アルベルトの追想③ / 黒幕の輪郭
セシリーと一緒に過ごす日々は本当に楽しかった。
無言を貫いた日々が長かったためか、口数の少ない大人しい子だという印象が強かったのだけれど……一度口を開いたセシリーは、とてもおしゃべりが好きな女の子だった。
長い間、誰とも話すことがなかったからだろう……喋り方はたどたどしくて、つっかえつっかえで、決して話すのが上手ではなかった。けれど、一言一言をとても大切にしていて、何よりも僕との会話を本当に楽しみにしていてくれていると、ヒシヒシ伝わってきた。
だから僕は、彼女の話を聞くのが大好きだったし、分からないことがあれば、曖昧に返事をするのではなく、きちんと分かるまで尋ねた。
彼女の話の大半は本から得た知識だった。
なんでも、幼いころからずっと屋敷に閉じこもっていて、そこにあった巨大な書庫にあった本を、片っ端から読みふけっていたらしい。
実際、彼女の知識量は教師顔負けで、この学校の勉強なんてとうの昔に置き去りにしてしまうほどだった。
ただ……逆に言ってしまえば、彼女は『本から得た知識しか知らなかった』。
だから、僕はその分、学校で起こった出来事、家族との思い出、四季折々の行事などなど、生で体験をした出来事について話をした。
僕が話をすると、彼女は決まって瞳をキラキラと輝かせて、もっともっとと続きをせがんできたものだった。それが、まるで親鳥から餌をもらうのを待つ雛鳥のようで、とても可愛らしかったと感じていたのは、今でも秘密だ。
彼女と話をする放課後の一時間……長い年月が経ってしまったけれど、今でもその一つ一つを鮮明に思い出すことができる。それだけ、セシリーと話をする時間が、僕は大好きだった。
そして、そんな僕の話に触発されたのだろう……セシリーは、本で得た知識を実際に試すようになった。
自分で焼いたクッキーを持ってきてくれたり、書物に書かれていた霊術を実際に試してみたり、観光名所に行ってみたいとねだってきたり。
まるでそれは、失ってしまった彼女の色彩を取り戻すかのようで。日々を重ねるごとにセシリーは色鮮やかになってゆき、どんどん魅力的な少女になっていった。
だから……そんな彼女に、どんどん心惹かれていったのは当然の成り行きだったのだと思う。
そして、決定打となったのは――彼女が甘えた声で「アル?」と僕のことを愛称で呼んだ時だった。何というか……本当に卑怯だった。
これで惚れるなというのは、どう考えても無理な話だ。
だから僕も、少し照れながら「なぁに? セシリー」と愛称で返すと、彼女は極上の笑顔を浮かべて笑ってくれた。
こんな日々が永遠に続くんだと……この時の僕は、当然のようにそう思っていたんだ。
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暖かい温もりがもぞもぞと動く感触に、ラルフは意識を覚醒させた。
目を開いてみれば、ティアが体を小さく丸めてラルフの腕の中でもぞもぞと動いていた。まるで寒さから自分の身を守るように小さくなる彼女は、何だか小動物のようでラルフは思わず小さく笑ってしまった。
「さて、今日は学院長の定期診断があるけれど……その前に、アルベルト先輩の所に寄るかな」
あやすように、ティアの背中をぽんぽんと叩きながらラルフはそう呟く。
昨日は色々あったせいでアルベルトに報告するのが遅れてしまった。アルベルトは、日中は手がかりを探して学院を歩き回っているはずだが……この時間帯、チェリルの病室で護衛兼仮眠を取っているはずだ。
「よっし……」
ラルフはティアを起こさないようにベッドを抜け出すと、軽く拳を握って意識を集中。すると、拳を覆うようにうっすらと炎が発現する。
以前に比べるとまだまだ小さいものの……それでも、まったく<フレイムハート>が動かなかった時に比べれば、格段の回復だ。これも、アレットと霊的なパスで繋がった影響だろう。
「ま、少しは戦えるかな」
万全とは言えないが、必要最小限の力は戻ってきた。これだけでもかなり頼もしい。
