世界の真相を知るモノ達
ラルフとゴルドが寝静まった後……拠点の屋根の上でアルティアは遠くを見つめていた。
外壁の更に向こう側――そこにそびえ立つのは天を貫かんばかりに伸びる巨大な大樹だ。
ファンタズ・アル・シエルのほぼ中央にあるにも関わらず、アルシェールからも目視できるほど巨大な大樹をアルティアはよく知っていた。
『双天樹は健在か。幻霧結界が解除され、封活結界が綻んでいる現状、心配はしていたが……絶無結界は何とか健在か。フィーネルも無事ならばいいのだが』
大樹の名は双天樹という。
この大樹は世界中の全ての植物と繋がっており、そこから淀んだ霊力を吸収し、内部で浄化、再び世界へ返すという極めて重要な機能を果たしている。
世界の根幹を支える聖樹――そのことを知っている人間は、もうこの時代にはいない。
幾度か、この大樹を調べるために調査隊が組織されたこともあるのだが、そのことごとくが失敗に終わっている。
双天樹の周囲には険しい山脈がとぐろを巻くように起立している上に、凶悪な中型終世獣が跋扈しているため、人を寄せ付けないのだ。
空から接近しようとした者達もいたが、なぜか双天樹の根元は『認識できない』という理解不能な現象によって護られており、近づくことはおろか、観測すらままならない。
だからこそ――この大樹の根元に、過去、この世界を滅ぼそうとした『存在』が封印されていることは、誰にも知られていない。
――しかし、双天樹周辺の山脈は、私の知る限りでは存在していなかったのだがな。地殻変動でも起きたのだろうか? まぁ……それだけ時間が経ったということなのだろう。
アルティアは郷愁を浮かべながら双天樹を眺めた後、空を見上げる。
天には満月。控えめに輝きながら人々を護るようにそこにある。
過去……この空一面が破壊の光で埋め尽くされたと、一体誰が信じるだろう。
『あの頃から……一体どれだけの時が過ぎ去ったのか』
アルティアが久々に見たファンタズ・アル・シエルは大きく様変わりしていた。
過去に在った人々の街や村は植物に覆われて消え去り、今の人々はこうして防壁で護られた街で、終世獣に怯えながら生活をしている。
無差別に人々を殺し尽くした終世獣は『あの頃』よりも更にその数を増やしていた。
終世獣は存在するだけで世界の霊力を消耗する。
つまり、終世獣の増加が、結果的に世界に満ちる総霊力量の減少につながってしまっているのだ。
少なくとも……アルティアの記憶にある世界は、ここまで霊力が希薄ではなかったはずだ。
『リュミエールの魂が転生した以上、マーレとレニスも転生している可能性はある……霊力が希薄になったこの世界、そして、この体で一体何ができるのか』
アルティアが誰に聞かせるでもなく呟くと――それに返ってくる言葉があった。
『不滅と勝利を象徴する灼熱のアルティア。創生獣の中でも飛び抜けた力を持っていた貴方が、こんなにも落ちぶれるなんてぇ、マーレとレニスも想像していないでしょうねぇ』
『ッ!?』
まさか返答があるとは思わず、アルティアは弾かれたように振り返った。
そこにいたのは、夜の闇に同化してしまいそうなほど艶やかな毛並みを持つ、一匹の黒猫であった。
ただ……『黒猫』という単語一つで説明するには、あまりにも異質な存在だった。
黄金に輝く瞳は老獪な魔女を思わせるほどに深い知性を宿し、その体が動くたびに周囲の霊力が大きく動くのだ――まるで、怯える様に。
その黒猫は、唖然とするアルティアを、細めた黄金の瞳で見据え、艶めかしく体をくねらせながら近寄ってくる。
対するアルティアはすぐさま我に返って顔をしかめた。
『傷が癒えて再び姿を現したか……ロディン』
『あらぁ、御挨拶ね、アルティア。創生獣大戦では肩を並べ、命を預け合った仲なのにぃ』
『あぁ。毒も皿まで食わねばリュミエールには勝てなかったからな』
アルティアの言葉に黒猫――ロディンは愉快そうに笑う。
本当に……本当に愉快そうに。
『クラウド・アティアスを人柱にして、よねぇ?』
『……!』
『あらあらぁ、本気で怒っちゃってぇ。もしも、貴方の力が十全だったら今頃私は消し炭になっているかもしれないわねぇ』
今のアルティアにはそれだけの力がないと分かっているのだろう。
あくまでも余裕を崩さないロディンを前にして、怒りを吐き出すようにアルティアは深呼吸を繰り返す。
アルティアの怒りなど知った事かと言わんばかりにすり寄ってきたロディンは、その黄金の瞳でアルティアを見下ろす。
『ねぇ、アルティア。貴方は今回も人間と一緒に戦うつもりなのぉ?』
