もう一つの神装
『肉の苗床』――セシリアのことをそう評したイスファに対し、アルベルトは言葉すらも出ない様子だった。ただ……呆然とその場で立ち尽くすのみ。
イスファの言葉が本当ならば、セシリアはイスファとは一切の血縁関係が無かったということになる。イスファがセシリアのことを『道具』と評した理由はそれなのだろう。
だが、ラルフとしては一つ、気になることがあった。
セシリアは<フィグメント>という本型の神装を有している。それは、彼女本来の神装なのだが……それとは別に、彼女は身の内にもう一つの神装を宿している。
「もしかして、リンクフェスティバルで暴走した、血の色をした神装が……?」
そう、セシリア自身を血の十字架で拘束し、ラルフ、アルベルト、グレンの三人に襲い掛かってきた血の鎖……拘束したモノから、貪欲なまでに霊力を吸い上げる異形の神装。
今までずっと疑問だった事柄に答えが得られた気分だった。そして、ラルフの答えに対して、イスファは満足げに笑う。
「正解じゃよ、ラルフ君。もっとも……リンクフェスティバルで暴走したのは予定外のことじゃったがね。あの神装は、セシリアの欲を喰らって成長してゆく代物での。完成までもう少し時間が必要だったんじゃが……」
イスファはそう言って、机の上に置いてあった紙を拾い上げる。そこには、ラルフとの定期診断で彼が調べ上げた<フレイムハート>の情報がビッシリと書き連ねてある。
「このように、予想外に<フレイムハート>の情報が手に入ったのでの。これを用いれば、すでに運用することも可能じゃろう」
『貴様! ラルフの治療と嘯いて、実際は<フレイムハート>のデータを取ることが目的だったというのか!』
「そうじゃとも、灼熱のアルティア。貴殿には感謝しておるよ……あれほどの神装を作り上げてくれたのじゃからな」
『私の名前を……やはり貴様、創生獣大戦の頃から今の今まで生きてきた類の者だな』
最大限に警戒するアルティアに対し、イスファは底の知れない笑みを返すのみ。
無言のうちに対峙するアルティアと、イスファだったが……そこに待ったをかけたのはアルベルトであった。ようやく衝撃から立ち直ったのであろう、表情は嫌悪感に歪んでいるが、それでも視線は真っ直ぐに前を向いている。
「その神装、セシリアの欲を喰らって成長していると言ったが……貴方が、セシリアの呪いを演出したのもそれが原因か!」
「そうじゃよ。認められたい、求められたい、愛されたい、傍にいたい、受け入れてもらいたい……人が人であるが故に背負う業のような感情。性欲、食欲、睡眠欲は生死と密接なかかわりがあるため限界があるが……この欲求には限界がない。ほら、見てみたまえ」
そう言ってイスファが指し示した先……そこには、血色の神装を発現したセシリアを、エクセナが必死に抑え込んでいた。
「成長してる……」
セシリアが発現している血の神装を見てアルベルトがポツリと呟く。
そう、以前見た時よりも血の鎖の数が増え、セシリアを拘束する十字架もまた巨大に、禍々しくなっている。シルフェリスの第一近衛すらも凌いでみせたエクセナが、苦戦しているのだ……よほど、その攻撃は苛烈なのだろう。
「ああやって成長したのは、君のおかげなのじゃよ……アルベルト君」
「僕……が……?」
「そうじゃとも。『セシリアは呪われている』という風評を作り上げ、意図的にアレから人との交流を断ったのじゃが……ある時点でアレは呪われている自分自身を諦めてしまっての。自暴自棄になってしまったのじゃ。欲がなければ、神装は育たぬ。どうしたものかと悩んでいた所に……アルベルト君、君が来てくれた」
満足そうなイスファに対し、アルベルトは唇を噛み切らんばかりに苦渋を表情に浮かべている。
「君が来てくれたおかげで、アレは再び息を吹き返した。君に認められたい、求められたい、受け入れて欲しい、もっとかまって欲しい、とな。じゃから、ワシも最初は邪魔をしなかったじゃろう? むしろ、ありがたいぐらいじゃったよ」
「だま……れ……」
「ただ……君がアレの好意を受け入れてしまったため、アレの欲求を満たされてしまった。それではいけない。じゃから、君に対して再び『呪い』を仕掛けたのじゃが……それでも君はめげずにアレの元へ通った。それならば、と……ワシは、アレ自身の手で君の右目を潰させた」
「黙れ……!」
「おかげで、アレは君と袂を分かつ決意をした。自身が世界最高の霊術師となって君の右目を治すと決意して……な。そして、愚かなことに……君と袂を分かってからもずっと、アレは君のことを愛しておった。『アルベルトと、また一緒にいたい』という感情を、愚かにも押し殺し続け――」
「黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
イスファの言葉を断ち切るように、アルベルトは叫ぶと……まるで、全力で走った後のように肩で息をする。そして、顔を上げると、据わった瞳でイスファを睨み据え、両の剣を構えた。
「貴方が……いや、貴様が全ての元凶であるということは十分に分かった。貴様の存在こそが、セシリーを蝕む『呪い』そのものだ! 今ここで――倒す!!」
「無駄じゃよ。いくら君が強かろうとも……『人』の域を出ない限りワシは倒せん。君は今、『神』を前にしているのじゃよ。まぁ、もっとも――」
次の瞬間、イスファは背後に向かって手を掲げる。次の瞬間、飛びかかってきたラルフの拳が、圧縮霊力障壁に激突する。
灼熱の炎を思わせる真紅のラルフの瞳と、全てを凍てつかせる絶蒼のイスファの瞳が交錯し、火花を散らす。
「<フレイムハート>ならば、神すらも殺せるじゃろうが」
「つぅッ!?」
イスファが軽く手を振るうと、ラルフの体が弾かれたように吹き飛ばされる。空中で一回転したラルフは、すぐさま両足で地面を踏みしめる。
「さて……『イスファ・ベルリ・グラハンエルク』という立ち位置は割と気に入っておったのじゃがのぅ。こうなってしまっては仕方ない。収穫するモノを収穫して、撤退するかの」
「させると思――ぐぁっ!?」
「アルベルト先輩!!」
イスファが羽虫を払うように手を振ると、それだけでアルベルトの体が吹き飛び、壁に叩き付けられた。相当な力で殴りつけられたのだろう……体が中ほどまで壁に埋まっている。
既存の霊術とは明らかに一線を画する霊力の使い方だ……圧縮霊力障壁もそうだったが、霊力の使い方が余りにも圧倒的だ。
目の前の相手は、恐らく……人間ではない。
「アルティア! 全力で行く!」
『うむ、叩きのめして事情を聞き出すぞ!』
ラルフの精神に呼応して、その両拳に灼熱の炎が宿る。
完調ではないのが惜しいが……贅沢は言ってられない。戦意で満たした瞳を向けるラルフに対し、イスファは頭を振って応える。
「折角なら、<フレイムハート>を相手にして、ワシの神装の具合を試してみたいのが本音じゃが……これ以上騒ぎが大きくなるのも面倒じゃしな」
そういって、イスファはラルフに背中を向けると、軽く手を振った。
「足止めを頼むぞ――ロディン」
『ふふ、なかなか面白そうねぇ。請け負いましょう』
ゆらりと……まるで、蜃気楼が見せた幻影であるかのように、ラルフの眼前に、黒猫が立ちふさがる。その者、ただの黒猫にあらず……大型終世獣すらも凌駕する、莫大な霊力をその身に漲らせた創生獣が一柱――深淵のロディン。
『ロディン、貴様……ッ!!』
『あらぁん、うふふふふ、アルティアのぉその顔が見られただけでも、出向いたかいがあったというものねぇん』
妖艶に笑うロディンの背後では、イスファが悠々と外へ出ていってしまう。
方向からして、向かう先は恐らく――セシリアとエクセナが戦っている場所だろう。先ほど、イスファは『収穫』と言ったが、それはセシリアの中にあるという『神装』のことを言っているのだろう。ならば、阻止しなければならない。
「押し通――」
『そんなにせっかちしないでぇ、もう少し私とお喋りしましょうよぉ』
眼前に立ち塞がったのは――闇。
まるで、一瞬にして夜になってしまったかのように、瞬く間にラルフの周囲を闇が取り囲む。それは物理的な防壁として、また、霊術的な障壁として機能して、ラルフの前に立ち塞がる。
そして、その闇の中……妖しげに尻尾を振って、ロディンが緑に輝く目を向けてくる。
「く、退いてくれ、ロディン! アンタは人間には興味ないんだろう!」
『あらぁ、イスファは人間じゃないわよぉ? まぁ、戦闘力以外はからっきしのアルティアには、分からないだろうけれどぉ』
『ぬぐ……』
図星に付かれたのか、アルティアが変な声を上げる。
『まぁ、安心してちょうだいなぁ。別に貴方達を倒そうとは思ってないからぁ。ただ、ちょっとだけ足止めをするだけよぉ』
一向に道を譲る気配のないロディンを前にして、ラルフは拳を胸の前で握りしめる。
「こうなったら【フレイムハート・リミットブレイク】で……ッ!」
『止めろ、ラルフ』
「でも、このままじゃ!」
『ロディンは、最盛期の私とも、真っ向から戦えた数少ない創生獣だ……今の不完全な<フレイムハート>では、どうあがいても勝ち目はない。そして、勝ち目のない戦いのために、お前の記憶を犠牲にするわけにはいかない』
