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灼熱無双のフレイムハート~創世の獣と聖樹の物語~  作者: 秋津呉羽
十章 君の手を握って、離さないように~欲望の心~
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アルベルトの追想 / 一緒にいたいと願うこと

 幼い頃、僕――アルベルト・フィス・グレインバーグが、初めてセシリア・ベルリ・グラハンエルクを見かけたのは、教室の窓から何気なく外を眺めた時だった。

 校庭に植えられた樹が大きく枝葉を広げ、鬱蒼と茂った葉が風にゆらゆらと揺れる……その下で、樹の幹に背を預け、分厚い本を物凄い速度で読み上げてゆく一人の女の子。

 最初はただ変わった子だな、と思う程度だった。

 けれど、毎日毎日、欠かすことなく……それこそ、ここは私の指定席だと言わんばかりに居座る彼女を見ていると、少し興味が沸いた。

 どんな子なんだろう?

 会いたいと思った……けれど、周囲に皆は必死に僕を止めた。

 彼女は『死神のセシリア』――関わる者を例外なく不幸に突き落す呪われた少女なのだと。

 ただ……子供特有の怖いもの知らずというやつだったんだと思う。僕は周囲の警告を特に気にすることなく彼女の傍へと歩み寄った。


「こんな所で何してるの?」


 僕の問いかけに彼女は顔を上げ……そして、彼女の瞳を前にした瞬間、僕はその場から一歩、下がりそうになった。

 マナマリオス特有の蒼の瞳……だが、彼女の瞳はまるで、人が決して生身では踏み込めない深海を思わせた。深く、昏く、そして、どこまでも他者を拒絶する蒼。


「……」


 彼女は僕を一目見ると、すぐに興味を失ったかのように視線を本に戻した。

 そんな彼女を前にして、僕はただただ無言でその場で立ち尽くした。初めて見たその得体の知れない瞳を前にして、僕の胸の内にあった感情は少しの恐怖と……初めて感じる鼓動の高鳴りだった。

 今だから思うのだけれど、この時、僕はセシリアという少女にどうしようもなく惹かれてしまったんだと思う。

 同世代の誰とも異なる深遠な瞳に、ミステリアスで端正な横顔、そして、世界中の全てを拒絶する刃物のような雰囲気――まるで、彼女は異世界の住人で、自分をどこか知らない世界に連れて行ってくれるのではないかと、そんな期待を何の根拠もなく抱いてしまっていた。


「本を読んでるんだ、何を読んでるの?」


 僕はそう言って彼女の隣に、許可もなく腰を下ろした。

 こうして、僕とセシリーの交流が始まったのだった……。


 ――――――――――――――――――――――――――――


 ティアの機嫌が直らない。

 深夜、ベッドの中に入ってぼんやりと天井を眺めていたラルフは、大きくため息をついた。

 ドミニオスのメイド、シエルとのいざこざで別れたラルフとティアだが、それっきり一度も顔を合わせていない。同じ部屋なのだから、普通に生活していれば自然と顔を合わせるはずなのだが……ティアは部屋に閉じこもったまま出てくる様子がないのである。

 一度話をしようと思い、ラルフはティアの部屋を尋ねたものの……ノックをしても梨の礫であった。扉の向こう側から気配は感じるので、いるのは確実なのだが……。


「はぁぁぁぁ……」


 ラルフは肺の中にある空気を全て吐くように、大きなため息をついた。

 ティアが心配してくれているのは素直に嬉しい。だが……シエルも言ったとおり、今回の調査隊は非情に危険なのだ。言ってしまえば、手の内が全く分からない敵の懐に飛び込むようなものだ。なればこそ、余計にティアを連れて行くとはできない。

