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灼熱無双のフレイムハート~創世の獣と聖樹の物語~  作者: 秋津呉羽
一章 入学式~純白と漆黒の翼~
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引けない、譲れない、負けられない

 再び長い長い廊下を歩き続ける。

 どうやら、ラルフ達の教室だけが本当に特殊らしく、他の学生たちのクラスは40~50名程度の人数で一つの大きな教室を使っているようだ。

 きちんと掃除が為された赤のカーペットの上を歩く間、ティアとラルフの間にあったのは会話ではなく気まずさだった。

 ラルフは何度か機会をうかがって話しかけようとはするのだが……如何せんタイミングと言うのは一度逃してしまうと、二度目を掴むのが難しくなってしまう。

 そんなこんなで、こうして気まずく重い空気をずるずると引きずったまま、無言の行進が続いているのである。

 針の筵と言うのはこういう事を言うのかもしれないと、何となくラルフは思った。


『おい、見ろよ。黒翼だぞ』

『ああ、あれがフローレス家の……』


「…………」


 エミリーの後ろについて歩く間、幾度もシルフェリスとすれ違ったが……ほぼ全てのシルフェリスがティアの黒翼を見ては眉をひそめている。

 そこにあるのは明確な嫌悪。そして、悪意だ。

 なかにはティアに聞こえるような声で黒翼のことを揶揄する者もいた。

 まぁ……大半はエミリーがひと睨みすれば黙ったのだが。

 そして、ティアはそうやって黒い感情を叩きつけられる度に目を伏せ、何も気づかなかったかのように少し足を速める。

 彼女の表情は確認できないが……少なくとも笑顔ではあるまい。 

 そのことが、ラルフにはたまらなく歯がゆい。


「さ、着いたわ」


 校舎を出て、更に少し歩くと円柱状の建物が見え始めた。

 恐らく、この学院に在学している生徒がすべて収容可能であろう巨大な建築物である。

 外面は石造りで、その様相を一言で言い表すなら質実剛健とでもいえばいいだろうか。

 巨大な建築物特有の、見る者を押しつぶさんとする圧迫感に、ラルフは思わずポカンと足を止めてしまった。


「口、開いてる」

「んぐっ!?」


 すれ違いざまにボソッとティアに指摘され、ラルフは赤面しながら口を閉め、慌ててティア達の後を追った。


「ここは闘技場。年一回ある闘技大会で使われたり、大規模な決闘なんかがあった時に使われているわ。ここが一番大人数を収容できるから、入学式もここで行われるの」


 闘技場に入りながらエミリーがラルフとティアに説明する。

 闘技場内部はすり鉢状の構造となっており、中央には芝が敷き詰められた決闘場が敷設され、そこを取り巻くように階段状に座席が設置されている。周囲を見回すだけでも座席はほぼ埋まっている……どうやら、二年、三年の在学生が今年の入学式を見に来ているようだ。


「うお、すごい人数だ」

「ふふ、人酔いしないでね。さ、私は教職員の控えに行ってくるわね。これからありがたい人達のありがたいお話がありがたいぐらい長く続くから、ここで頑張って聞いてね」

「教員の立場なのに、そんな根も葉もない言い方していいんですか?」

「貴方達の前だから言ってるのよ」


 ティアの言葉にエミリーは軽くウィンクを返して去ってゆく。

 その後ろ姿を見送りながらラルフは軽く冷や汗を流していた。


 ――さて……どうやって間を持たせようかな。


 周囲にはラルフとティア以外にも入学式に参加する新入生でごった返しているのだが……ラルフは珍しいヒューマニスということで遠目に見られているし、ティアはティアで可能な限り目立たないように翼を小さくたたみ、うつむき続けている。

『やぁ、こんにちは! ボクの名前はラルフ・ティファート。今日からボクの友達にならないかい!』と、無駄に歯を輝かせる素敵スマイルを浮かべて、人垣に突貫できればいいのだが、さすがのラルフもそこまでの度胸はない。

