最強の称号を頂く者
「確か、グレン・ロードって……」
唐突に教室の扉を開けて入ってきたドミニオスの男を警戒するラルフの言葉に、ティアが緊張に強張らせた声で返答する。
「三年『煌』クラス筆頭。学院に入学してから行った決闘で、一度も負けたことがない不敗の覇者だとか……」
「わざわざ紹介ご苦労、ティア・フローレス。だが、その呼び名はあまり好きではなくてな。その言い方ではまるで、引き分けも含まれているように聞こえるだろう?」
ティアの言葉に、当の本人がそう返す。
返されたティアの方は、表情を強張らせて小さく頷くだけだ……あの強気なティアが、完全に委縮してしまっている。
――なんて威圧感……。
その場にいる……ただ、それだけで周囲の全てを平伏させてしまう存在感。
王者の威風とはまさにこのことか。
同年代では肝が据わっているミリアですら表情を硬くして、その場で立ち尽くしているのだ……気の弱い者なら、この場から逃げ出してしまっているだろう。
教室が緊迫感に支配されていることに気が付いているのだろう……グレンは口の端を釣り上げ、微かに笑う。
「肩の力を抜け。別に、獲って食おうと思っているわけではない」
「は、はい!」
ティアが引きつった声を上げる。
グレンはそんなティアを一瞥すると、悠々と教室を横断しラルフの目の前までやってくる。
そして、鮮血のような色をした瞳でラルフをじっと観察し始めた。
「ふむ、お前がラルフ・ティファートか」
「は――」
はい、と答えるよりも前に、ラルフの全身を寒気が貫き、意識よりもなお深い部分が激しく警鐘を鳴らした。
意識を置き去りにする速さで、体が反射的に臨戦態勢に移行する。
右足を素早く引き、半身になりながら右拳を腰だめに構えて握る。
左手は前方で構え、体重を爪先にかけて踵を軽く浮かせる。
襲い掛かってくるであろう攻撃を捌くと同時に、瞬時に相手の懐に入り込むための構えだ。
だが……そこまで構えてようやく意識が体の動きに追いついた。
眼前、グレンは構えすら取らずに、腕を組んだまま愉快そうにラルフを見ている。
そこでラルフはようやく気が付いた――『構えた』のではない。
『構えさせられた』のだ。
苦々しい表情をしたラルフを、顎を擦りながらグレンが愉快そうに眺めている。
「軽く殺気を叩き付けてみたが……なるほど、意識するよりも先に体が構えたか。修練は相当に積んでいるようだな。基礎となる土台はしっかりできているようだ」
「……何の用件でここに来たんですか」
構えを解かぬまま、ラルフは厳しい口調でグレンに問いかける。
強気を装っているが、背中は冷や汗でぐっしょりと濡れている。
『軽く殺気を叩き付けてみた』とグレンは言っていたが、これほど生存本能に突き刺さる殺気を浴びたのは本当に久しぶりだ。
――昔、親父に精神鍛錬と称して殺気をぶつけられて昏倒した時と同じだったな……。
余談だが、この時目を覚ましたラルフが最初に見たのは、正座させられた父親と、その前で腕を組んで鬼の形相になっていたミリアだったりするのだが……まあ、今は関係のない話だ。
構えを解かないラルフを前にしても余裕綽々のグレンは、壁にもたれ掛り軽く肩をすくめる。
「なに、リンクの入団試験があまりにも退屈でな。他のメンバーに丸投げして、我はこうして気の向くままにここに来たという訳だ」
「入団試験……そんなものが?」
ラルフの問いにグレンは頷く。
「我がリーダーを務めているリンクは『ファンタズム・シーカーズ』といってな。リンクシステム創設時に創られ、それを代々引き継いで今に至る古株のリンクだ」
グレンの言葉に反応したのはティアだ。
「ファンタズム・シーカーズと言えば常に総合成績で一位を獲得しているリンクのことですよね」
「ふむ、しっかりと情報収集をしていると見える」
グレンはティアの手元にある冊子に視線を落としながら、頷く。
そんな二人を見ながら、ミリアが納得したように頷いている。
「なるほど……将来を見据えて人が殺到するのも頷けますね」
「どういうこと?」
