貴方の力になりたいだけなのに
「人造インフィニティー計画……?」
聞き慣れない単語をオウム返しにするラルフに、シエルは頷くことで答える。
「無限の霊力を操るシルフェリス――インフィニティー。その存在を人為的に作りださんとした計画です。グレン様から聞いた話では、過去、一度は頓挫したはずなのですが……」
そう言って、シエルは嫌悪感に顔を歪める。
「どうやら水面下で計画は進行していたようです。その成果物であるオルフィ女王の複製体で【リベリオン・クレスト】というインフィニティー部隊を結成。この部隊はゲイルゴッド攻防戦に投入されています」
「もしかして……あのとき、ギンヌンガガプを撃ったのは……」
『うむ、その【リベリオン・クレスト】とやらかもしれんな』
ラルフごと第Ⅶ大型終生獣ジャバウォックを屠らんと発動した、戦略級霊術のことを思い出し、ラルフは眉をひそめた。まぁ、結局はジャバウォックに吸収されてしまったのだが……確かにアレは、強力極まりない代物だった。
「ちょ、ちょっと待って! オルフィ様の複製体って……ッ!! な、なんて罰当たりな……ッ!!」
ラルフの隣で、ティアが慌てたように首を突っ込んでくる。
ティアが慌てるのも無理はない。なにせ、オルフィはシルフェリス達にとって不可侵で神聖な存在だ……その複製体が裏で作られていたなど、看過できるわけがない。
憤るティアだが、そんな彼女にシエルは冷めた視線を向ける。
「まだ複製体はマシです。最初期の人造インフィニティー計画は、魂の現し身である神装を人為的に歪めることで、インフィニティーを作ろうとしていたらしいですしね。そのプロトタイプである【コード:エミリー】が、確か今、この学院で教員をやっているはずですが」
「【コード:エミリー】って……エミリー先生のこと……か……?」
神装を人為的に歪めるということは、つまり、人の手で魂を弄ることを意味する。人の尊厳や道徳といったものに唾を吐きかけるような非人道的な研究である。
ちなみにだが……この研究は、ラルフの父であるゴルド・ティファートが、エミリーの神装を破壊することによって阻止された。更に、五種族代表者会議の場で、レッカとフェリオが激しくシルフェリスを糾弾したことにより、研究凍結まで追い込んだのである。
何とも言えない顔をしているラルフとティアに、シエルは疑問を投げかける。
「しかし、ここで解せない頃があります。それは、『オルフィ女王の複製体を作る技術』がどこからやってきたのか、ということです」
「シルフェリスの技術ではないんですか?」
ラルフの問いにシエルは首を横に振る。
「グレン様が地下の機密研究所を発見したとき、そこには機械で作られた大量の培養槽が並んでいたそうです。語弊を覚悟して言えば……シルフェリスの霊術体系は自然的・有機的なものが主ですから、シルフェリスの技術とは考えづらいです。機械や金属を併用した霊術の運用は、むしろ、マナマリオスの領分と言っても良いでしょう」
「そうね。ほら、浮遊大陸エア・クリアは金属の産出がすごく少ないから。シルフェリスの霊術は、どちらかと言えば自然と寄り添うような形で発展していったの」
ティアの補足を聞いて、ラルフは顎に手を当ててふむ、と頷いた。半分ぐらいしか理解できなかったのは秘密だ。
ラルフは今までの情報を必死に頭の中で整理し……そして、一つの答えを出す。
「それじゃぁ……この人造インフィニティー計画には、マナマリオスの協力者がいたってことですか?」
「ハッキリとは分かっていませんが、その可能性が極めて高いと思われます。そして、その確固たる証拠になるのが、グレン様が機密研究室でパク……ごほんごほん、発見した機密文章なのです」
「いまパクったって言おうとしませんでした?」
「いえいえ、グレン様は決して火事場泥棒などする方ではありません。大型終生獣襲来のドサクサに紛れて、機密文章を持って帰ってしまおうとか、そんなこと考えるはずないに決まってるじゃないですか」
「ねぇ、ラルフ。もしかして、チェリルって相当危ないことしてたんじゃないかしら……」
「うん、今になってすごい心配になってきた」
二人分のジト目を突きつけられたシエルは、空々しい鼻歌を歌っていたが……コホンと咳払いを一つすると、再び本題に戻った。
「まぁ、その資料には複製を阻む霊術と同時に、途轍もなく難解な暗号霊術が仕掛けられておりまして……ドミニオスの研究者では歯が立たなかったのです。そこで、選ばれたのが稀代の発明家でもあるチェリル様だったのです」
なるほど、と一つ頷いてティアが顔を上げる。
「つまり……今回の襲撃はその資料を解読されたら困る者が仕掛けた、と。そう考えていいんですね」
「その通りです、ティア様。実際……こうして、チェリル様のアトリエからは、グレン様がチェリル様に渡した書類一式が消失しています。犯人が持ち去ったとみて、間違いないでしょう」
シエルはそう言って会話を締めくくった。
