孤独な戦い
手の中に馴染みの深い<白桜>の感触を得ながら、アレットは眼前を見据える。
目の前にいるのはシア、アルベルトを含めた計六名。
全員、シアが直々にスカウトしてきた者達で、誰もが怠ることなく日々の研鑽を積みつづけている。
一人一人の実力も十分に脅威だが、それ以上にコンビネーションの取れた波状攻撃が厄介だ。
その結束力とシアを中心とした統率の取れた動きを武器に、このリンクは上位二十に食い込んだのだ。
警戒を強めるアレットだったが……シアは扇子を大きく一振るいすると、リンクメンバーの方へと振り返った。
「アレットの相手はわたくしとアルベルトの二名で十分ですわ! 他の皆はフィールドの外に出ていてちょうだい」
シアの言葉に頷いたリンクメンバーは静かにメンタルフィールド外へと出ていく。
一体何のつもりなのか……アレットの探るような視線にシアは鼻を鳴らす。
「貴女程度、わたくしとアルベルトの二人で十分と……そういったではありませんか」
「全員で掛かるのは良心が咎めるし、可哀そうだからって素直に言えばいいのに」
「う、うるさいですわね!」
微笑ましい物でも見るように苦笑するアルベルトに、シアが慌てた様に言い返す。
シア・インクレディスは一見すると高飛車で傲慢不遜に見えるが、根は正直で細やかな心配りのできる女性なのだ。
幼い頃から色んなところで何度も鉢合わせては、なにかにつけて勝負勝負と挑んでくる変な女性なのだが……アレットは何だかんだで彼女を大切な友人だと思っている。
ただ同時に、これと決めたら梃でも動かない頑固さも持ち合わせている。
シアの表情を見る限り、今回の件、何を言っても無駄だろう。
「言っておきますが、わたくしとアルベルトの二人で十分という言葉に偽りはありませんわ。アレット、貴女の思い上がったその考え、へし折って差し上げますわ」
シアは手を前に。
突き出された掌に光が収束し、神装が発現する。
それは一メルトにも及ぶ翡翠色の巨大な鉄扇だった。
美しい光沢を誇る巨大な鉄扇を軽々と振り回したシアは、その先端をアレットに差し向ける。
神装<風月>。
鉄扇の形状をしたこの神装は、攻撃と言うよりも防御に特化している。
他の神装に比べると耐霊術に秀でており、広げて薙ぎ払うだけで大抵の霊術は消し飛ばせるという非常に厄介な代物だ。
そして、その隣に立つアルベルトの両手には先ほどまで存在していなかった双剣が握られている。
まるで水晶から切り出されたかのように透明で精緻な刀身は、芸術品にも通じる美しさを見て取ることができた。
神装<ヴァリアブルスラスト>。
霊力を通しやすい性質を有するこの双剣は、アルベルトの霊術によって千変万化に色を変える。
時に燃え上がる刀身を、時に凍てつく刀身を、時に紫電を纏った刀身を――相対する相手を選ばない万能の神装である。
シアとアルベルトは花鳥風月のツートップだ。た
たかが二人と侮ることはできない。
アレットは深呼吸を一つして<白桜>に霊力を通すと同時に、全身の霊力を励起する。
飽和する霊力が物理現象に転化して風を巻き起こし、アレットの蒼銀色の髪を激しくなびかせる。
ビリビリと周囲を圧する霊力の波動を受け、シアが若干表情を引きつらせた。
「あ、相変わらず化け物じみた霊力量ですわね。本当にビースティスなのか疑わしいですわ……」
「そうだね、アレットさんの霊力はマナマリオス並だと思うよ。生まれた種族を間違えているような気がしないでもないけどね」
会話しつつもシアが一歩前に出る。
双方、準備は整った。
その瞬間、虚空に数字が浮かび上がりカウントが開始される。
アレットが下段に<白桜>を構えるのに対し、シアは<風月>を広げて水平に構えている。
二人の間にある時間を削り取るように数字が小さくなってゆき、そして――ゼロとなる。
「……ッ!!」
開幕と同時に弾丸のようにアレットが飛び出す。
加速と言う概念すら置き去りにするような疾走はまさに紫電の如し。
一歩目からトップスピードに乗り、アレットは瞬く間にシアとの彼我の距離を踏破する。
だが、シアはアレットの行動を完全に読んでいた。