その場で軽く拳を振るっていると……その物音で起きたのだろう。ベッドの上でむくりとティアが身を起こした。
「…………」
「や、やぁ、おはよう、ティア」
内心で昨日のことを引きずっていることもあって、若干引きつった笑顔で言うラルフだが……当のティアは起き抜けだからか、ぼんやりとしている。
寝乱れた髪に、ぬぼーっとした表情のまま、ティアはラルフに向かって、ちょいちょいと手招きをする。目が据わっているので妙に怖い。
「はいはい?」
ラルフがのこのことティアの傍に近寄って行くと……彼女は無防備に両手を伸ばし、そのままラルフの胸ぐらをつかむと、ベッドに引き倒した。
「え、ちょぉっ!?」
そして、倒れたラルフの上にのしかかると、ティアは両手両足をラルフの体に絡め、ガッチリロック……抱き枕状態である。
強引に力を込めれば振り払えるのだろうが……女性相手にそこまでしていいのかという疑問が、それを許さない。
「起きて、ティア! 男の尊厳が……こう、危ない予感が!」
「んにゅ……」
全身に満遍なく押しつけられる温もりやら、柔らかい感触に、顔が瞬時にオーバーヒートする。ただまぁ、不埒を働こうにも、両腕もロックされているので何もできないのだが。
しかし、ピンチはそれだけではない。
「んぅ……ラルフぅ……きしゅ……」
「はっ!?」
ぷるんとしたみずみずしい唇が、ふっくらと首筋に押し当てられる。ぞくぞくと背筋にむずがゆさが這い上がってくる。
「ちょ、ちょぉぉぉ!?」
「ん……もっと……」
「追撃! 追撃ですか、ティア先生! これはなかなかのインファイトですよ!」
もはや、ラルフ自身動転しまくって自分が何を言ってるのかよく分かっていない。
唇に向かって這い上がってくるティアの柔らかな唇の感触を感じながら、ラルフは少し強めに体を揺するが……全くといっていいほどにびくともしない。
「ちょ、たす……助けてぇぇぇぇぇぇッ!!」
ラルフの悲痛な叫びが部屋を満たすが、無論誰も助けに来るはずなどなく。
結局、ティアが正気に戻るまで、ラルフは体のいたる所にキスマークをつけられる羽目になったのであった……。
――――――――――――――――――――――――――――
朝のドタバタを何とか乗り切って、総合病院にやってきたラルフは、チェリルが入院している病室へとやってきていた。
「やぁ、ラルフ君、顔がすごいことになってるね」
「あんまりそこには突っ込まないでください」
ラルフの首筋や頬やまぶたが赤くなっているのを指して、アルベルトが小さく苦笑する。見る人が見れば一発でそれがキスマークであるということがわかるだろう。
更に言えば……正気に戻ったティアが、羞恥のあまり繰り出したBINTAによって、ラルフの左頬には見事なモミジが紅葉していた。まぁ、こればっかりは自分が悪いと理解していたようで、ティアも慌てて謝ってくれたのだが……何だか釈然としない。
ただ……見目が酷いというのであれば、アルベルトもラルフに負けてはいない。
長期間、まともな睡眠がとれていないのだろう。目の下には濃いクマが浮かんでおり、髪も艶を失ってバサバサになっている。
普段から小綺麗で清潔感のある格好をしているアルベルトにしては珍しい……というか、そこまで気を回せるほど余裕がないのだろう。
――まぁ、無理もないよな。
旧知の仲であるセシリア・ベルリ・グラハンエルクが凶行に及んだあげく、親友であり三獣姫の一人であるシア・インクレディスを襲撃したのだ……焦るはずだ。
概して、アルベルトのようなタイプの人物は、自身の苦難は軽やかに乗り越えられても、他者の苦難は重く受け止めてしまうことが多い。ある意味、今回の事件はアルベルトとは相性が最悪と言っても良いだろう。
『アルベルト殿、少しは休息を取った方がいいのではないか?』
今朝の件は黙秘してくれたアルティアが、ラルフの頭から忠告をすると、アルベルトは淡く微笑んでみせた。
「大丈夫ですよ、アルティアさん。幸い、昨日は彼女のおかげで少しは眠れましたから」
アルベルトが視線を軽く横にずらした先……そこには、メイド服を身に纏ったドミニオスの女性が何気なく立っていた。