 まぁ……正直、ラルフは幼少時代に別種族の子と二年間、一緒に遊んだ経験があるので『種族』という垣根に対してそこまで抵抗を感じていない。

 なので、やろうと思えば傍にいる人間に話しかけて友人を作ると言う選択肢もあったのだが……。


「…………」


 ラルフの背後で黙って立ち尽くしているティアを置いていくことに抵抗があった。

 きっと、ラルフがこの場を動けば、彼女はこの場で一人になるだろう。

 そして、人ごみの間から絶え間なく放たれる悪意の格好の的になる……それは火を見るよりも明らかだった。


 ――よし、このタイミングだ……謝ろう。


 深呼吸一つ。

 ラルフはティアと向かい合うために振り返り……視線を鋭くした。


「おや……あの時の山猿と黒翼じゃないか」


 ビクリとティアが小さく震えた。

 ティアを挟んだ向こう側にいたのは、下見の時に出会ったダスティン・バルハウスの一団だった。

 あの時はダスティンを含めて五人だったが……その人数が倍近くに増えている。

 ラルフは舌打ちしたい気持ちを抑え込み、ティアを護るように前に出た。

 眼光鋭くダスティン達を睨み据えるラルフを見て、ダスティンは口の端を歪める。


「あははは! ヒューマニス如きがナイト気取りか。見世物にしては滑稽だな。黒翼もお山の大将になった気分はどうだ? その猿に体でも売ったか?」


 ダスティンの言葉にその取り巻き達が失笑を浮かべる。

 絡みついてくるような侮蔑の視線を振り切るように、ラルフはダスティン達に向けて一歩踏み出そうとしたその時……弱々しく服の裾を引っ張られた。

 驚いて振り向いてみれば、そこにはうつむいたままのティアが立っていた。


「ティアさん?」

「もう……いいよ」

「ぇ……」


 耳を澄まさなければ聞こえないような声は……ラルフをいさめるための言葉だった。

 想像もしていなかった言葉を受け、ラルフは完全に絶句してしまった。

 そんなラルフに縋り付くように、ティアはラルフの服の裾をギュッと強く握った。


「何を言ったって……どんなに反論したって……無駄よ。必死で否定すればするほど、相手はつけあがるだけ……」

「でも……!」


 ティアは顔を上げる。


「悪口に精いっぱい抗ったよ。一生懸命違うって訴えたよ。そんなことないって叫んだよ。もう石を投げないでって悲鳴を上げたよ。でも……誰も聞いてくれなかった」

 拭いきれない疲労で汚れた瞳は――まるで殉教者のそれのように透徹で。

「耳を塞ぎたくなるような罵詈雑言が飛んできてね。私の声……全部かき消されて全然届かないんだ。アイツは大罪人の子供だからって……アイツには石を投げて良いんだって……皆、そう言って私や母さんに石を投げてくるの」


 その瞳からぽろぽろと涙がこぼれてゆく。

 流れた涙が彼女の頬を伝い、次々に地面に落ちてゆく。

 まるで、彼女の周囲だけ雨が降っているかのように。


「ふん! 罪人の娘が何を言っている!!」


 そして、涙を踏みにじるようにダスティンが一歩、ラルフ達の方へと踏み込んでくる。


「教えてやろう、山猿! その娘の父親はな、我が国の執政官であるザイナリア・ソルヴィム様の食事に毒を混ぜ、殺そうとしたのだ! ザイナリア様が持つ利権を奪うためにな!」

「違う! お父さんはそんなことしてない!! 衛兵に捕まってからもお父さんは無罪を主張し続けてる! やっていないって!」


 悲鳴のようなティアの叫びは、けれど、ダスティンの言葉にさらに勢いをつける結果となる。


「事実、ザイナリア様の食事の毒味を行ったメイドが泡を吹いて死んでいるではないか!」

「確かにその日、お父さんはザイナリア卿と二人きりで会食をしてた。でも……どうしてそのことが、お父さんが食事に毒を入れたって証拠になるのよ! そんなもの……証拠にも何にもならないじゃない!」