「打烈!」
水平に構えていた<風月>が大きく薙がれた瞬間、風の塊が射出される。
高密度に圧縮されたこの風弾は、迂闊に接触すればそれだけで内に秘めた暴風を一切容赦なく敵に炸裂させる。
無論、そうなればアレットが体勢を崩すのは必至だ。
だが、アレットは躊躇うことなくこの風弾に突っ込み――受け流した。
霊力を読み、風を感じ、己の内に秘めた直感とセンスでその軌道を見切ったアレットは、傾斜をつけた<白桜>で風弾をふんわりと斜め上方へと押し出したのだ。
「なっ!?」
風という形の無いものを受け流す神業に驚愕するシアだったが、すぐさま我に返り前方に向けて<風月>を振り抜いた。
目の前にはもう……<白桜>を振りかぶったアレットが迫っていたのだから。
甲高い金属音と共に<風月>と<白桜>が激突する。
しかし、単純な力比べでは完全にアレットに分がある。
突進力をそのまま上乗せした斬撃に耐えきれるわけもなく、シアの体が軽々と吹き飛ぶ。
更なる追撃を掛けんと突進しようとしたアレットだったが……真横から襲い掛かってきた双刃を回避するために、身をひねった。
「シア、突出しすぎ」
アレットは身をひねって回避しつつ、その動作そのものを斬撃に転化させ、アルベルトに向けて一閃を見舞う。
対するアルベルトはあえてその斬撃を真っ向から受け止めることで、その勢いを利用してアレットと距離を取った。
「エレメンタルバレット!」
本来必要とされる詠唱を省略して顕現するのは、炎弾、水弾、鉄弾、風弾の四種。
それが無数に出現し、一斉にアレットに向けて飛翔する。
各属性に応じた障壁を展開する相手に対して非常に有効な霊術なのだが――霊力そのものを力へと転化するアレットに対しては牽制にしかならない。
「桜花繚乱」
アレットは<白桜>へ霊力を流し込み、大上段から降り抜いた。
霊力そのものが衝撃波と化し、アルベルトが放ったエレメンタルバレットを全て飲み込み相殺する。
だが……それでも勢いは止まらず、衝撃波は後方に控えていたアルベルトに襲い掛かった。
「させませんわ!」
しかし、アルベルトが桜花繚乱に飲み込まれる瞬間、シアが間に割って入りながら<風月>を振るう。
流麗な軌跡で<風月>が一振りされると、先ほどまで猛威を振るっていた桜花繚乱が呆気ないほど簡単に結合を解かれ、周囲に霧散してゆく。
「……それはこちらも同じ」
シアという有能な護り手がいる以上、遠距離攻撃で決着がつくとはアレットも考えていない。
桜花繚乱はあくまで囮。
桜花繚乱に紛れて一気に接近していたアレットが、再び<白桜>による斬撃をシアに見舞う……が、絶妙なタイミングでシアと入れ替わったアルベルトが、斬撃を受け止めた。
その間、後退したシアが<風月>を水平に構え――アレットに向けて大きな動作で薙ぐ。
「乱風!」
大きく<風月>が翻ると、エレメンタルフィールド内に凄まじい突風が吹き荒れた。
「く……!」
咄嗟に退避したアルベルトとは対照的に、これをまともに浴びたアレットは無理せずに風の勢いに身を任せて、一気に後退する。
その場に強引に留まれば、霊術による一斉掃射で的にされるのがオチだ。
双方、一定の距離を置いて再び相対する。
一瞬の攻防だが……それでもその密度は濃い。
軽く息を弾ませながら<白桜>を構えるアレットの前で、シアが額に浮かび上がる汗を拭う。
「相変わらず無茶苦茶ですわ……っ」
「僕もシアも生粋の前衛じゃないからね。突破力の塊みたいなアレットさんを相手にする以上、苦戦するのは当然だ」
アレットの場合、身体能力が桁外れに高い上に、マナマリオスですら目を剥くほどに莫大な霊力を持っているため、ごり押しがまかり通ってしまうのである。
おまけに、遠、中、近とどの距離においても驚異的な爆発力を誇る技を持ち、本人の類まれなセンスによってどのような攻撃も捌いてしまう。
アレットと対峙した者は、大抵の場合、実力を発揮する以前にアレットの突撃に為す術もなく散ってしまう。
だが……アレットもまたシアとアルベルトを警戒していた。
「……次も先手を取る」
シア・インクレディスは本来、前衛に出るタイプではない。
