幕間 グレン / ティア
「今日は……あり……がとう……ござ……」
「いいからさっさと帰って寝ろ」
「そう……しま……す……」
夜が更けるまでぶっ通しで続いた模擬戦終了後……ラルフは自力で立てなくなるまで消耗しきっていた。
結局、グレンがラルフの首根っこを掴んで、宙づりにしたままこうして寮まで運んだという訳である。
ふらふらと頼りない足取りで寮に戻ってゆくラルフを見送ったグレンは、小さく嘆息しながらも笑みを浮かべていた。
ラルフ・ティファート――S級冒険者であるゴルド・ティファートの一人息子であり、同じ拳術を使う神装使い。
――さすがはゴルド・ティファートの一粒種……と言っていいのかは分からんが、やはり近接戦闘では光るものがあるな。
こと格闘戦に関しては天賦の才を持っているといっても過言ではないと、先ほどの模擬戦を通じてグレンは感じていた。
グレンの戦闘スタイルはガントレット型の神装<アビス>を用いた格闘戦……つまり、ラルフと間合いが被るのである。
魔術による身体強化によって必殺の域まで高められた拳が、グレンの卓越したセンスによって絶え間なく繰り出される――まぁ、大抵の者は接近を許したことすら気づかずに、一撃で頭を打ち砕かれるのだが。
それほどまでに恐れられるグレンの近接格闘に対し、ラルフは……真正面からの乱打戦を挑んできた。
今回は模擬戦ということでグレンは魔術を使用していなかったが、それでもラルフはグレンの拳打に追随し、五分とは言わないまでも、まともに打ちあってきたのだ。
常識外れな動体視力に、優れたボディーコントロール、相手の動作を三次元的に捉えて次の動きを予測する視界の広さ、そして、それを踏まえた上で組み上げられる淀みない拳打の嵐……もしも、ドミニオスであればと思わずにはいられないほど、近接格闘に必要な能力が高次元でまとまっていた。
近接戦での殴り合いに限って言えば、ラルフに勝てる者はこの学院にはほとんどいないだろう。
――だが同時に、こうして拳を交えてあの男の欠点も見えたな。
グレンはラルフの実力を正確に評価すると同時に、そこに潜む欠点もまた正確に見抜いていた。
だが……それを教えてやるつもりはない。
他人から指摘されて壁を乗り越えるのと、試行錯誤の末に自力で壁を乗り越えるのとでは、後の自力に大きな差が出るからだ。
――あれだけ必死に足掻いているのだ……そう遠くない先に気が付くことだろう。
グレンは笑みを浮かべると、虚空に向かって口を開く。
「将来が楽しみな男だ。なぁ、そう思わないか、ルディガー?」
「俺にとってどうでもいいことです」
グレンの呼びかけに、夜の暗闇の中から一人の男子生徒が姿を現した。
夜に溶けるような漆黒の髪と、瞳。そして、ビースティス族特有の耳と尻尾が見受けられる。
切れ長の瞳には鋭い眼光が宿り、唇は引き結ばれ、不機嫌そうに片方が吊り上っている。
全体的に顔立ちは整ってはいるのだが、如何せん威圧的な目つきと、神経質そうな表情をしているためか、やたらと攻撃的に見える。
彼の名前はルディガー・バルクニル。
グレンがリンクリーダーを務めるファンタズム・シーカーズに所属する、『輝』ランクの二年生である。
ラルフの去った後を憎々しげに見ているルディガーに対し、グレンは皮肉げに唇の端を歪める。
「そう言う割に随分とラルフに御執心ではないか。なんだ、婚約者の寵愛を独り占めにされて、面白くないか?」
「……いくら貴方でも、それ以上は許さない」
グレンの一言で、元々不機嫌そうだった眼光が、殺意の域に達する。
気の弱い者ならそれだけで腰を抜かしそうな眼光を、まるでそよ風のように飄々とした様子で受けるグレンは、からかうように笑う
「そうか、どう許さないのか教えてもらおうか。実力行使なら喜んで受けようではないか」
「……ちっ」
ルディガーは既に幾度となくグレンに挑み、敗北している。
今更挑んだところでグレンを喜ばせるだけだと知っているのだろう。
だからと言ってルディガーが弱いということではない。
制服に身を包んだその肢体は細身に見えてその実、かなり鍛えこまれている。
実際、何気なく立っているだけのように見えるのだが……見る者が見れば、そこに全く隙がないのが分かるだろう。
ファンタズム・シーカーズに所属しているという時点で、この青年が強者であることは揺るがない事実なのである。
「遠くない先、お前と戦うこともあるかもしれんな、追い抜かれるなよ?」
「ドミニク程度の小物に手こずるような奴です……その時は完膚なきまでに叩き潰して、格の違いを教えてやりますよ」
「威勢のいいことだ」
グレンにそう言い置き去り、ルディガーは足取りも荒く寮の方へと戻ってゆく。
その後ろ姿を見ながら、思わずといった感じでグレンは苦笑する。
何といえば良いのか――ルディガーの後ろ姿が、癇癪を起した子供のようだと思ったのである。
「有能な男なのだが、頭に血が上ると視野が狭まるのが欠点だな」
グレンはそう言って踵を返す。
久しく心躍る戦いが出来たからだろうか……その足取りはどこか軽かった。
