創世の獣
ラルフ達がいた場所から少し離れた場所に移動したアルティアとフィーネルは、ゴルドと向かい合っていた。
フィーネルの肩に止まったアルティアは、ゴルドの発する剣呑な気配を感じ取り、内心で身構える。
――これは、酔ってる場合ではないな。
アルティアはアルコールで濁った吐息を吐き出すと己の内側に意識を集中し――燃焼。
一瞬だけ炎がアルティアを包み込み、己の中にあったアルコールが全て蒸発する。
本来は、翌日の二日酔いまで込みで『酒を呑む』という行為を楽しむアルティアだったのだが、今は状況が状況だ……そうも言ってられまい。
『して、我らに何用だろうか、ゴルド・ティファート』
アルティアの言葉に、ゴルドは無言。
ただ、こちらの様子を観察するように鋭い視線を向けてきていたが……大きくため息をついて首を横に振った。
「俺は交渉事や駆け引きってのが苦手でな。つーことで、単刀直入に行くぞ」
そう言って、ゴルドは一呼吸を挟むと、唸り声のような声で告げた。
「『創生獣』が何の目的で俺の息子に付きまとっている」
『…………っ』
「え、こ、この人……どうして今の時代の人間が創生獣のことを知ってるの……!?」
内心の動揺を表情に出さずに殺したアルティアに対して、フィーネルは完全に動揺を表に出してしまっている。
完全に一人で混乱しているフィーネルをおいて、アルティアはゴルドの視線を真っ向から受け止める。
『創生獣についてどこまで知っている?』
アルティアの問いに、ゴルドは目を閉じると何かの内容を諳んじる様に言葉を継いでゆく。
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完全なる無によって満たされた、如何なる者の存在も許さない拒絶の世界。
そこに根を張り、枝葉を広げるは双天樹。
虚無と淀みを吸い上げ、循環し、生命の礎となる霊力で世界を満たしてゆく。
世界に満ち溢れた霊力は光を生み、光が生まれることによって闇が生じて世界を二色に分けた。
光は美しい純白の龍――光の創生獣『神光のリュミエール』を生み出した。
闇は艶やかな漆黒と銀の豹――闇の創生獣『深淵のロディン』を生み出した。
光が満ちることにより、双天樹が根を張った世界の姿がハッキリと見え始める。
死を形にしたような赤土の大地と、触れる物全てを溶かす強酸の海が広がる様は、まさに地獄というに相応しい。
しかし、霊力が世界に染み渡ってゆくと、大地は息を吹き返したかのように色を取り戻し、海は怒りを収めるかのようにその色を青く染め上げた。
大地は煌びやかな黄金の獅子――土の創生獣『悠久のレニス』を生み出した。
大海は清廉な蒼の獅子――水の創生獣『蒼海のマーレ』を生み出した。
呼吸を始めた大地と、全てを受け入れる大海が活動を開始するが、それでもこの世界は余りにも寒々しく、何も存在できなかった。
その時、双天樹の真上で凝集した霊力が炎となって燃え上がり、それが天に向かって飛び立ち、太陽となった。
太陽は世界に遍く熱を与え、これによって大海と大地が熱せられて風が生まれ、世界に残っていた最後の淀みを残さず吹き消す。
太陽は黄金と真紅の翼を持つ霊鳥――炎の創生獣『灼熱のアルティア』を生み出した。
清風は澄んだ浅葱色の天馬――風の創生獣『翠風のフィーネル』を生み出した。
最後に、リュミエールとロディンが力を合わせ、光と闇を合わせることで生命の種を作った。
地で、海で、空で、芽吹いた種はやがて意志を持ち、一つの生命となって世界で花開く。
こうして世界は生命に満ち溢れた場所へと変貌した。
各々の創生獣は、己の在り様を変えることなく、今も世界を見守り続けている……。
――――――――――――――――――――――――――――
『……礼賛の碑文は破壊されたはずだがな。どこかに写しが残っていたか。何はともあれ……良く見つけたものだ』
「未踏地域にある巨大要塞の奥深くに眠ってたもんだ。何かあると思っていたが……まさか、お前さん達の名前が書かれているとはな、驚いたよ。ま、そんな事は今はどうでもいい。それで……だ」
ゴルドはそこで言葉を切ると、全く怯む様子も、気後れする様子もなく、アルティアとフィーネルを睨ね付ける。
「再度問うぞ。灼熱のアルティアと、翠風のフィーネルが何の目的で俺の息子に付きまとう」
『……全ては語れない』
「ほぉ……」
その瞬間、ゴルドが纏う雰囲気が一変する。
全身から放たれる凄絶な覇気が周囲の風景を歪め、まるでゴルドが陽炎を纏っているかのようにゆらゆらと揺れる。