「『新入生』と『リンク』の関係を一歩先に進めて考え下さい、兄さん」
そう前置きした上でミリアは続ける。
「リンクシステムは本業の冒険者が所属するギルドの前段階として疑似経験を積ませるシステムです。つまり……前段階であろうとも、最強のリンクに所属しているという事実は、一つのステータスになるんですよ」
ミリアはピンッと人差し指を立ててみせる。
「『リンク』が優秀な『新入生』を欲しがるのと同じように、本業の『ギルド』も優秀な『卒業生』を欲しがるわけです。そして、ファンタズム・シーカーズというリンクはその優秀さを手っ取り早く保障してくれるわけです。何せ、リンクシステム創設時から、ずっと一位をキープしているわけですから。所属していたという事実があれば、卒業した後も引っ張りだこでしょう」
「ほう、理解が早いな。ミリア・オルレット」
「……この場にいる全員の名前を知っているんですね」
「当然だ。新入生の名と顔は全員一致させている」
さも当然のように答えるグレンに、探りを入れたミリアの方が目を丸くして絶句する。
驚くミリアの様子を、苦笑を浮かべて眺めていたグレンだが、不意に視線をラルフの方へと向けてくる。
深紅の瞳には興味の光が爛々と輝いている。
「そして、その新入生の中に気になる男が一人いてな。入学式で大暴れした、ゴルド・ティファートの一粒種がこの教室にいると聞いてやってきたわけだ。しかし……ふむ、なかなかに先が楽しみではないか」
「父ちゃんのこと、知ってるんですか……?」
ラルフの言葉に、グレンは頷いて応える。
「むしろ、知らん奴の方が珍しいのではないか? 大型終世獣『ヤマタ』を剣豪フェリオ・クロフォードと共に足止めしたヒューマニスの戦士。拳一つを武器に、生来の類まれなるセンスと、獣じみた直感で、瞬く間にSランクまで上り詰めた男……我も一度会ったことがあるが、なるほど、確かにバケモノであったよ」
くっくっく、と面白そうにグレンは笑う。
「学院のほとんどの人間はお前とゴルド・ティファートについて関連付けていないようだが。ビースティスあたりがこのことを知ったら、きっと祭り上げられることだろうよ」
その言葉に、ラルフは改めて自分の父親の影響力というものを理解した。
大型終世獣を二人で丸一日足止めした――その事実は大陸を超えて、他種族の間ですら話題になるほどの偉業なのだ。
グレンは壁から背を離し、再びラルフの前へと歩み寄ってくる。
「入学式での一件、そして、今先ほどの構えを見て大体のお前の実力も把握した。精進するが良い、ゴルド・ティファートが固めたその土台の上に何を乗せるか……それはお前が選択することだ」
「はぁ、それはありがとうござい――」
「随分と上からな物言いをなさるんですね、グレン・ロード」
ラルフがお礼を言おうとした瞬間、真横からミリアが割り込んでくる。
驚いてミリアを見てみれば、平静を保っているように見える……が、それは上面だけだ。
付き合いの長いラルフは分かるのだが、この顔は結構頭に来ている顔だ。
目元が微かに引きつっている。
だが、そんなミリアに対してもグレンは余裕を崩さない。
「気を悪くしたか?」
「ええ、あまり気持ちのいいものではありません。兄さんの強さは、兄さんの努力と決意の上にあるもの。兄さんは、ゴルドおじさんの付属品ではありません」
ミリアは、ラルフが強くなりたいと決意した理由を誰よりも知っている。
だからこそ……まるで、ゴルドの成果物のようにラルフが扱われることに我慢ならなかったのだろう。
「ふむ、随分と肝の据わった娘だな」
「お褒めの言葉、ありがとうございます。全く嬉しくありませんが」
「嫌われたものだ。だが、ミリア・オルレットの言葉にも一理ある」
グレンはそう言いながら懐から生徒手帳を取り出して、手の中で弄ぶ。
そして、肉食獣のような獰猛な笑みをラルフに向けてくる。
「決闘の一つでもすれば、我もその努力と決意とやらを理解することができるかもしれんな?」
「……ッ!」
