閑話 ラルフさん、恋人になって欲しいと頼まれる①
楽しい時間というものはあっという間に終わるものだ。
学生にとって自由の象徴ともいえる夏季長期休暇だったが、例に漏れることなく恐るべきスピードで終わってしまった。
「ほんっと、あっという間だったなぁ……」
始業式を終え、教室でエミリー先生から翌日の授業について話を聞いたラルフは、カバンを手にぶらぶらと学院の廊下を歩いて、帰途へついていた。
夏季長期休暇中に何度も海に行ったせいか、ラルフの肌はこんがりと焼けており、全身で『夏を満喫しました!』と主張している。無論、マーレとレニスとの戦闘で力不足を痛感したラルフは、アルティアと一緒に訓練もきっちりとこなしている。
訓練に行ったり海に行ったりと丸一日動き回って、疲れ果てて寝て、翌日にまた疲れ果てるまで動き回って……と、忙しない日々を送っていたせいか、以前に比べて体力も向上した。
「長期休暇中に親父とも何度か組手したし、グレン先輩に頼んでどれだけ強くなったか見てもらおうかなぁ」
『アルベルト殿に頼むのも良いかもしれんな』
「あぁ、それもいいな」
リンク対抗団体戦で、毎日のように組手を行った先輩達の顔を思い浮かべながら、アルティアと一緒にこれからの予定を組み立てていたラルフは、ふと、聞き慣れない声を聞いて足を止めた。
ラルフの進行方向……そこに、二年生と思われるビースティスの男子生徒が三名ほど集まっていた。まぁ、それだけならばいいのだが、問題はその三名が、一年生の少女を囲んでいるということだ。
「なぁ、俺達も手荒なことはしたくねーんだよ。素直に来てくんねーか?」
「俺らもゴルディアスさんの面子潰すわけにはいかないんでね」
「オネシャァァァッス!!」
さすがはビースティスといったところか。
全員、体がガッシリしており、きちんと鍛えていることがうかがえる。まぁ、二年生になるとファンタズ・アル・シエルで小型終世獣相手に実地訓練があるのだ……鍛えなければ、死ぬのは自分だから当然と言えば当然ではあるが。
そんなビースティスの男子生徒とは対照的に、囲まれている一年の少女はとても小柄だった。
獣の耳と尻尾を持っている所から見て、ビースティスであるのは確実だ。
ただ……。
――耳が丸っこい?
通常、ビースティスは血族によって獣の耳と尻尾の形状は決まっている。
そのため、割といろんな種類の耳や尻尾があるのだが、その大部分はピンと尖がった三角耳と、ふさふさの尻尾の組み合わせだ。
その他には垂れ耳だったり、毛が薄くてするりとした尻尾だったりと色々だが……茶の毛に覆われた丸っこい耳というのはラルフも初めて見た。
尻尾は他のビースティスと同様にフサフサしているのだが、いかんせん、耳の形状が特殊すぎてそっちにばかり目が行ってしまう。
「あ、あの……止めてください……」
聞き耳を立ててなければ、逃してしまうほどに小さな意思表示をする少女の声で、ラルフはハッと我に返った。
「なぁ、アルティア。あれってさ……」
『うむ、義は常に正道にこそあり、という。見て見ぬふりをするわけにはいくまい』
だよね、とラルフは小さく頷くと大股で集団に近づいてゆく。
近づいてくるラルフの気配に気が付いたのだろう……顔を上げたビースティスの二年生が、眉を寄せて威圧するように目をそばめる。
「あ? お前なんだよ」
「そこの女の子が嫌がってるようなんで、止めに来ました」
喧嘩腰の相手に対し、ド直球の返答を投げ渡すラルフ。
微塵の恐れも遠慮もないその姿に、一瞬たじろいだようだったが……ラルフのネクタイの色が一年生だと分かって、多少余裕が出たのだろう。
ふっと、小さく笑うと、三人でラルフを取り囲んだ。
「おいおいおい、お遊戯の授業を受けていっぱしの神装者気取りの一年生君が、俺達に何の用だよ」
「神装を得て多少力をつけたと思っているようだが……思い上がるなよ?」
「ヤルッテンノカァァァラァァァァッ!!」
三方向から圧を掛けてくる上級生たちに対し、ラルフは腕を組んで思い悩む。
ヒューマニスのラルフが言葉で説得しても通じないというのは何となく予想していたが……ラルフとしては、もうちょっとは素直に話を聞いてもらえると思っていた。
「どーしようか……」
困り果てたラルフを見て、何を勘違いしたのか、周囲の三人がますます威圧を強めてくる。
「見ろよ! ビビってんぞコイツ!」
「ふふ、俺ら三人『ブラックストーム』の名は伊達じゃないってことだ。おい、一年。何か言い返してきたらどうだ?」
「カカッテコイヤァァァァ!!」
三人目の人は言葉が不自由なんだろうかと、内心で心配しながらラルフがポリポリと後頭部を掻いていると、上級生の内の一人がポケットから生徒手帳を出して、これ見よがしに振って見せる。
「なんなら、今から決闘で上下関係を一から教えてやろうか……あぁ?」
決闘申請状態になっている生徒手帳を見たラルフは、ポンッと手を打った。
「あ、それ良いですね!」
「……は?」
ラルフはポケットから生徒手帳を出すと、問答無用で上級生の生徒手帳と突きあわせると、素早く決闘受諾の操作を行う。
「よし、ちょうど実力を確かめる相手も欲しかったことだし一石二鳥だ。よろしくお願いします」
