フィーネル②
「うわぁぁぁん! 会いたかったよぉ、アルティア――!!」
『ぐ、にゅ、ぬぐぅ! 分かったから離さんか、フィーネル! このままでは潰れるっ!』
両手で抱きしめられた挙句、物凄い勢いで頬ずりされたアルティアが悲鳴を上げる。
アルティアの羽毛を根こそぎ削ぎ落とさんばかりの高速頬ずりを繰り返すフィーネルに、一同呆気にとられていたが……いち早く正気に戻ったラルフが、控えめに声を掛ける。
「あ、あの。フィーネルさん? このままじゃアルティアが寒々しいことになりそうだから、そろそろ止めてあげた方がいいんじゃないかなーと」
「でも、でも、こうして本当に久しぶりにアルティアに会えて――」
調子よく出てきた言葉は、けれど、フィーネルの視線がラルフに移った瞬間に途絶えた。
フィーネルが浮かべた感情は戸惑いと驚愕、そして、微かな恐れ。まるで、目の前にラルフが立っていることが信じられないと言わんばかりだ。
唖然とした様子で見つめてくるフィーネルに、ラルフが困惑していると……彼女は、心ここに在らずと言った感じで口を開いた。
「クラウド……アティアス……?」
『違うっ!!』
フィーネルの言葉をアルティアが厳しい口調で切り伏せる。
峻厳なアルティアの言葉に我に返ったフィーネルだったが……その表情には相変わらず戸惑いが色濃く残っている
「でも、<フレイムハート>の気配が……とても薄いけれど」
『<フレイムハート>の今の所有者はラルフ・ティファートだ。それ以上でも、それ以下でもない』
言外にこれ以上の質疑を拒絶するアルティアの口調に、フィーネルは口を閉ざす。
そして、再びラルフの方を見ると、微かな笑みを浮かべた。
「そっか……君の魂は<フレイムハート>に『選ばれた』んだね」
「え……?」
「ううん、何でもない。ごめんね、唐突に」
フィーネルはそう言ってラルフに頭を下げると、自身を取り囲む者達を見渡し、再度頭を下げる。
「貴方達が私を助けてくれたんですね、ありがとうございます。私の名前はフィーネル。ここには訳あって……」
流麗に言葉を紡いでいたフィーネルだったが、唐突に言葉が途切れる。
フィーネルはぎこちない動作でアルティアへと視線を移すと、弱々しい笑みを浮かべた。
「えっと……訳あってアルティアの気配を追ってここまで来たんだけど、その訳が……思い出せないみたい……」
『なぬ!?』
ワンオクターブ声の調子を上げて答えるアルティアの傍で、アレットがゴルドの方を向く。
「……部分的な記憶喪失?」
「頭に衝撃を受ければその可能性はある。だが、それよりもど忘れしたとか、もしくは……第三者による封印を喰らったとかの方が説得力はあるがな」
ゴルドはそう言いながら、どこか鋭い視線でアルティアとフィーネルを観察している。
「……封印なんて出来るの?」
アレットの質問にゴルドは頷いた。
「霊力を用いた暗示というニュアンスの方が強いけどな。まあ、その事は置いておくとしてだ……フィーネルって言ったか。お前さん、何者だ?」
フィーネルの正体について強い懐疑心を抱いているのだろう……強い口調のゴルドの質問に、フィーネルは焦った様子で目線を左右に泳がせる。
「え、えぇと……その、実はその辺りも記憶が曖昧で……あ、あはは……」
「…………」
「なぁ、親父。そんなに詰問しなくても。フィーネルさんも起きたばっかりなんだからさ」
ラルフがとりなすように言うと、ゴルドから呆れたような視線が返ってくる。
「他人を信じるなとは言わんが、お気楽が過ぎると思うぞ、ラルフ。お前はもう少し見知らぬ他人に対して警戒心を持って接するようにしろ。世の中、善人ばっかりじゃねーんだぞ」
「わ、分かってるよ」
ミリアにも散々口を酸っぱくして言われていることだ。
どもりながらも悪態をついたラルフは、フィーネルの方を向くと、笑顔を浮かべた。
「さっき紹介されたと思うけど、俺はアルティアの友達で、ラルフ・ティファートっていうんだ」
ラルフの紹介に、フィーネルは小さく笑う。
「アルティアの友達……か、ふふ。はい、こちらこそよろしくお願いします」
「そんで、こっちの美人さんがフィーネルさんを助けたアレット姉ちゃんで、こっちのデカいのが親父のゴルドで、あそこの――ミリアっ!?」
最後にミリアを紹介しようとしたラルフは、壁際を振り返って目を見開いた。
先ほどから、どれだけ体調が悪くとも毅然としていたミリアだったが……ラルフの視線の先で、彼女は壁沿いにずるずると座り込み、息を荒くしていた。
ラルフは慌ててミリアの傍に駆け寄った。
「しっかりしろ、ミリア!」
「だ、大丈夫で……す……」
「これのどこが大丈夫なもんか! 嘘だろ、こんな短時間で……」
白桃のような頬は赤く染まり、息づかいも途切れ途切れで荒い。
赤い瞳は涙で潤み、ラルフを見上げるその視線にも普段のような力はない。
「悪い、ちょっと持ち上げるぞ」
「あ……」
本人の了承を得ることなく、ラルフはミリアの膝裏と背中に手を回して抱き上げると、ソファーの上に壊れ物を置くようにゆっくりと下ろした。
よほど余裕がないのか、ミリアはされるがままだ。
アレットが心配そうに毛布を掛けている間、ラルフはミリアの額に手を置いて熱を測る。
「うわ……」
朝方計った時と比較すると、かなり熱を持っている。
確かに、体調が悪いのを押してここまで来てしまったが……まさか、短時間でここまで悪化してしまうとは思いもしなかった。