 だからといって、ラルフが今回の調査隊から抜けるという選択肢もない。

 なぜならば、ラルフ・ティファートが、ミリア・オルレットを見捨てることができるはずないのだから。


「分かってくれ……とは言えないよなぁ」


 ラルフは強い困惑を言葉に乗っけて、呟く。

 ラルフには、ティアに関する過去の記憶が欠落している。そのため、どうしてもティアとの間に温度差ができてしまうのだ。ラルフにとってティアとは、『何の前触れもなく、いきなり目の前に現れた好感度MAXの美少女』なのである。

 よっしゃ、ラッキー! と開き直ることができたなら楽なのだろうが、あいにく、ラルフはそこまで粗忽者ではない。


 ――ティアの様子からして、前の俺は彼女のことを大切にしてたんだろうな-。


 ティアの様子を見れば何となく分かる。以前のラルフは、本当にティアのことが好きだったのだろう。だからこそ……余計に罪悪感が募ってしまう。

 どれだけティアが、万感の愛情が込められた言葉と想いをぶつけても、ラルフはそれを受け止めることができないのである。

 だからこそ、そこに齟齬が生じる。どうしてもすれ違ってしまう。


「…………寝よ」


 ラルフはもう一度嘆息すると、上体を起こして机に置いてあった霊灯を消す。

 すでにアルティアは机の上に設置された止まり木の上で、鼻提灯を膨らませながら眠っている……気楽なものである。

 速やかに闇に染まった室内で、ラルフは投げやり気味にベッドに寝転がると、静かに目を閉じた。今日は色々あったからだろう……ラルフの意識は、自分でも驚くぐらい、速やかに暗闇の中に落ちていったのであった……。



 それからどれだけの時間が経ったのか……ラルフの意識が突然、急浮上した。

 寝起きであるにも関わらず意識は冴え、混濁は見られない。自然な目覚めではない……不自然な気配を察知したからこそ、体と頭が強制的に覚醒へと引き上げられたのだ。

 これは、幼い頃にゴルドと一緒に山籠もりをした際に鍛えられた技能である。猛獣が跋扈する山中で不用意に熟睡でもしようものなら、簡単に獣の腹に収まってしまう。だからこそ、睡眠中であろうとも意識の手綱は容易には手放さず、何らかの気配が近寄ってきたならば、すぐに自身の体を叩き起こせるようにしておかなければならない。

 まぁ……さすがにこのフェイムダルト神装学院に猛獣がうろついているわけないのだが、習慣とはなかなかに抜けないものである。


 ――誰だ……もしかして、セシリア先輩か……?


 ベッドの中で横になりながらも、ラルフは扉の向こう側にいる気配を探る。その間に、不審な気配はおずおずとした様子で扉を開くと、部屋の中に侵入してくる。

 だが、侵入者が近づいてくれば来るほどに、その気配が見知ったものであると気がつく。

 なにせ、ここ最近、似たようなことがあったばかりなのだから。


「えっと、ティア。何してるの?」


 くるりと寝返りをうってみれば、そこにいたのは金髪碧眼のシルフェリスの女性――ティア・フローレスであった。フリルがふんだんに使われた可愛らしいネグリジェを身に纏った彼女は、胸元に枕を抱きしめ、無言のままにラルフのベッドに近づいてくる。