「おはようございます、ラルフ様。ティア様とイチャコラブコメしてキスマークを顔面にべたべたひっつけた上で、疲労困憊のアルベルト様の前にのこのこ出てくるとは良い根性をしていますね。私も見習いたいです」
「ごめんなさい、そこは本当にごめんなさい」
昨日の現場検証で世話になったドミニオスのメイド――シエルである。
相変わらずの鉄面皮から繰り出される毒舌にタジタジである。冷や汗を浮かべて凍り付くラルフに、アルベルトは笑いながら口を開く。
「昨日からここに来たシエルさんが、少しの間見張りを変わってくれたんだよ。そのおかげで、久しぶりに睡眠もとれたし……これでもだいぶん調子は良いんだ」
「四国同盟によって護られたこの島では迂闊な行動はとれませんからね。事件究明の最短経路はチェリル様の目覚めを待つことです。それに、ここにいれば、『この事件に関わった生徒の安全を護れ』というグレン様の命令も果たすことができますし、一石二鳥です」
「なるほど……」
そう言いながらも、ラルフは内心でどうしたものかと首を傾げる。
昨日、シエルから得た情報を、こっそりアルベルトと共有するため、ここに来たラルフだが……その情報の出所であるシエルがこうもすぐ傍に居ると、とてもやりにくい。
――腹を割るか。
ラルフは内心でそう決めると、シエルの方へと顔を向ける。
「シエルさん」
「なんでしょうか、性欲魔神様……おっと、口が滑りました。なんでしょう、ラルフ様」
「つるっつるですね、貴女の口は!? ま、まぁ、それはおいといて……」
一つ咳払いをして気を取り直すと、ラルフは再度顔を上げる。
「シエルさん、今回の事件にアルベルト先輩は深く関わっていて、容疑者を特定もしています。昨日の情報を共有できれば、事件解決に近づくと思うんですが……」
ラルフの進言に、ふむ、とシエルは考え込む。
これは、言い替えてしまえば、『昨日の情報を教えてくれれば、代わりに犯人が誰なのかを教える』ということだ。まぁ、昨夜の内にアルベルトが事情を全てシエルに話してしまっていた場合、この交渉は完全に無意味になるのだが……。
ラルフがアルベルトを見ると、彼は軽く肩をすくめた。どうやら、アルベルトもシエルに全てを話しているわけではないようだ。
「……分かりました。極秘事項もありますので、全ては語れませんが、概要だけならば問題ないでしょう。情報交換と行きましょう、アルベルト様」
「分かりました。こちらも知っている限りのことを話しましょう」
こうして、シエルからは今回の黒幕がエア・クリアの一連の騒動に深く関わっていることを、そして、アルベルトからは実行犯と黒幕が別人物であることを――双方、真に重要なことは巧妙に隠しつつ、情報交換を終える。
「なるほど……今回の事件、思った以上に大事だね。まさか、国家間の騒動にまで事が波及するとは」
アルベルトは腕を組んでうなり声を上げた。
学院内部の事件だろうと思っていたが、一転……今回の事件そのものが、エア・クリアの『人造インフィニティー計画』の火消しだったわけだ。
第Ⅶ終生獣ジャバウォックが、浮遊大陸エア・クリアを襲撃したからこそ、今回の事件が白日の下に晒されたというのが何とも皮肉である。
対して、シエルもまた難しい顔をしている。
「なるほど、実行犯の裏側に真の黒幕がいると……」
そう、実際にセシリアの名前は出していないものの……アルベルトの持つ情報から実行犯の背後にもう一人の人物がいることが浮かび上がったのである。
「えーっと、つまり……えっと……」
たくさんの情報を必死に整理しようとして、更にごちゃごちゃになっているラルフを見て、アルティアが小さく吐息を付く。
『ふむ、では、今まで出そろった情報を軽くまとめてみようか。全員の意見の一致を見るためにも有意義なことだろう』
「また、えらく弁舌鮮やかなヒヨコですね。これ、ラルフ様の使い魔ですか?」
「いや、まぁ……似たようなもんです」
説明すると更に事態がややこしくなるため、ラルフは曖昧に笑いながら、お茶を濁す。当の本人であるアルティアもそれは理解しているため言及こそしなかったが……やはりというかなんというか、渋い表情をしている。
