実技試験開始②
『恐らく、あれは仮想終世獣ではなく、本物だ』
「だよなぁ……」
「え……えぇぇぇッ!?」
ティアが悲鳴を上げ、ミリアが唖然とし……けれど、ラルフは特にアルティアの言葉に動揺することはなかった。
全く動じていないラルフの襟首をつかんだティアが、半泣きでラルフに詰め寄ってくる。
「な、なんでアンタはそんなに落ち着いてんのよぉッ!!」
「あ~いや、なんかさ……戦ってて思ったんだけど、以前に戦った仮想終世獣よりも、動きが……なんていうか、生々しいというか。ぎこちなさが無いんだよ」
以前、実技の授業で戦った終世獣は、動作と動作の間に微かな……それこそ、直接対峙してみなければ分からない程度の『間』があったのだ。それが、今回の終世獣にはない。
「違和感なんて全くないぐらいスムーズに俺の命を狙って来てるな」
「うわぁぁぁん! そんなに清々しい笑顔でいうなぁ!」
襟首をつかんだまま前後に物凄い勢いで揺さぶられる。
されるがままになりながら、ラルフは頭上にアルティアに助言を求める。
「なぁ、アルティア。これどうしようか……」
『ふむ、いかに本物と言えここはメンタルフィールド内。結局の所、仮想であろうと本物であろうと、違いはない』
「あ、そうか」
パッとティアがラルフの襟首を離す。
そう、どこまでいったところでここはメンタルフィールド内。
ここで死んだとしても、実際の肉体には影響はないのだ。
これぞ、ここに学院が建てられた理由と言っても良い。今回のような想定外の事態が起こったとしても、メンタルフィールドさえ展開させてしまえば、どうにかなるからだ。
各種族の大使館が未踏都市アルシェールではなく、このフェイムダルト島に建てられているのもそういう理由があるからだ。
閑話休題。
『だが、問題はそこではなく――』
「一体何が起こっているのか、ですね」
言葉を引き継いだミリアにアルティアは頷く。
ミリアは考え込んだまま、更に言葉を繋ぐ。
「ファンタズ・アル・シエルが近くにある以上。ここに終世獣が来る可能生は十分に考えられます。けれど、それを先生たちが気づかないはずはない……。なら、何らかのイレギュラーがあるか、もしくは……」
そこまで言ってミリアは大きくため息をついた。
「こんな所で唸っていても何も始まりませんね。引き返してこのことを報告するべきなのかもしれませんが……」
そういって、ミリアは崩落した岩の山へと視線を向ける。
「まぁ、無理でしょうね」
「すまん……」
「ごめんなさい……」
「いえ、兄さんとティアさんが謝ることではありませんから」
ミリアはそう言って軽く手を振る。
ラルフはよし、と気合を入れるとその場で立ち上がり拳を握りしめる。
「引き返せないなら、とりあえずゴールを目指そう。そっから出られるだろ、たぶん」
「行き当たりばったり過ぎるわよ……」
「でも、行動を開始して一時間経過しているんです……ゴールはそう遠くないと思うのですが……」
ラルフに続いてミリアとティアも立ち上がる。
二人が立ち上がったことを確認し、ラルフは先頭に立って通路を進んでゆく。
少し歩くと、すぐにまた大きな通りに出た……先ほど休んでいる時に、ここから終世獣がなだれ込んで来ていたら危ない所であった。
ラルフは頭だけ通路に出して左右を窺う……と、遠くから複数名の悲鳴が聞こえてきた。
だが、それも一瞬。『何か』に遮られたかのようにその悲鳴はぷっつりと途切れた。
「あぅ……あぅあぅあぅ……」
傍にいたティアがギュッとラルフに身を寄せてくる。
ラルフは恐怖とは別の意味で、無意識のうちにゴクリと生唾を飲み込む。
この少女……着痩せするのか、こうして身を寄せられるとかなりスタイルが良いのが分かる。
背中に触れる二つの膨らみを意識して、顔を赤くしていると――背筋に悪寒が走った。
