フィーネル
アレットが、ぐったりとした浅葱色の髪をした女性を担いでいるのを見れば、尋常ではない事態だと一目見て分かる。
一体何があったというのか……泥まみれの女性の体にはいたる所に傷が刻み込まれており、彼女の服を赤く染め上げている。
特に右手の傷はひどく、今も絶え間なく血を流している。
その惨状にぎょっと目を剥いて固まったラルフとミリアだったが……さすがというべきか、ゴルドの対応は早かった。
「……ゴルドおじさん――」
「いいから早く入れ。ミリア、治癒頼む。ラルフ、お前は炎で湯を沸かしてくれ」
「あ、は、はい」
「わ、分かった!」
アレットの言葉をすべて聞くよりも早く、ラルフとミリアに指示を出したゴルドは、アレットから女性を受け取ると部屋の中に運び込んだ。
そして、自身のベッドが汚れるのも構わず女性を寝かせると、水瓶から汲んだ水で布を濡らし、それで女性の体を拭ってゆく。
「ミリア。俺が拭ったところから治癒してやれ。ラルフー! 湯はまだかー!」
「今沸いた!」
最大火力で湯を沸かしてきたラルフは、桶を持ってドタバタと戻ってくる。
水で温度を調節し、ゴルドは湯で――特に怪我が酷い――右腕を綺麗に拭う。
そして、ミリアが治療をするのを待って具合を確かめるように、目を細める。
「ん……さすがだな、ミリア。随分と『再生』を使いこなしているじゃねぇか」
「私は私の出来ることをしてるだけです」
「その心意気やよし。とりあえず、緊急を要するところは何とかなったな……おい、ラルフ。俺達は外に出てるぞ」
「え? 何でさ。この人置いてくのかよ」
不満を含んだラルフの声に、やれやれとゴルドは首を振った。
「お前は、見知らぬ女の全裸を見たいのか? そんなに女に飢えてるなら止めんが?」
「出る! 出ます! だからミリアは俺の首を絞める前に、その人の治療をしろってッ!」
ラルフは必死でそう訴えると、何とかミリアの両手から逃れる。
それを横から見て、ニヤニヤしていたゴルドだが、真顔に戻るとミリアとアレットの方へ向き直る。
「とりあえず、後は頼む。外で待機してるから、終わったら呼べ」
「……ん、分かった」
アレットが言い、ミリアが頷くのを確認し、ラルフはゴルドと共に外へ出たのであった……。
――――――――――――――――――――――――――――
ミリアとアレットに呼ばれ、再び家に戻ったラルフが見たのは、ベッドの上で健やかな寝息を立てて眠っている女性の姿だった。
汚れた衣類は完全に脱がせてしまったのだろう……代わりに、ゴルドのものと思われるブカブカの衣服を身に着けている。
パッと見た限りでは、傷は一つとして見当たらない。ミリアが完全に治癒したのだろう。
「ゴルドおじさん、服を借りましたよ」
「かまわねーよ。それで、様態の方はどうだ?」
ゴルドの言葉に、ミリアがせきこみながら小さく頷く。
「こほ、こほ……傷は全て治癒しました。一通り調べてみましたが……ほとんどが外傷で、内臓等は傷ついていないと思われます。喀血した痕もなかったですし」
ミリアの言葉にラルフは感心したように目を丸くする。
「ミリア、詳しいんだな……」
「折角『再生』という能力を持っているんです。こほっ……なら人体に関する勉強や、怪我の種類についても学んでいた方が色々と有意義でしょう……こほ」
「……ミリア、『再生』を使ってから、せきが酷い。あんまりしゃべらなくていいから」
アレットがミリアの背中を優しくさすっている。
ラルフもミリアに近寄って顔を覗きこんでみたが……確かに、顔色が悪くなっている。
「大丈夫か、ミリア……」
「だい……じょうぶ、です。こほっ。私のことはいいですから」
心配されるのが嫌なのだろう。手を振って追い払われてしまう。
そんなラルフ達を尻目に、ゴルドが規則的な寝息をたてている女性に近づき、その顔を至近距離からじっと見つめる。
「ここらに拠点を構えて結構なるが……見ない顔だな。アレット、この女をどこから拾ってきたんだ?」
ゴルドの質問に、アレットは窓の外にそびえ立つ外壁を指差す。
「……防壁の外。お父さんとお母さんにお土産を買って行こうと思って、外壁沿いをお土産屋に向かって歩いていたら、向こう側から微かに悲鳴が聞こえたの」
「アレット姉ちゃん、耳が良いなぁ……」
「……ちょうど、外と中との出入り口近くだったから聞こえたんだと思う」
それでも十分すぎるほど鋭い聴力である。
基本的にビースティスは総じて身体能力が高いが……これほど聴力に優れているのは、単純にアレットの身体能力に依るところが大きい。
