見せて、そこに小野寺双子がテンション高く割り込んでいく。

 典型的な酔っ払い集団。

 今日は珍しく、みんながいつも以上の酒量だったようだ。あのクールな大久保でさえ、声量高く上機嫌な様子。葵もかなり飲んでしまい、じんわりと心地いい感覚が全身を満たしている。足取りはまったく問題ないけれど。


「あー、楽しかったー。ここんところ忙しかったからストレス溜まってたみたい。すっきりしたわー」

 葵を右に従えて歩く牧野女史が、晴れ晴れとした笑顔を見せた。この女史も葵同様、酒には相当強いらしく、酔ってフラフラしているところなど一度も見せたことがない。

「だから杉さんに、あれだけ噛みついたんですか?」

 左に従えた諸岡から細目を向けられて、一瞬瞠目した牧野はすぐにペロッと舌を出した。

「やっぱりバレてた? そうなの、完全に八つ当たり。……悪いことしちゃったかな、杉浦くんに」

 今日の昼食時、杉浦に対して火を噴く勢いで吠えまくった牧野女史だが、実は、若干大げさに騒ぎたてた感もあって反省しているらしい。

 と同時に、杉浦もわざと自分を挑発して溜まった鬱憤を上手く発散させてくれたのだろう、というのが牧野女史の見解だ。

「大変だったのは本当なんですから、仕方ないですよ……だって渋谷店から、フロアと厨房合わせて三人も『紫櫻庵』に引き抜かれてしまったんですよね? イベントも控えてましたし……」

 葵が女史を覗き込むと、彼女は「そうなのよ」と困ったように笑った。

「貴重な戦力を奪われたうえに、あのオチャラケ上司のふざけたミス発覚、だもんね。さすがにこれはヤバいかも、ってしばらくはキリキリしていたわ」

「すみません、大変な時にお手伝いできなくて……」

「何言ってるの。慧徳は社員が二人しかいないんだから、渋谷(うち)より大変でしょ? 気にしなくていいの」

 牧野は快活に笑って続ける。

「私ってね、自分で言うのも何だけど、一回ガーッと吐き出せば満足しちゃうのよ。そういう私の性格もしっかりわかっているのね、あのチャラ男。悔しいけれどさすがだわ」

 ゆっくりと足を進める牧野のヒールが、小気味よい音を立てる。歩調を合わせる諸岡が、夜空を見上げながら呟くように言った。

「大丈夫ですよ、あの人なら。全部お見通しって感じじゃないですか? それに、責められても仕方ない適当さ(、、、)は、昔っからですから」

 杉浦さん、今頃くしゃみしてるかも……葵がクスッと笑えば、牧野も大人女子な笑みを柔らかく浮かべた。

「ホントはね、三日三晩ハリツケって言っても、交代で寝れたし朝方一回自宅に帰れたしね、言うほどきつくなかったのよ。それも黒河さんのおかげね。あの人も三日間、ほとんど渋谷にハリ付いてフォローしてくれたから助かったわ。タフガイって、ああいう人のこと言うのね」

「タフガイ……って」

 怖ろしく時代を感じる言葉ですね、と諸岡が返せば、バシッと牧野の平手が飛ぶ。

「……超人的な体力と完璧な采配……か。ホントにサイボーグみたいですよね……」

 叩かれた腕をすりすりとさすりながら、ぼんやり呟いた諸岡の言葉に、牧野は怪訝な顔をした。

「なになにさっきから。諸岡くん、何だか今日はボーッとしてない? 何かあったの? ……まさか、黒河さんを怒らせちゃったとか――……っと、葵ちゃんっ、大丈夫?」

 不意につまづき転びそうになった葵を、牧野が慌てて引き上げる。

「す、すみません……そこの段差に……アハハ……」

「ちょっとー、葵ちゃんまでー、どうしたのよ? 珍しく酔った?」

 いや、そんなはずはないです……葵は体勢を整えながら、跳ね上がった鼓動を隠すように胸元を抑えた。


 立ち止まった葵たち三人の前方で、賑やかな声が路上に響き渡った。顔を上げれば横一列になって歌いながら踊る、大久保、坪井、小野寺双子の四人。通行人がほとんどいないからいいものの、いささか正視に耐えられない光景だ。

「ほらほら、他の人に迷惑でしょー! 踊るなら端っこ寄りなさーい!」

 牧野女史の一喝に、「はーい」と四人は素直な返事。ビル側に寄りつつも、彼らの動きはカクカクしている。

「あれ、秋葉系大所帯アイドルグループ?」

「違いますね、たぶんテクノポップ三人組ユニットです。坪井、ファンクラブ入ってますから」

「……オバサン、ついていけないわ……」

 はぁ、と呆れたように溜息をつく牧野は、再びゆっくりと歩き出す。葵と諸岡も揃ってその後に続くと、不意に諸岡が問いかけてきた。

「あー……あのさ、水奈瀬。会議終わった後、玄関ホールで……黒河マネージャーに何か謝ってなかった?」

「あ、あれは……」

 再び、葵の心臓はドッキリ跳ね上がり、居た堪れなさに頬が紅潮していく。そんな葵を、諸岡は糸目を困惑気に細めて覗き込んだ。

「もしかして……いや、その……何か怒られたのかな……って、ちょっと心配になって」

「い、いえ、違うんです。あれは私がとんでもないミスを……」

「フフフ……葵ちゃんのミスじゃないわよ。知らなかったんだもの、仕方ないわ」

 振り返った牧野はそう言ってくれるが、思い出せば、ますます身の置き所が無くなるほどの恥ずかしさだ。

 今日、会議終わりにエントランスロビーで牧野女史と『櫻華亭』メンバーを待っていた時間。他愛もない話から担当マネージャーの話に移り、そこで聞かされたのは、ショックのどん底に突き落とされるような衝撃的事実――