恐らく、本当に決闘をすることになるとは思ってもみなかったのだろう……ラルフと上級生の一人を中心にしてメンタルフィールドが展開。
女の子を含めた計三名がメンタルフィールド外へ弾かれたのを確認すると、ラルフは愛用のフィンガーグローブを装着し、拳を打ち鳴らして力場を展開。
呼気を整えながらゆっくりと己の闘争心に火をくべる。
拳のみを使う近接格闘に特化した独特な構え、そして、ラルフの全身から放たれる無色透明でありながらも身を焼くような苛烈な闘気に晒され――何かを思い出したのだろう。
上級生の顔から血の気が引いてゆく。
「お、お前……もしかして、陽だまりの冒険者のラルフ・ティファートか……?」
「あれ、面識ありましたっけ?」
「し、灼熱無双のフレイムハートじゃねぇか……じょ、冗談じゃねぇッ!?」
頭上に疑問符を浮かべるラルフは知らないが……リンク対抗団体戦のセイクリッドリッター戦におけるラルフの獅子奮迅の活躍は、広く学生間に知れ渡っているのである。
悪名高いとはいえ、本物の実力を持ったセイクリッドリッターの三年生七人を同時に相手し、その上で勝利した一年生がいる――と。
三年生ということは、最低でも一人で中型の終世獣を討滅できるほどの実力を有している――治癒師科は除く――ことを意味している。
そんな相手を七人同時に……おまけに、その中の数人は三年生の『輝』クラス。
グレンやアルベルトなど、学年という枠を超えた上位ランカーとばかりと戦ってきたため、さっぱり自覚はないが、ラルフの戦績は明らかに常軌を逸しているのだ。
その証拠に、目の前の二年生は完全に腰が引けている。
「……? 構えないんですか?」
顔を青くするばかりで一向にかまえない上級生を前にして、ラルフは首をかしげる。
純粋な疑問をぶつけてくるラルフに対し、なけなしの自尊心が傷つけられたのだろう……目の前の二年生は両手を構えると神装を発現する。
「く、う……く、クソ! 所詮、噂は噂だ! やってやろうじゃねーか!!」
相手の神装は爪。
前腕から手の甲に掛けて覆うガントレットから伸びる五つの爪が鋭利な輝きを放っている。
相手が構えたことを察知したメンタルフィールドが、カウントを開始する。
無機質な声で数えられる数字がゼロになった瞬間、ラルフと相手が同時に駆け出した――のだが、明らかに爆発力が違う。
「ひっ!?」
様子見など不要とばかりに一気に距離を詰めてくるラルフを前にして、二年生が短く悲鳴を漏らす。盛大に顔を引きつらせる上級生を尻目に、ラルフは一気に間合いへ踏み込んだ。
相手の神装は爪だ……間合いはラルフの拳と同等。
つまり、自身の間合いは同時に相手の間合いでもあるのだ。
「…………っ!」
全神経を集中し、相手の一挙一投足に注意を向けながら、相手の死角に滑り込む。
完全に虚を突かれた相手の胴体はがら空き――それを見逃すほど、ラルフは甘くない。
「せぇあっ!!」
大砲を盛大にぶっ放したような重低音と共に、ラルフの拳が腹にめり込み、二年生の両足が地を離れて宙を掻く。
問答無用のクリティカルヒットである。
放物線を描いてその体が綺麗に吹っ飛ぶと同時に、周囲を覆っていたメンタルフィールドが溶けて消える……恐らく、対戦相手の意識が吹っ飛んだのだろう。
「おろ、一発で終わりか」
何らかのリアクションが返ってくると思ったのだが、完膚なきまでに伸びているようで、ピクリとも動かない。
ラルフはクルリと振り返ると、残り二人へと視線をよこす。
「どうします。続き、します?」
「お、俺は今日、ち、調子が悪いんだ。残念だが遠慮させてもらおう」
「ツッソイォォォォォォ!」
「そっちの先輩はやる気十分ですね。なら生徒手帳を出してください」
「あ、いえ、僕も遠慮しておきます」
まともに喋れるんかい!? と内心で突っ込みを入れながら、倒れた二年を両脇から抱えて去ってゆく三人を見送る。
「くそっ! 調子に乗りやがって……名前は覚えたからな。痛い目を見せてやる、覚えていろ!」
「あぁ、それじゃあ俺にも名前教えてください。明日にでも教室にお邪魔します」
「い、一年後だ! 一年後……ああいや、二年後ぐらいに痛い目に遭わせてやるからな! 絶対にそれより早く来るんじゃねーぞ!!」
「え、二年後って先輩達は卒業してるんじゃ……行っちゃったよ」
弱気なのか強気なのか分からない三人組が去ったのを確認したラルフは、その場で立ち尽くしていた女の子の傍へ寄ってゆく。
ビクッと震えた女の子を、これ以上刺激することないように、ラルフは少し離れたところに立ってニッと笑う。
「大丈夫だった?」
「あ、あの……助けてくれて、ありがとう……ございました」
もともと気の弱い少女なのだろう。ラルフを見る瞳にも警戒の色が見える。
小動物のようなその姿に、ラルフは苦笑を浮かべるとくるりと背を向け、肩越しに軽く手を振って見せる。
「ん、それならよかった。じゃあ、次から気を付けてね」
「えっ、あ、あの……」
少女の控えめな呼びかけは、すでに遠のいていたラルフには届かず。
何か言いたげな少女を残して、ラルフは晴れやかな気持ちでその場を後にしたのであった。