相対しているアルティアにもビリビリと肌を刺し抜くような強烈な威圧が伝わって来る。
この男は言外にこう言っているのだ――ごちゃごちゃ言わずに全て吐け、と。
最悪、もしもここでアルティアが黙秘を続ければ、ゴルド・ティファートという男はアルティア達の敵に回るだろう。だが……
『語ればお前まで巻き込むことになるだろう。故に語ることはできない。だが、私を生んだ太陽に誓おう……ラルフ・ティファートは私の大切な友だ。私達の都合に巻き込むつもりは一切ない』
「お前は勘違いをしている」
ゆらりと圧倒的な気迫を纏ったゴルドが一歩、一歩とアルティア達に近づいてくる。
「お前達の都合なんざどうでもいい。お前達そのものが、デカい厄介ごとの種なんだよ。創生獣なんて訳の分からんものが……神と呼ばれている代物が二匹も揃ってラルフの傍にいる状況がすでに異常なんだ」
そうしてゴルドは、普段ラルフが装着してる物と同じタイプのオープンフィンガーグローブを身に着けると、拳を握りしめて互いに打ち付けた。
澄んだ音と共に拳が力場を纏い、戦闘準備が整う。
「お前らがいる限りラルフは必ず『何か』に巻き込まれる。それこそ、人知を超えた『何か』にな。だから、お前らがラルフの傍にいる目的を吐かないというのなら、今、この場で――討滅する」
「ぉ、お願いします! 待ってください!」
今まさに拳を振るわんとするゴルドの前に、両腕を広げたフィーネルが立ちふさがる。
フィーネルはゴルドの前で、祈るように両手を組み、必死で訴えかける。
「アルティアはむしろ、<フレイムハート>に選ばれたラルフ君を、大きな運命から護るために傍にいるんです! 決して、ラルフ君を危険にさらすことだけはしません!!」
フィーネルの訴えにゴルドの足が止まる。
だが……その瞳はより鋭さを増して、アルティアとフィーネルと見据えている。
「やはりラルフの神装<フレイムハート>とやらは特殊な代物なんだな。神装に別個で意志が宿っていると聞いている時から胡散臭いとは思っていたが……あの神装は何なんだ」
ゴルドの問いを、黙殺しようとしたアルティアだったが、そんな彼の翼にフィーネルがそっと手を触れさせてくる。
「アルティア、人間達を巻き込みたくない貴方の気持ちはよく分かるよ。でも……アルティア一人じゃ無理だよ。創生獣大戦のときだって、人間と一緒に戦ったからこそ勝てたんだよ。なら……」
『分かった。分かったからそれ以上は言うな……』
アルティアは力なくそう言って、大きくため息をついた。
今、アルティアの目の前にいるゴルド・ティファートは、恐らくこの世界の真実に最も近いところに立っている男だろう。
アルティアがこの場でだんまりを決め込もうとも、この男は自力で全ての答えに行きつくだろう。それが早いか遅いかの違いでしかない。
アルティアは躊躇い混じりの黙考を挟むと、重い口を開いた。
『人の魂より発現する神装とは異なり、<フレイムハート>は私が創った唯一無二にして、最強の神装だ。神格稼働すれば創生獣すらも凌駕する力を得ることができる』
「それは、人が創生獣を……神を殺すために創られたってことか」
『理解が良すぎるのも考えものだな』
端的な説明だけで、<フレイムハート>が創られた目的を看破してしまったゴルドに対し、アルティアは、関心半分、驚愕半分の声で答えた。
『事実、<フレイムハート>の力によって大型終世獣が四体と、創生獣が一体、討滅されている』
「……ちょっと待て」
アルティアの言葉を受けて、ゴルドは表情を歪める。
「人類が確認している大型終世獣は、神装大戦時の『リンドブルム』と、ビースティスの大陸を強襲した『ヤマタ』の二体だけだ。それが四体だと……?」
大型終世獣はそれ一体だけで国を滅ぼせるほどの力を持つ。
だからこそ、各国は大型終世獣が出現した時には力を合わせて戦えるようにと、門戸を開き、各大使館に転送陣を置いているのだ。
他国に侵略される足掛かりになるリスクを抱えてでも、備えなければ、大型終世獣は倒すことができないのだ。
それを嫌というほどに知っているゴルドは、アルティアの言葉に目を細めた。
「ファンタズ・アル・シエルのいたる所にある遺跡や廃村、大陸を我が物顔で跋扈する終世獣、そして戦略級霊術が炸裂したような大地に刻まれた痕跡……大体の予測は付けていたが、過去にファンタズ・アル・シエルで一体何があったってんだ?」
『世界の存亡を巡る大きな戦いがあったと……ただ、それだけを知っていればいい。汝が今、知りたいことは、その事ではないだろう』