「はっ! その食事を振る舞ったのは貴様の父親だと言うではないか! それが何よりの証拠だ!」

「別の誰かが毒を入れた可能性だって――」

「あぁぁぁぁ、ごちゃごちゃと煩い! 大罪人の娘がッ!! 父親が大ホラ吹きならば、その血を引いた娘も大ホラ吹きだな! 口を慎め!」


 ダスティンのその言葉を合図にして、周囲のシルフェリスから次々にティアを責める言葉が降り注ぐ。

 無責任で無遠慮な罵詈雑言が飛び交う中で、ティアは震える吐息をつくと……見ている方が目を覆いたくなるような、痛々しい微笑みを浮かべた。


「ほら、ダメだった」

「なんなんだよ、これ……な、危ない!」


 視線の端に飛来する何かを捉えたラルフは、それを弾き落とそうと身をひねったが……それよりも早く、飛来したそれは鈍い音を立てて、ティアの頭に直撃した。

 ごろりと地面に落ちたそれは、握り拳大の石……もしも、当たり所が悪ければ、それだけでも命の危機に陥るような大きさだ。

 小さな体がぐらりと揺らぐ。

 けれど、完全に倒れ込む瞬間に、ラルフは何とかティアの体を抱き留めることに成功した。

 腕の中……ティアの美しい金髪の間から一筋の真紅が伝う。

 ティアはゆっくりと自分の足で立ち上がると、両手で優しくラルフの胸を押した。


「ほら、離れて。私を庇っちゃだめだよ。貴方まで石を投げられるから」

「でも、血が!」

「いいから」


 それでも動かないラルフの胸を、ティアは強く押す……まるで、自分から遠ざけるように。


「あ、それとね……入寮の下見に来た時、カッとなって手を振り上げたこと、ずっと後悔してたんだ。本当にごめんね」

 この時になって、ラルフはようやく気が付いた。

 ティアの手が小さく震えていることに。そして、ラルフの胸を押しながらも――その手はギュッと服を握りしめていることに。


「あの時、初対面の貴方が私のことかばってくれたこと、本当は涙が出るほど嬉しかったんだ。あぁ、私の味方になってくれる人もいるんだーって。だからね」


 その手はきっと――


「私のこと護ってくれて、ありがとう。ラルフ」


 『私のことを置いていかないで』って、そう言っているのだ。

 

 ひゅんと、風切音をともなって再び飛来する石を、ラルフは空中でキャッチすると、空間を抉り抜くような勢いで振り返る。

 雑踏の中――何かを投げた後のように、右手を伸ばし切った男を見つけると、ラルフはその手にあった石を渾身の力を持って投擲した。

 鼓膜をひっかくような鋭い音を立てて放たれた石は、石を投げた男の足元に『着弾』。

 ラルフの投げた石は、整えられた芝生に中ほどまで埋まっている……もしも、直撃すれば怪我では済まないだろう。


「そこ、石を投げるのとか止めろよ。当たれば怪我するってわかるだろ。もしそれでも投げたいんなら、次は当てるから覚悟しろよ」


 さすがにこれには度肝を抜かれたのだろう……石を投げた男は顔面蒼白になっている。

 そしてラルフは次に、驚いて固まっていたティアの手にソッと触れ、ゆっくりと下ろさせた。

 泣き濡れた彼女の目を覗き込みながら、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「俺の方こそゴメン。エミリー先生に色々聞いた。幼馴染からデリカシーがないとかいろいろ言われているんだけどさ……それでも、あれは確実にデリカシーとかで済まされることじゃないから。だから、本当にゴメン。許してほしい」

「え、あ、う、うん……」


 勢いに押されてなのか……コクンと頷いたティアを見て、ラルフはほっと胸をなでおろした。


「あー良かった! 今一番大きな問題が解決した!」


 そう言って、ラルフはダスティンの方へと体を向けると、不敵な笑みを浮かべた。


「それじゃ、そこのハトにお灸を据えようじゃないか」

「なっ!? 貴様、一度ならず二度までも……ッ!!」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、ラルフ!」