『黒幕は過去に、浮遊大陸エア・クリアでザイナリア・ソルヴィムが主導していた禁忌の計画『人造インフィニティー計画』に力を貸していたマナマリオス。秘密裏に進められていた計画だったが、大型終世獣の襲来によってこれが露呈……この極秘資料が、当時、大陸にいたグレン・ロードの手に渡った。シルフェリスの闇を暴かんとしたグレン・ロードだったが、この極秘資料には高度な暗号が施されていたため、この解読をチェリルに依頼した、と……』
一息つき、更に言葉を続ける。
『これを察知した黒幕は焦った。自身が『人造インフィニティー計画』に関わっていたと知られるわけにはいかないからだ。そのため、黒幕とは別の実行犯を使って、チェリルを襲撃。資料を回収した。だが、ここで誤算が一つ発生する……それは、アルベルト殿の介入によって、チェリルの息の根を止め損なったことだ。そのため、黒幕は引き続き実行犯を使って、チェリルの襲撃を行っている……というところか』
「補足するなら、この襲撃を引き続き僕によって妨害された黒幕は、僕の介入を止めさせるために、脅迫としてシア・インクレディスを襲撃させた……ってところかな」
『んむ』
アルベルトが最後に付け加えた補足に、アルティアは満足そうに頷いて答える。
こうして全体の流れを改めて一つにしてみると、何となく黒幕の人物像の輪郭が見えてくる。ラルフは何とか頭の中で情報を整理しながら、口を開く。
「つまり……黒幕は、人造インフィニティー計画を援助できるほどの財力がある人物で、かつ、実行犯と関わりのある人ってことか」
シエルには具体的に実行犯の名前――セシリアのことは出していないが、ラルフとアルベルトの間には共通認識として存在している。
ラルフがそんな人物がいないか、頭の中で検索をしていると……不意に、アルベルトが分からないという感じで首を傾げた。
「しかし、マナマリオス製の機材を提供しただけで、人造インフィニティー計画が進展したっていうところが微妙に納得できないな」
「なぜですか? マナマリオスの技術力は他種族にはないものです。それを組み合わせて、成功に至ったと考えれば、違和感はないかと思いますが……」
シエルの疑問に、アルベルトは首を横に振る。
「いえ、ザイナリア卿はとんでもなく行動力のある人です。それで成功できると分かっていたのなら、もっと早くそうしたことでしょう。少なくとも、それまではこの計画自体、難航していたわけですから……何か、黒幕の援助以外の、別のファクターがあったと考えた方が自然のような……」
己の中にある疑問を、滔々と言葉にしてゆくアルベルトの問いに答えたのは……全く、予想もしない人物だった。
「それは簡単だ。ボクが突きとめた事実――つまり、インフィニティーの因子は、魂ではなく肉体に依存するということが分かったからだよ。これによって、インフィニティー計画は、最終フェイズに移行。黒幕は、その大前提があったからこそ、培養槽なんてピンポイントな代物を、ザイナリアに寄越したのさ」
全員が驚きと共に振り返った先……そこには、ベッドの上で上体を起き上がらせたチェリルがいた。誰もが唖然とする中、ラルフだけがチェリルを見て、目を細めた。
「チェリル……いや、違う……貴女は……」
「ふぅ、やれやれ。ボクはもう表舞台に出るつもりはなかったのだがね。あぁ、チェリルの人格はまだ眠っているよ。目覚めるまでもう少し掛かりそうだね」
目覚めたのはチェリルではなく、その中にあるもう一つの人格だったのである。
その証拠に、つねにオドオドしているチェリルとは異なり、その表情に浮かんでいるのは傲慢不遜という言葉を形にしたような、凄味のある笑みだ。
まるで、刃物のように鋭い眼光を宿し、彼女はその場にいる三人を睥睨するように見回す。
「さて、今の話を聞いて、ボクは完全に答えに行きついたよ。それじゃあ、答え合わせをしようじゃないか、諸君」
そういって、彼女は指揮者のように大きく両手を広げたのであった……。