ティア、<フレイムハート>の治療をする
ラルフは寮のベッドに寝転がり、昼間にロディンから聞いた情報を頭の中で整理していた。考えるよりも先に行動なラルフだが……さすがに、今の状況では考え込まないわけにはいかない。
「はぁ……思ったよりも、切迫してるな」
『うむ……』
そして、ラルフと同じようにアルティアもまた、枕元で体を休めながら、顔をしかめてずっと考え事をしている。恐らく……実感がある分、アルティアの方がラルフよりも更に強く危機感を覚えていることだろう。
「何か打開案は思い浮かんだ?」
『それが浮かんでいれば苦労しない。正直、酒に逃げたい気分だ』
「アルティアが弱音を吐く時点で、相当だよなぁ」
こんな状況であるにも関わらず、思わず苦笑が浮かんでしまう。アルティアの弱音なんて初めて聞いたかもしれない。
「てかさ、アルティア。俺って本当に<フレイムハート>の適合者なんだよな? なんか、事あるごとに<フレイムハート>って故障してる気がするんだけど」
『故障と言うな、故障と。まぁ、なんだ……そういう時もある』
若干歯切れの悪い言葉に、何となく気になるものがあったラルフだが……こればかりはアルティア自身ではどうしようもないと分かっているので、小さく嘆息するだけに止めた。
『とにかく<フレイムハート>が治らないことにはどうしようもない。今は休息することが、私達にできる最良の一手だ』
「つってもなぁ……」
落ち着かないことこの上ない。
ロディンの情報という部分がいまいち信用していいものか不明だが……本音を言えば、ミリアが傀儡にされている以上、今すぐにでもファンタズ・アル・シエルに乗り込んで、助けに行きたいぐらいだ。
『それにだ、ラルフ。ティアにも今回の話はしておかなければ』
「……? 何でティアが出てくるのさ?」
『オルフィ・マクスウェルはティアの実姉だ』
「え、フィーってティアのお姉さんだったの!?」
ティアの記憶だけすっぽ抜けているラルフからすれば、初耳だ。ラルフは上体を起こして、うーんと腕を組んでうなり声を上げた。
「つまり、ティアからすれば家族が、バハムートに喰われたってことなのか……」
『そうなるな』
「なんて伝えりゃいいんだよ……」
事実上の訃報だ……さすがにこれを面と向かって伝えるのは勇気がいる。ラルフは頭を抱えながら、ティアの部屋の方へと顔を向ける。
リビングを挟んで両左右にティアとラルフの部屋はある。思い至ったら即行動がラルフの理念だが、さすがに今すぐティアの部屋に行くのは心の準備が必要だった。
と、その時、不意にリビングに誰かの気配があることに気がついた。どうやら、考え事に熱中して、その気配に気がつかなかったようだ。
そして、この部屋にあるもう一つの気配が誰かなど決まっている。
「……ティア、もしかして、聞いてた?」
扉に向かってそう問いかけると、カチャリとノブが回って、ティアが顔を半分だけ覗かせた。どうやら、扉の前に立って話を聞いていたようだ。
「その、盗み聞きするつもりはなかったんだけど……ごめんなさい、何か入るタイミングを逃しちゃって……」
「あーいや、別にいいよ。いいんだけど、その……」
言葉を濁していると、ティアが「お邪魔します」と言って部屋に入ってくる。そして、彼女はそのまま何の疑いもなく、ラルフが寝転がっているベッドに腰掛けた。
短くなった髪を掻き上げ、ティアはラルフへと顔を向けてくる。
「オルフィ様のこと?」
「うん、まぁ……」
ラルフが言い辛そうにしていると、ティアはどこか困ったような笑顔を浮かべた。
「お父様から、『実はオルフィ様は血の繋がったお姉さんだ』って聞かされてはいるけど、正直、実感ないんだ。だから、何というか……反応に困っちゃうね」