 ダスティンに真っ向から啖呵を切ったラルフの服の裾を、ティアが激しく引っ張る。


「ラルフまで巻き込まれて――」

「いや、ティアさんがどうこうってのもそうだけど、この状況が気に入らないからぶち壊したいってのが本音なんだ。本当に……こういう状況、大嫌いなんだよ」


 ラルフは拳を握りしめ、周囲を威嚇するように睨み据えた後、ポンっとティアの肩を叩いた。


「だから、ティアさんが気にする必要なし。そうでしょ?」

「……屁理屈」

「言葉遊びはむしろ苦手な方なんだけどなぁ」


 どこか拗ねたようなティアの言葉に、ラルフは苦笑を返す。


 ――さて……何人相手にすればいいのかな。


 こうして話している間にも、ラルフを囲むように男達が移動している。

 とりあえず、ティアを巻き込まないように、どこかを一点突破し、それから各個撃破と言う流れになるだろう。

 少なくとも、これだけの人数を同時に相手すれば敗北は必至だ。

 一歩目から最大加速を出すために膝に力をため、一気にそれを開放――


「毎年恒例の異種族間騒動か。例年はシルフェリスとドミニオスなのだが……今年は珍しくシルフェリスとヒューマニスなんじゃの」


 忽然と……何の前触れもなくダスティンとラルフの間に豊かなあごひげを蓄えた老人が現れた。

 いや、現れたと言うよりも、出現した、と言ったほうが的確か。


 意識の外からヒョイッと入り込んできたかのような、唐突な出現にラルフ達当事者を含め、周囲の者達もぎょっと目を剥いた。

 ラルフ達が身に着けている制服と同じ、蒼と白を基調とした、ゆったりとしたローブを身に纏った小柄な老人である。

 大分白が混ざっているが髪の色は青。そして、瞳の色は薄紫である。

 小柄なラルフよりもさらに小さいのだが……なぜか、無視できない異様な存在感を放っている。これが年の功と言うやつなのだろうか。


 霊術と魔術を繰る叡智の種族――マナマリオス。

 本来、どちらか片方しか使えない霊術と魔術を同時に行使できる唯一の存在である。

 目の前の老人と同じく青みがかった髪と瞳が種族に共通した特徴である。

 また、霊的な素養に恵まれた反動なのか小柄な者が多く、全種族の中で最も運動能力が低い。

 霊術と魔術を両方行使できるためか、これらに関する学問が非常に発達している。

 叡智の種族と言われるのは、それが所以である。

 閑話休題。


 老人はラルフとダスティンを一瞥すると、ゆるゆると顎鬚を撫でる。


「滾る血気に任せて突き進むのは若者の特権ではあるが……まあ、待ちなさい。あぁ、私の名前はイスファ・ベルリ・グラハンエルクという。何の因果か学院長なんぞやっておるよ」

「え、あの人、学院長なんだ!?」

「入学のシオリきちんと読んでないでしょ……」

「文字の羅列を見ると眠くなるんだよ」


 ティアが向けてくる呆れたような視線から、半笑いでラルフは視線をそらす。

 と、ようやく騒動を聞きつけてきたのだろう……教師達が駆けつけてくる。

 だが……その誰もがラルフとダスティンを止める様子はない。

 ただ、周囲に集まっている野次馬を散らすだけだ。

 その様子に違和感を覚えるラルフに、イスファが朗らかに笑う。


「ほっほっほ、止めに入ると思ったかな? 確かに教師として止めるべきなんじゃが……正直、入学式に種族間で喧嘩が起こるのは恒例行事みたいなもんでの。ここで教師が止めても、ワシ等が見てないところでまた殴り合いの事態になるのは目に見えとる」


 確かにそうだろう。

 この場を解散させたところでダスティンがティアに対して攻撃の手を緩めるとは思えない。

 所詮はその場しのぎでしかない。

 そこでじゃ、とイスファは言葉を繋ぎ、ローブの中から革張りの手帳を取り出す。


「ちと話は変わるが……この学院には決闘システムと言うのがある。あぁ、野次馬の諸君も聞いておくように、君たちも今後使用することになるシステムじゃ。そして、今ワシの手の中にあるのが皆もすでに持っている生徒手帳じゃ」