「……ミリア、どうしちゃったんだろ」
「わかんない……とにかく、病院に――」
「ミリアさん……でしたか。その子、たぶん病気じゃないですよ」
困惑するラルフに背後から声がかかる。
振り返れば、若干ふら付きながらもベッドから起き上がったフィーネルが、確かな足取りですぐ傍まで来ていた。
驚くラルフの傍らに座り込むと、フィーネルはミリアの手を取って目を閉じた。
「体内に宿る霊力が荒れ狂ってる……白髪の人間に良く見られる、急激な内的霊力の成長による発熱だと思われます。神装の能力を使って容態が悪化したのもそのせいでしょう。二・三日安静にしていれば収まりますよ」
「え、えっと……」
『フィーネルは霊力の流れや波を読むのに長じている。こやつがそう言うのなら、それは間違いない』
突然のことに驚いているラルフに、アルティアがそうフォローを入れる。
ラルフは微かに躊躇った後、アルティアに頷き返すと立ち上がりゴルドと向かい合う。
「親父、来て早々悪いんだけど――」
「ああ、寮に帰ってゆっくり休ませてやれ。ここに寝かせてても良いが……男の俺とラルフじゃ、出来ることは限られているからな。寮母さんに栄養がついて、消化にいい料理でも作ってもらえ」
「うん、本当にゴメン」
「親に気を遣ってんじゃねーよ、馬鹿。夏季長期休暇はまだあるんだ、いつでもいいから好きな時に来い。そんでだ……お前さんはどうするんだ?」
ラルフの頭を苦笑交じりにぐりぐりと撫でたゴルドは、視線を転じてフィーネルを見詰める。
唐突に話を振られたフィーネルは戸惑ったように左右を見回すと……縋るような視線をアルティアに向ける。
「ど、どうしよう、アルティア……」
『ふむ……ラルフよ、お前さえよければ――』
「それだけは」
アルティアの言葉を遮って、地獄の底から響くような声がミリアの口から発せられる。
先ほどまでの弱々しい瞳は一体どこへやら――ドラゴンですら裸足で逃げ出しそうな瞳でラルフとアルティアを見据えている。
「それだけは許しませんから……ッ!」
「はい」『はい』
思わず直立不動で返答するアルティアとラルフ。
そんな二人を眺めていたアレットが小さく吹きだした後、手を上げた。
「……なら、私の部屋に来る?」
『ぬ? 良いのか?』
「……構わない。私の部屋、他の人の部屋よりも少し広いし。ただ、今日はお父さんとお母さんに会いに行かなきゃだから、それまではミリアの看護をお願いしたい」
「あの、本当にありがとうございます!」
『私からも礼を言わせてほしい。ありがとう、アレット』
アレットの言葉にフィーネルとアルティアは素直に頭を下げる。
そんな一人と一羽を見ながら、ラルフはその場にしゃがみ込むとミリアに背を向けた。
「ほら、ミリア。おぶって帰るから乗って」
「いえ、こほっ、大丈夫――」
「ダメだ」
ラルフは普段にない強い口調でミリアの言葉を切る。
「おぶって帰るのが嫌なら、そのままお姫様抱っこで街中を突っ切ることになるぞ。ちなみに、ミリアがどれだけ抵抗しても無駄だからな」
「強引ですね……こほっ」
「可愛い妹が体調を崩してるんだ。これぐらいさせてくれ」
ラルフの言葉に微かな躊躇いを含んだ沈黙を返したミリアだったが……お願いします、の一言と共にラルフの背中に体を預けてきた。
まるで、熱の塊が背中に触れたかのようにミリアの体は熱を持っており、ラルフはここまで無理をさせてしまった自分自身に対して苛立ちにも似た感情を覚えた。
「兄さんの背中……あったかい……」
「ああ、昔はこうやって良くおぶって日曜学校から家に帰ってたな……っと、軽いな。ミリア、ちゃんと食べてるか?」
「兄さんが食べすぎなんです……」
そう言いながら、ラルフはその場で立ち上がる。
「兄さんの匂い……」
「ん? あぁ、汗臭いか? ごめんな」
耳に掛かる熱い吐息と共に、ミリアがギュッと抱きついて首筋に顔をうずめてくる。
普段の強気なミリアからは考えられないような甘えた行動……やはり、体調を崩して弱気になっているのだろう。
この時、ミリアはどこか恍惚とした様子でラルフの首筋に顔をうずめ、熱とは別の意味で頬を赤らめていたのだが……ミリアをおぶっている体勢の関係で、ラルフはそれに気づかなかった。
今のミリアの内心を正確に見抜いていたゴルドとアレットは、噛みあわない二人を見て小さく苦笑を浮かべている。
そんなラルフの隣で、アレットがフィーネルに問いかける。
「……フィーネルさんは大丈夫?」
「あ、はい。少し足元はふらつきますが、自分で歩けます」
「……ん、きつくなったら、おんぶしてあげる」
「い、いえ、それは遠慮しておきます……」
『んむ、では帰るとするか』
棚の上にいたアルティアが、頭の上に戻ってくるのを確認したラルフは、ゴルドの方へと向く。
「それじゃ、親父。また来るよ」
「おう、俺の方からもちょいと話があるから、ミリアが落ち着いたらまた来い。あぁ、それとモフモヒの干し肉があるから持って行け。柔らかくなるまで米と一緒に煮込んで食べさせれば、滋養強壮の効果がある。アレット、お前の分もあるから持ってやってくれ」
「……じゅる。モフモヒの干し肉は珍味。おじさん、本当に太っ腹」
「頼むから、道中で食い尽くしたりしないでくれよ……」
こうして、ラルフ達はゴルドの拠点を後にして、寮へと戻ったのであった……。