タイラントサイクロン
――まずい、何か来る!
もしも、ダスティンの持っている細剣が神装ならば、先ほど貰った不可視の一撃は霊術である可能性が高い。
「このぉぉぉぉぉぉッ!!」
何の根拠もない、けれど確信を持った危機感に動かされ、ラルフは反射的に身をかがめる。
視界の先でダスティンがレイピアを虚空に向けて突き放った――それと同タイミングで、やはり『何か』がラルフのすぐ傍を疾駆していった。
――やっぱ、さっきもらったのはアレだったのか!
次々に放たれる透明な刃を、フェイントを交えながら体捌きで回避し、かわしきれないものはグローブで弾き落とす。
ラルフが付けているグローブは父親から譲り受けた物なのだが、装着と同時に展開する力場で拳を護ってくれる特殊な品だ。
ゆえに、このグローブを付けた状態ならば、刃物相手でも真っ向から殴りあえる。
だが……それでもその全てを叩き落とすことはできない。
「ぐ、速……!」
この見えない刃はダスティンの神装による刺突から放たれている。
そのため、刺突の動きを見ていれば、ある程度は軌道と着弾のタイミングを先読みすることはできる。
だが……それでも限度はある。
神装による身体能力向上というのは本当のようで……まるでラルフを押しつぶさんばかりの量と速度で透明な刃が襲い掛かってくる。
このままでは、遠くない先に物量で押しつぶされてしまうことだろう。
――ぐ……! どうすれば……!
「あははははッ! 無様に追い詰められているなぁ、山猿ぅぅぅぅッ!!」
一際強く刺突を放った後、ダスティンが地を蹴った。
駆けると言うよりも跳躍と言っていい勢いで、ダスティンがラルフとの距離を瞬時に詰めてくる。
無造作に突き出される刃を必要最小限の動きで回避し、その回避の動作を予備動作として裏拳を放つが……拳は虚しく宙を切った。
「ほらほらほらほらッ!! さっきまでの威勢はどうしたッ!!」
「そんなに余裕ならとっととトドメでも何でも刺したらどうだ!」
ダスティンの動きは素人に毛の生えた程度のものだ。
動きも読めるし、隙も見える。
だが……どれだけ隙があったとしても、一つ一つの動作が凄まじく速いために、その隙を突くことができない。
技量の差や、先の読み合い以前の話……つまり、話にならないレベルで身体能力に差が生じているのだ。
むしろ、今の今まで暴雨のようなダスティンの攻撃を全て紙一重で捌いているラルフの見切りが尋常ではない。
――このままじゃ押し切られる。それぐらいなら!
左の拳で突きを弾くと同時に、ラルフは下がるのではなく――その身を晒すように前に出た。
次の瞬間、電光のように閃いた突きがラルフの左肩に突き刺さった。
あまりの激痛に一瞬視界がホワイトアウトする。
どこか遠くに悲鳴を聞きながら、ラルフは目の前で歪んだ笑みを浮かべるダスティンを睨み……そして、笑った。
「捕まえた……!」
レイピアが肉に突き刺さっている間に、ラルフは左腕に力を入れて筋肉を膨張させて刃を固定。
神経を掻き毟られるような痛みに顔を引きつらせながら、その上で刃をグローブで握りしめた。
「なに……!」
凄まじい速さで動くのならば、その動きを止めればいい。
単純明快でありながら、もっとも難しい方法を、この男は肉を切らせることで達成したのだ。
「はぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ラルフは拳を握りしめる。
先ほどまで、ダスティンも足元をふら付かせていたのだ……神装を発現しても完全に無敵になったわけではない。
ならば、完全にラルフの間合となったこの距離で、気を失うまで連打を喰らわせてやればいい。
右腕一本であっても、確実に急所を突けばそれは十分に可能だった。
だが――
「な……あ……」
放った拳がダスティンの顔面に叩き込まれる……その少し手前で、ラルフの拳が止まっていた。