 そう、その革張りの手帳はすでに新入生全員に配布された生徒手帳だ。

 何でも、マナマリオスの最新技術がふんだんに使われた高性能な代物……らしい。

 ラルフはよく分かってないが。


「この生徒手帳には多くの機能が搭載されていての。その一つが、二つの生徒手帳を向かい合わせることにより、この島が帯びる特殊な霊力層に干渉し、『メンタルフィールド』という力場を発生させる……というものじゃ」


 そう言ってイスファは更にもう一つの生徒手帳を取り出すと、二つの生徒手帳を向い合せた。

 そして、次の瞬間イスファを中心にして淡緑色の空間が展開した。

 それはドーム状に拡張し、人ひとり分を包める大きさになって自動で停止した。どうやらこのメンタルフィールド、大きさは自在に変えられるようだ。


「小難しい理論をすっぱ抜いて、このメンタルフィールドを簡単に説明するとじゃな……メンタルフィールドで包み込まれた物を全て『仮想』とする力を持っている、じゃ。仮想であるが故に、このフィールド内でどれだけ瀕死の重傷を負おうとも、どれだけ器物が破損しても、フィールドを解除すれば元通りになる。あくまでも仮想じゃからな。ちなみにこのフィールドの基礎理論を提唱したのはワシな」


 会場から微かな笑いが聞こえるのを耳にした後、イスファは説明を続ける。


「だが、霊力の宿る魂まではごまかせん。フィールド内で負った傷は元通りになっても、そこで発生した怪我の痛みはメンタルフィールドを解除してもそのままじゃ。フィールド内で腕が吹き飛び、それ以後肉体の腕が動かなくなった者もいる。実戦の恐怖に押しつぶされこの学院を去った者もいる。まあ、致死量の怪我を負った場合はショック死する可能性があるので、メンタルフィールドから強制切断するように設定してあるから安心してほしい」


 そう言ってイスファはダスティンとラルフを見渡す。


「メンタルフィールドは仮想を展開する力場。じゃが、そこで繰り広げられる戦いと勝敗はまぎれもなく本物じゃ。神装は魂より発現する力……神装の力は時として使い手の心に呼応して限界を超えることがあるからのー。さて……決闘システムには報奨制度やら何やらまだ色々あるのじゃが……それは、今日配布される資料を読んでもらおう。まあ、説明としてはこんなもんじゃ。では、ラルフ君、ダスティン君、それでも……うむ、答えを聞く必要はなさそうじゃの」


 ラルフは勢いよく懐から生徒手帳を抜き取ると、それをダスティンに向けて突きつける。

 そして、それはダスティンも同様だ。

 互いの生徒手帳が向き合った瞬間、ラルフとダスティンを中心にして淡緑色のフィールドが展開する。

 恐らく、先ほど教員が野次馬を散らしていたのは、こうなると分かっていたからなのだろう。

 ラルフのすぐ隣で不安そうに成り行きを見守るティアが、くいくいとラルフの服の裾を引っ張ってくる。


「ラルフ」

「大丈夫。そこそこ喧嘩慣れはしてるから」

「でも……」


 それでも食い下がってくるティア。

 ラルフは、涙で潤んだ彼女の瞳をまっすぐに見つめる。


「昔、俺の幼馴染もいじめられていたんだ。髪が白いお化けだって。あの時の俺は今以上に弱くってさ……涙が出るぐらいたくさん後悔したし、悔しい思いもしたんだ」


 そう言って、ティアの前で強く拳を握って見せる。


「でも、少しは強くなれた。もう目の前で誰かが泣くところを、指をくわえて見ているだけなんて御免だ。ティアさんは納得しないかもしれないけど、俺は止まるつもりはないぞ」