「食えねえ鳥だ」
吐き捨てるように言うゴルドに対し、申し訳なさを感じるアルティアだったが……過去にファンタズ・アル・シエルで起こったことについて話し始めれば、それこそきりがない。
それになにより、この男ならば自力でその真実に辿り着くことだろう。
「それで、その<フレイムハート>がなんで俺の息子の手にあるんだ」
『<フレイムハート>は他の神装とは異なり、使用者が死んでも存在し続ける。そして、<フレイムハート>に適合する者が現れると、その魂に宿るのだ。私が<フレイムハート>と共にあったのは、訳あってのことだ』
「訳あって、だと? 見え透いたことをぬかすなよ」
恫喝するように声を低くしたゴルドは、アルティアを睨み付けてくる。
「お前らはラルフに神を殺させようとしている」
『違う!』
「神を殺すために創られた神装の適合者ってのは、つまりそういうことじゃねーのかよッ! 神を殺しうる可能性と力を秘めているからこそ、ラルフは選ばれた……違うかッ!!」
『……確かにそれはその通りだ。ラルフの高潔で燃える炎のような魂に可能性と力を感じて<フレイムハート>はラルフの魂に宿った。だが! 私はラルフにそのような危険なことをさせるつもりはない! 我の戦いにラルフは無関係だ……巻き込ませなどしない!』
「だから! それが! 思い上がりだと言っているんだッ!!」
ゴルドが咆えると同時に、苛立ちをぶつけるように傍らの木の幹に拳を叩きつける。
ミシミシと繊維を引きちぎるような音ともに、木が倒れてゆく。ゴルドが拳を叩きつけた部分がごっそりと抉られている……一体、どれだけの力で殴りつけたというのか。
「何度でも言ってやる。お前がラルフに対してどう思おうとも、傍にいるという時点で、ラルフをお前らのごたごたの渦中へ引っ張り込んでんだよ。俺からすれば、<フレイムハート>は呪いの証にしか見えねぇ。本当ならば、今すぐにでもお前らを討滅し、<フレイムハート>を封印してやりたい」
だが……そう言葉を挟んで、ゴルドは肺の中を空にするような大きなため息を吐いた。
「ラルフはお前らを信頼しているし、友人だと思っている。俺がお前らを討滅でもしようものなら、本気で怒って……心から悲しむだろうよ」
『…………』
諦めを浮かべたゴルドが、先ほど殴り倒した木の幹に座る。
「俺も若い頃は周囲の反対を押し切って何度も馬鹿をやった。友人に発破掛けて結婚式に殴り込みかけたこともあるし、シルフェリスのお偉方が推し進めていた人造インフィニティー計画も潰したし、無断でファンタズ・アル・シエルの遺跡に乗り込んで丸々一個沈めたこともあった」
『一体どんな学生生活をしていたというのか、汝は』
この男、随分と破天荒な学生生活を送っていたようである。
まあ、一緒に活動していたのが後の剣豪フェリオ・クロフォードと凱覇王レッカ・ロードだったのだ……多少どころか、結構な無茶も通ったのだろう。
「俺にとって、ラルフは死んだ妻の忘れ形見だ。危険なことはしてほしくないが……ガキだった頃の自分を思えば、無茶をするなとは口が裂けても言えない。だから俺は、ラルフがやりたいと思ったことを、全力で支えてやることぐらいしかできない」
ゴルドはそう言って顔を上げて、アルティアとフィーネルを見据える。
「俺はお前達を信用してはいない。しかし、ラルフが全幅の信頼を置いているのならば、俺はそのことに関してもう口を挟むまい。だがな、これだけは覚えておけ」
ゴルドは立ち上がると、握りしめた拳をアルティアとフィーネルに突きつけた。
「もしも、ラルフの信頼を裏切るような真似をしたら……その時は、地の果てまで追い詰めて討滅してやる」
『分かった。その言葉、肝に銘じておこう』
さすがは親子と言うべきか……ラルフと同じ、まっすぐに偽りを一切含まない瞳を前にして、アルティアもまた誤魔化しのない瞳で応えてみせる。
見えぬ火花を激しく散らしたゴルドとアルティアだったが……ゴルドが鼻を鳴らして先に視線を逸らした。
そして、アルティアと、この場の空気に完全に硬直してしまっているフィーネルに向かって手を振って見せる。
「俺が言いたかったのはそれだけだ、付きあわせて悪かったな。そろそろラルフ達も心配してるだろーよ。帰るぞ」
『いや……申し訳ないが、我々には来客が来ているようだ。先にラルフ達と行ってて欲しい』
「…………そうか。分かった」
何か言いたそうに目を細めたゴルドだったが、結局何も言うことなく、大きくため息を一つついて去っていった。