エピローグ
優しい歌声が聞こえる。
まるで、心に触れて撫でてもらっているかのようで……安らぎが全身の隅々まで満ち満ちてゆく。
どこか懐かしさすら感じるその歌を聞きながら、もしも、母親がいたらこんな風に歌ってくれたんだろうかと……ラルフはそんなことを思いながら目を開けた。
微かにぼやける視界の先、椅子に腰かけて、茜色の光に照らされながら、目を閉じて歌を口ずさむティアの姿があった。
開け放たれた窓から入り込む風が、純白のカーテンを淡く揺らし、ティアの金髪をふわりと舞い上げる。
髪を抑えながら歌うティアの姿は……ただ、どうしようもなく綺麗で……。
ラルフはその姿に見惚れて何の言葉も出すことができなかった。
ただ、同時にその姿は余りにも儚くて。
まるで触れればそのまま崩れて壊れてしまうのではないかと、そんな益体もない考えが脳裏を過る。
だからだろうか……無意識のうちにティアに向って手が伸び――
「いたたたたたッ!?」
「あ、ラルフ! ようやく起きたの?」
手を伸ばすという何気ない行為だけで、全身に物凄い勢いで痛みが走った。
無意識に体を見てみるが、怪我一つしていない。
恐らくメンタルフィールド内で負った傷による幻痛なのだろうが……今回が今までで一番ひどいかもしれない。
度重なる斬撃を貰った挙句、胴体を見事にX斬りされたのだ……当然だろう。
涙目でベッドに沈没したラルフを見下ろし、ティアが半眼を向けてくる。
「怪我、本当にひどかったわよ。アレットさんなんて、戦闘が終わった後半泣きだったんだから」
「あー悪いことしたなぁ……」
姉ちゃんは俺が守る! と言っておきながらこの体たらくである。
情けないとラルフは自分自身の不甲斐なさにため息をついた。
「情けねぇ」
「でも二年の『輝』クラスの相手をあそこまで追い詰めたんだよ? 凄いじゃない」
そう……ティアの言うとおり一年の『燐』クラスの学生が、二年の『輝』クラスの学生を撃破寸前まで追い込んだのだ。
本来ならば偉業ともいうべき戦果なのだが……ラルフの表情は暗い。
「いや、アルベルト先輩はほとんど霊術を使ってなかった。やろうと思えばもっと一方的に勝てたはずなんだよ。たぶん、今回はある程度俺に合わせて戦ってくれていたんだと思う。まだ……あの人は本気じゃない」
鋭い眼光でラルフは虚空を睨み据える。
強くなりたい。今よりもずっとずっと。弱い自分を追い越して、大切な人を護れるだけの強さをこの手にしたい。
「そっか……でもさ」
「んー?」
視線を横に向けると、ティアが優しい微笑みを浮かべながらラルフを見下ろしていた。
「ラルフ、頑張ってたよ」
「…………」
「かっこ……よかったよ?」
「……ん」
何だか照れくさくなって、ラルフは視線をそらす。
気まずいとは違う、少しくすぐったくて、でも心地よい無言の空気。
今、ティアがどんな表情をしているのか知りたいと思いながらも、少しにやけてしまっている自分の表情が見られたくなくて、顔を向けられない。
だから、少しだけ話の方向をそらすことにした。
「あ、あのさ、ティア……」
「な、なによ」
「歌、すごく上手なんだな」
「聞いてたの!?」
驚くようなティアの声に、少しだけ「してやったり」と思いながら、ラルフは小さく笑う。
「歌好きなの?」
「まぁ……うん」
照れが混ざったティアの声を聞いて、ラルフはごろんとティアの方を向く。
「もし良かったら、もう一度聞かせて欲しいんだけど」
「……なんでよぅ」
「なんだかすごく安らいだんだ。ホッとした……っていうのかな。だから、俺の看病のつもりでさ。もっかい聞かせてくれよ」
ティアは照れたようにそっぽを向いていたが……小さくため息をついて微笑んだ。
「少しだけね」
「ん、少しだけ」
そう言ってティアが大きく息を吸いこんだ……その時、勢いよく扉が開いた。
「……ラルフ!」
そこにいたのは蒼銀色の髪をなびかせた美女――アレット・クロフォードと、ミリア・オルレットだった。
アレットは早足でラルフの所に来ると、一切遠慮なくズボッと上着の中に手を入れた。
「おぅわぁぁぁぁぁぁ!?」
「……ラルフ、痛いところない? 大丈夫?」
別の意味で悲鳴を上げるラルフの意図を察して、ミリアがアレットの手を掴んで後ろに引っ張る。
白魚のような、という比喩がピッタリ当てはまるような指で胸やら腹やらを撫でられたせいか、心臓が別の生き物のように跳ねまわっている。
と、不意に突き刺さるような視線を感じて横を向けば、ティアが鋭い視線をラルフに向けていた。
若干顔を引きつらせていると、プイッとそっぽを向かれてしまった。
――なぜ怒るっ!?
何故か分からないが、どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。
「兄さん、とりあえずその様子だと経過は順調のようですね。お医者さんも言っていましたが、随分とタフなメンタルをしている……と」
「こちとら訓練と称して毎日親父と殴りあってたんだ。丈夫に決まってるじゃないか」
「ならまず、攻撃を受けないようにしてください」
「はい、すみません……」
この様子だとミリアも随分と心配したのだろう……ミリアには毎回毎回心配ばかりかけてしまっていて申し訳ない限りだった。
その隣で、アレットがラルフの方へズイッと顔を寄せてくる。
「……ラルフ、リンクの件だけど」
「あ、そうだった。なんか強引に進めてごめんよ、姉ちゃん」
「……ううん。問題ない。あの後、ミリアとティアも一緒に活動することになったから」
「おお、そうなんだ」
そう言って報告するアレットの表情はどこか嬉しげだ。
一人で良いと……今までそう覚悟していたのだろうが、それでもやはり一人では寂しかったのだろう。
綻ぶようなアレットの笑顔を見ることができただけでも、今回、これだけ無茶をしたかいがあったんじゃないか……ラルフはそんな風に思う。
何もかも一段落。
そう思い、晴れ晴れしい気持ちでラルフはベッドの上に倒れ込んで――
「……ラルフの怪我も問題なさそうだし、来月の基礎実力試験もいけるね」
「はい? いてててて!?」
跳ね返るように起き上った拍子に、胸元が痛んで悶えた。
そんなラルフを呆れたように見ながら、ティアが説明をする。
「来月。実技と筆記で試験があるのよ。ラルフは聞いたことない?」
「兄さんには言っているはずですよね。ねぇ、兄さん?」
「~~♪」
「そっぽを向いて口笛を吹くとは良い度胸してますね」
「分かった! 兄ちゃんが悪かったからその固めた拳を解いてくれ!!」
そこまで言って、ラルフは大きくため息をついた。
実技はそこそこ自信があるが、筆記については壊滅的だ。割と本気で0点を取れる自信がある。
――本当にどうしようか、これ。
来月の実技試験のことに想いを馳せながら、ラルフは頭を抱えたのであった……。
二章はこれにて終了。