追憶の光景~君の涙を止めるために~
天から降り注ぐ数限りない純白の光が全てを飲み込み、消してゆく。
大地は無残に抉られ、緑を茂らせた樹々は吹き飛び、動物たちは抵抗する間もなく蒸発してゆく。
そこにあった生命の営みが、機械的と言っても過言ではない無慈悲さで蹂躙されてゆく。
まるで……全てをリセットしてしまおうとするかのように。
悲鳴が爆音でかき消され、大量の土砂が舞い上がる阿鼻叫喚の中――金髪碧眼の青年が荒野のど真ん中でぼんやりと立ち尽くしていた。
耳までかかる金髪は緩いクセ毛で、澄んだ碧眼は少し垂れ目気味だ。
童顔なことも相まってかその風貌は優しげ。全体的に線が細いこともあってか、このような荒野ではなく、どこかのアトリエでキャンパスを前に筆でも握っている方がしっくりくる。
「…………」
青年はぼんやりと、どこまでも無防備に空から降り注ぐ光を眺めている。
その瞳は虚ろで、焦点を結んでいない。
危機感の欠如というよりも、まるで、目の前の光景がどれほど危険なのかを理解していない……そんな印象を受ける。
爆音が服を激しくはためかせ、その余波で青年の体が軽々と吹き飛ばされた。
人形のように何の抵抗もなく地面を転がった青年は、よろよろと立ち上がりながら顔を上げ――自分に直進してくる光を認識した。
完全に直撃コース。
炸裂すれば、それこそ欠片も残さず青年は蒸発することだろう。
だが――
『クラウドッ!!』
切羽詰まった声と共に青年の視界に真紅と黄金が割り込んだ。
青年を消滅させんと迫っていた光を、大地より噴出した炎が迎撃する。
純粋な力と力が激突し、わずかな拮抗を経て相殺。
その余波の煽りで青年は再び派手に転倒した。
『すまん、マーレとレニスを相手にするのに少し時間がかかった。ヨルムンガンドとジャバウォックはあっちでロディンが抑えている……今のうちに決着をつけるぞ』
低く緊迫感に満ちた声が青年の耳に触れる。
焔を思わせる目にも鮮やかな真紅の三枚翼と、勝利を約束する輝かしい黄金の三枚翼を持つ霊鳥――それが殺戮の光から青年を護った者の正体だった。
犯しがたいまでの威容をその身に湛え、霊鳥は降り注ぐ破壊の光を睨み据える。
『いい加減にしてもらおうか、リュミエール』
霊鳥の言葉を合図として六翼が眩いばかりの炎を帯びる。
強く、強く……けれども、決して目を焼くことはない苛烈でありながらも優しい炎。
霊鳥は炎の翼を大きく引き絞ると、雲の向こう側へ向けて叫んだ。
『まとめて消し飛べ。エクスブレイズッ!!』
六翼が空に向かって振り抜かれた瞬間、その翼に宿っていた炎はオリハルコンすら容易く融解させる程の熱量へと変換され天に向かって駆ける。
大気を焼きながら走る六つの炎は空中で弾け、数千の矢と化して天を貫き、その向こう側にいる存在に殺到した。
着弾――したのだろう。
轟音と共に空に見事な紅蓮の華が咲き、先ほどまで降り注いでいた光がピタッと止んだ。
阻むもののない蒼天を臨みながら、霊鳥は背後でボーっと突っ立っている青年に顔を巡らせる。
『来るぞ……準備は良いか』
「…………」
『クラウド? …………聞こえているのか、クラウド!』
どこか焦りを含んだ霊鳥の声に、ハッと青年の瞳に光が宿る。
そして、きょろきょろと周囲を見回した後……戸惑った様子で頬を掻いた。
「それって僕の名前……なのかな?」
『…………ッ!?』
予想外の青年の反応に霊鳥は絶句する。
言葉を失う霊鳥の背後では、青年が緊迫感の抜けた動作で周囲を見回している。
「ここどこだろ? というよりも僕、あれ、何も思い出せない……?」
自分の手を見詰めながら、青年は疑問の声をこぼす。
青年は空っぽだった。
辛かったことも、楽しかったことも、嬉しかったことも、悲しかったことも……青年が生まれてここに至るまでの『全て』が綺麗さっぱり無くなっていた。
まるで、今、この瞬間に世界に産み落とされたかのように……青年の持っている唯一の記憶は十数秒前に始まったばかりだった。
青年の様子を呆然と見守っていた霊鳥は、不意に顔を歪め……視線を逸らした。
まるで、襲い掛かってくる罪悪感に耐えるように。
「僕は……誰?」
少しでも多くの情報を得ようとするように、青年は空を見上げて――そのまま硬直した。
一切の穢れを知らぬ蒼穹から、ゆるりと降りてくる一体の獣がいた。
処女雪を思わせる純白の体毛を風になびかせ、音も立てずに四肢で地に降り立つ姿は、まるで叙事詩の一幕にありそうなほどに幻想的で。
何処までも優美で、ともすれば繊細とも取れるその姿だけを見れば――先ほどまでの破壊をまき散らしていたのが目の前の存在なのだと、誰が思うだろう。