――どうして、うちの妹さんはこうも俺に対しては感覚が鋭いんだろうなー。
恐る恐る振り返ると、すでに二・三人殺したことがありそうな眼をしたミリアがいた。
このままでは終世獣よりも先に、背後の妹にサクッとやられてしまいそうだ。
「てぃ、ティア? そんなに密着されるといざという時、動けないから」
「あ、ご、ゴメン……」
顔を赤くしたティアが一歩、二歩と後ずさる。
離れてしまった感触と温もりを少し……いや、結構……否、かなり残念に思いながら、ラルフは再び通路に視線を戻す。
先ほど悲鳴が聞こえてきた先――そこには確実に終世獣がいるはずだ。
だが、反対側に行けば、ゴールからは遠ざかる。
「ミリア、ゴールはあっちの方だよな」
「はい、先ほども言いましたが、もうそろそろだと思います」
「やっぱりここで引き返したりするのはマズイか……どれだけこのダンジョンに終世獣がいるのか分かったもんじゃないしな。なら、多少強引にでも突っ切る」
ラルフは振り返ると、ティアの両肩に手を置いた。そして、まっすぐにその碧眼を見詰める。
「ティア、俺は今から悲鳴が上がった方へ突っ込む。そこには終世獣がいるはずだ……可能な限り先制で潰したい。だから、霊術で援護して欲しい」
「……っ」
こくん、とティアは頷くが……その表情にはありありと不安が浮かんでいる。
そんなティアを安心させるようにラルフは笑いかける。
「絶対に当てる必要はないし、周囲で戦ってる俺のことも気に掛けなくていい。ティアがやることは二つだけ。『狙って』『撃つ』これだけだ」
「狙って、撃つ……」
「そう、それだけでいい。あと、出来る限り遠くからね」
ラルフの言葉を何度も繰りかえり呟きながら、ティアは再度頷く。
目に涙はたまっているし、膝も震えているが……それでも、瞳には決意が見える。
「よし」
ラルフは最後にポンッとティアの肩を叩くと、呼気を整える。
静寂に支配される空間の中……得物を探す肉食獣のように、地面を爪が引っ掻く音が近づいてくる。
休息していた体に火が入る。
ラルフは心の中でタイミングを計ると……思い切って駆け出した。
視界の先、うろついているのはヘルハウンドが二体。
そして、その中央に見上げんばかりに巨大な熊型の終世獣が一体。
ラルフの姿に気が付いたのだろう。相手もすぐに臨戦態勢を整えるが――それよりも先に、ラルフを追い抜き紫電が駆け抜ける。
「ギャイン!?」
直撃。
悲鳴のような声を上げて硬直するヘルハウンドを、ラルフは加速の勢いを乗せて斜め上に蹴り上げる。
その上で、鋭角に跳躍。
撃ち出された弾丸のような速度で、ヘルハウンドに肉薄したラルフは、灼熱の拳でその胴体を打ち貫く。
燐光に包まれながら着地――した瞬間、爪付きの巨大な手が振り抜かれた。
「ぐっ!?」
腕を交差させて防御しつつ、後方に飛ぶが……それでもその一撃は重い。
腹から背に向けて突き抜けた衝撃で、肺の中の空気が根こそぎ絞り出される。
地面に何度も叩き付けられながら止まったラルフは、何とかよろよろと立ち上がる。
「が……ふっ」
軽く咳き込むと、地面に赤い斑模様が出来た。
どうやら内臓までダメージが通っているようだ。
「グルラァァァァァァァ!!」
今が好機と見たのだろう。
目の前、勢いよく駆けてきたヘルハウンドが、ラルフの喉笛を食いちぎらんと、飛びかかって来るが――
「燃え盛る炎よ、驟雨の如く降り注げ! フレイムバレット!」
まるで、その瞬間を待っていたとばかりに火球が降り注ぐ。
無論、虚空に身を躍らせていたヘルハウンドにそれを避けることはできない。
次々と火球の直撃を受けた終世獣が一瞬のうちに火ダルマになる。
「ナイスっ!」
ラルフは駆け出すと同時に、飛んでくる火ダルマのヘルハウンドを引っ掴むと、熊型の終世獣に向かって投げつける。
