異形のモノ
ラルフは洞窟の中を一直線に駆け抜けながら、歯噛みする。
恐らく、この先でチェリルが終世獣か他のパーティーと遭遇したと考えるのが妥当だろう。
他パーティーならまだいい。
だが、終世獣の集団と遭遇していた場合、かなり危険な状況に陥っている可能性が高い。
少しずつ狭くなってゆく通路を駆け抜けた先――不意に視界が大きく開けた。
ここがこのダンジョンの最終地点なのだろう。
その広間はドーム状に広がっており、天井の一部が崩れ落ちて、陽光が差しこんでいる。
風と光が差しこんでくるため、今まで抜けてきた通路のようにジメジメとはしておらず、カラッとしている。
「なん……だ、これ……」
そして、この空間の中央に――『それ』はいた。
上から下に、そして下から上に……流動しながらも循環する泥で構成された人モドキがいた。
顔があって、四肢があって、胴体がある……人を構成する大まかなパーツは全て揃っているのだが、その全てがあまりにも大雑把だ。
特に顔は目と思われる穴二つと、口と思われる横に大きく裂けた部分以外、何もない……まるで、泥の仮面をかぶっているかのようだ。
幼児が粘土をこねて人を作ればこのような代物が出来上がるだろう。
見上げるほどに巨大なそれは、べしゃり、べしゃり、と水気を多分に含んだ足音をたてながら、前進してゆく。そして、その先に――
「くっ!!」
ラルフは全速力で走り出し、ドーム状の空間を横切ると、腰を抜かしてへたり込むチェリルを間一髪で拾い上げる。
背後、先ほどまでチェリルが座り込んでいた場所に、轟音と共に泥巨人の拳が突き刺さる。
駆け抜けながら振り返れば、泥巨人の拳が地面に中ほどまで埋まっている……直撃したら、今頃メンタルフィールド外に叩き出されていただろう。
唐突な闖入者であるラルフの登場にも驚くことなく、泥巨人は漫然とした動作でラルフの方へと顔を向ける。
ぽっかりと穴があいただけの空虚な目が、ラルフを捉えた。
「や、やっと追いついた……ラルフ、速すぎゃぁぁ!? 何よこれ!?」
「ティアさん、悲鳴が下品ですよ」
背後で騒ぐミリアとティアの声を聞きながら、ラルフは腕の中で呆気にとられているチェリルに視線を落とす。
「大丈夫か、チェリル」
「う……あ……あぁ……」
現状がいまだにハッキリと把握できていないのだろう。
チェリルは瞳を揺らしながら、意味を成さない言葉を呟く。
ここに来るまで相当苦労したのだろう……服は薄汚れており、全身擦り傷・切り傷だらけ。
目にはいっぱいの涙を溜めているし、ふっくらとした頬にはうっすらと痛々しい落涙の軌跡が残っている。
そして、ようやくラルフが助けに来たのだと理解が及んだのだろう――つぶらな瞳にぶわっと涙があふれ出した。
「こ、怖か……怖かったよぉ、馬鹿ー! なんでもっと早く助けに来てくれないのさ!」
「悪かったよ。これでもチェリルの悲鳴を聞いて急いで駆け付けてきたんだぞ」
ラルフはポコポコと叩いてくるチェリルをそっと地面に下ろすと、頭を撫でてやる。
そして、自身は拳を握りしめると、彼女を護るように泥巨人に立ちふさがった。
「不満は後でいくらでも聞くよ。だから、今は目の前のアレを倒す……チェリルは今のうちに逃げて」
「で、でも……!」
「その満身創痍の体じゃ無理だろ。奥に見える道がたぶんゴールに繋がってると思うから、俺がアレの注意を引きつけている間に回り込んでくれ」
「…………」
微かな無言の後……クイッと服の裾を引かれた。
目線を落とせば、そこには目一杯に涙を溜めたチェリルがじっとラルフの瞳を見詰めていた。
保護者の庇護を求める幼児のような無垢な瞳は、どこまでも無防備に己の感情を晒しながら、ラルフの姿を映している。
そして……チェリルは穏やかに微笑んだ。
「やっぱり……君の目は怖くない」
「え?」
「うぅん、何でもない。あのね、ラルフ……助けてくれて、ありがとう」
「おう。さ、行ってく――」
ラルフがそう言い切ろうとした……その時であった。
『『見つけ……た……フレイム……ハートの……使い手。そして……灼熱……の……アル……ティア』』
「え、今……?」
『<フレイムハート>と灼熱のアルティア……そういったか、この泥人形は?』
泥巨人の口からノイズ交じりの言葉が出てきたのである。
その巨体には似合わぬ甲高い声は、確実にラルフとアルティアのことを言及していた。
不気味な沈黙が場を満たしたのは一瞬だけ。
微かに……けれど、徐々に大きくなる振動が、唐突に広場全体を揺るがし始めたのだ。
立っているのもやっとな状況の中、轟音と共に入り口と出口が大量の土砂で防がれる。
「わ、わ、わ、ラルフ! と、閉じ込められちゃったよ!?」
「偶然……じゃないよなぁ、これ」
振動が止んだ先……そこには相も変わらず泰然と立ち塞がる泥巨人の姿。
だが――
――雰囲気が変わった?
先ほどまでは空虚だった両眼が、何故か今は生々しい感情を伴ってラルフ達を見下ろしているように感じられた。
ラルフの根っこの部分が全力で警鐘を鳴らしている。
今、目の前にいるのは先ほどまでの泥巨人とは根本的に異なる物だと……。
『まずいぞ、ラルフ』
「どうしたの?」
両手を広げ、ジリジリと距離を詰めてくる泥巨人を牽制しているラルフに、アルティアが緊張を孕んだ声で語りかけてくる。
『一体どういう理屈かは知らんが……メンタルフィールドが解除されている』
「な……!? じゃ、もしもここで死んだら――」
『本当に死ぬ』
たった一言が異様なほどに重い。
ラルフの隣では、顔面蒼白になったチェリルが震えながらぎゅっとラルフの服の裾を握っている。
服越しに彼女の震えが伝わって来る。
「チェリル、何とかならないか?」
「今やってるけど……生徒手帳も機能しない……」
ジリジリと後退するラルフとチェリルは、ちょうど背後からやってきたティア、ミリアと合流する。
二人とも、すでに生徒手帳を手に取っている所から見て……メンタルフィールドが解除されたことに気が付いているのだろう。
「なんで試験中なのにメンタルフィールドが解除されてるの!? あ、あの泥人形、攻撃してこないとかじゃ……」
「いや、見ろティア。あそこの床に空いてる穴……あの木偶の坊が作ったやつだ。あれの直撃を喰らっても死なない自信があるか?」
「…………」
気の毒なほど血の気が引いた顔で、ティアが無言で首を横に振る。
それはそうだろう……もろに食らえば、即死することは確実だ。
「何にせよ、倒さないことにはどうにもならないよ、これ」
ラルフは両の拳をぶつけ、構えを取ると眼前の泥巨人を睨み付けた。
「終世獣だか何だか知らないが……ティア、ミリア。チェリルを連れて下がっててくれ。アイツは俺一人で倒す」
「え、ちょ、待ちなさいよ!」
「待たない。俺は山籠もりの中で飢えた熊とか狼と殴り合った経験があるからまだしも、実戦経験のないティア達に命のやり取りなんてさせられるか。通路は塞がれたから、攻撃の巻き添えを食らわないように部屋の隅に移動してくれ」
「で、でも――」
「いいからッ!」
ラルフはそう叫ぶと、泥巨人に向かって駆けだしたのであった……。