ゲイルゴッド攻防戦⑦~貴方の幸せを~
「なんで……ミリアが……?」
あまりにも唐突に表れた妹の姿に、ラルフは困惑の極地にいた。
ミリアは、今もフェイムダルト神装学院でラルフの帰りを待っているはずなのだ。そもそも、移動用の浮島を使ってもフェイムダルト島からエア・クリアに来るまで七日ほど掛かる……この短時間でここまで来ることなどできるはずが無い。
――いやいや、それ以前の問題だろう。
妙に現実的なことを考えていたラルフは、それが逃避だと気がついて頭を振った。
目の前のミリアがラルフと同じように空を飛んでいる……この時点でおかしい。
更に言えば、ジャバウォックのヴォーパルブラストを上回る霊術を駆使し、油断していたとはいえ、蒼海のマーレを一瞬で倒してしまったのだ……。
ラルフにとって、日常の代名詞とも言えるミリアが、この異常事態のまっただ中にいることに、目眩を覚える思いだった。
「ん、待て……ジャッジメント・ディバイン・レイ……?」
どこかで聞き覚えのある霊術の名に、ラルフは首を傾げる。喉まで出かかった言葉に苦悶していると、目の前でミリアが軽く肩をすくめた。
「神光のリュミエールのみが使える固有霊術――ジャッジメント・ディバイン・レイ。そう言いたいんですか、兄さん?」
「あぁ、そうそう! そうだ……った……」
ポンッと手を打ったラルフだったが……理解が及ぶほどに、言葉が小さくなってゆく。
暴力的な静寂が場を満たし、張り詰めたような緊張感が肌を刺す。ラルフは引きつった笑みを浮かべながら、場の空気を和ませるように軽く手を振った。
「いやいやいやいや……ミリア、お前……」
『ラルフ』
そんなラルフの困惑を断ち切るように、鋭くも重いアルティアの声が響く。
振り返ってみれば……そこには、全身に炎を纏ったアルティアの姿がある。その瞳には闘気が燃え盛り、彼が臨戦態勢にあるということを如実に表していた。
そして、アルティアが見る先にいるのは……ミリア・オルレットだ。
「待てよ……待てよ、アルティア!」
ラルフは慌てて、アルティアからミリアを庇うように間に割って入り、両手を広げた。
「だって、相手はミリアだぞ!? こんなの……何かの間違いに決まってるじゃないか!」
「間違いじゃありませんよ。私がさっき使ったのは、ジャッジメント・ディバイン・レイ……兄さんが、以前、エア・クリアから脱出した時、私が撃ったものと同じです」
その言葉に、ラルフは生唾を飲んだ。
以前、アルティアに乗ってラルフとチェリルがエア・クリアから脱出した際、フェイムダルト島から放たれた強力な霊術――アレを撃ったのは、ミリアだと言う。
『認めろ、ラルフ。お前の背後にいる妹が、神光のリュミエールの転生体であり――』
言葉を切り、ラルフに言い聞かせるように重い一言を投げつける。
『我らが滅ぼすべき、人類の敵だ』
「……ッ!! そんな馬鹿なことあってたまるかっ! おい、ミリア! アルティアに違うって言ってやれよ!」
「違いますよ」
「ほら、アルティア! 違うって言ってるじゃん!」
『アッサリ信じすぎだ馬鹿者!?』
クワッと目を見開いたアルティアから、叱責の一言を浴びせられる。
動揺し、完全に挙動不審になっているラルフだったが、不意にその肩にポンッと手が置かれる。振り返れば、ミリアが呆れたように嘆息していた。
「ま、それに関してはアルティアの言うとおりです。疑わしい相手の言葉を、鵜呑みにしてどうするんですか。大体、兄さんは――」
「なに言ってんだ。ミリアが疑わしい訳ねーだろ。いい加減にしないと、兄ちゃんマジで怒るかんな」
間髪入れずに返された大きな信頼に、今度はミリアが目を丸くする番だった。
「ち、調子が狂いますね……最悪、兄さんと戦うことになるかもしれないと覚悟してきたのに、台無し……」
「いい加減にしろ!! 兄ちゃんがミリアと戦うわけないだろ!」
「んぅ…………」
ラルフが本気で怒鳴りつけると、ミリアはかすかに頬を染め、どこか拗ねたように上目遣いで睨み付けてくる。
「分かったから怒らないでよ、もぅ……。それはそうと、兄さん、ちょっとどいてください。アルティアと話すことがありますから」
ぐいっとラルフを押しのけると、ミリアはアルティアの前に立った。鋭い視線を交わし合い、ミリアとアルティアは対峙する。
「アルティア、結論から言わせてもらえば、私はリュミエールの転生体ではありません」
『信じられると思うか?』
「いえ、私が貴方の立場でも信じないでしょう」
「兄ちゃんは信じるよ!」
「兄さん、ちょっと黙っててください。簀巻きにして海に沈めますよ」
この妹、ぶれなさすぎて怖い。
「だから、信じなくて結構。貴方がここで私を討滅するというのなら、受けて立ちましょう。けど……その前に一つだけ言わせなさい」
次の瞬間、ミリアの纏う雰囲気が一気に重くなる。鮮血の色をした瞳に、明確な殺意を浮かべながら、ミリアは口を開く。
「兄さんに神格稼働を使わせたな。兄さんを滅ぼす気か」
『そんなつもりは――』
「私の目をごまかせると思ったか、灼熱のアルティア。貴様は心臓さえ動いていれば、体がどうなっていようと、『生きている』とでも言うつもりか」