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場所は変わってシルフェリスの女子寮。
その一室でティア・フローレスはベッドの上で、妙に胴体の長い猫の抱き枕を抱きしめながら、何度目か分からない大きなため息をついていた。
「私、全然ダメダメだったなぁ……」
可愛らしい桃色のパジャマに身を包んだ彼女は、抱き枕を抱え込んだまま、右に左にと寝返りを打つ。
思い出すのは今日の昼――ドミニク&ダスティンとの決闘だ。
あれだけラルフを焚きつけたくせに、いざ実戦となったら、自分は霊術を利用されて一方的にラルフが攻撃に晒されてしまった。
本来ならば三年生を相手取っているラルフをバックアップすべきなのに、結果だけ見れば、援護どころか足を引っ張ることしかできなかった。
目を閉じれば、今でも鮮明に昼間に聞いたラルフの断末魔が蘇る。
「はぁ……」
おまけに、決闘の最後は中級霊術の直撃を受けそうになった所をラルフに庇われ、更には髪を切られそうになった所でも護ってもらった。
「ラルフ、痛かっただろうなぁ……」
あの負けず嫌いが絶叫し、気を失うほどだ……よほどの威力だったのだろう。
それを思うとますます胸が締め付けられる。
「私、いらない子だなぁ……」
もしも、ティアがいなければ、ラルフはもっと善戦していたのではないか……そんな考えが脳裏にちらついて離れない。
普段は決して他人に見せない弱気なティアが、顔を覗かせ、自分を苛む。
ティアはもう一度ため息をついて、机の方へと視線を向ける。
そこには先ほどまで眺めていた基礎実力試験の結果が無造作に置いてあった。
筆記試験は自信があっただけあって、ほぼ満点に近い点数が書かれていた……そのために毎日予習復習を重ねてきたのだ、当然の結果だった。
問題は実技試験の方だ。
ティアの実技試験の結果は……筆記試験とほぼ同等。
つまり、満点近い点数が記されていたのである。
だが、ティアはまるでその点数が自分を糾弾しているようにすら感じた。
何故なら、ティアはほとんど何もしていないから。
道中、襲い掛かってきた数多の終世獣は全てラルフ一人で倒してしまったし、ゴール地点で待っていたクレイゴーレムも、チェリルの力で撃退した。
ミリアだって、負傷したラルフを回復するという役割をきちんと果たしていた。
ただ一人……ティアだけが自分の役割を果たすことすらできていなかった。
ここにラルフがいれば、そんな事はないと笑顔で言ってくれるだろうが、自分の行動を思い返してみれば、終世獣を前にしてアタフタしていた記憶しかない。
実際は、ティアもそれ相応の活躍をしていたのだが……ドミニク&ダスティンとの決闘の体たらくが、彼女の思考をネガティブにしていた。
そして、更に彼女の思考に追い討ちをかけていたのが――クレア・ソルヴィムに助けられたという事実だ。
ソルヴィム家……ティアの父親を罠に嵌め、投獄した一族。
クレアがあの事件に関与しているかどうかは分からないが、それでも、ティアはクレアに対して感謝の念を抱くことはできなかった。
「お父さん……」
ティアはそう呟いて胸元のペンダントにソッと触れる。
銀細工が美しいこのペンダントは、ティアが幼い頃に父からプレゼントされ、肌身離さず身に着けておくようにと言われた品である。
今となっては父とティアを繋ぐ唯一の品でもある。
ティアはペンダントに触れながら、父のことを想う。
「こんなことじゃダメだよね、私」
ティアがこのフェイムダルト神装学院に来て、冒険者になろうと思った理由――それは、冒険者となって活躍することで名声を得て、取り潰しになったフローレス家を再興するためだ。
そうすることで、父の恩赦も期待できるかもしれない。
だが……今の体たらくではそれも遠い。
「…………ラルフ」
ベッドの上で頭の中を空っぽにして横たわっていると、不意にその名前が浮かび上がった。
ただ、無性にあの赤毛の青年に会いたかった。
そして、ティアが落ち込んだり、取り乱したりした時にいつもしてくれたように、肩に手を置いて、真正面から見つめて……そして、言葉を掛けて欲しい。
大丈夫だと。
落ち込まなくていいと。
俺が……護ってやる、と。
「…………ぁ。~~~~っ!!」
ぽーっと虚空を見詰めながらそんな想像をしている自分に気が付いた瞬間、ティアは火がついたように顔を赤くして、抱き枕を抱きしめながら、言葉もなくゴロゴロと左右に転がった。
胸の奥がどこかもどかしく、同時に甘く疼く。
「何考えてんの私……」
げんなりとしながら、ティアは上体を起こす。
勝手に思い浮かんでくる真摯なラルフの瞳を、頭を振って追い出すと、再度ため息。
「手紙、書こ」
ティアは無造作に成績表を脇に退けると、机の上にあった便箋を広げると、羽ペンを手に取った。
届くか分からない父への手紙……半ば習慣と化したこの行為は、ティアの心の中を整理する役割も果たしていた。
「お父さん、体調はどうでしょうか……と」
今は会えぬ父への想いを込め、ティアはペンを走らせる。
少女の悩みなど露知らず、夜は静かに更けていくのであった……。




