ココロの力
一晩寝ればどれだけダメージを負っていても大体回復するなんて、自分の体は大概単純なんじゃないだろうか――などと、今更なことを思いながら、ラルフは早朝鍛錬を開始する。
寮から鍛錬場までのランニングは終了し、今から神装を用いて本格的に体を動かす段階だ。
――結局、昨日はグレン先輩に一撃も入れられなかったしな……気合入れ直さないとな!
昨日のグレンとの模擬戦……長時間戦い続けていたが、その大半は至近距離での乱打戦だった。
正直、ラルフは近距離での乱打戦はかなり自信を持っている。
実際に今まで父親であるゴルドにしか打ち負けたことがないのだが……昨日の模擬戦ではものの見事にグレンに打ち負かされてしまった。
グレンの拳打は一撃一撃が壮絶に重く、直撃を避けるために拳打に拳打をぶつけると、体ごと持っていかれるという滅茶苦茶な威力を有している。
なので、直撃する瞬間に紙一重で回避するか、もしくは、拳に側面から力を加えて逸らすしかないのだが……これも難しかった。
紙一重で回避すると流れるように次打が襲い掛かってくるし、力を逸らそうにも驚異的な拳速に巻き込まれて自分の体勢が崩れてしまう。
なので、結局、直撃を避ける程度に拳を捌き、カウンターを狙うという、肉を切らせて骨を断つ戦法を取るしかなかった。
その結果、最終的にラルフは満身創痍になるまでダメージを負う羽目になり、グレンには一撃も入れることはできなかった。
不敗の二文字にふさわしいデタラメじみた実力であった。
ショックと言えばショックなのだが……ドミニクの時と違って敵愾心が無いからか、何だかとてもさっぱりしている。
自分の上に広がっている世界の大きさを知ることができたことで、落ち込むどころか、むしろ心は高揚しているぐらいだ。
「それに、何となく俺の弱点も分かったしな」
『ほう、見えたものがあるのか、ラルフよ』
アルティアの言葉に、ラルフは頷いて応えてみせる。
「うん、思ったんだけど……俺、攻め一辺倒で、防御が物凄く脆いんだなーって思ったんだ」
グレンに攻撃を受けている時、ラルフができたのは大まかに分けて、体捌きによる回避と、拳によるガード、そしてカウンターだ。
最も有効であり、かつラルフが得意としているのはカウンターだ。
近距離での打ち合いならば、グレンのような規格外でもなければ、相手の攻撃を捌き、その勢いを利用して拳を叩き込むことができる。
だが……それは、あくまで相手が近距離にいる時限定だ。
相手がラルフの間合いにいない時は、一方的にボコボコにされるしかないのが現状。
前述したとおり、これが霊術になるとその傾向がさらに顕著になる。
一応、ラルフの持っているフィンガーグローブは霊術に対しても有効な力場を発生させてはくれるが、あくまでもそれは拳に限った話だ。
ダスティンが使った風の刃のような、攻撃範囲が限られたものならばともかく……雷撃や風塊など殴った場合、拳を始点にして分散し、体の方がダメージを貰ってしまう。
ともかく、今、ラルフに必要な物、それは――
「俺には、相手の懐に飛び込む、その『一瞬』を作るための方法が必要なんだ」
相手に霊術や長柄武器で牽制されると近づけない。
ならば、一瞬で良い……懐に飛び込むために、それらを無効化する手段が必要なのだ。
「なぁ、アルティア。<フレイムハート>の力で五秒間だけ無敵になれたりしない?」
『お前は神装をなんだと思っとるんだ』
「無理かぁ、その『心の力』で何とかなると思ったんだけどなぁ」
『心の力か……』
アルティアはしみじみと呟いた後、ラルフの頭から飛び降り、肩へと着地する。
『自分から言っておいて何だが……実は、私も心の力とやらを、ハッキリとは把握・理解できていないのだよ』
「え、そうなの?」
ラルフの問いに、アルティアは頷いてみせる。
『むしろ、知りたいぐらいだ。人は時として己の信念や意志によって、不可能すらも覆すことがある。我が身は人にあらざる者なれば、それを理解するには至らなくてな』
どこか思いつめたような表情でツラツラと語るアルティア。
そんなアルティアを見ながら、ラルフは首をひねった。
「なぁ、アルティアは<フレイムハート>の意志なんだろ? <フレイムハート>は心の力を使うことができるのに、その意志であるアルティアはよく分からないって、なんか不自然じゃない?」
『………………それはさておき』
「いやまぁ、答えたくないならそれはそれで良いけどさ」
ラルフはそう言って笑い、グッと背伸びをする。
アルティアがラルフに何かを隠している……もしくは、あえて話していないことがあるのは、ラルフも何となく察していた。
ただ……その事に触れると、アルティアは何か思いつめたような表情をすることが多い。
アルティアの謹厳実直な性格も含めて、ラルフを騙そうとしているとは到底思えない。
止むに止まれぬ事情というものがあるのだろう……なら、ラルフは、アルティアが真っ向から話してくれる日を待つだけだ。
「ま、頑張ろうぜ、アルティア」
『……そうだな。ありがとう、ラルフ』
二人でニッと笑顔を交し合っていると、不意に誰かが鍛錬場に入ってきた。
「おはようございます、アルベルト先輩!」
「やぁ、おはよう。ラルフ君、アルティアさん」
『うむ、おはようアルベルト殿』
この時間帯に鍛錬場を利用する者など限られている。