 え? え? と取り乱すラルフとは対照的に、妙に据わった瞳をしたティアは、枕を放り投げると問答無用でベッドに侵入してきた。


「え!? ちょ、何してんの!?」


 完全に動揺しているラルフに構うことなく、彼女は毛布の中をもぞもぞと移動し……そして、そのままラルフの胸に縋り付くようにピッタリと身を寄せてきた。


「―――――――――――――――っ」


 あまりにも予想外なことに息が詰まる。目の前……毛布に収まりきらなかった純白の六枚翼が、ゆらゆらと揺れているのを、まるで他人事のようにラルフは見ていた。

 だが……今はそんなことよりもティア本人だ。まるで、ラルフの鼓動を聞くかのようにピッタリと胸に顔を寄せ、腰に両手を回し、体全体で密着してくる。

 ティアの吐息は熱く、早く、荒い。まるで、熱に浮かされたかのように。


「あ……その…………」


 ティアの体の温もりや柔らかさが肌を通して浸透してくる上に、シャンプーの香りとティア自身の蜂蜜のような匂いが鼻孔をくすぐる。

 恐らく、彼女には全力で脈動をしているラルフの鼓動など、丸わかりだろう。これ以上ないほどに顔を赤くしたラルフは、手のやり場に困ってアワアワと慌てふためく。

 動揺の境地にいたラルフだが……そんな彼の耳に、小さくティアの声が触れた。


「……わがまま言って、ごめんなさい」

「ティア……?」


 彼女の懺悔の言葉に、ラルフの動揺が小さくなってゆく。

 両手をまっすぐに頭上に上げるという、非情に締まらない体勢のまま硬直しているラルフに、ティアはぽつぽつと呟く。


「本当はね……分かってたんだ……貴方はきっと私が一緒に行くことを許してくれないだろうなって……」

「そうなの?」


 ラルフが言うと、ティアは小さく頷いた。


「私はインフィニティーになって強くなった。けど……それでも、いざ、戦いになれば素人には変わりないもの。今だって、エミリー先生と模擬戦をしたら、コテンパンにやられちゃうし……」


 確かに、純粋な霊術の出力や、才能で言うならばティアに匹敵する霊術師はこの世界にいない。だが……今のティアには圧倒的に実戦経験が足りていない。冒険者として、教師として、数多の修羅場をくぐり抜けた海千山千のエミリーには及ばないのだ。

 命を賭して戦うという場面において、『経験』は『才能』を軽く凌駕する。

 『才能』とは掘り出し、研磨し、形を整え、それを活かす環境を与えられて初めて輝くのだ。将来を期待された武術の天才が勇んで出陣したものの、雑兵に囲まれて呆気なく滅多刺しにされた話など枚挙に暇がない。

 そして、ティアはそのことをよく理解している。というよりも……浮遊大陸エア・クリアでドミニク達に追い回されて、嫌でも理解したのだろう。


「じゃあ、なんであんなに付いてきたがったんだ……?」


 ラルフの純粋な疑問に、ティアはぎゅっと抱きしめる腕に力を込めることで答える。


「だって……ラルフは私がどれだけ必死に止めても、行っちゃうでしょ……?」

「……………………」


 それは問いかけの形を取った確信の言葉だった。

 ひっく、と小さくしゃくり上げたティアは、顔を上げてラルフの顔をジッと見つめてくる。目の前にある整った顔立ち、そして、白く柔らかな頬に残る痛々しい涙の跡……それを見たラルフの胸に、ズキリと痛みが走った。


「ラルフの信念は、ミリアとの大切な約束から始まったんだよね……なら、ラルフがミリアのことを放っておくはずないもの。例えどんな無茶をしても、ミリアを助けに行くはずだよね」

「何でそれを……」


 ラルフは驚きに目を見張った。

 それはラルフとミリアしか知らない約束……少なくとも、気安く触れ回るような話題ではないことは確かだ。それをティアが知っているということは、記憶を失う前のラルフはティアのことを心の底から信頼していたのだろう。


「だから……どれだけ私が止めても、ラルフは止まらない。なら、私がついていくしかないじゃない。それが無茶だって分かっていても、貴方に置いて行かれないようにするには、それしかないじゃない……」


 その言葉を聞いた瞬間、ラルフは理解した。

 ラルフがこの学院を退学してでもミリアを追うと言った時、意地でもティアが付いて来ようとしたのは……ラルフに置いて行かれることを恐れたからなのだろう。

 それは同時に、その先に命を脅かすほどの危険が待っていると理解してもなお、ティアはラルフと添い遂げたいと願ったことに他ならない。


「燐クラスの落ちこぼれ……私とラルフはそのはずだったのに、貴方の歩みは驚くほど速くて。次々と学院の強敵を倒して、気がつけば、大型終生獣すらもたった一人で倒せるほどに強くなって……次は国王の要請で国家間レベルの調査隊に招集されて……」