この質問……明らかにアルティアを嬲るために仕掛けてきている。
顔を上げてみれば、そこには嗜虐に染まったロディンの顔がある。
骨の欠片も残さず燃やし尽くしてやろうかと、アルティアは本気で思った。
『今回は私だけで何とかする。今の<フレイムハート>の持ち主はリュミエールとは何の関係もないのだからな』
アルティアの脳裏に屈託なく笑うラルフの笑顔が過る。
そう、これはアルティアの問題なのだ。
最終的に人の存亡にかかわろうとも……大勢のために一人を犠牲にしていいという道理はない。
アルティア一人で決着がつくなら、それが一番良い。
ラルフには、人並みの人生を送り天寿を全うして欲しい――それがアルティアの願いだった。
だが、そんなアルティアの決意を嘲笑うかのように、ロディンは前足をググッと伸ばし、アルティアの横顔に吹きつけるように言葉を紡ぐ。
『吹けば消し飛ぶような人間の生死で真剣に悩むアルティア……うふふ、私はそんな貴方の愚かで、どうしようもない姿がだぁい好き』
『貴様はどうするつもりなのだ。リュミエールの魂が転生していることは感じているだろう』
あえてロディンの言葉を無視し、アルティアはロディンに問いかける。
正直言えば、不愉快極まりないこの黒猫の前からさっさと消えたいのだが……ロディンの力は強大であり、とても無視できるようなものではない。
味方だとしても喜べないが、敵になればなお厄介だ。
だが、そんなアルティアの考えを読み取ったかのように、ロディンは嗤う。
『大丈夫よぉ。人間が根絶やしにされるのを止めるという目指す結果は一緒だから。私は、今も、昔も、そしてこれからも……なぁんにも変わらない。不変にして不滅。それが私たちなのだからぁ』
『目的……な』
人間が根絶やしにされるのを止める。
それはつまり……人間を守るとはイコールで繋がらない。
故に、ロディンは結果だと言ったのだ。
ロディンとアルティアでは目的が違うのだから。
アルティアの目の前にいるロディンという存在は――善でも悪でもなく、ただただ己の快楽のために動く存在だ。
故にこそ、いつ、どちらに転がるか分かったものではない。
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、ロディンは前足でアルティアの羽に軽く触れて来る。
『でぇもぉ。ねぇ、アルティア? リュミエールが転生した人間を見つけた時……貴方は本当に殺すことができるのぉ?』
『できる』
間髪入れずに返したアルティアの答えが、予想通りだったのだろう……ロディンは更に笑みを深くする。
『本当にぃ? その人間、自分がリュミエールの転生体だなんて、知らないわよぉ? なぁんの罪もない、平和に暮らす人間をぉ、貴方は……殺すことが出来るのぉ?』
『……できる』
その三文字が異様に重い。
アルティアの躊躇いを正確に見抜いているのだろう。喉の奥でロディンが嗤う。
ロディンにおちょくられているということは分かる。
ただ同時に……これはいずれアルティアが直面する問題でもあるのだ。
アルティアは何度目になるか分からないため息をつくと、ゆっくりと翼を広げる。
『さっさと失せろ。私は休むことにする』
『あらぁ、つれないのねぇ。もっと私とお喋りしましょうよぉ』
『寄るな』
アルティアが無下にすることまで分かって言っているのだろう。
ロディンはくすくすと笑いながら、ゴロンとその場で転がる。
そして、羽ばたくアルティアの背中に向けて声を発した。
『マーレとレニスはすでに転生を終えているわよぉ。あの子達……前回は貴方の炎で消滅させられているから、きっと恨んでいるでしょうねぇ、ふふふ』
『…………』
『だから、アルティアを消滅させるために……うふふ、何をするつもりなのかしらぁ。ほんとぉに楽しみ。ねぇ、アルティア? あの二人は貴方を消滅させるために、誰を狙うんでしょうねぇ?』
『いい加減に口を閉じろ、ロディン』
『あははははは! 大型終世獣を目覚めさせて襲わせるぅ? それとも自分たちの力で襲い掛かってくるのかしらぁ? 頑張ってねぇ、アルティア? 貴方が大切にしているモノが木端微塵に壊されないようにぃ。あははははは!』
『黙れと言っているッ!!』
ロディンを一喝し、アルティアは窓からゴルドの拠点へと飛び込むと、翼を使って器用に窓を閉めた。
天には月。
月光に照らされた黒猫は、狂ったように笑いながら……その姿をゆっくりと消した。
後に残ったのは、ただただ不気味は静寂だけだった……。
ようやくサブタイトルにある聖樹を出すことができました……長かった。