プロローグ――君はどこへ
フェイムダルト神装学院にある総合病院――この病院は、マナマリオスの最新医療技術や試験技術を優先的に導入しており、世界最先端の治療を受けることができる。
そのため、学生だけではなく、他の医療施設では処置が難しい傷を負った冒険者なども、この病院に運び込まれる。その関係上、病室は常に満員に近い状態にあり、大抵の場合は相部屋となっている。
アルベルト・フィス・グレインバーグは、そんな総合病院の中でも珍しい、個室の病室で一人静かにたたずんでいた。
彼の前には空っぽのベッドが一つポツンと置いてある。
ベッドの傍にある小物を入れる棚の上には、花瓶が乗っており、そこには鮮やかな色をした花が生けられている――アルベルトが、学院が休日になる度にお見舞いの品として持ってきているのである。
「…………」
この個室の主の名はセシリア・ベルリ・グラハンエルク――学院長であるイスファの孫であり、『死神のセシリア』の異名を持つ女性だ。
数か月前のリンクフェスティバルで、神装<フィグメント>を暴走させ、それ以後、昏睡状態にあり、ずっとこのベッドで眠りについていたのである。
セシリアの幼馴染であるアルベルトは、彼女がこの病院に運び込まれてから、毎日欠かさずにお見舞いに来ては、彼女の様子を見守っていた。
「どこに行ったんだ……セシリー」
だが……ほんの数日前、セシリアは忽然とその姿を消した。
本当に『忽然に』としか言いようがなく、彼女がどこに行ったのか誰一人として知らない。基本的に、この病院は昼夜を問わずに稼働しており、二十四時間、職員が詰めている。
誰にも見つからずにこの病院から抜け出すなど不可能だ。
そして、彼女がいなくなってすぐに引き起こされた、チェリル・ミオ・レインフィールド襲撃事件。深夜のアトリエにいたチェリルに、何者かが奇襲をかけ、彼女に重傷を負わせたのだ。
襲撃者の奇襲を受け、命を奪われそうになったチェリルを助けたのは……奇しくも、傍を通りかかったアルベルトだった。この時アルベルトは、突然いなくなってしまったセシリアを探して、学院中を探し回っている途中だったのである。
そして、この際――アルベルトはチェリルを襲った犯人と対峙している。
正体を隠すようにスッポリと頭からフードを被っていた為、顔を見ることはできなかったが……アルベルトには、あの襲撃者がセシリアだという確信があった。
毎日、彼女のお見舞いに来ていたのだ……外套を羽織っていようとも背格好や、体つきは見ればわかる。何より、襲撃者がチェリルに放っていた霊術が、セシリアのそれだったのだ。
だが、今まで昏睡状態にあったセシリアが何の前触れもなく意識を取り戻し、チェリルを襲った……と考えるのは少々苦しいと、アルベルトは思う。
そもそも、人間は数か月間寝たきりを続けると、驚くほどに筋力が落ちる。常識的に考えるのなら、この病院からアトリエに行くだけでも相当に難儀するはずだ。
にもかかわらず、襲撃者の身のこなしは、アルベルトですら驚くほどに軽やかだったのだ。神装者なのだから……と言えばそうなのかもしれないが、それでも釈然としないものがある。
「……何だろう、嫌な感じがする」
言葉にはできない、齟齬。砂を噛むような、ザラリとした違和感が離れない。
「やっぱり、今回の件、何か裏がある。とにかく、動かないと……このままじゃ、取り返しのつかないことになる気がする……」
セシリアの背後に、どうしようもなく深く、濁った闇が垣間見えるような気がしてしょうがない。
アルベルトは決意に満ちた声でそう呟くと、病室を後にしたのであった……。