どうも今回の襲撃事件……思った以上に背後関係がややこしく、かつ、大きいようだ。
――なんにせよ、アルベルト先輩とも情報を共有しないとな。
全ての情報を洗いざらい喋ると、シエルのダガーでラルフの首がちょんぱされてしまうので、説明は大味になってしまうだろうが……アルベルトの調査の力にはなるだろう。
「まぁ、現場の見聞はおまけです。こちらは私一人でも進められますし。本題は……こっちの方です、ラルフ様。他人にはあまり知られたくなかったものですから」
そう言って、シエルは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
綺麗に丸められて蝋――シーリングスタンプで封がされている。その紋章が何を表しているのかラルフは分からなかったものの、シエルの丁重な扱いから見て、重要なものなのだろう。
「シエルさん、これは……?」
「ファンタズ・アル・シエルにある特級危険地域――『罪過の森』で、大型終世獣の転送に使われたと思われる転送陣が発見されました」
「……!」
ぴくりと、ラルフの眉が跳ね上がる。
それは、ラルフが喉から手が出るほどに欲しかった情報なのだから。
「近い内に、四国合同の大規模な調査隊を派遣することが決定されました。この紙には、その日時や集合場所、今回の調査に関する詳細が書かれており、これ自体が調査隊参加許諾書の役割を兼ねています。私は、この羊皮紙を確実にラルフ様に手渡すようにと、グレン様より命を受け、この学院にきたのです」
手渡された羊皮紙が、ずしりと重く感じる。
まさに渡りに船――ラルフが一番どうするべきかと悩んでいた問題の解決方法が、目の前にあるのだ。
「グレン先輩は、俺にどうしろと言ってました……?」
「『自由にしろ』と。ただ、グレン様のあの顔は、ラルフ様がこの調査隊に参加することを確信してらっしゃる顔でした」
そう言って、シエルはスッと目を細める。
「この任務はいつ、どこで、大型終世獣と出くわすか分からない危険なものです。私としては、大型終世獣を単独で討滅したラルフ様が参加してくだされば、グレン様が危険に晒されることもグッと減るので、とても助かるのですが……」
「…………」
ラルフは無言。だが、ラルフを見つめるシエルの瞳は、確信を秘めて一切揺らぐことがない……どうやら、ジャバウォックと戦っていた所を見られてしまったらしい。別に隠すことはないのだが、どうにも気まずい。
「分かりました。微力ですが調査隊に参加させてもらうと、グレン先輩にお伝えください」
「承りました。ラルフ様、ご協力、ありがとうございま――」
「ま、待ってください!」
シエルの言葉を悲鳴のようなティアの叫びが遮った。
「わ、私も……私も参加します! 私はインフィニティーです! 調査のお手伝いもできますし、戦闘だって私がいれば――」
「ダメに決まってるじゃないですか」
まさしく一刀両断。
ティアの必死の訴えを、シエルは無慈悲ともいえるほどに率直な言葉で断ち切った。言葉に詰まるティアに、シエルは淡々と事実を突きつける。
「貴女は自身の身分を理解していますか? オリジナル・インフィニティーであるオルフィ・マクスウェル女王が誘拐された今……貴女は、心身ともに疲弊の極みにいるシルフェリス達の希望の星です。縋る対象と言っても良い。そんな貴女を、危険極まりないファンタズ・アル・シエルの、しかも、特級危険地域に派遣することを、シルフェリス達が許すはずないでしょう」
「今まで散々、『穢れた黒片翼』と蔑み、私達家族を虐げてきた癖に……インフィニティーだと分かった瞬間、手のひらを返してッ! そんな国のことなんて、知るものですか!」
黒い感情に任せて叫ぶティアに、シエルはスッと目を細める。その瞬間、その身に纏う雰囲気が、まるで研ぎ澄まされた刃物のように鋭いものへと変貌する。
「我儘を押し通した結果、貴女が死ぬことになっても、それはそれで構いません。ですが、貴女が強引に調査隊についてきた場合、その責任を追及されるのは、調査隊の派遣を提案したグレン様なのです。それを知っても、調査隊に付いていくというのなら……この場で貴女の両手両足の骨を折らせていただきます」
「やってみなさいよ……欠片も残さずに消し飛ばしてあげる……」
身の内より放出される霊力がティアの髪をふわりと浮かび上がらせる。
とても人一人がやったとは思えぬほどの霊力が収束し、空間を飽和した霊力が、雷光へと姿を変えて好き勝手に暴れまわる。
轟々と渦巻き始めた風は周囲の木々を激しく揺らし、地が怯えるように微細動し始める。その異変の中央に立ち、シエルを睥睨するティアの姿――それはまさに、ヒトの姿を取った天災そのもの。人の身には分不相応な力を宿し、ティアはゆっくりと右手を上げる。
対するシエルもまた、素早く腰に下げていた肉厚のダガーを抜き放った。
「エア・クリアにいた時、ベッドの上で震えていた少女がこうも激変するとは……やはり、恋の力は偉大ですね。なんにせよ、こんな大捕り物は随分と久しぶりです。それでもまぁ……何とかしましょうか」
