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アーコレードへようこそ  作者: 松穂
第2部
105/114

裏22話  杉浦崇宏のちょっと待ってよ大団円

 ゴォーッと身体の奥底を揺るがすような轟音と共に、一機の旅客機が青い空に飛び立つ。


「行っちゃいましたね……」

「アディオス……若き青年よ……」

 スラックスのポケットに手を突っ込み、空を見上げてカッコよく決めたつもりの顔に、ブワッと突風が吹きつけた。……ぅぷ。

 まさに晴れの旅立ち、空は雲一つない快晴である。――が、風が強い。せっかくセットした髪が乱れてしまうではないか。


「いいんですかね、みんなに見送られなくって」

 隣で見送るアルパカ……もとい、諸岡良晃が、開いているんだかどうだかわからない糸目で、彼方へ消えていく機体に別れを告げている。

「見送られたくないから、わざわざ日曜日のこんな時間に出発したんじゃなーい? イケちゃん、アマノジャクだから」

「なるほど。彼らしいですね」

「ま、慧徳を脅かす真っ黒ーい暗雲はきれいさっぱり無くなったことだし、盛大な送別会もしてあげたことだし。ツンデレイケちゃんも心残りはないんじゃないのー?」

 杉浦は張り巡らされた金網にくるりと背を向けて、ターミナル内に戻ることにする。見送ってしまえば長居は無用、吹きつける風とわらわらと群がる外人は苦手なのである。


 『アーコレード』慧徳学園前店のアルバイト、池谷夏輝が今日、渡米した。

 元々、大学でナンちゃらアート的なものを学んでいたらしい彼は、ソレ系の仕事を探すつもりだったそうなのだが、運よくタイミングよく、数年前に渡米してソレ系の仕事に就いていた先輩に声をかけられたそうだ。それも何かの縁だと考えた池谷はその誘いを受けることにして、とりあえず留学という形で入国し、アルバイトをしながらナンちゃらアート的なものをさらに勉強していく予定らしい。

 卒業式にも出ず、あっさり旅立っていった若き青年の潔さ。若さゆえの選択だなーと、杉浦は思う。言葉も文化も違う他国で己の居場所を築き上げるのは、並大抵の努力では成しえないことだ。けれど、若いうちはそんな苦難もありだろう。

 今日の見送りは、杉浦が勝手に来たものだ。

 思い返せば四年前の冬――彼を半ば強引にアルバイトへ勧誘したのは杉浦だった。持ち前の人間観察眼がピピンと反応したからなのだが、彼が見せてくれた働きは(アルバイト外においても)予想以上であった。その優秀な “メル友ーズ” メンバーが旅立つとあれば、首領である杉浦が見送らないわけにはいかないのである。

 しかしながら、他に彼の友人やバイト仲間が来ている気配はなかった。彼のことだから、もしかすると今日出発することを誰にも明かしていなかったのかもしれない。

 それが証拠に、出国手続きカウンターにいた彼を見つけて声をかけた時、せっかくの美形がちょっとマヌケな形で固まっていた。――が、すぐに人を食ったような顔でニヤリと笑い「ヒマ人だな」と言ってのける小憎らしさ。……そんなイケちゃんが可愛いんだけどね。

 ちなみに諸岡は自ら志願してやって来た。たまたま休みだった諸岡から電話があり「今日休みですか」と訊いてくるから「イケちゃん見送りに成田へ向かうところ」と返したところ、「じゃあ俺も今から行きます」となったわけだ。

 慧徳店の新規オープンから一年ほどではあったが、彼も池谷と一緒に働いている。最後に別れを告げたかったのだろう。

 しかし、諸岡のセンチメンタルは果たして届いたであろうか。

 出国審査場へ入るギリギリのところで駆けつけて息を切らしながら「頑張れよ」と伝えた諸岡に、池谷はくつくつと身体を(よじ)って笑っていた。全力疾走してきたアルパカの姿がよほど面白かったと見える。少なくとも涙の別れではなかった。