そう、リンク『花鳥風月』のメンバーにして、二年『輝』ランクのマナマリオス――アルベルト・フィス・グレインバーグ、その人である。
朝の清々しい空気に良く似合う、白い歯が眩しい笑みを浮かべたアルベルトは、ラルフとアルティアの所までやってくると口を開く。
「聞いたよ、セイクリッドリッターのドミニク先輩をやり合ったらしいね。大丈夫だったかい?」
「はい、御心配ありがとうございます。全然平気です!」
「そうか、シアも君のことを心配してたよ」
「う゛、ありがとうございます……」
どうも、あの女性だけは苦手なラルフだった。
ラルフが顔を引きつらせていると、肩に乗っていたアルティアがおもむろに口を開いた。
『ふむ、ラルフよ。アルベルト殿に相談に乗ってもらったらどうだ?』
「む、確かに……あの、アルベルト先輩。実は相談がありまして……」
「ん? なんだい?」
包容力のある笑みを浮かべ、アルベルトはやんわりとラルフの言葉の先を促してくる。
最近、グレンやドミニクなど、一癖も二癖もある上級生とばかり接していたせいか、アルベルトと話していると、スムーズに行き過ぎて罠かと疑ってしまいそうになる。
そんな馬鹿らしい想像を頭の中から追い払い、ラルフはアルベルトに<フレイムハート>の特性について相談をすることにした。
ラルフが拙い言葉で説明をしている間、アルベルトは真摯に頷きながらじっと話を聞いてくれた。
そして、話が終わった後、何かを考え込むように虚空へと視線を向けていたが、不意に何かを思いついたようにラルフの方へと顔を向ける。
「ラルフ君、好きな言葉をいくつか挙げてみよう」
「気合、根性、努力、熱血ッ!!」
『聞いているだけで暑苦しくなる単語の羅列だな』
「うーん、君は予想を裏切らないなぁ」
アルベルトは笑いながらそう答えると、ピッと人差し指を立てた。
「そして、たぶんそれが答えだ」
「え?」
「気合さ」
アルベルトはそう言って、唐突にその両手に神装<ヴァリアブルスラスト>を発現させる。
そして、目を閉じ、小さく吐息をついて一拍置いた――次の瞬間。
「ッ!!」
カッと目を見開くと同時に、その総身から凄まじい気迫が放たれる。
物理的な衝撃すらともなっていると錯覚するほどの裂帛の闘気――今まさに斬りかかって来るのではないかと思うほどの圧力に、ラルフは思わず軽く拳を握り、身構えた。
だが、それも一瞬こと……まるで、先ほどの闘気が嘘だったかのようにふっと空気が軽くなると、アルベルトはにこやかに笑った。
「分かるだろう? 相手に直接訴える心の力……気合、気迫、覇気、闘気、剣気。色々と言い方はあると思うけど、己の内にある戦う意志ほど、力に転用させやすい心の力はないと思うよ」
「な、なるほど……」
「あはは、なんてことないよ。君とアルティアさんも、遅かれ早かれこの答えに辿り着いていたはずだ」
アルベルトはそう言って<ヴァリアブルスラスト>を手の中から消すと、怪訝そうにラルフとアルティアを見詰めてくる。
「これは予想なんだけど……霊術に対する対抗策を用意してるってことは、シルフェリス主体のリンクと戦うつもりなのかい? 例えば――そう、セイクリッドリッターとか」
「はい、もちろんです」
間髪入れずに回答するラルフに、アルベルトは苦い顔をしてみせる。
「正直、お勧めはしない。君ももう十分その身で思い知っただろうが、あのリンクはマナーが非常に悪い。暴言は当然、戦闘外でも暴力を振るわれた生徒もいるぐらいだ。無論、戦闘中のラフプレーも当たり前だ」
アルベルトはそう言って、小さく嘆息する。
「君のような真っ直ぐな男には、それこそ正々堂々と戦う真摯な相手と対戦して欲しいんだけど……どうやら、何を言っても無駄のようだね」
アルベルトの言葉通り、ラルフの瞳は既に真っ直ぐに定まり、揺れ動くことはない。
「すみません、でも、どうしても勝ちたいんです」
「それは、ティア・フローレス君のため……ってのもあるのかな?」
速攻で核心をついてくるアルベルトを前にして、ラルフは思わず視線を逸らしてしまう。
ラルフは何となく照れくさくて、人差し指でポリポリと頬を掻く。
「まぁ、その……そういう理由もあります」
『そう言うことだ。アルベルト殿、察してやってくれ』
アルティアの言葉に、アルベルトは微笑ましいものを見る様に表情を緩め、頷いてみせる。
「そうか、なら僕からはもう何も言うことはない……さて、それじゃ、セイクリッドリッターに快勝するためにも訓練を始めようか。ラルフ君の性格からして、実戦形式が良いかな?」
アルベルトはそう言って、再び<ヴァリアブルスラスト>を発現させる。
ラルフはその姿を見て、目を丸くする。
「え、もしかして……俺の訓練に付き合ってくれるんですか!?」
「あぁ、君さえ迷惑じゃなかったらね」
「とんでもない!」
ラルフは目の前で大きく手を振ってみせる。
アルベルトも花鳥風月のリンク対抗団体戦があって忙しいだろう……にもかかわらず、ラルフの特訓に付き合ってくれるというのだ。
それがどれだけありがたいことか。
『アルベルト殿には頭が上がらないな』
「だな」
ラルフは急いでポケットからフィンガーグローブを取り出すと、それを装着して拳を打ち合わせ、力場を発生させる。
「よろしくお願いします!」
「うん。とりあえず、自分の中の気迫を、神装を通して形にできる様に頑張ってみようか」
「はい!」
ラルフは喜色満面で頷くと、アルベルトと訓練を開始したのであった。




