お姉ちゃんですから
「え!? そんな方法あるの!?」
アレットの口から出てきた驚愕の事実に、ラルフどころか、ティアやアルティアも目を見開いた。三者三様の視線を受けながらも、アレットは平然と頷いてみせる。
「……ん。確実に早く治せる」
「じゃあお願いする!」
「ま、待って待って、ラルフ!」
条件反射で答えるラルフを止めたのは、ティアだ。
「あの、クロフォード先輩! ラルフの霊力のパスはこの上なく複雑怪奇に絡まっています! あれを解きほぐして、接続するのはどう考えても短時間では無理です! す、少なくとも、一ヶ月……いえ、二ヶ月は掛かるかと……!」
「……たぶん、二日三日でできる」
アレットの言葉に絶句したティアだが……すぐに、衝撃から立ち上がった。
「力づくで霊力のパスを解きほぐし、強引に繋いだとしたらラルフに致命的な霊力障害を引き起こします! そんなことになれば――」
「……大丈夫。デメリットもない。リスクもないよ」
「…………嘘」
『アレットよ、言っては悪いがそんな都合の良い治療方法があるのか? どう考えても、夢物語のようにしか聞こえぬのだが……』
アルティアが訝しげに問うと、アレットは目を閉じ、顎に人差し指を当てたまま考え込む。
「……デメリットがあるとすれば、私かな? でも、別に気にしない程度」
「なら、試すべきだ」
バンッと机を叩き、ラルフは立ち上がる。そして、アルティアへ顔を向ける。
「俺達には圧倒的に時間が足りない。それに、アレット姉ちゃんは信じられる人だ。姉ちゃんが早く治せるというのなら、俺はそれを実行したい」
『……そうだな。分かった、ラルフの判断を尊重しよう』
アルティアの言葉に頷き、ラルフは心配そうにこちらを見つめるティアに、『大丈夫だ』という意味を込めて、ニッと歯を見せるような笑みを浮かべる。
「それじゃ、始めよう、アレット姉ちゃん」
「……ん、分かった。それじゃぁ、そこに立って」
アレットの指示された場所――テーブルから少し離れた所にラルフが立つと、アレットもまた、向かい合うように立つ。
一体どんな儀式をするのかと硬直するラルフとは対照的に、アレットは極めて普段通りだ。
少なくとも、その立ち姿に気負いは感じられない。
「……次に、ラルフは目をつぶる」
「分かった」
言われるがままに目を閉じる。
「……そして、私がラルフにキスをする」
「分かった…………はッ!?」
だが、目を開くよりも先に、軽く身を屈めたアレットがラルフの唇を塞ぐのが先だった。
この場にいるだれもが絶句する中、アレットだけがまるで味わうようにラルフの唇に自身の唇を這わせる。ぬるりと口内に舌を入れ、唇を甘く噛み、熱く吐息をこぼしながら、執拗ともいえるほどに甘い口づけを続ける。
場の空気すらも凍り付く中、ようやくアレットはラルフの唇から、ゆっくりと己の唇を離した。つぅ……っと唾液が糸を引いたのが妙に淫靡であった。
その糸を巻き取るように、最後にもう一度フェザーキスをしたアレットは、恥らうように頬を染めながら身を離した。
「……これで完了」
「待って待って待って待って待って待って待って待って待って待って待ってッ!!」
凄まじい速度で突進してきたティアが、アレットからラルフと掻っ攫った。
肩で息をしている彼女は、もう、完全に涙目である。
「にゃ、にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃんできしゅを!?」
『落ち着けティア。そして、白目を剥いている場合ではないぞ、ラルフ』
「はっ!?」
脳が処理オーバーの情報を与えられ、完全に意識が吹っ飛んでいたラルフは、アルティアの声でようやく再起動を果たす。若干眩暈がする頭を鼓舞しながら、ラルフは顔を引きつらせながらアレットへと問いを放つ。
「え、えっと……アレット姉ちゃん? 今のは一体……?」
「……嫌だった?」
「ありがとうございましたぐふッ!!?」
ティアから神速の肘打ちを腹に叩き込まれ、ラルフはその場で崩れ落ちた。
「ティア、待って……今のは割とマジで殺意が込められてたよね……ッ!?」
「本当なら半殺しにしてやりたいわよッ! 文句あんの!?」
半泣きである。
そんな風に修羅場っている二人とは対照的に、アレットはのほほーんとしている。
「……これでラルフと私の間には霊力のパスが繋がった。私は自分の体と同じように、ラルフの霊力を整えることができるようになったよ」
激しく咳き込みながらその場にうずくまっていたラルフだったが……アレットの言葉を聞いて、一つの言葉が脳裏に浮かんだ。
「アレット姉ちゃん……それ、『エンゲージキス』じゃ……?」
ラルフの言葉を聞いて、え? とティアもアレットの方を向く。
エンゲージキス――女性のビースティスのみが持ち得る能力であり、初めて口づけした相手との間に、霊力のパスを通すことができるというものだ。これにより、霊力を扱うことができない者でも霊術を使うことができるようになる。
ただ……説明したようにこの能力が発動するのはファーストキスだけ。
この能力からビースティスは純潔の種族とされ、基本的にエンゲージキスは、将来、夫になる者とするべき行為だとされている。そのため、未婚でありながらエンゲージキスを済ませた女性は、倦厭される傾向にある。
ラルフは以前、アレットの結婚騒動に首を突っ込んだため、その事をよく知っている。
二の句が告げなくなっているラルフの前で、アレットは特に気負った様子もなく首を振る。