クルクルと手の中でダガーを弄んでいたシエルは、二つのダガーを逆手で持つと、その場で軽く跳躍を開始する。その身は完全な自然体……構えの一つもない。
だが、熟練の冒険者ならばわかるだろう――これこそが構えなのだと。
『構え』とは、言ってしまえばある一方向に対して特化する姿勢と言い換えても良い。一つ例を挙げるとすれば、剣術においてポピュラーな正眼の構えなど、前方に特化した構えと言って良いだろう。
だが、一方向に特化すれば、おのずと逆方向は死角になる。
人の目が前に付いている関係上、大抵の構えは前方へと特化する。そのため、大抵の者は死角である背後を取られないように戦うことだろう。
だが……シエルの構えは自然体。つまり、どの方向にも特化していない……それは、言い換えてしまえば、どの方向にも死角がないということだ。
近接戦闘者にとって、霊術戦はどの方向から攻撃が飛んできてもおかしくない状況下に置かれることを意味する。そう考えれば『死角がない』というのは、霊術戦にかなり有利に働くことになる。
これぞ無為転変の構え――戦いの中で辿り着く一種の奥義である。これだけで、シエルがどれだけの実力を持っているのかよく分かるというものだ。
「…………」
「…………」
まさに一触即発。何が切っ掛けで双方の激突が始まるか予想がつかぬ中……最初に動いたのは二人のどちらでもなく、傍で見ていたラルフだった。
「待った待った。ティア、落ち着いて」
「でも!」
「ティアが本気出したら、ここら辺一帯焦土になるから。それに……もしもここでティアが傷ついたりしたら、調査自体が中止になっちゃうよ」
そう、あくまで今の話の焦点はティアが調査隊に付いていくことができるか否かということだ。調査自体が中止になってしまっては本末転倒だ。
珍しく理の通ったラルフの言葉に、悔しそうに唇を噛んだティアは、キッと視線を鋭くした。
「なによ、ラルフまで私にはついてくるなって言いたいの!!」
「そうは言ってないって! ただ、状況的にティアがついてくるのが難しいのは――」
「周りがどうこうっていうのはいいの。ラルフがどう思ってるのか聞かせてよ……」
誤魔化すことは許さないとばかりに、まっすぐに視線を向けてくるティアに、ラルフは弱ってしまうが……小さく嘆息して、思ったことを素直に口に出すことにした。
「正直言うと待っていて欲しいとは思う。ティアはインフィニティーで確かに強いと思うけど、それはあくまでも真っ向勝負をした時だろ? 体はあくまでも普通の人間……頭上や背後から奇襲を掛けられれば、大怪我は免れない」
言い難い事ではあるが、ラルフは更にティアの力の欠点を語る。
「それに、出力の問題もある。ティアの霊術は広域殲滅には向くけれど……細かい調節には向かないだろ? エミリー先生ぐらいの技量があるならまだしも、今のティアの霊術は味方を巻き込んでしまう可能性が高い。だから――」
「もういいッ!!」
ラルフの言葉を遮って、ティアが大声を出す。
まるで全力疾走をした後のように肩で息をするティアだったが……雨上りの空のように美しい碧眼に、ジワリと涙が溜まってゆく。ぐすっと鼻を鳴らしたティアは、怨めしげにラルフを睨み付けた。
「なによ……私はただ、ラルフの力になりたいだけなのに……もういいもん……ラルフの馬鹿っ!」
「あ、ちょ、ティア!」
ティアはラルフにそう言い放って背を向けると、全力で校舎の方角へと走り去ってしまった。反射的に伸ばした右手が妙に虚しい。
やってしまった感をひしひしと感じながら、ラルフは大きくため息をついた。
「あのですよ、シエルさん。こういう役目を俺に押し付けるのは止めてくれませんかね……」
「あら、そこまで気が付いていたんですか。意外と見えているんですね」
しれっとそう言って、シエルはその手に持っていたダガーを腰のホルスターに手早く差し込む。してやったりと言わんばかりのシエルに、ラルフは頭の痛くなる思いだった。
先ほどのティアとシエルの戦い……あの勝負、始まったら確実にシエルの勝利だっただろう。
双方に距離があったのならばティアの勝利は揺るがなかっただろうが、あの至近距離だ……ティアが霊術を発動するよりも先に、シエルのダガーがティアの肌を裂く方が早い。
シエルの得物からして、彼女の戦闘スタイルは確実に速攻をメインに据えたものだろう。なればこそ、余計に初撃の冴えは凄まじく鋭いはずだ。
同じ近接格闘を得意とするラルフにはそれが分かってしまった。だからこそ……止めないわけにはいかなかったのだ。シエルもそこら辺を十分に理解していたからこそ、ああしてティアに吹っ掛けたのだ。
「では、ラルフ様。調査隊の方、よろしくお願いします」
「あい……」
ラルフは陰鬱な気持ちでそう返事をした。
今は調査隊のことよりも、寮に帰ってからどうやってティアの機嫌を取ればいいのか……そのことに頭を痛めるラルフなのであった。