高い防御力を生かしつつ、後方から適切なタイミングで霊術を放ち前衛を掻き乱すのがシアの持ち味なのだ。
アレットのような尋常ではない突破力を持つ例外を除けば、彼女の<風月>を用いた鉄壁の防御を単身で打ち崩せる相手はほとんどいない。
おまけに彼女は豊富な霊術を習得しており、その中には広範囲、高威力の霊術も含まれている。
放っておけば決定打ともなりうる霊術を放たれることになる。
そして、アルベルトも本来は中距離と近距離を兼任するオールラウンダーだ。
彼のことを器用貧乏と悪しざまに呼ぶ者もいるが……全体的に高い水準でまとまっている彼は、むしろ集団戦において指揮官のような働きをすることが多い。
全体の動きを常に把握し、苦戦を強いられている所のフォローを行ったり、一点突破を掛ける際にはその補助を行ったり……器用貧乏というにはあまりにも変幻自在な活躍を見せる。
つまりはシアもアルベルトも集団戦で己の持ち味を最大限に活かせるのだ。
これに対し、常に個人で戦ってきたアレットが戦いを優勢に進めているのは当然と言えば当然だった。だが――
――マズイ。
アレットの視線の先、シアが後方に下がると同時に、アルベルトが前へ出てきた。
見れば一目でわかる……シアが高威力霊術を使用しようとしている。
高威力の霊術を使用する場合、長い詠唱を必要とする。
だからこそ、シアが詠唱を完了するまで、アルベルトが時間稼ぎをするために前に出てきたのだろう。
事実……シアが静かに詠唱を開始している。
「……させない」
「それは僕も同じこと!」
砲台から撃ち出されたかのような速度で接近するアレットに対し、アルベルトは剣を天に向ける。
「天よりなお高き場所より降り注げ! スターダスト!」
アレットの足を止めようとしているのだろう。
数節の詠唱をもって霊術――スターダストが放たれる。
上空に微かな煌めきが瞬いた瞬間、それが一斉にアレットに向けて降り注ぐ。
その様はまるで雹が降り注ぐ如く。
一つ一つは微小で気に留めるほどでもない霊力弾なのだが……どうにも数が多い。
真正面から突っ込むのは流石に下策と言わざるを得ないだろう――普通ならば。
「……すべて消し飛ばす。烈光昇破」
アレットは<白桜>に霊力を流し込むと、そのまま地面に突き刺した……その瞬間、アレットを中心として大地から光が溢れ出した。
溢れ出た光は瞬く間に光の柱となり、天空から降り注ぐ霊力弾を広範囲で消滅させる。
そして、アレットは大地に突き刺した<白桜>の柄に足を掛けると、そこを足場として大跳躍――アルベルトの頭上を越え、一気にシアへと肉薄する。
「くっ!」
空中で<白桜>を呼び戻したアレットは、詠唱を行っている途中のシアへそのまま斬りかかった。
だが、対するシアもまた詠唱を途中で切り上げ、<風月>を繰りアレットの<白桜>を防ぎきる。
「この馬鹿力……ッ!!」
「……シアももっとご飯を食べればいい」
「どれだけ食べても太らないからそんなことが言えるんですわー!!」
<風月>の一打をもらって弾き返されたアレットだが、その場ですぐさまターンを掛けてシアに斬りかかる。
自身の間合いに持ち込んだのだ……ここで一気に勝負をかける。
「くぅ……!」
霊術を唱える隙など与えない。
通常、大剣は振るうたびに大きな隙が生まれる。
切り返しの際にどうしても動きが止まってしまうからだ。
だが……アレットの場合、振り抜いた後に大刀を切り返さず、腕と体を巧みに回転させながら斬り続けることでこの隙を無くしている。
剣を振るう動作を、次の振り上げる動作とし、さらに次の動作に繋げてゆく。
そのため、剣を振り抜くために使われた力は次の動作へと上乗せされる。
つまり……<白桜>を振るえば振るうほどにその速度と勢いが増していくのである。
その様相はまさに鋼の嵐。
眼前に立ちふさがる一切を容赦なく微塵に絶つ暴虐そのもの。
無限に続く剣戟の嵐を前にして……さすがのシアも膝をついた。
一際甲高い音ともに<風月>が打ち上げられ、耳障りな音ともに地面に落下する。
――アルベルトは……まだ接近してきてないの……?