「送別会、盛り上がったそうですね。俺も顔出したかったなー」

 杉浦に追いついて並んだアルパカもどきが、羨ましそうに言った。

「はっはー、残念だったねー諸岡氏。いっやー、ホントに楽しかったよー。色々な意味でー」

 ビル内に戻り人を避けつつ歩き進めば、エレベーター前は国際色豊かな人々が群れている。……わぁお、エスカレーターで降りよう。


 数日前の水曜定休日に、池谷の送別会を催した。慧徳学園前店の近隣にある居酒屋『絆生里(はんなり)』の座敷でだ。

 夕方六時ごろから始まった飲み会は、あのアマノジャクでも顔をほころばせてしまう良い送別会となったのではないだろうか。

 佐々木チーフ率いる慧徳のスタッフは全員参加しており、加えて現マネージャーの柏木と、元・前マネージャーの杉浦と侑司までもが呼ばれた。諸岡は親戚の法事と重なり欠席だったのだが、その代わりに何故か水奈瀬葵の弟、水奈瀬萩が参加していた。

 二月の中頃まで、専門学校の臨床実習研修に行っていたという彼は、アッシュブラウンだった髪を黒色に戻しており、慧徳店スタッフに交じってもまったく違和感なく馴染んでいたのが不思議であった。

 若者中心に盛り上がる中、杉浦は大人の男を気取りながらチビチビと酒を舐めつつ、次々と受信する興味深い場面に、高性能アンテナをビンビンさせたものだ。

 水奈瀬萩と池谷が、相変わらずお互いに歯を剥き毒を吐きながら、何故か最初から最後まで隣同士に座って飲んでいたのも面白かったし、酒に弱いらしい柏木が、ショートしたロボットみたいになって斎藤亜美に介抱されていたのも笑えた。

 しかし何より旨い酒の肴になったのは、水奈瀬葵と黒河侑司から醸し出されるラブラブオーラであろうか。

 座る位置は離れており、あからさまにイチャイチャするどころか二人の間に会話はほとんどなかったはずなのに、どうしてあそこまで甘やかな雰囲気を醸し出せるのだろう。

 お互いの視線が何度もさりげなく交差する――みたいな感じとか。

 時折ガッチリ視線を合わせて目で会話する――みたいな感じとか。

 杉浦は何だか、身体中のツボを絶妙な力加減で刺激されまくり、悶え死にそうな心地であった。

 そしてトドメの一撃となったのは、お開きになった後、皆が外でわらわらと池谷を取り囲み、別れを惜しんでいる最中のことだ。

 なんと矢沢遼平が侑司を、群れる塊から少し離れた場所に呼び出した。

 そこで正々堂々と為されたのは “宣戦布告” 。

『――俺、必ずクロカワフーズに就職して、もっと腕を上げてみせます。……まだ、諦めてませんから』

 これに対する侑司の答えこそ、百万ボルトの放電圧であった。

『…… “アマ” のお前に持ち場を明け渡すほど “プロ” の世界は甘くない。……あいにく俺も、自分のものを手放す気は、ない』

 ――きゃぁぁぁっっ! ユウちゃんたら、イッチョ前に “牽制” してるぅぅっ! そんなカッコイイ台詞、どこで覚えたのぉぉっ!

 密かに盗み聞きしていた杉浦は、危うく感電死するところであった。


「……何、思い出し笑いしてるんですか。気持ち悪いですよ」

 二人前後に並んでずぃーと降りるエスカレーター。背後から諸岡が覗き込んでくる。

「むふっふー。いやね、勝ち目のない勝負に挑む青年もさることながら、容赦なく叩きつぶす男も大人げないなーと思ってさ」

 聡い諸岡は、それでピンと来たようだ。

「でも矢沢は、水奈瀬の異動を知ったから本店へ行くことを決めた……ってわけじゃないんでしょう?」

「ああ、それは違うでしょ。ヤザワっちは濱野さんが亡くなった時、心に決めたらしいよ。健気な青年じゃないの。亡き伯父を目標に、一端の料理人を目指すなんてさー」

「偶然にしちゃ出来過ぎてますよね。……水奈瀬の異動先がよりによって――、」

「そうそう。アオイちゃん、本店へ異動になっちゃったもんねー。でもこれで、ますます面白くなってきたってわけ」


 ――水奈瀬葵、『櫻華亭』本店の副支配人(アテンド)へ異動。

 約四年間にわたる『アーコレード』慧徳学園前店での業務を離れ、彼女はクロカワフーズの総本山である本店へ行く。

 それを知った時、彼女は目を疑ったという。

 まだ、顧問への暴力に関する処分は保留のままであったし、人事異動をきっかけに解雇もあり得るだろう、少なくとも役職から降ろされることは間違いないだろう、と思っていたそうだ。

 杉浦に言わせれば、「あり得なーい」の一言に尽きる。

 彼女のように、仕事において優秀で人間性も申し分なく、これからの働きにも大いに期待できる人材をクロカワフーズが手放すわけがない。そもそも、二月のイベントであれだけ彼女を使っておいて今更解雇とか降格とか、……あると思うか?


