蘇る神殺しの英雄
もはや、校舎一つを丸々飲み込めそうなほどに巨大な口内を前にして、アレットは歯噛みした。
先ほど白光牙刃を放ったばかりで体勢が完全に崩れている。
だが、それ以前に、これほど巨大な霊術を使っているにもかかわらず、レニスの表情には余裕が浮かんでいる。
恐らく、この危機を乗り越えても、レニスは更に巨大な化け物を構成して、アレットを食い殺させようとするだろう。
――まずい……!
空中で完全に無防備になっているアレットに向けて、巨大な顎迫り、そして――
「切り裂け<イモータルブレイド>。燃え盛れ<フレイムハート>」
まるで世界そのものを断つかのように――光が薙いだ。
一体何があったのか……恐らくこの場の誰もが理解することはできなかっただろう。
ただ、アレットを飲み込もうとした砂の化け物が切り飛ばされたという純然たる結果だけがその場に残った。
不気味なほどの静寂が辺りを包み込む中、海水の中から泰然とした足取りで少年が砂浜へと戻ってくる。
真紅の髪と瞳を持ったその姿はどこからどう見てもラルフ・ティファートだ。
アルティアの治癒が成功したのだろう。胸にぽっかりと空いていた風穴が塞がっているのはいいのだが……何かがおかしい。
普段の彼とは明らかにその身にまとう雰囲気が違うのだ。
ラルフ・ティファートという少年を活力満ち溢れる炎と称するなら、今の彼は凪いだ湖に満ちる澄み切った水。
淀みのないその瞳は世界の真理を見通すかのように透徹しており、この異常事態の中にあっても揺らぐ気配すらない。
そして、大きく違う点がもう一つ――その手に持っている巨大な剣だ。
鮮やかな紅色の刀身は、揺らめく炎がそのまま形となったかのように緩やかな曲線を描いており、彼の歩みと同調するかのように煌めく火の粉を舞い踊らせる。
――あの神装……。
暗く沈む海を照らしだすような光を放つ紅の剣。そこから発せられる、目が覚めるような鮮烈な力の波動に、アレットは思わず身震いした。
今までアレットが見たことのある神装のどれにも当てはまらない……少年が持つ剣はあまりにも次元が違い過ぎた。恐らく、アレットが<白桜>で真っ向から斬り合ったのならば、一瞬にして<白桜>が切り飛ばされてしまうことだろう。
砂浜にいた三人の視線を一斉に受けながら、少年は剣を握っていない左手を己の顔の前に持ってきて強く握りしめた。
「エンハンスバーニング」
少年の両腕が、両足が、灼熱の炎を纏って盛大に燃え上がる。
その姿はセイクリッドリッター戦でラルフが発動した『エンハンスバーニング』と同一のものだ。
「フォートプロミネンス」
燃え上がる炎が色を濃くし、更に火力を上げる。
その余波を受けた地面が赤熱化してマグマと化し、少年を中心にして広がってゆく。
「アウェイクスウォード」
続けて呟かれた力ある言葉に呼応するように、少年が手にした剣が白熱し、眩いばかりの光を纏う。その様相はまさに――光の剣だ。
この状態になった少年の剣は『燃焼』という過程をすっ飛ばし、この世界の形ある物一切合切を焼き切る業火の剣となる。
いかなる者もその剣筋を阻むことなどできはしない……例え、創生獣であろうとも。
「……なに、あれ……」
まるで、この地上に顕現した太陽そのもの。
他を圧倒する火力をその身に宿し、少年は歩みを緩めることなくアレット達の方へと近づいてくる。天井の見えぬ彼の力――それをレニスとマーレはよく知っていた。
「れ、レニス―!!」
「……ッ!!」
悲鳴のようなマーレの声と同時に、二柱が動き出す。
少年の背後の海が一斉に立ち上がり、数千・数万を超える刃へとその姿を変え、怒涛の勢いで少年に襲い掛かる。
同時に、周辺の砂が突如として山のように隆起し、純粋な重量という凶器でもって少年を圧死させんとなだれ込む。
莫大な霊力にモノを言わせた物量での力押し。単純極まりないが――だからこそ、それは脅威以外の何物でもない。