対する熊型終世獣は、勢いよく燃えるヘルハウンドを、片手で軽々と打ち払うが――その動作にこそ隙が生まれる。
ラルフは疾走の勢いのまま突貫。
先ほどの打ち払う動作の中にあった隙をついて、するりと懐に入り込んだラルフは、熊型終世獣の腹を踏み台にして……真上に跳躍。
すれ違いざまに顎に膝打ちを見舞う。
終世獣の上空でラルフは一回転。
顎を蹴り上げられて上を向いた終世獣と、上空のラルフの視線が激突する。
「燃え尽きろ!!」
轟っ! と勢いを増した炎が宿る拳が、終世獣の顔面に叩き込まれた。
落下の勢いを加味した灼熱の打ち下ろしが、終世獣の顔面を破壊し、内側まで食い込んだ――その瞬間、巨体が光に分解された。
何とか両足で着地したラルフは、先ほど殴られた腹を庇いながら、周囲を見回すが……幸いなことに襲い掛かってくる終世獣はいないようだ。
「ぐっふ……あー痛ぇ」
「兄さん、大丈夫ですか!」
急いで駆け寄ってくるミリアに、ラルフは笑顔で応えてみせる。
そして、少しだけ待ってとジェスチャーで示すと、ティアの方へと歩きだす。
よほど緊張したのだろう、ティアはすっかり腰が抜けて地面に座り込んでしまっている。
ラルフはティアの前まで来ると、自分も膝を落とし、片手を挙げる。
「ナイスアシスト。いぇーい!」
「え……あ……い、いぇーい」
ぱちんと、控えめなハイタッチを決めた。
「さぁ、ごっほ! ミリア、すまん、回復を――」
「喀血しながら言うことですか、もう……」
先ほど殴られた腹に手を添えられ、再生の恩恵を甘受する。
ズキズキと存在を主張していた体の中身が、自然と大人しくなっていくのを感じながら、ラルフはティアの方へ顔を向ける。
「俺と初めて一緒に実習した頃よりもずっと霊術の使い方が上手くなってる。もっと自信持ちなよ。そうじゃないとティアが今までしてきた努力が泣くぞ」
これは紛うこと無き事実だった。
初めての実習でティアが霊術を使った時に比べ、確実に命中精度が上がっている。
実習授業だけでこの短期間の成長は見込めない……ラルフが知らないところでも、この少女はコツコツと努力を重ねてきたのだろう。
努力を続けるということは言葉にすれば簡単だが、継続するのはとても難しい。
ラルフだって今の強さに至るまで血と汗が滲むような努力を続けてきたのだ……その大変さは身に沁みてよく分かっている。
「何よ、上から偉そーに」
頬を染めながら少し不貞腐れた様に言うティアに、ラルフは半眼をぶつける。
「初めての実習の時、俺の背中に誤射で雷撃ぶつけたのはどこの誰だよ」
「へ、へぇ……そういうこと言うんだ! そう言うこと言っちゃうんだ、このおチビは!?」
「あ!? 誰がチビだって!? このへちゃむくれ!」
「へ、へちゃむくれですって!? 言わせておけばぁ……!」
「とりあえず、二人とも静かにしなさい」
「「すみませんでした……」」
青筋を浮かべて言うミリアに、反射的に二人は謝る……この集団のヒエラルキーがハッキリ分かるというものであろう。
「はい、兄さん。治りましたよ」
「助かるよ、ミリア。ミリアがいると、多少無理な戦い方が出来るのがいいわー」
「頼むから、やめてください」
ゲンナリしたミリアの声を聞いてラルフが笑った――その時だった。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ダンジョンの壁を幾重にも反射して、甲高い悲鳴が響き渡った。
聞き覚えのあるその声の主が誰なのか――理解が及ぶ前に、ラルフは地面を蹴って走り出していた。
「あ、ちょっとラルフ!」
「この声、チェリルだ! ちょっと様子を見てくる!」
聞こえてくる悲鳴に導かれるように、ラルフは仕掛けてある罠に注意しながら、一直線に洞窟の中を駆け抜けた。