見えない透明な何かに拳を包み込まれ、完全に勢いを殺されてしまったのである。
「ウィンドメイル。本来は物の足しにもならない貧弱な防御霊術だが、神装があれば話は別だ。なぁ、そう思うだろ? だから……その薄汚い手をとっとと離せぇぇぇえッ!!」
怒声と共に振り抜かれた足がラルフを蹴り飛ばした。
地面に幾度も叩き付けられながら吹き飛んだラルフだが、体の反動を利用して両足から着地。
メンタルフィールドの端まで吹っ飛びながらも何とか体勢を整えた。
「ぐ……かはっ」
腹を抑え、前方を睨む。
幸いにも臓器が破裂するようなことは避けられたようだが……先ほど刺突を真っ向から受けた影響で、左腕が動かない。
出血も酷いようで、若干意識が朦朧とする。
「まさか、神装ってのがこんなにすごい物だったとは……」
神装を手にする――たったそれだけのことで、ここまで圧倒的な力を得ることができる。
ある意味、選ばれた者にのみ許された特権。
それを享受することで、容易く人を超えることができる。だが……その事実は麻薬のように人の人格を破壊する。
「は……はは。あははははは! すごい、すごいぞ! 僕はこんなにも強くなったんだッ!」
ダスティンは、天を仰ぎながら、神装を天へと掲げる。
その目は血走り、過度の興奮で完全に正気を失っていることが見て取れた。
事実……先ほどまで天と地ほども実力差があったラルフを、今はこうも圧倒しているのだ。
その全能感たるや、想像を絶するものがあるだろう。
「今の僕なら何でもできる……そう、何でもだ!」
「……?」
ラルフの視線の先、ダスティンは神装を天に掲げたまま、何かを呟き続けている。
何をしているかは分からないが……明確なチャンスだと感じたラルフは、左手をかばいながらも走りだし――
「もういいよ、ラルフ! もういいから帰ってきて!」
背後から悲鳴のような声が聞こえてきた。
振り返ってみれば、そこには涙でボロボロになったティアの姿があった。
外から中には入れないのか……どんどんと、メンタルフィールドを拳で叩いている。
「左肩から凄い血が出てるし、全身ボロボロじゃない!」
「まだ負けてないぞ!」
「それでもそんな姿見てるのは辛いよ! ……無理はするなって約束したのに」
「まだ無理の範疇じゃないって」
「今の状況のどこが無理じゃないっていうのよッ! それに、アイツが今詠唱してるのって――」
だが、ティアの言葉は最後まで言い切ることはできなかった。
「鏖殺せよ……タイラントサイクロン!」
最初は小さな風の渦が複数発生しただけだった。
だが、それは加速度的に勢いを増してゆく。
周囲のモノを巻き込み、吸い上げ、砕きながら、伸長と加速を続ける。
そして――
「何だ……これ……」
呆然と呟いたラルフに、ティアがしゃくり上げながら言葉を返す。
「タイラントサイクロンっていう……上級霊術。結びの言葉通り、巻き込んだものを鏖殺する凶悪極まりない霊術……」
「マジか……巻き込まれたらジュースになっちゃうぞ……」
メンタルフィールドの天井に届かんばかりに成長した複数の竜巻――それが合計で九つ。
それが密集した状態で、地面にある芝を剥ぎ取りながら、ラルフを追い詰めるように少しずつ迫ってくる。
すでにメンタルフィールド端まで追い詰められているのだ……左右に避ける道もまた竜巻によって塞がれている。
完全なる八方ふさがり。
狂ったようなダスティンの笑い声を聞きながら、ラルフは強く歯を食いしばった……。
――――――――――――――――――――――――――――
メンタルフィールドの外では、エミリー・ウォルビルが追い詰められているラルフをじっと見つめていた。
今すぐにでも助けに行きたいのか、先ほどからそわそわしているのだが……それでも、肝心の一歩は出てこない。
ラルフのことを心配していないのかというと、そう言う訳でもなく、その瞳は涙で潤んでいる。
「最初から随分とスパルタではないか、ウォルビル女史」