いつにない厳しい口調で放たれるミリアの言葉に、アルティアは首を横に振る。
『そんなことは、私がさせぬ!』
厳しい表情のまま断じるアルティアに、ミリアは蔑むような視線を向ける。
「この害獣が……。兄さんが神格稼働を使わなくて良いように、裏で動いていたのに……貴様のせいで全て無駄になった」
悪鬼としか言いようのない表情で言い放つミリアの隣で、ラルフが控えめに手を挙げる。
「あのさ、ミリア」
「なんですか、兄さんは黙っててください。コンクリで固めて崖から蹴り落としますよ」
「いちいち怖いよ!? というか、説明してくれよ。一体何のことを話してるんだよ。俺にはさっぱりわかんないぞ」
ラルフの言葉に、一瞬、ミリアの表情に哀愁が過ぎる。彼女がかすかに言い淀んだように見えたのは、ラルフの目の錯覚だったのだろうか。
「私から言えることはたった一つだけ……」
ミリアはそう言って前に出ると……無言で大きく手を広げて、ラルフの頭を胸にかき抱いた。柔らかな感触に硬直するラルフの頭を優しく撫でながら、ミリアは子守歌を歌うように、優しい口調で言葉を紡ぐ。
「もう、兄さんは戦わなくていいってことです。兄さんは、今までたくさん傷ついてきたんです……後は、私に任せてゆっくりと休んでください」
慈母のような笑みを浮かべ、優しい口調で言葉を紡ぐ彼女の姿が……在りし日の神光のリュミエールの姿と瓜二つだと気がついたのは、アルティアだけだった。
「ミリア……お前……何をするつもりなんだ?」
優しい声が、優しい笑顔が、優しい手が、なぜこんなにも不安を煽るのか。
その笑顔は、殉教を覚悟した聖職者のみが浮かべることのできる、澄み切った――『向こう側が透けて見えてしまいそうなほどに』澄んだ笑顔だった。
「レニスを倒し、全てを終わらせます。全て終わらせて、そして……」
そう言って、ミリアは少し困ったように眉を寄せる。
「そうですね……どこか遠くから、兄さんの幸せを祈ることにします。私の存在がバレてしまった以上、もう、兄さんとは一緒にいられません」
トンっと、胸を押され、ミリアの体が離れてゆく。
「兄さんの前に姿を見せればこうなると分かっていたから……こそこそと動き回っていたんですけどね。でも、兄さんの命には代えられませんから……」
離れたのはかすかな距離……だが、ラルフには、そのほんの少しの距離が、まるで絶対的な断絶に見えてしょうがなかった。
「ミリア!」
必死に手を伸ばす。目の前にいる大切な家族に届けと。
だが――
「『サンクチュアリ』」
目映いばかりの光に包み込まれ、次の瞬間、ミリアの姿が変化――否、変貌してゆく。
白い肌が、その色を反映させたかのような、美しくも艶やかな純白の体毛に覆われ、両手には鋭い爪が備わってゆく。
光の翼は、その数を六枚に増やして彼女の背で輝き、大きく天へと広がる。更に、四肢が大きく伸び、頭の両左右には微かに婉曲した角が生え、人としてのシルエットが崩れてゆく。
「な……あ……」
『…………兄さん、今まで、貴方の傍にいることができて、幸せでした』
そこにいたのは……名画の中に出てきそうなほどに美しい、純白のドラゴンだった。
清廉さと高潔さを象徴するかの如く、凛とした佇まいの中に、人間の時のミリアの存在が垣間見える。
ただ唯一、以前のミリアと同じ鮮血の色をした瞳が、どこか悲しげな感情を湛えて、ラルフを見下ろす。
『さようなら、兄さん。私の分まで、ティアさんと幸せになってくださいね。ずっと、ずっと……この世界のどこかで、兄さんの幸せを願い続けています』
ドラゴンが――ミリアが大きく光の翼を羽ばたかせる。
体に風を纏い、ふわりと浮かぶやいなや、ミリアが猛スピードで彼方へと飛翔を開始する。
瞬く間に小さくなってゆく姿を、唖然として見ていたアルティアとラルフだったが……先に我に返ったのはアルティアであった。
『ぬ! ボーッとしている場合ではない! あの姿……リュミエールそのものではないか! 追うぞ、乗れ! 戦うにしろ、対話するにしろ、見失うことだけは止めねば!』
「はっ!? そ、そうだな! ミリアめ……何が幸せを願ってます、だ! 馬鹿言うなよ、アイツ……ッ!!」
ラルフが急いで飛び乗るやいなや、アルティアが風を蹴立てて急発進する。風の壁を越え、アルティアは瞬く間にミリアに追いつく……はずだった。
『ぐにゅぅ!?』
ポンッと気の抜けたような声と共に、アルティアの姿が何の前触れもなく縮んだのだ。
唖然とするラルフの足下……ブーツに踏みつけられ、ヒヨコに逆戻りしたアルティアが、ものの見事に潰れていた。
「アルティ……ぐッ!?」
そして、アルティアの姿がヒヨコになると同時に、ラルフの力も一瞬にして消え去った。
いや、消え去ったと言うよりも……力ごと、ごっそりと『持って行かれた』。それは言うなれば活力とか生命力とか、そういったものだ。
――まさか、時間切れ……ッ!?
「くそ……ミリ……ア……」
彼方へと手を伸ばすも、その手は何もつかめず。
ラルフとアルティアは、傷だらけの大陸目掛けて、落下を開始したのであった……。