アルティアはそこまで言って、大きく深呼吸を一つすると、真っ向からロディンを見据えた。
『ロディンよ、そこまで言うからには、あの老人の正体は分かっているのだろう?』
『そうねぇ、話に付きあわせているのは私なんだからぁ、今日は特別にぃ、答えてあげようかしらぁ』
ロディンはぺろりと自身の口元を舐めて湿らせると、言葉の続きを話す。
『太陽と共にアルティアが生まれたようにぃ、闇と共に私が生まれたようにぃ……この世界に生命が溢れたことで、生まれたものがあったわぁ。それは、感情、心、気持ち、そういった精神活動であることは<フレイムハート>の使い手なら、理解できるわねぇ?』
ラルフが頷くのを確認し、ロディンはアルティアへと視線を移す。
『ここまでいえばぁ、アルティアは私が何を言いたいか分かったわよねぇ?』
『まことしやかには信じられんことだが、お前はこう言いたい訳だ――あのイスファという男は、我らの後に生まれた創生獣……心の、もしくは、精神の創生獣なのだと』
『せぇいかぁ~い』
器用に前足で拍手するロディンに対し、ラルフの肩に止まったアルティアの視線には多分に懐疑が含まれていた。ロディンもそんなアルティアの視線に気が付いたのだろう……やれやれと言わんばかりに、尻尾を振った。
『あらぁん、信じられなぁい?』
『一考の余地はあると思うが、お前の言葉を素直に鵜呑みにする気はせん』
『悲しいわねぇ』
『そんな精神の創生獣に、なぜお前は力を貸している。あれは完全に狂っている……神だというのならば、なおさらに、だ』
ラルフもある程度付き合ったことがあるから分かるが、ロディンは何にも属さず、誰にも縛られない、孤高にして最も自由な神だ。だからこそ、誰かと手を組んでいるというこの状況には確かに違和感を覚えずにはいられない。
『イスファがぁ、精神的に狂っているのはぁ、元はと言えば人間のせいだと思うわよぅ? 人間だけが持つ強烈な負の感情――憎悪、嫌悪、憤怒、怨嗟、絶望、悲哀、そういったものにぃ永遠と晒され続ければぁ、それは誰だって狂うわぁ』
そう前置きした上で、ロディンは口の端を釣り上げて笑う。
『でもぉ……狂っているからこそ、破綻しているからこそ、あの神は混沌を招きよせるわぁ。だからこそぉ、私はイスファにちょ~っとだけ、手を貸してあげているだけよぉ。あの男の行動はぁ、見ていて飽きないわぁ。まるで、出来の悪い喜劇を見ているよう……うふふふふふふふふふふふふふふ。今の私の、最高のぉ暇つぶしなのよねぇ』
「ロディン、お前……」
くすくすと笑い続けるロディンに対し、ラルフは苦虫を噛み潰したように表情を歪める。
もともと、人間達が争うのと遠目に見て、自身の無聊を慰めるという……自身の快楽を最優先させる神とは知っていたが、相変わらず趣味が悪い。
『…………』
これに対しアルティアは、ただ、ロディンに静かな視線を向けているのみ。
普段のアルティアなら、この時点で激怒しているはずなのだ。ラルフに限らず、ロディンもまたそのことに違和感を覚えたのだろう。軽く首を傾げている。
『あらぁん、怒らないのぉ、アルティア?』
『本当の目的は何だ、ロディン』
『なにを言っているのぉ、アルティア。私はただ――』
『お前と何年の腐れ縁だと思っているんだ。お前は確かに根性の捻じれた神だが、この世界を愛しているという意味では我らと同じのはずだ。ならば、分かるはずだ……イスファは我らとは異なる行動原理に基づいて動いている。このままでは、あの神は世界を腐らせるぞ』
『…………ふふ、まさかぁ、アルティアがそんなに見透かしたことを言うなんてねぇ』
まるで、自分自身に呆れているかのように、ロディンがため息をつくと……一瞬にして、ラルフの周囲を覆っていた暗闇が溶けてゆく。
半壊した学院長室には、すでにイスファの姿も、アルベルトの姿もない。恐らく、セシリアとエクセナが戦っている場所へと移動したのだろう。
警戒するラルフとアルティアに向かって背を向け、ロディンは首だけで振り返る。
『さてぇ、私の仕事はここまでねぇ。アルティア、フレイムハートちゃん、せいぜい頑張ってねぇん。ばいばぁ~い』
そういうなり、ロディンの姿が出現した時と同じように、薄れて消えてゆく。相も変わらず神出鬼没な神だが……今は、そんなことを言っている場合ではない。
『急げ、ラルフ! かなり出遅れている!』
「くっ!」
アルティアの叱咤を受け、ラルフはイスファとアルベルトの後を追って、学院長室を飛び出したのであった……。