と……オロオロするエミリーに声を掛け、一人の男が隣に並ぶ。
短く刈り込まれた紫紺の髪に、鋭い眼光を宿す血のように紅い瞳を持つ屈強な男だ。
二メルト近くある身長に、鋼の鎧かと見紛うほどに一切無駄なく鍛え抜かれた筋肉を纏っている。
着ているのはこの学院の制服なのだが……本当に学生なのかと疑いたくなるほど、その総身から絶大な威圧感を放っている。
気の弱い者が前に立ったら腰を抜かしてしまうかもしれない。
更に、この男性の特徴を言うのならば……側頭部から額に向けて生えた二つの角だろう。
雄牛のように雄々しいこの角は、ドミニオスの男性特有の器官である。
闘争とその果てにある勝利を求める種族――ドミニオス。
世界に漂う霊力を現象に転換する霊術を使えない代わりに、自身の内にある霊力を活性化させ身体能力をブーストする魔術を得意とする種族である。
また、ドミニオスの男性は側頭部から角が生えるという独特の外見をしている。
種族的な性格を一言で言うならば、とにかく喧嘩っ早い。
血の気が多く、『手段』ではなく『目的』としての戦闘を好む。
そのためだろうか……プライドの高いシルフェリスとは年中衝突している。
そして、このドミニオスの男性の名前はグレン・ロードという。
本日の入学式で上級生代表として、新入生の前で挨拶をする予定になっていたのだが……まあ、今、こうして突発的に戦闘が発生してしまったため、手持無沙汰になっているのである。
グレンは腕を組み、視線をメンタルフィールドの方へと向ける。
「助けに行かなくていいのか?」
グレンの言葉にエミリーは深くため息をついた。
「ラルフ君の父親の意向で『とりあえず、基本放置で頼む』と……。もぅ、放任主義なのは知ってますし、スパルタなのも知ってますが、もうちょっとぐらい心配してあげても良いのに」
「獅子は我が子を千尋の谷へ突き落すとも言うしな。他人の家庭の教育方針は我の知るところではない。まあ、それは置いとくとして……一つ聞きたいことがある」
「はい、なんですかグレン君?」
エミリーが返答すると、グレンは怪訝そうな表情をして、ラルフに迫る竜巻を指差した。
「我は霊術については浅学なのだが……当事者たちは『あれ』を上級霊術のタイラントサイクロンだと騒いでいるが、本当に上級霊術なのか?」
「いえ、違いますね」
一切の躊躇いなくエミリーはスパッと切り捨てる。
「アレはタイラントサイクロンを真似しようとして失敗した霊術……と言う感じですね。本当のタイラントサイクロンは一つ一つがアレとは比べ物にならないレベルで加速・圧縮された竜巻を、七十九同時に出現させ、周囲にある一切合切を吸い込んで粉みじんにする霊術ですから。もともと、上級霊術と言うよりも、戦略級霊術に近いレベルの代物ですし。もしも、タイラントサイクロンに成功してたら、今頃ラルフ君は竜巻に吸い込まれてミンチになっています」
「だろうな、あまりにもお粗末すぎる。下級霊術に毛が生えた程度……と言う所か。見かけ倒しも良いところだ。ま、初めて神装を手にした新入生にありがちと言えばありがちだが」
不機嫌そうに鼻を鳴らすグレンに、たはは、と苦笑を浮かべた後、エミリーは瞳を揺らしながら、ラルフを見つめる。
「けど、神装を持ってないラルフ君からすれば話は別です。あれだけの竜巻でも、彼にとっては致命傷につながる。巻き込まれれば即敗北でしょう」
「ふむ……」
そう言ってグレンは黙りこくる。
その視線はダスティンではなく、ボロボロになりながらも立ち上がるラルフに向けられている。
より正確に言うなら……竜巻を前にしても衰えることのない闘争心を秘めたその瞳だ。
「なるほど。ティファートの血は薄れることなく受け継がれている、ということか」
「ええ、本当に。ただ、無茶無謀を平然と敢行する所は似て欲しくないですけどね……」
グレンの言葉に、エミリーは肩を落として心配そうに頭を振ったのであった。