睨み付ける様に視線を鋭くするラルフと、笑みを浮かべたまま返答を待つグレン――だが、その間に慌てた様にティアが割り込んできた。
「す、ストップ! ストップ! ミリアもラルフも落ち着いて!」
恐らく、この場にいる一年生の中で最も冷静なティアが、ラルフを押し留める。
ラルフとの付き合いはまだ短いティアだが……この熱血漢な少年が、ここまであからさまな挑発に応えないはずがないと理解していた。
慌てたティアの言葉に反応したのは、ラルフやミリアでもなく……グレンだった。
「少し意地が悪かったか。大丈夫だ、ティア・フローレス、ここでやり合おうとは思っていない」
グレンはそう言ってポケットに生徒手帳をしまうと、爪先で二・三度軽く地面に叩き――
「『アクセル』」
その場から一瞬にして消失――否。
完全に唖然としていたラルフの肩に、ポンッと、背後から手が乗った。
「なぜならば、お前が我と戦うには早すぎる。もう少し強くなってからではないと、歯ごたえがない」
「な…………っ!?」
そんな馬鹿な――その言葉を必死で飲み込み、ラルフは振り返る。
先ほどまで目の前にいたグレンが、何食わぬ顔をしてラルフの背後に立っていた。
「今のは『アクセル』という初歩中の初歩の魔術だ。身体能力を全体的に向上させるのだが……どうだ、ラルフ。我の動きが捉えられたか?」
「…………」
ラルフは何も答えられずに、悔しげに唇を噛む。
気配どころか、初動の予兆すら捉えることができなかった。
ただ、目の前から消え去ったと――そうとしか認識できなかったのだ。
強いとか弱いとかそんな話ではなく、もはや次元が違う。
「悔しいか?」
「…………」
拳を強く握りしめるラルフの姿に、グレンは……どこか嬉しそうに笑った。
「こういう場合、人間の反応は大まかに分けて二種類……悔しがるか、自分には無理だと諦めるかだ。悔しいと思うなら、存分に悔しがれ。その感情がお前を高みへ押し上げることだろう」
グレンはそう言って再度ラルフの肩を叩くと、そのまま扉に向かって歩きはじめる。
「なまじ並外れた動体視力を持つが故に、お前は目に頼りすぎている。霊力の流れを『視』ろ。自身に内在する霊力を持って己を強化する霊術形態――魔術を使用するドミニオスを相手にするなら、それぐらいはできなければな。有象無象程度ならばお前の目でもなんとかなるかもしれんが、ある程度の実力者と戦うことになったらあっさり負けるぞ」
「……はい。肝に銘じます」
絞り出すようなラルフの声に、グレンは振り返る。
「追いついて来い、ラルフ。お前が我の所まで駆け上がってくるのを楽しみに待っているぞ」
そう言い残して、唖然とする三人を残してグレンは教室から去って行った。
まるで台風一過だ。
完全に呆然自失となっているラルフに、おずおずといった様子でティアが近づいてくる。
「あの……ラルフ。あんまり気落ちしない方が良いよ」
「なぁ、ティア……」
「な、なに?」
掠れた声を出すラルフに、ティアは首をすくめながら次の言葉を待つ……が。
「すっげぇ強かったな、あの人!」
「…………はい?」
ガシッとティアの両肩を掴み、目をキラキラさせながらラルフは言葉を続ける。
「うおぉぉ……アレが魔術っていうのか。全く見えなかったな! どうすれば見えるようになるんだろ。てか、俺にもアレできるのかな!」
「魔術はドミニオスとマナマリオスにしかできないから無理だと思うけど……」
「そっかそっか! なら、魔術を使った相手に勝てるように鍛えないとな!」
「え、えぇ、そうね」
妙な方向にボルテージが上がっているラルフからやんわりとティアが離れていくのだが……当のラルフは興奮していて全く気が付いていない。
「ねぇ、ミリア。何でラルフはあんなに興奮してるわけ?」
「私はあの状態の兄さんを『俺よりも強い奴に会ったで症』と名付けています」
「なにそのケッタイな病気」
「男の子なんでしょうね。こう、強敵と会うと内側から燃え上がる何かがあるらしいですよ。良く知らないですし興味もないですけど」
「へぇ……」