 ラルフの言葉が本気だと分かっても……それでも躊躇いは捨てきれないのだろう。

 ティアは何かを言おうとして小さく口を開くも、結局何も言えずに黙り込む。

 そして、絞り出すような声でポツリと一言。


「……無理だけはしないで」

「おう、任せろ!」


 何度もこちらの様子を見ながら、ティアがメンタルフィールドから出ていくのを見送ったラルフは、小さく深呼吸をすると正面に向き直った。

 そこには、取り巻きと思われる生徒達から剣を受け取っているダスティンの姿がある。


「相手の得物は剣か……」


 とんとんと、その場で軽く跳躍。

 両肩と足首を軽く回し、上体を左右にひねる。

 コンディションは良好。

 むしろ、今の今までため込んだ鬱憤を晴らすのを待ちわびるかのように、体の中央から熱がこみ上げてくる。


「よし」


 そう呟いてラルフがポケットから取り出したのは、使い古されたフィンガーグローブだった。 

 年季ものだが、手入れはしっかりとされているのだろう……大切に使われてきた道具特有の、凄味のようなものがある。

 ラルフは慣れた動作で両手にグローブを装着すると、軽く拳を打ち合わせる。

 その瞬間、軽くグローブが発光したのだが……それに気が付いたのは、この会場にいるごく一部の者だけだった。

 無論、ダスティンがそれに気が付いているはずもなく――


「ぷ……あははははは! 素手、素手だと!? 野蛮なヒューマニスにはお似合いだな! まさか剣に素手で挑んで来ようとはな! あぁ、学院長。霊術の使用は可能でしょうか?」

「おぉ、問題ないぞ」


 学院長の解答を聞いてダスティンは、嘲るような笑顔をラルフに向ける。


「だ、そうだ。山猿。一方的になぶり殺しにされないように必死に逃げろよ?」

「ごちゃごちゃ言ってないで構えろよ。ハト」


 右手を引き、左手を前に。

 体を半身にし、膝を軽く落として重心を下げる。

 このグローブを身に着けた瞬間から、意識はすでに闘争の中にある。


 ――勝つ。


 無駄な意識は削ぎ落とせ。これから始まるのが決闘ならば必要な情報は相手と自分のみ。


 相手の呼気のタイミングを読み取れ。どの角度から打ち込めばいいのかを探れ。


 目線の動きから相手の動線を予測しろ。その表情から相手の内心まで踏み込め。


 四肢の運びで実力を推測し、初撃を叩き込むまでの流れを自身の中で固めろ。


 負けるイメージは必要ない。


 己の中にある全ての技術と経験を総動員し、勝利への道筋を全速力で駆け抜ける自分自身を創造しろ。


「ふむ、お互いに準備はできたようじゃな。それでは――始め!!」

「さぁ、掛かってこ……ッ!?」


 最後まで言わせる必要はない。

 溜めに溜め込んだ力を一歩目で全て爆発させる。

 初歩から最大速度で駆け出し、彼我の距離を瞬く間に踏破する。

 余裕と共に言葉を放っていたダスティンの顔が引きつるのを視覚に収めながら、ラルフはさらに一歩を踏み込む。


「こ、このっ!」


 相手の持つ得物は細剣。

 刺突に特化していることは見ればわかる。

 今先ほど踏み込んだ一歩はその細剣の間合いだ。

 ラルフの初速によほど驚いていたのだろう……急いたダスティンが狙う先はラルフの肩口。

 予備動作をほとんど必要とせず、最短距離で相手に襲い掛かる刺突の速度と威力は侮れない。

 しかし……必然的にその動きは直線的なものとならざるを得ない。

 故に、その軌道を読むのは至極容易い。

 相手の間合の中にさらに一歩踏み込みながら、軽く体を沈める。

 鋭い切先がラルフの肩をかすり、衣服を裂いてゆく。だが……皮膚一枚も傷つけることは叶わない。

 そこからもう一歩。



 そこは――ラルフの間合だ。



 左足で地面を踏み抜く。

 ラルフ・ティファートを構成する全てを右手に集中させるイメージを持って、体を軽く捻り、腕を引き絞る。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 獣の如き咆哮が迸らせながら、完全に無防備になった相手の胴体目がけて――抉り込むように全力の拳を叩き込んだ。