 それを知った時、葵は自ら穴を掘って身を埋めてしまい衝動に駆られたものだ。


「知らなかったって……何を?」

 諸岡はいつになく真剣な様子だ。葵は恥を忍んで、ぽつぽつ打ち明けた。

「……こないだ黒河さんに、宮崎に行ったお土産で芋焼酎を渡したんです……佐々木チーフがとても気に入ってくれた焼酎なので、黒河さんにもどうかな、と思って……。でも私、知らなかったんです……黒河さんが、お酒飲めない(、、、、、、)ってこと」

「……え」

「だから、気にすることないわよ、葵ちゃん。聞かなきゃ誰もあの人が下戸だなんて思わないわ。いかにも飲めそうな感じじゃない、それこそ水のように。ね、諸岡くん」

「……そ」

「……今日会議の後でみんなを待っている時、牧野さんに偶然そのこと聞いたんです。私、ビックリして、マズイ!と思って……それで、あの時ちょうど降りてきた黒河さんに謝りに行ったんです」

「黒河さんがビックリしてたわよ。突然葵ちゃんが謝るもんだから」

「でも……知らなかったとはいえ、失礼なことしてしまいましたし……」

「……はぁ……」

「……諸岡さん……っ?」

 不意に諸岡が、しゅうぅ、と空気が抜けたようにその場にしゃがみ込み、葵たちがギョッと目を見張ったその時――、

「――あっおい、ちゃぁーん!」

「……っきゃぁ!」

「――なーんの、はっなしー?」

「ぅっげぇ……っ!」

 突然背後から抱きつかれ、葵は前につんのめりそうになる。隣ではしゃがみ込んでいた諸岡が、上から落ちてきた衝撃に呻いていた。

「まぁたお前たちかっ、1号2号! 危ないでしょっ!」

 牧野女史が怒鳴りつけ一匹を葵から引きはがすが、もう一匹は諸岡に乗り上げたまま。引き剥がされた方も諸岡に乗り上げたので、完全な(ダブル)子泣き(じじい)だ。……この二人、一体いつの間に背後へ回ったのか。


「黒河さんがどうかしたんすかー?」

「なになに、何の話ー?」

 前方で踊っていたはずの坪井と大久保も、気づけば葵たちの目の前にいる。なかなか追いついてこない葵たちに、なんだなんだ?と戻って来たらしい。

「まったくもう……あのね、黒河マネージャーが下戸だった、って話。大久保も知ってるでしょ?」

 牧野が腰に手を当てれば、大久保もなーんだといった顔で頷く。

「その話ですか。ええ、割と有名な話ですよね。黒河家ってみんなそうみたいですよ」

「そうそう、統括が少しだけ嗜む程度で、あの総師も飲めない体質らしいわよ。ほらほらー、1号2号、いい加減にしなさい。諸岡くんが潰れちゃう」

 ふざけて揉みくちゃになっている三人は、ようやくバラバラと離れる。

 少年のようにはしゃぎまわる小野寺双子は、本当に二十七歳か?と疑いたくなるほど無邪気な顔だ。糸目のままぶすっくれた諸岡の頭を、二人でよしよしと撫でている。


「うちの黒河チーフも全くお酒ダメらしいんだよね……それって料理人としてはネックにならないのかな……」

 大久保の言葉に、さっきまでふざけていた小野寺1号(2号かもしれない)がパッと振り向いた。

「ああ、たぶんね、ああいう天才的料理人は、鼻がいいんだよ」

「鼻?」

 すると小野寺2号(1号かもしれない)もすかさず入ってくる。

「あと舌もね。ほんの少しの味見で事足りるんじゃない? 絶対音感ならぬ、絶対味覚ってやつ」

 ほぉ~、と一同が感心の声を上げた。

「絶対味覚、なんてあるんですね……初めて聞きました……」

 葵はふと、以前『兆京』で食事した時の、黒河侑司の言葉を思い出した。ソースに使っている素材やその配分まで詳しく言い当てていたような……あれも、 “絶対味覚” とやらが関係しているのだろうか。


「はい! はいはいはーい! 俺! 絶対音痴です!」

「ブッ……ハハ! 坪っち、何それー!」

「だと思ったぜー、踊りは完コピのくせにさー」

「ナーンかハズレてると思ったんだよねー」

「はい! もう帰るよ! ぐずぐずしてたら電車がなくなっちゃう!」

 牧野女史の一喝で、ようやく一団は動き出した。

 地下鉄の駅に向かって再度歩き出したその後方で、葵は何故かぐったりしている様子の諸岡に気づく。

「諸岡さん、大丈夫ですか? どこか怪我でもしましたか?」

「……どうやら、ギリッギリに(、、、、、、)締め上げられる(、、、、、、、)ことはなさそう、かな……」

「……?」

 どこか困ったような、情けないようなニコ顔で微笑む諸岡に首を傾げつつ、葵はふと空を見上げる。


 月も星も見えない、けれども明るい都会の夜空。

 思い浮かんだおぼろげな人影は、葵の心をさわりと撫でていった。






 

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