「……大丈夫。私、誰かと結婚するつもりないし。それに、ラルフはどうしても<フレイムハート>が使えるようにならないとダメだったんだよね?」
「そ、それはそうだけど……」
狼狽するラルフだったが……それよりも先に、一歩、ティアが前に出た。
その顔はどこか悲しそうで。
「クロフォード先輩、その、ちょっとお話が……」
「……ん、良いよ」
二人の間に何らかの共通認識があるようだ。ティアとアレットは互いに頷き合うと、二人でティアの部屋へと向かうと、バタンと扉を閉めた。
完全に取り残されてしまったラルフは、訳が分からずアルティアへと視線を送るが……アルティアはやれやれと言わんばかりに頭を振っている。そんなアルティアの隣では、フィーネルが軽く苦笑を浮かべている
『ラルフさんは、もう少し女性の機微というものを学んだほうが良いですね』
「悪かったね……」
まさか、創生獣組からダメ出しを受けることになるとは。
そして、数十分後……ティアとアレットは部屋から出てきた。二人の様子に何ら変わった様子はないが……何故だろうか、ティアが少しだけ申し訳なさそうに肩をすくめていた。
「えぇっと……二人で何を話していたの?」
「……秘密」
「秘密」
女性陣二人はそう言いながらも、どこかすっきりしたような笑みを浮かべている。
ラルフが盛んに首を傾げていると、机の上から羽ばたいたアルティアが、ラルフの肩に止まって、ふむ、と一つ吐息をついた。
『何はともあれ、<フレイムハート>が回復するならすぐにでも動き出さなければな。ラルフ、今の内に旅支度を整えておこう』
「そうだな、分かった」
「出発はいつごろになりそうなの?」
ラルフとアルティアが今後の予定を話し合っていると、不意にティアが口を挟んできた。アルティアはティアの問いに、翼を組んで少し考え込む。
『そうだな……アレットの言葉が正しければ、二、三日後、ということになるか』
「わかったわ。じゃあ、歓楽街アルカディアである程度の荷物は買っておかないとね。旅支度となると、何が必要になるかしら?」
後に人差し指を当てて考え込むティアの姿を見て、ラルフは一つせき払い。
「なぁ、ティア。もしかして、ついてくる気だったり?」
「ねぇ、ラルフ。もしかして、置いていく気なわけ?」
打てば響くような返しに、ラルフは思わず頭を抱えた。
「あのさ、ティア。この学院で卒業した証明書がなければ、学院外で神装を使うことはできない。中退者は神装を封印されてしまうのは知ってるよな? つまりだ――」
「この学院から脱走して、無資格の神装者として、未踏大陸ファンタズ・アル・シエルで活動することになる……つまりは、犯罪者になってしまう。そう言いたいんでしょ?」
聡明なティアのことだ。ラルフの言いたいことなどとっくに御見通しなのだろう。
過去のアレットのように特例がない訳でもないが、基本的にこの学院を卒業することで、神装者は冒険者としての資格を得ることができる。
無資格の神装者は俗に『モグリ』と呼ばれ、発覚し次第拘束され、神装を封印された上で自国へ強制送還されるのが慣わしだ。
神装者は個人で強大な力を持つ存在――その数を管理し、厳格な取り決めを行わなければ、無法者が跋扈することになる。ある意味、これは当然のことと言えた。
まぁ……モグリでドミニオスの王グレン・ロードのメイドなんてやってる女性もいたりするが、それはさておき。
「俺はティアを犯罪者にするつもりはないぞ」
「それを決めるのは私でしょ? それに、インフィニティーとしての私は、そこそこ役に立つと思うけど?」
「それじゃあ、まるで俺がティアのことを使い勝手のいい道具のように思ってるみたいじゃないか。俺は単純に君の身が心配なだけだ」
ラルフが微かに非難を込めて言うと、ティアが人差し指で鼻を突いてきた。
「考えすぎ。とりあえず、私はついてくわよ。ミリアのことも心配だし」
「だから――」
「……はい、ストップ。二人とも、落ち着く」
身を乗り出したラルフに、アレットがストップを掛ける。
渋面を作ったラルフがアレットを見上げると、彼女もまた少し困ったように笑っていた。
「……二人とも、少し頭冷やす。ラルフはティアの行動を軽率だと責めているけど、私からすればどっちも軽率。時間が足りないのは理解してるけど、先走り過ぎ」
「う゛」
「すみません……」
先輩であるアレットに諭され、二人とも勢いを完全に削がれてしまった。
そして、アレットは続いてジロリとアルティアへと視線をスライドさせる。
「……アルティアも急いでるのは分かる。けど、貴方はラルフの保護者。世界だけでなく、ラルフの未来についてもしっかり考えてあげて」
『ぬ……ぐ……面目ない……』
頭を下げるアルティアの隣で、フィーネルが尊敬の念を顔いっぱいに表しながら、小さな尻尾をぴょこぴょこと動かしている。
『わぁ、アルティアを叱るなんて、アレットは凄いね!』
「……お姉ちゃんですから」
アレットはそう言って、ニコッと笑ったのであった。
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しかし、『神光のリュミエール、復活』という至極分かりやすい危機の裏で、ひそやかにもう一つの事件が動き出していた。
三獣姫の一人――シア・インクレディスが何者かに襲撃された。
ラルフ達がこの件について知ったのは、フィーネルを加えて話し合いが行われた、その翌日のことであった……。