「……それで急いで向かってみたら、森の入り口で終世獣の群れにこの人が襲われていたから、助けて、ここに運んだの。衛兵さんもゴルドおじさんの名前を出したら、この人が街に入るのをあっさり許可してくれたよ」
「そりゃ、俺の名前ってよりも、アレット・クロフォードがゴルドの名前を出したことに意味があんだよ。お前はそろそろ自分のネームバリューの価値を理解しろ」
頭痛を堪えるようにゴルドが言う。
ビースティス九血族連合筆頭の一人娘――それがどれだけ影響力のある肩書きなのか、アレットはいまいち理解していないところがある。
実際、アレットはゴルドの言葉にん~? とばかりに首を傾げている。
ゴルドはため息一つついて、女性へと視線を移すと、考え込むように顎に手を当てる。
「そうなると、アルシェール外の街から来たってわけか……しかし、終世獣まみれのこの大陸で女の一人旅は無謀すぎる」
終世獣が跋扈するファンタズ・アル・シエルに点在する街は、ほぼ例外なく分厚い外壁に覆われ、物見台や矢狭間が設けられている。
街というよりも、要塞といった趣の方が強い。
何しろ、終世獣は自身の命も顧みずに、問答無用で人間に襲い掛かってくるのだ……柵などあってないに等しい。
そんな危険な場所に住むなど常軌を逸しているが……それでも、開拓の最前線へ赴く冒険者達が落とす金は意外と馬鹿にできないそうな。
そこで、冒険者が泊まるための宿や、防具の手入れをするための鍛冶屋、冒険者達の無聊を慰める娼館、そして、薬剤などが揃えてある道具屋などが集まって街を形成しているのである。
幸いにも、開拓が進んでいる場所はヘルハウンドのような小型の終世獣しか出現しないため、頑強な防壁があれば問題はないそうな。
閑話休題。
「じゃあ、どういう人なんだろうね、この人?」
ラルフの問いに応えられる者などこの場に誰もいない。
だが……ラルフの声が届いたから、という訳ではないだろうが、女性がうめき声を上げると、苦しそうな声でポツリと声をこぼした。
「ぅ……く、う……アル、ティア……」
その一言に、その場にいたほぼ全員の視線がラルフの頭上――アルティアへと集まる。
当のアルティアもまさか自分の名前が女性の口から出てくるとは思っていなかったのだろう……目を丸くしている。
「知り合いなのか、アルティア?」
『いや……ちょっと待ってくれ。確認をしてみる』
安易に否定をせず、アルティアはラルフの頭の上から飛び降りると、女性の胸元に降り立ち、ジッとその顔を見詰める。
穴が開くほど女性の顔を凝視するアルティアだったが……何かに気が付いたかのように、片眉を上げた。
「なにか分かったんですか、アルティア?」
ミリアの問いに、アルティアは小さく頷く。
『やはり顔に見覚えはない。だが……微弱ながら発せられる内的霊力の波長が、知り合いのものと瓜二つだ』
アルティアはそう言うと、女性の体をよじ登って肩までたどり着くと、小さな翼でぽふぽふと、頬を叩きはじめる。
『フィーネル。起きろ、フィーネル!』
ぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふ。
赤い翼で頬を連打され、フィーネルと呼ばれた女性は苦しそうに表情を歪めたが……その感触に覚醒を促されたのだろう。
ん、と小さく声を漏らし、ゆるりと目を見開いた。
髪の色よりも更に透明度の高い蒼の瞳が、ぼんやりとアルティアを捉える。
フィーネルの瞳は焦点を結ばぬままにボーっとアルティアを眺めていたが……目と鼻の先にドッカリとヒヨコが居座っているという事実に気が付き、ギョッと目を丸くした。
「え、え、な、なんでヒヨコが……?」
『お前まで、言うに事欠いて私のことをヒヨコというか……』
アルティアの言葉を聞いて、慌てていたフィーネルの動きがピタッと止まった。
そして、今度はフィーネルがアルティアを凝視し、確認するかのように口を開いた。
「もしかして……アルティアなの?」
『然り。全盛期とは比較するまでもないのは分かっているが、霊力の波長を読むのはお前の得意技だろう。誰なのかぐらい、一瞬で見分けんか。そもそも、お前は昔からぼけーっとしている所が――』
「あ、あ、あ……アルティアぁぁぁぁっ!!」
クドクドと説教を開始したアルティアだったが、説教そのものを押しつぶすような大声を上げたフィーネルが、突然、両手を広げてアルティアを力いっぱい抱きしめたのだった。