だが、結果だけを言えば……その全てが青年を傷つけるには至らなかった。
海水によって形成された刃は、霊力を通されることで鋼を超える強度を得ているにもかかわらず、青年に近づくなり片っぱしから蒸発し、原形を保つことが出来なかった。
そして……。
「レニス。例え君であっても、炎と土の属性が半々になっているマグマ相手なら、そう簡単に押し負けたりしないよ」
ラルフの声で語られた内容の通り、少年を押しつぶさんとしていた砂の山は、近づけば近づくほどにその動きを鈍らせ、やがて、熱せられてどろりと液状化して地面に崩れ落ちた。
アレットとラルフが手も足も出なかった、マーレとレニスの攻撃が――ただ、その場に立っているだけの少年に全て無効化されてゆく。
桁違いの戦闘力を前にして、マーレが悲鳴のような声を上げる。
「な、なんで……お前がいるし……。死人が今更、我が物顔で出てくんなぁぁぁッ!」
「本当に、何で君がいるんだろうねー」
若干引きつった顔でレニスが、少年を睨み付ける。
「そうだよねー? クラウド・アティアス」
クラウド・アティアス――そう呼ばれた少年は小さく首を横に振った。
「どうしてだろうね、レニス。僕もそこら辺はよく分かっていない。ただ、それでも一つだけわかっていることがある」
そう言ってクラウドはその手に持っていた剣を大きく掲げる。
「力を取り戻していない君たち程度なら、難なく討滅できるということだ」
クラウドの手に持った剣から放たれる光がよりその光度を増し、ここ一帯の昼夜を逆転させる。息をするのも苦しいほどに熱せられた大気が、クラウドを中心にして猛烈な速度で渦巻く。
渾身の一撃が放たれる――予兆というにはあまりにも危険すぎるその力の発露に、誰もが顔を引きつらせる。
「エクスブレイズ――」
だが、その全てを言い終えるよりも前に、レニスとマーレは虚空を蹴って大きく後退する。
「くっ! 今は引くよー!」
「くそ、くそ、くそ、くそぉぉぉぉ!! 覚えてるし! お前なんて、力を取り戻した私達でボッコボコにしてやるし!!」
その捨て台詞と同時に、二人の姿がうっすらと消えてゆく。
マーレとレニスが撤退したのを見て、クラウドもその身に宿らせていた熱を消し、大きく深呼吸をした。
残ったのは、ドロドロと流動するマグマと、熱せられたせいで、ぷかぷかと魚が浮いている海という異様に物騒な光景だけだった。
そして、その異様な光景の中を平然とした表情で歩いてくる、極めつけ異様な人物が、アレットの前に立った。
「大丈夫かい? 危ない所だったね」
ラルフの顔で、ラルフの声で、アレットに向かって握手を求めるように手を差し伸べた。
対して、アレットはその手を取ることなく、警戒するように目の前の人物を見据える。
「……貴方は、誰? ラルフの見た目をしてるけど、本物のラルフはどこ?」
アレットの言葉にクラウドは頭上に疑問符を浮かべると、自分の体を見下ろし――目を丸くした。そして、腕を組んで何か考え込んでいたが、少し困ったように微笑んだ。
「うん、とりあえず説明はできると思うんだけど、それよりも、アルティアを休ませてあげたいんだ。少しだけ時間をもらっていいかな」
そう言ってクラウドは懐から、気を失っているアルティアを取り出す。
アレットは知らないことだが、ラルフの体の治癒をするために、自身を構成する霊力を注ぎ込んだため、アルティアの右の翼が綺麗さっぱり消えてなくなっていた。
「……分かった」
とりあえず、敵ではないということは分かった……というよりも、敵だったら今頃アレットは抵抗する術もなく切り伏せられていることだろう。
「ありがとう。助かるよ」
警戒心剥き出しのアレットの返答に対しても、クラウドはさっぱりとした――ラルフとは違うけれど、どこか似通った笑顔を浮かべたのであった。