アルベルトの頼み
総合病院――そこに併設されているカフェに、リンク『花鳥風月』の面々と、ラルフ、ティア、アレットの三名が集まっていた。
全員の表情は暗い。それもそのはず……花鳥風月のリーダーであるシア・インクレディスが何者かに襲撃され、ここに運び込まれたのだから。
ラルフ達もつい先ほどまで、ぐっすりと寝入っていたシアの病室にいたのだが……看護師の話によると背中に酷い凍傷を負ってしまっているらしい。幸い、と言って良いのか分からないが、発見が早かったこともあって後遺症は残らないんだとか。
背中に怪我が集中していることからも分かるとおり、恐らくは、闇夜の中で奇襲を受けたのだろう。襲撃者は冷気を操る霊術を用い、そして、三獣姫に名を連ねているシアを相手に奇襲を成功させることができるほどの手練れ――そんな神装者など、限られている。
――セシリア先輩だろうなぁ……。
氷が溶けて水っぽくなってしまったオレンジジュースを飲みながら、ラルフは渋い表情を浮かべる。視線だけをスライドさせれば、そこには痛恨の極みと言わんばかりに顔をしかめるアルベルトの姿がある。
今回の襲撃事件……明らかに、アルベルトへの牽制だ。
チェリル襲撃の黒幕は、アルベルトに『これ以上関わるようなら、お前の知り合いを一人一人襲撃してゆく』と言っているのだ。最初にシアを狙ったのは、シアほどの実力者であろうとも襲撃できるぞ、という示威行為なのだろう。
ただ、この結論にたどり着けているのは、『アルベルトがセシリアの足取りを追っている』という事実を知っているアルベルト本人と、ラルフだけだ。
花鳥風月の面々は、何の前触れもないシアの襲撃に憤り、あるいは、怯えているだけだ。まさか、次は自分の番かもしれないなどとは露程も思っていないだろう。
――アルベルト先輩はどうするんだろうな。
アルベルトの動向次第で、ラルフが今後どう動くかも変わってくる。無言でラルフが視線を向けていると、アルベルトはそれに気がついて苦笑を浮かべた。
「皆、ちょっと聞いて欲しい」
そのように前置きして立ち上がったアルベルトに、全員の視線が集中する。
「実は今回の襲撃事件、原因は僕にある」
アルベルトはそう切り出すと、セシリアの名前は巧妙に隠しながら、チェリル襲撃事件の黒幕を追っていることを花鳥風月のメンバーに話し始めた。今回の件は黒幕による示威行為であり、次に狙われるのも花鳥風月のメンバーかもしれない――言いにくいことも包み隠さずに語ったのは、アルベルトなりの誠意なのだろう。
ただ、この話を聞いた花鳥風月の面々は、一様に不安そうにしている。
それはそうだろう……上位リンクといえども、彼らは普通の学生なのだ。
大型終生獣と真っ正面から殴りあえるラルフや、黄金眼で未来を見通し霊術による攻撃を一切無効化するアルベルトや、その気になれば国一つ滅ぼせるティアなどのようなトンデモ学生ではないのである。
「あのぉ……アルベルト先輩」
花鳥風月のメンバーの一人……ミリアの友人でもあるウサギ耳を持ったビースティスの女生徒が、おずおずといった様子で手を上げる。
「それで、その、アルベルト先輩はこれからどうするんでしょうか……」
「……僕は、それでも犯人を追いたい。犯人の凶行は僕が止めなきゃならないものだから」
「そ、そうですか……」
手を下ろした彼女の顔色は悪い……明らかに怯えているのが見て取れる。そして、それは他の学生にも言えることだ。
そんなメンバーの顔を見渡しながら、アルベルトは苦しそうに口を開く。
「わがままばかり言ってごめん。これは僕からのお願い事になるんだけど……こっちはあとちょっとでケリをつけてみせるから、その間だけでいい……皆には避難をしていて欲しいんだ」
アルベルトはそう言って、山のように盛っているパフェを切り崩していたアレットの方へと顔を向けた。
「アレットさん、確かビースティスの寮は、空いている部屋がいくつかあるはずだよね?」
「……ん、今年は新入生が少なかったから、割と空いてる。そこに、皆を避難させるつもりなのかな?」
アレットの問いにアルベルトは頷いた。
「東のビースティス領は人口が最も多い上に、現役冒険者を雇って警護をさせているはず。安全度で言うなら最も高いと思うんだ。学院への手続きは僕がしておくから、皆を少しの間だけ避難させて欲しい」
「……それはお母さんに掛け合ってみる」
アレットがそう言うと、アルベルトは安堵したように吐息をついた。そして、再度立ち上がって花鳥風月の面々に深く、深く頭を下げた。