 レストランやショップのフロアを過ぎ、二人はのんびりエスカレーター任せだ。デカいリュックを背負った若者がガツガツと横を追い越していく。

「……それにしても、メチャクチャな人事異動ですよね。異動っていうより、完全なシャッフルじゃないですか。しかも内示なしのいきなり公式発表ですよ。どんだけ鬼なんですか」

「ナニナニ、諸岡氏。今回の人事に不満なのー?」

 背後を振り返れば、何とも情けない顔の草食動物。

「だって俺、渋谷ですよ? 牧野女史の後釜ですよ? ()し掛かるプレッシャーが半端ないんですけど!」

「あっはっはー。彼女の功績は偉大だからねー。客離れに悩み、学生バイトにナメられるモロちゃんに千点」

「……杉さん、自分は異動がないからって完全に他人事ですよね」

「マネージャー陣は動かしようがないもーん。特に、優秀過ぎる俺っちは『紫櫻庵』担当という重大な責務から外すことができないわけさー」

「……杉さんは、いつでもどこでも自由に使えるフリーな駒的立ち位置ですよ」

「ちょっとっ、それ言わないでよっ! そーなのかなって思ってたけどさっ!」

 ガオガオ吼えると、前下方にいるラテン系っぽい母子が不審者を見る目つきで杉浦を振り仰いだ。……アイム・ノット・デンジャラス。


 諸岡の嘆く通り、四月一日付で施行される今回の人事異動はクロカワフーズ設立以来の大異動であった。

 徳永以下のマネージャー陣は、従来の担当通り変わりはないのだが、ほとんどの店舗において、誰かしらが出て誰かしらが入ってくるという大シャッフルになっている。

 目ぼしいところを挙げると、麻布の大久保恵梨は赤坂のアテンドへ。彼女の語学力を鑑みれば、唯一外資系ホテルテナントとして残存する赤坂に置きたいのは当然である。しかし、これからの赤坂は生まれ変わったようにやりやすくなるだろう。赤坂の新支配人は『紫櫻庵』の支配人であった手塚だ。ちなみに『紫櫻庵』の料理長、黒河和史はそのまま続投。

 水奈瀬葵が抜けた後の慧徳へは、松濤のアテンドであった坪井が。渋谷へ行く諸岡が抜けた後の恵比寿には日比谷のアテンドであった鷺沼が新店長へ。

 麻布のチーフであった牧野晃治は日比谷の料理長へ。麻布の穂積支配人も日比谷の支配人を務めることになり、彼らが抜けた麻布店へは、日比谷や赤坂にいた人間が何人か異動することになっている。

 その他、新たに役職へ昇格した社員の数も過去最多となっており、新入社員も同じく過去最多の採用人数である。クロカワフーズ、賭けに出たか……と思わぬでもないが、人員が増えるのはよいことだ。育てるのは骨が折れそうだけれど。

 ついでに言うと、小野寺双子兄弟は異動なし。どうやら彼らは『プルナス』限定で稀有な能力を発揮するらしく、渋谷の『アーコレード』にヘルプで入った時、本人たちの努力虚しくまったく使えなかったそうだ。……哀れ、ツインズよ。