二人に白い目を向けられているとも知らず、ラルフは一人で盛り上がっている。
男の子って――そう言ってため息をついたティアだったが、気を取り直して意地の悪そうな笑みを浮かべると、ミリアを軽く肘で小突いた。
「でも、可愛いところあるじゃない、ミリア」
「何のことですか」
「ラルフのこと、悪く言われたから頭に来たんでしょ?」
「何のことですか」
「普段から冷静なミリアがあそこまで怒るなんて、やっぱり――」
「好 き で す け ど 何 か ?」
「わ、分かったからそんなに怒らないでよ……」
そう叫びながらもミリアの頬は若干赤くなっている。
やはり、先ほどグレンに突っかかったのは突発的な行動だったのだろう。
何だかんだでこの少女、やはりラルフのことが好きなのである。
そんな少女達の戯れをよそに盛り上がっていたラルフは、勢いよく振り返った。
「うん、決めた! ミリア、今から寮まで送っていくから、その後で俺はリンク棟へ行くよ! アレット姉さんも言ってたけど、やっぱり色々と見ておきたいからさ」
ラルフの言葉に対してミリアはジトッとした視線を返したが……何かを諦めたかのようにため息をついた。
「分かりましたよ。私もついていきますよ」
「ミリア、無理しなくていいんだぞ?」
「私を寮まで送っていったら二度手間でしょう。テンションがおかしくなった兄さんを一人にするのも心配ですし。ティアさんはどうします?」
ミリアの視線を受け、ティアは冊子をカバンの中に放り込みながら答える。
「ん、私も行くわ。それに私は二人と違って一回も勧誘なんて受けてませんからー」
どこか拗ねたようにティアは言う。
リンクが欲しがっているのは実戦の成績が良い新入生だ。
座学がどれほど良かろうとも、リンク対抗団体戦では毛ほどの役にも立たない。
それを思えば、実戦での成績が低い上に黒翼を持っているティアを率先して誘うリンクがいないのはしょうがない。
本人も恐らくその辺りは予想してはいたのだろうが……やはり周囲で勧誘が盛り上がっているなか、一人寂しく教室まで来るのはなかなかに堪えたのだろう。
そんなティアにミリアが疲れたような表情で反論する。
「イソギンチャクみたいに人の手が自分に向かって伸びてくるような状況に陥っていないから、ティアさんはそんなことが言えるんですよ」
「それはまぁ……確かに嫌ね」
その様子を想像したのだろう……ティアが二の腕を摩りながら何とも言えない表情をしている。そんな二人を見ながらラルフは思案する。
「でも、ミリア目的で人がたくさん寄ってくるだろうなぁ……どうしたもんか」
ラルフがそう呟いて考え込んだその時、トントンと控えめに扉がノックされた。
先ほどのグレンのこともあってか、その場にいた全員が反射的に身構える。
ゆっくりと開いた扉の向こうから、ひょっこりと顔を出したのは――
「アレット……姉さん?」
そう、アレット・クロフォードだったのである。
彼女は周囲を見回した後、眉を寄せて不思議そうな表情をした。
「……何で皆、構えてるの?」
「いや、今日は何だか千客万来で……」
「……ふぅん?」
軽く首を傾げる姿が、その大人びた容姿に反してとても可愛らしい。
だが、彼女もグレン・ロードと似た立場――つまり、二学年の頂点に君臨する実力者だ。
強さと言っても人それぞれなんだなぁ、とラルフはしみじみと思った。
「あの、それでクロフォード先輩はこの教室に何の用ですか?」
根本的なティアの疑問に、アレットは三人の顔を順に見て、にっこりと笑った。
「……昨日言ってた通り、リンク、一緒に見学しに行ってみないかなぁって思って」
渡りに船とはまさにこのことだろう。
ラルフとティアは一も二も無く頷いた。
ただ一人……アレットの考えの奥底を見透かすように、静かな視線を送っているミリアだけは、その場に立ち尽くすだけだった。
ブクマと評価がすごい増えてました。
これも、一重に拙作を読んでくださった方々のおかげです。これからもがんばって更新して行きたいと思いますので、どうぞ、よろしくお願いします。