「何度も言う。今回の事件を、僕は命を賭けてでも止めなくちゃいけない……それだけ、僕にとって大切なものなんだ。皆に迷惑を掛けてしまうことは重々承知している。だけどお願いだ……僕にあと少しだけ時間をくれないだろうか。頼む」
息を呑むほどに緊迫した静寂が場を満たす。
一秒一秒が驚くほど長く感じる中、裁かれる瞬間を待つ罪人の如く、アルベルトはひたすらに頭を下げ続ける。そんな彼に向かって、花鳥風月のメンバーであるドミニオスの男子生徒が言葉を放つ。
「一つだけ条件がある」
「何でも言ってくれ」
「……無茶、すんなよ。お前までシアみたいになったら悲しいだろ?」
驚いて顔を上げたアルベルトに、男子生徒は困ったように笑う。
「アルベルトの頼みならしょうがないじゃねーか。お前には皆、普段から世話になってるんだ。たまのお願い事ぐらいきいてやんねーとな」
「そうですよぅ! その、怖いのは嘘じゃないですけど、アルベルト先輩はもっと怖い思いしてるんですし。私達は大丈夫です!」
「アルベルト先輩、本当に無茶はやめてくださいね。シア先輩だけじゃなく、アルベルト先輩まで怪我したら、悲しいですから……」
口々にアルベルトへの激励を口にする面々に、アルベルトは呆然とした立ち尽くし……不意に目尻を押さえた。
「ごめん……皆、ありがとう……」
「泣くな泣くな! 男が泣いてんじゃねーよ!」
「わわわ、アルベルト先輩、泣かないでください!?」
アルベルトを中心にして、わいわいと花鳥風月のメンバーが集まるのを遠目に見ながら、ラルフはほっこりとした気持ちで口元を緩めた。
「アルベルト先輩を見てると、普段の行いって大切だなぁって思うな」
『うむ、人望とは普段の行いから生じるもの故、一朝一夕で築けるものではあるまい。アルベルト殿の人徳あってこそだな』
自分がアルベルトと同じ立場に立ったらどうなるだろうか……そう考えたラルフは、容易にその結末が予想できて思わずげんなりとした。
『はぁ!? 一人で解決するつもりですって!? 私達も協力に決まってるでしょ!』『……ラルフ一人は危険。お姉ちゃんも加勢する』『抜けてる兄さんでは、狡猾な犯人を捕らえるなんて無理に決まってるじゃないですか。犯人は全員で追い詰めて袋だたきにしますよ』『しょうがないなぁ。ボクも特別に力を貸してあげよう』
リンク『陽だまりの冒険者』で同じことが発生した場合、まず間違いなく「快く避難に応じる」というよりは「犯人をメンバー全員で囲んで袋にする」ことになるだろう。
――なんでこう、うちのリンクの女性陣は武闘派ばかりなのか。
「あによ。何か言いたいことあるなら、言いなさいよ」
「いや、別に」
もの言いたげなラルフの視線を受け、ティアが眉をひそめながら文句を言う。もしかしたら、彼女もラルフと同じようなことを考えていたのかもしれない。
「てか、アレット姉ちゃんは余裕だね。親友が怪我を負ったってのに」
暢気に山盛りパフェを食べているアレットに、ラルフが問いかけると、彼女はふるふると首を横に振った。
「……これは、シアが無事だったことにホッとして、食欲が湧いたから食べてるだけ。食べながら心配はしてる」
「器用なことするね……」
相も変わらず食欲魔神な姉を見ながら、ラルフがグラスを傾けたその時、不意にカフェが騒がしくなったのを感じた。一体何事なのかと振り返ったラルフは、そこに異様なものを見ることになる。
そこにいたのは、メイド服を身に纏った女性を先頭にした、総勢十名近いドミニオスの一団であった。なぜメイド? という大多数の疑問を一身に受けながらも、凜とした佇まいのままメイドの女性はラルフ達の机へと近づいてくる。
そして、目を丸くするラルフ達の前で、彼女はスカートの両裾をつまんで、優雅に一礼。
「申し訳ありませんが、お話は聞かせてもらいました。もしよろしければ、貴方たちの護衛は我ら『グレン様を超絶ラヴに応援する隊』に一任させて――」
「どうしてもというからお前に先頭を任せた私がバカだったようだ」
バシッ! と一切容赦なく背後からホワイトブリム付きの頭をド突いたドミニオスの男性が、メイドの代わりに前に出てくる。
「我らはグレン・ロード様より特命を負って派遣された者。結果的に盗み聞きをするようなことになって申し訳ないが……その護衛、我らにも手伝わせてもらえないだろうか?」
男はアルベルトと、そして、ラルフへと視線を向けながらそう言ったのであった。