 腹の底に響くような重低音と共に叩き込まれた拳が、そこに込められた力を余すところなく炸裂させた。

 相当な衝撃だったのだろう……ダスティンの足が地面から離れて宙を浮き、そのまま地面に倒れ込んだ。

 しん……と会場が静寂に包まれる。

 霊力を用いた遠距離からの狙撃も可能だったし、武器の射程も圧倒的にダスティンが有利だった。

 観客の大半はダスティンの一方的な勝利になると予想していたことだろう。

 だからこそ……瞬く間についたこの決着に唖然とせざるを得なかった。


「……っ!? …………っ。……!」

「無理に立ち上がらない方が良いぞ。たぶん、一時は相当苦しいと思うから」


 一切の容赦なく肝臓を下から抉り抜いたのだ。

 呼吸すらままならない地獄の苦しみに襲われていることだろう。

 ちなみにだが、人体において肝臓はほとんど筋肉に守られていない。

 そのため、人体急所の一つとされ、ここに痛打を貰うと直接臓器にダメージが入り、呼吸すら困難な痛みに苛まれる。

 ラルフは大きく深呼吸をして意識を切り替える。


「学院長。これは俺の勝ちで良いですよね?」


 これだけ鮮やかにレバーブローが決まったのだ……もはや勝利は疑いようがない。

 だが――その時、ラルフの耳に風を切る音が過った。


「!? ぐぅ……ッ!?」


 直撃を回避できたのは、今までの戦闘経験から来る危険予知と、ラルフに備わった天性の直感によるところが大きい。


 ――なんだ……今のは。


 肩を『鋭い何か』が通り過ぎて行った。

 目線だけで確認してみれば、案の定、肩が裂けて出血している。

 刃物で切られたとき特有の背筋が凍るような不快感を味わいながら、背後を振り返れば……そこに、剣を杖にして立ち上がるダスティンの姿があった。


「まさか、立ち上がるなん……ん? あれは……」


 先ほどまで持っていたダスティンの細剣――レイピアだが、それはラルフの打撃を貰ってメンタルフィールドの端まで飛んで行っている。

 だが、いつの間にかダスティンの手には異なる剣が握られていたのである。

 レイピアであることには変わりない。

 だが……ピリピリとした威圧感のようなものを肌で感じる。精緻でありながらも優美な装飾が施されたそのレイピアが、まるでラルフに対して敵意を持っているかのようだ。

 何より変わったのはダスティンだろう。

 ふら付いている足元を見る限りでは、先ほどのダメージが抜けきっていないのは確かなのだ。

 しかし……ダスティンを取り巻いている不可視の『何か』を前にして、ラルフの本能が警鐘を鳴らしている。

 ほんの少し前までラルフと相対していたダスティンとは雲泥の差だ。


 ――そういえば、親父が言ってたな。これが霊力なのか?


 この世界を取り巻く『霊力』。

 これを物理現象に転化することを霊術と定義するのだが――ヒューマニス全般に言えることではあるが――ラルフは生まれつきこの霊力に対する適性が皆無なのである。

 にもかかわらず、霊力に対する感度は非常に高い。


 『霊力がなんなのか理解していないが、それでも霊力の流れを肌で感じて理解できる』ということらしい。


 ちなみにラルフ本人はその意味を全くもって理解していない。

 今まで感じたことのない脅威に警戒していると、不意にラルフの傍でイスファが頷いた。


「ほぉ、自力で神装を発現したか。見事」

「え……なら、アレが神装……?」


 呟き、ダスティンの持っているレイピアを凝視する。

 魂が発現する力の形、それが『神装』だ。

 ラルフはエミリーの言葉を必死で思い出す。

 たしか、神装を顕現することにより得られる力は身体能力向上と、霊力適性向上だったはずだ。

 ダスティンがすぐに起きてこれたのも、身体能力向上の恩恵を受けたのだとすれば説明がつく。

 そして……やはりダスティンの周囲にある透明で不定型な流れは霊力なのだろう。

 ぎろりと、ダスティンが敵意の籠った目でラルフを睨みつける。

 そして、大きくレイピアを持った手を引き絞り――


「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 獣のように咆哮した……。

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