アレットはシアに<白桜>を突きつけながら、背後に気配を飛ばす。
もちろん、シアに攻撃を集中させている間、背後への警戒も怠ってはいなかったが……アルベルトが一切斬りかかってくる気配がなかったのだ。
だからこそ、まずはシアを無力化したのだが……アレットが視線だけでアルベルトをうかがった瞬間、自分の失策を悟った。
「ふふ、思い込みを利用した即席の策でしたが……何とかなったようですわね」
アレットの背後……そこには詠唱を完了させつつあるアルベルトの姿があった。
シアは普段から後衛にいて霊術による攻撃を主軸に戦っている――だからこそ、アレットはシアを最初に狙い、大規模霊術を使わせないようにしたのだ。
だが、失念していたことが一つある。
それは例え接近戦を主体に戦っていたとしても、アルベルトが霊術において秀でた種族――マナマリオスであるということだ。
彼は強力な霊術を使えないのではない。
使わないだけなのだ。
「汝、我が怨敵を久遠の彼方へ封ぜよ! バインドモノリス」
結びの言葉と共にシアが背後に飛び退る。
次の瞬間、アレットを中心とした周囲の地面から、黒曜石にも似た光沢を持つ鉄塊が――モノリスが八つ直立する。
一つ一つの全長は約八メルト近く。
見上げるほどの大きさだ。
それが渦を描く様に、一気に中心にいるアレットに向けて迫ってくる。
「……っ!」
アレットは凄まじい速さで迫る包囲を抜けるために垂直に飛び上がるが、モノリスの頂点近くに達した瞬間、透明な壁に弾き飛ばされた。
「……結界!?」
空中で体勢を整え地面に着地したアレットだが……その時にはもうモノリスは完全に包囲を終えていた。
アレットがモノリスに触れた瞬間、まるで粘度の高い液体を相手にしているかのように、体がモノリスの中に沈み込む。
「あ……くっ……!」
必死に脱出せんともがくが……モノリスは互いに結着し、一つの巨大な鉄塊へと姿を変える――内部にアレットを取り込んだまま。
呼吸を止め、外に出ようと腕を動かすが……アレットを固めているモノリスが少しずつその硬度を上げてゆく。
まるで、琥珀の中に封じ込められた昆虫の様に、モノリスの中でアレットの自由が奪われてゆく。
この霊術の効果なのか……意識が少しずつ遠くなってゆく中、モノリス越しに厳しい視線を向けてくるシアが見えた。
それが貴女の限界だ――そう訴えかける視線にアレットは力なく笑う。
分かっている。
本当は分かっているのだ。
ただ一人。アレットだけで出来ることなど限られているということは。
それでも、自分が傍にいることで大切な人を巻き込むことは二度としたくなかった。
幼かったあの頃、目の前で徹底的に嬲られるラルフの姿が、いまだに瞼の裏側に焼き付いて離れない。
地面に倒れ伏し、ピクリとも反応しないラルフの体から、ジワジワと鮮血がこぼれ出て地面を染めてゆく光景が――忘れられない。
だから、一人でいい。
一人でいることが原因で、再び酷い目にあおうとも、生涯消えない傷を負おうとも、それが自分一人ならば何の問題もない。耐えることだってできるのだから。
ただ……自分を気遣ってくれる人々に、悪いことをしている自覚はアレットにもあった。
シアはずっと自分のことを心配してくれた。
遠回しすぎて気が付かないことも多かったが……それでも何かと理由をつけてアレットと一緒に行動したり、アレットのリンクにお勧めの人間を紹介したりと、アレットを孤独から遠ざけようと必死になってくれた。
ラルフとミリアも久しぶりの再会を心から喜んでくれたのに……アレットは二人を自分から遠ざけようとした。
アレットの内心を見破った時に見せたミリアの静謐な瞳が。
二人を遠ざけようとしていると分かった時の悲しそうなラルフの瞳が。
今もアレットの心に罪悪感と言う刃となって突き立つ。
――ラルフ……ミリア……。
でも、それももう終わるだろう。
今回の戦いでアレットが負ければ、ラルフもミリアも、そしてその友人のティアも花鳥風月に入ることになるだろう。
そうすれば自然とアレットとの接点も減ってゆく。
人は接点が無くなれば自然と疎遠になってゆく生き物だ。
少しずつ少しずつ……まるで、風化するように二人の中にある『アレット・クロフォード』との思い出は形を失い、最後には消え去ってゆくだろう。
それで良い。それで良いのだ。
心の中……その最奥の部分がズキリと痛んだが、それもきっといつかは消える。
アレットは静かに目を閉じ、少しずつ薄れてゆく意識に身を任せる。
モノリスは既に硬化を終え、もうアレットは指一本動かせない。
外から聞こえる音も少しずつ消えてゆき、完全なる暗黒と無音に支配されてゆく。
――ごめんね、二人とも……。
本当に弟妹のように思っている二人に詫び、アレットは意識を完全に手放す――その瞬間だった。
「ねーちゃんを離せぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
あの時と同じように、声が、聞こえた。