「そっか。その……ティアが落ち込まなくて良かった。良かったっていうのは、少しおかしいけれど」
ラルフが照れながら言うと、ティアはくすぐったそうに笑う。
「心配してくれたの?」
「え? あ、いや……まぁ、たぶん」
「たぶんって何よ、たぶんって」
ジト目を向けてくるティアに、ラルフは曖昧な笑みを返す。
ティアのことを心配していたのも事実だし、ホッとしているのも事実だが……気持ちの出所がどこか曖昧で。この感情はどこから来ているのか分からず、心が消化不良を起こしている。
なまじ、その感情が強い分、違和感が大きいのだ。
「なぁ、ティア」
「ん?」
「記憶を無くす前の俺とティアって、どういう関係だったんだ?」
今まで、何となく怖くて聞けなかった問いを、直接本人にぶつける。
内心でビクビクしているラルフに対し、ティアの表情は落ち着いていた。恐らく、ラルフから、いつか問われると分かっていたのだろう。
「そうね、なんて言えばいいんだろ。恋人……だったのかな? 少なくとも、相思相愛だったとは思う……けど」
「お、おう……」
微かに頬を染めるティアを見ていると、ラルフまで照れてしまう。
顔を上気させながら、ティアは自分の左手を掲げ、その薬指にはめられた指輪を見つめる。その瞳は優しく、同時に郷愁が滲んでいて……。
ティアは小さく笑うと、軽く頭を振った。
「だからって記憶を失ったラルフに、以前の関係を強要したりはしないから。それは安心してちょうだい」
「あーでも、ティアは、その、俺のこと――」
「好きよ。愛してるわ」
流石にこれは効いた。
茹でダコのようになるラルフに、ティアは非難めいた視線を向けてくる。
「え、なに。アンタもしかして、私が義務感だけで好きでもない男と同棲するような、そんな軽い女だと思ってたわけ?」
据わった目で睨み付けられ、ラルフは気まずさを誤魔化すように視線を左右に泳がせた。
「いや、別にそんなこと思って……その……すみません……」
がっくりと肩を落として素直に謝るラルフに、ティアは呆れたように嘆息する。
「ま、ラルフだしね。そんなことだろうと思ってたわよ」
未だティアの視線に険はあるものの、その口調は大分柔らかくなっている。そのことにホッとしながら、ラルフはとりあえず話を戻すことにした。
「そういえば、ティアは何で俺の部屋の前にいたの?」
ラルフの問いかけに、ティアはポンッと手を打った。
「そうそう。あのね、私にもラルフの治療を手伝わせて欲しいのよ」
「治療っていうと……<フレイムハート>の?」
「うん。インフィニティーになった私は、自分の手足のように霊力を扱えるから、たぶん、力になれると思うわよ。時間、無いんでしょ?」
確かに、今のラルフには時間がない。一刻でも早く<フレイムハート>が使用できるように、霊力の流れを修復したいのが本音だ。
ラルフが目線でアルティアに判断を求めると、彼は大きく頷いた。
『ふむ、人体の霊力の流れに干渉するのは危険な作業だ。本来ならば反対するところではあるが……インフィニティーのティアならば大丈夫だろう』
アルティアのお墨付きがあるのならば問題ないだろう。それに、ラルフとしても早く<フレイムハート>が使えるようになるなら何の文句もない。
「それじゃ、頼むよ」
「うん、任せ――きゃぁぁぁぁ!? 何で脱いでるのよ!?」
バッサリと上着を脱いで、上半身裸になったラルフに、ティアが真っ赤になって慌てふためく。そんな彼女の動揺っぷりが理解できず、ラルフは首を傾げる。
「え? 学院長が診断してくれるときは、毎回、上半身裸になってるけど?」
「そうかもだけど! そうかもだけどぉ! せめて、一言言ってから脱ぎなさいよ!」
「別に見られて減るもんじゃなし」