だが、青年と霊鳥を睨み据えるその瞳は、深い絶望とそこから派生するやり場のない憤怒で汚れきっていた……世界そのものを憎悪するかのように。
『クラウド、全速力でここから逃げろ! ここは私一人で何とか食い止める。だから――』
「ねぇ、なんであの子は……リュミはあんなに悲しい目をしてるの……?」
『なに?』
純白の獣の刺すような視線をその身で受け止めながら、青年は霊鳥に問うていた。
自身が呟いた『リュミ』という名前が誰を指すのかすら分からぬままに、青年は何かに突き動かされるように訴える。
「だって……リュミは親鳥が小鳥に餌をやる光景をあんなに嬉しそうに見ていたじゃないか! 『私に向かって子犬が尻尾を振ってくれたの!』って、目を輝かせながら僕に自慢して! 誰かが死んだら、まるで自分のことのように涙を流して! それなのに……あんな……」
一体それが何の記憶なのか青年自身も理解していなかった。
いつの記憶なのかも分からないし、言葉にしたくせにその情景すら思い出せない。
だが、それでも青年は止まらない。
分からない。理解できない。記憶にすらない。思い出すこともできない。
でも、それでも――魂に刻まれた想いが絶叫する。
「こんなの……絶対にダメだッ!!」
青年は無意識の動作で右手を掲げると、無造作に真横に向けて振り抜いた。
幾百、幾千、幾万と繰り返し、反射の領域にまで至った動作は、記憶に依ることなく青年の体を動かす。
微かな風切音の後、青年の手にはいつの間にか真紅の長剣が握られていた。
常人ではとても振るえぬほどに巨大な両刃の長剣を、軽々と片手で構え、青年は力ある言葉を紡ぐ。
「<フレイムハート・リミットブレイク>」
炎が灯った。
青年の両腕を覆うように灼熱の炎が燃え盛り、両足からも真紅の輝きが溢れ出す。
そして、雨上りの青空を思わせた碧眼もまた、炎を思わせる赤へと染まる。
激しく燃える炎に抱かれながらも、青年の体には火傷の一つも存在しない。むしろ、全身を包む温もりと、万能感にも似た強大な力が全身に行き渡ってゆく。
これだけ劇的な変化が起こっても、青年はそれがさも当然のことのように受け入れ、完全に使いこなしていた。
「お願いだ……リュミを止めるのを手伝って」
青年は真紅と黄金の霊鳥に向かって、心の底から懇願する。
この霊鳥は常に自分の隣にいて、互いの命を預けるに値する相手だと……何故か分かっていたから。
『クラウド……お前はそうまでして……』
霊鳥はそんな青年をどこか優しくも、悲しい瞳で見つめ、吐息のような声を洩らした。
そして、微かに目をつぶると、決意をみなぎらせた瞳で純白の獣を見据える。
『是非もない』
「ありがとう」
青年は応えるように頷き返すと、数歩前へ。
阻む物のない荒野の上で、青年と純白の獣が対峙する。
微かな戸惑いと大いなる決意を秘めた青年の視線と、絶望と憤怒、そして……万物に対する諦観に濁った獣の視線が交錯し――静寂を破るように獣が咆哮した。
ポツンと空に灯った光が、次の瞬間には凄まじい勢いで増殖し、天を覆い尽くさんばかりの数となる。
その一つ一つが必殺にして必滅。
直撃を貰って生きていられる生命などこの世界に存在しない……まさに死の天蓋というにふさわしい光景だった。
これだけ圧倒的な力を見せつけられてなお……青年は恐れることなく純白の獣に向けて歩き出す。静かな、けれど確固としたその足取りに迷いは見られない。
「僕は自分のことも、君のことも、何もわからない。けれど――」
全てを賭けて。全てを捨てて。全てを燃やし尽くして。
自分を形作る全てを一瞬の炎の煌めきに変えて、青年は戦いに挑む。
激しく燃え盛った炎の後にはきっと何も残らないだろう。
それでもいい。全て覚悟の上だ。
慈悲のない結果も、救いのない結末も、すべて受け入れよう。
だから、今は彼女を止めるだけの力をこの手に。
「絶対に君を止めて見せるから。もう、君が泣かなくていいように」
青年は剣を握りしめ、駆け出した。
空より降り注ぐ光の中をただ一心に彼女に向かって。
こうして――青年は全てを失った。
最初から追いかけてくださっている方は見覚えがあるかもですが、大幅改稿する前の序章ですね。今ならば、この序章も意味が解ると思います。
あと、もう一つ重要なお知らせなのですが、書き溜めていた分が無くなりました……orz 毎日楽しみにしてくださっている方がいらっしゃったら申し訳ないのですが、これからは週2~3更新ぐらいになると思います。
可能な限り急ぐようにしますので、どうぞ、これからもよろしくお願いします。