「……今田顧問は、本店に移るそうですね」

「ああ、すでに先週あたりから勤務しているみたいだよ。でもあのツンデレ狸、あと一、二年したら退職するってさ。御仁自身がそう言ったらしいから間違いないでしょ」

 後ろの諸岡が「でも」と納得のいかない声を上げた。

「元々の諸悪の根源はあの人だったんですよね。あの人だけ、なんのお咎めもないっていうのは納得いかないんですけどね」

「そう? あれはあれで反省してると思うよ?」

 牙も毒も抜かれたコンダヌキは、大人しく萎れるかと思いきや、今やツンデレモード全開らしい。

「私がしてやってもいいぞ、フン」とか何とか言いながら、三月いっぱいで退職してしまう茂木顧問と共に、案外楽しそうに接客しているらしい。

 本店の支配人は引き続き仙田氏だ。一見穏やかに思える人柄だが、彼も一筋縄ではいかない老獪さを備えている。そして本店料理長も引き続き国武チーフ。

『――水奈瀬も矢沢も来るってぇのに、俺様がいなくてどーするよっ!』

 ――と、赤坂への異動を打診してきた徳永GMに啖呵(たんか)を切った……という噂は、単なるガセネタであることを祈りたい。

 ……まぁ、さすがの今田氏も、あの本店を引っ掻き回すことはないだろう。


「いいんですかね。あれだけFCICに贔屓されてるってことが自慢だったのに。自分の知らないところで勝手に、日比谷と汐留の撤退を決められちゃって」

 エスカレーターを降りた二人は、あちこちに点在する案内表示に目を凝らす。

「そりゃ、お怒りだったかもしんないけどさ。FCIC本社やホテル側からの規制とか要望とかに現場の従業員が苦労していたのはホントだからねー。社員のために、って説得されれば、コンダヌキも否とは言えないでしょ」

 昨年の秋頃から、黒河紀生が単身米国に渡っていたのは、まさにその交渉のためであった。

 社長としては完全にFCICとの関係を断ちたかったのかもしれないが、繰り返された交渉合戦の結果、赤坂店だけは、先代がその骨身を削って開店にこぎつけたホテルテナント第一号店、という経緯を尊重して、そのままグランド・シングラー赤坂内で営業することになったようだ。

 しかし、抜け目のない社長はしっかりちゃっかり、とある(、、、)規定変更(、、、、)についての許可をもぎ取ってきたのである。

「まぁ、全店舗において水曜日完全定休になったのは、ずいぶんと助かりますけどね」

 そうなのである。四月から、今まで年中無休であったホテル店舗はすべて、他の店舗と同じように水曜日が定休日になる。まだ確定ではないが、状況次第ではお盆と正月も休みにする予定なのだそうだ。

「それを発表した時の社長のドヤ顔が、忘れられませんよ」

 それには杉浦も大いに同意する。そもそも総師の本当の目的は、それだったのではないか、とも思われるほどだ。


「あれぇ……駐車場への連絡通路があったと思うんだけど……」

 階下の出国手続きエリアは先ほど以上に人でごった返している。キョロキョロと周囲を見回せば、「あっちから降りるんですよ」と先導してくれる諸岡氏。……はいはい、スンマセンね。慣れてなくて。

「そういえば、蜂谷と豊島のその後はどうなったんですか?」

「さあねー。いなくなった人間のことなんてもう忘れちゃったよー」

「知ってるくせに」

 ボソリと呟いた諸岡を笑って流して、杉浦は「あ」と振り返った。

「それはそうとモロちゃん。木戸さんって、四月からパティシエの学校に通い始めるらしいじゃん?」

 すると、明らかにドキリとした顔で細い目を泳がせる諸岡氏。

「……さぁ。いなくなった人のことはわかりません」

「ぶはっはー。モロちゃんたらおとぼけ上手ー。製菓の専門学校を紹介してあげたの、モロちゃんなんでしょ?」

「彼女に合いそうな学校を見つけてきてくれたのは大久保です。俺はそれを教えただけで」

「あー、そーかそーか。アルバイト先のケーキ屋さんを紹介したのがモロちゃんだっけ」

「どうしてそこまで知っているんですか」


 憮然とする諸岡にクックと笑いながら、杉浦は以前、徳永から聞いた話を思い出した。

 あれは濱野氏の葬儀の数日後……本社に呼ばれた木戸穂菜美は、統括部長によるいくつかの事情聴取を受けた後、とある紙面を見せられたそうだ。

 それは葉書。水奈瀬葵が本社の許可を得た上で、慧徳の店の常連客に出していた、いわゆる販売促進を目的としたダイレクトメールというやつなのだが、彼女の書いたそれは一般的なDMとは少々趣が異なっている。

 年に三、四回ほど出していたその葉書はすべて彼女の直筆で、時候の挨拶に始まり、新しいメニューや季節のお勧めメニューを、時にはイラストや写真を交えて紹介し、是非またご来店ください、と締めくくったものである。

 シンプルな内容でありながら堅苦しくなく、差出人の誠実な人柄がにじみ出ているその葉書は、常連客の中でも好評だったようだ。

 出す顧客は限られてしまうのだが、それでも、彼女が店長に就任した当時は十数枚だったものが、現在では三十から四十数枚にまで増えているというのだから、水奈瀬葵の顧客に対する “マメさ” には、杉浦も驚いたものだ。