「減る! 私のメンタルが! ガンガン減る!」
「さ、さよか……なら、服着ようか?」
ティアが一番治療しやすい形が一番だ。
服を持って尋ねるラルフに、ティアは何だかふて腐れたように首を振る。
「服がない方が治療の効率がいいのは事実だろうから、そのまんまでいいわよ、もぅ……」
投げやり気味に言ってティアは大きく深呼吸。
そして、よし、と気合いを一つ入れると両手でぺたりとラルフの腹筋に触れた。
「うわ、固……え、男の子ってこんなにごつごつしてるの……」
「鍛えてるからな」
「へ、へぇ……へぇぇ……」
ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた。
「…………」
ぺたぺたぺたぺたさすさすさすさすさすさす。
「…………」
すりすりすりすりすりすりぺたぺたぺたぺたぺた。
「あの、ティアさん、これは治療なんでしょうか……?」
「はひゃい!?」
『わぁ』とか『へぇ』とか言いながら興味津々で、ラルフの腹筋やら腕やらをなで回していたティアが、名前を呼ばれてその場で飛び上がった。
「そ、そう! 治療よ! 相手のことをしっかりと理解してないと効率的な治療ができないからね。しょうがないわ」
「ティア、それ、俺の目を見てもっかい言ってみようか」
「う、うっさいなぁ。ともかく始めるわよ」
ティアは咳払いを一つして、ラルフの胸――心臓付近に両手を当てた。
いままで腹筋やら腕を撫でていたのは何だったんだと突っ込みたくなるラルフだったが、グッと飲み込むことにした。
ティアが目をつぶると、両手から淡い光が溢れ出し、それがラルフの中に流れ込んできた。まるで、暖かなミルクを飲んだ後のようにホッとするぬくもりが全身を満たしてゆく。
――人によって随分と違うんだな……。
学院長の治療の時は、臓腑に手を突っ込まれたかのような不快感を覚えるのだが……同じ効果なのにこうも違うのは、ティアがインフィニティーだからだろうか。
ラルフがぼんやりとそんなことを考えていると、目の前のティアが思いっきり眉をしかめた。
「なにこれ……悪化してる……」
「はッ!?」
ティアの言葉に、反射的に眉が跳ね上がった。
あまりにも予想外の言葉に硬直するラルフに、ティアは一度治療を中止して、顔を上げる。彼女も、今回の件が不可解だとばかりに首を傾げている。
「霊力の流れが、メチャクチャに絡まった毛糸玉みたいになってる。こっちに帰ってきたばかりにの時に、一度、ラルフの霊力の破損具合を確認してたから分かったんだけど……え、学院長の治療は受けてるのよね?」
「あ、あぁ。もう五回も治療を受けてるけど、一度もそんなこと教えられなかったぞ」
「おっかしいなぁ……とりあえず、治療するわね」
不可解だとばかりに、ティアは顔をしかめながら、再度、両手を当ててくる。暖かな光がラルフの体に流れ込み、治療が再開される。
ティアの治療を大人しくしながら受けていたラルフだが……治療中、ずっと厳しい表情をしているティアを見るに、随分と難航しているのだろう。
「なぁ、アルティア。もしかして、アルティアが言ってた違和感って……」
『うむ。その通りだ。ハッキリは分からなかったが……一向に治っている様子を感じなかったのでな。気のせいだと思っていたのだが、まさか本当だったとはな……』
呻くように言うアルティアに、ラルフもまた難しい顔をする。
「じゃあ、学院長は何をやってたんだ……?」
ラルフの独り言に、ティアが片目を開けて答える。
「もしかしたら、悪化に歯止めを掛けていたのかもしれないわよ。あの学院長が何もせずにボーッとしていたとは考えにくいし」
「まぁ、普通に考えるならそうだよな。何にせよ、頼むよ、ティア」
「かなり難しいけど、最善を尽くすわ」