 ティアの震えた声が、ラルフの心に突き刺さる。何も言えないラルフに、ティアは蕩々と己の心の内を吐露してゆく。


「私は、貴方に置いて行かれないように必死で走って、走って……それでも、貴方の背中は遠ざかっていく一方で。私がどれだけ泣き叫んでも、振り返ってもくれない……」

「そ、そんなことは……」

「なら、行かないでって言ったら……私の傍に居てって言ったら……ラルフは調査隊に行くのを止めてくれる?」

「そ……れは……」


 咄嗟に口をついて出たラルフの言葉を、ティアは一蹴してしまう。中途半端な、場つなぎの言葉なんて許さないとばかりに。

 言葉に詰まってしまうラルフだったが……目の前でティアは、小さく微笑むと甘えるようにラルフの首筋に顔を寄せる。


「意地悪してゴメン……それが貴方だもんね。そんなラルフだから、私は愛したんだもの。それは十分に分かっているの。でも……でもね……」


 ティアはそう言って、震える声と瞳で、ラルフをまっすぐに見つめて訴えかける。


「もう、忘れられるのは……嫌だよぅ……」

「ティア……」

「自分でもどうしようもないぐらい、怖いの……また、ラルフが私の顔を見て『君は誰?』っていうのが……怖くて、怖くて、しょうがないよぅ……」


 ぽろぽろと涙を流しながらも、ティアは目を逸らすことなく、ジッとラルフに訴えてくる。


「きっと、ラルフは調査隊が大型終世獣と遭遇したら、一人で全てを引き受けるよね。そして、誰よりも傷ついて、誰よりもボロボロになって……それでも、必死に戦って……。誰よりも矢面に立って、誰よりも身も心も傷つくって分かっているのに、それでもラルフは私に、『待ってろ』っていうの? 私は……貴方のために本当に何もできないの?」

「…………」


 何も言えなかった。

 恐らく、ラルフは第Ⅶ大型終世獣ジャバウォックと戦う前も、彼女に『帰ってくる』と言ったのだろう。ティアはきっと、その言葉を信じてラルフが無事に帰ってくることを待って……そして、絶望したのだ。

 どうすれば――ただただラルフのことを想う心優しい彼女を傷つけない選択が出来るのだろうか。調査隊に付いてくることを許せばティアの身を危険に晒し、かといって、一度は盛大に裏切った癖に、もう一度何食わぬ顔で『待っていて』と嘯くのか。

 ラルフは大きく息を吸って……けれど、何も言えずに俯いた。


「ごめん」

「謝ってほしい訳じゃない……」


 ぎゅぅっと抱き着きながら、ティアが絞り出すようにラルフの謝罪を切って捨てる。

 随分と短くなった彼女の髪を撫でながら、ラルフはただ無言。ティアもまた無言でラルフの胸に顔を埋め……そして、小さく、小さく、呟いた。


「これだけ言っても……ラルフは行っちゃうんだよね……」

「……あぁ」

「私は……付いていっちゃ……ダメなんだよね……」

「……ゴメン」

「大嫌い……」


 結局……彼女に言わせてしまったことに、ラルフは尋常ではない自己嫌悪に襲われる。ティアはラルフの胸に頬を寄せたまま、震える吐息をつく。


「ならせめて、今日は一緒にいて……」

「分かった」

「んぅ……」


 ぐずるように小さく身を揺すったティアだったが、その数分後に小さく寝息を立て始めた。そんな彼女の髪を撫で、もう一度ごめんと呟いたラルフもまた、目を閉じる。

 ただ、今は泥の中に沈み込むように眠ってしまいたかった……。


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