『――これ、誰が指示したわけでもないのよ。……ねぇ、木戸さん。仕事に正解やゴールって、あるのかしらね』

 まるで自問するかのような統括部長の前で、木戸穂菜美は言葉なく項垂れ、涙を流したらしい。

 それが後押ししたのかどうかはわからないが、彼女はもう一度、一からやり直す決心をつけたようだ。


 やっと目当ての連絡通路を発見し、杉浦はほぅと肩を下ろした。……ボク、国際空港はちょっぴり苦手かも。

「モロちゃん、電車で来たんでしょ? 帰りはどーすんのー? 途中まで乗っけて行ってあげようか? 一時間以上かかると思うけど」

「ありがとうございます。でも俺、これから慧徳に行ってこようかと思って。明日から始まる四周年イベントの記念品、俺が教えてあげた外注先に頼んだそうなんですよ。大丈夫だとは思うんですけど、気になって」

「あーあー、ノベルティね。そっか、三周年より大幅増量にしたんだっけ。んじゃ、一緒に行こうよ。俺も今から行くつもりだったからさー」

「え、何しに行くんですか? ……杉さん、今日休みじゃないですよね」

「いーのいーの。俺なんか存在するだけで仕事してるようなもんだから。……そんな眼で見ないでよモロちゃん……あーほらほら、今日は準備の手伝いで侑司が夕方から行くはずなんだよねー。だからちょっと」

「だからちょっと……ナンですか?」

「だからちょっと……気晴らしに」

 横に並んで歩くアルパカくんは、じとっと細い目で杉浦を覗き込んでくる。

「……水奈瀬と黒河さん、からかいに行くんでしょ」

「な、なにをいうんだね諸岡氏。ぼかぁ、誇り高きジェントルマンだよ? 愛に目覚めたばかりの初々しい二人をからかうなんて、そんな外道な真似」

「しますよね」

「うん。しちゃう」

 てへ、と笑ってさっさと足を速めた。ここから慧徳まで、下手すると二時間以上かかるかもしれないのだ。グズグズしていると、ツボキュンシーンを見逃してしまう。


 ようやくたどり着いた愛車に乗り込み、空港から出るのにも一苦労して、やっぱり国際空港は苦手だい!と心中叫んだ頃、助手席の諸岡がふと思いついたように口を開いた。

「ねぇ杉さん……あの片倉って人、どうなったんですか? 水奈瀬にずいぶん執心してましたよね」

「あー、あのいけ好かない片倉氏ね。ユージとアオイちゃんが見事にくっついちゃったから、すっぱりキッパリあきらめたんじゃないのー?」

 道路標示に気を取られつつ適当に答えれば、諸岡は何やら腑に落ちない様子。

「……簡単に諦めそうもないタイプでしたけどね」

「……そう?」

 片倉が杉浦に連絡してきたのは、二月の終わり頃が最後だったか。

 彼らしくなく、変にジメッとした声音で「葵ちゃんのことは潔く諦めますよ」と言っていたが、詳しい理由は聞いていない。

 侑司と直接話をして、勝利宣言をされたのか、それともラブラブオーラに毒されたのか。

 いずれにしても杉浦としては、どうでもいいじゃん、あんなヤツぅ……くらいにしか思っていない。


「なになにモロちゃん、片倉氏に同情してるのー?」

「いえまったく。……でももしかしたら……諦めざるを得ないと悟ったのかな、と」

「なにその、あきらめざるのえざるって」

「日本語おかしいです。……え、杉さん、もしかして知らないとか……?」

 聞き捨てならない言葉を発した隣をちらと見やれば、糸目が本気で見開かれている。……実に嫌な感じだ。

 ――え、杉浦さん知らないんですか? ……この言葉は杉浦にとって禁句である。自称・情報取集の神に、知らぬことなどない。

 運転する杉浦から只ならぬ不穏な気配を感じ取ったのか、諸岡は「あー」とか「えー」とか変な声を出している。


「いいから、言ってごらんよモロちゃん」

「……あー……えーと……これは、宇佐……いえ、黒河奈々さんから聞いたので、確かな情報だと思うんですけど……」

「ウサちゃん? ナンでウサちゃんが出てくんのさ」

「彼女は、黒河チーフから聞いたから間違いないと……」

「和史? ますます全然わかんない。ナンで和史?」

 ちょっと苛々してきた。アクセルの踏み込みが強くなっちゃいそうだぞ。

「黒河さんが……その……」

「ユージが……?」

 次いで、ボソボソともたらされた驚愕の事実に、杉浦は首都高を突っ走る車の中で大絶叫した。


 ――ちょっと待てぇぇぃっっ! それ、聞いてないよっっ!





 

次回の更新で完結いたします。

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