幕間③ 【リベリオン・クレスト】
女王オルフィ・マクスウェルは、宰相ザイナリア・ソルヴィムの姿を求めて、足早にクラフトの王城の中を歩いていた。
そんなオルフィの両隣には第一近衛の二人の男女――ジレッド・エシュロットと、サフィール・アンが護衛として付き添っていた。双方、過去にラルフとチェリルが、浮遊大陸エア・クリアに連れ去られた際に戦った、凄腕の神装者である。
凛然とした表情で長い廊下を進むオルフィの隣で、ジレッドが微かに顔をしかめながら、口を開いた。
「オルフィ女王陛下、もう一度考え直していただくことはできないでしょうか?」
普段なら『ジレッド! 女王陛下の御意向に意見するとは何事ですか!』と、熱狂的な女王信奉者のサフィールから横槍が飛んでくるのだが……今日だけは静かだ。
これはサフィールも、内心ではオルフィに考えを改めて欲しいと願っているからに他ならない。
そんなジレッドの言葉に、オルフィは無表情に首を振る。
「わたくしの考えは変わりません。わたくしは無限の霊術を行使する伝説のシルフェリス――インフィニティー。大型終世獣という脅威がこの国に迫っている今、ただ黙して玉座に坐し続けているだけでは、民に顔向けできません」
そう言って、オルフィはジレッドとサフィールに視線を向ける。
「此度の大型終世獣討伐――わたくしも同行いたします。これは、わたくしにしかできないことなのです」
「…………」
その言葉に、ジレッドは内心で大いに頭を掻きむしった。
――やってくれたな、ドミニオスの脳筋王が……。
普段のオルフィは家臣の諫言にキチンと耳を傾け、それを踏まえたうえで行動を起こすことが多い。これほどまでに頑なになっているのは、昨日、廊下で黒鎧王グレン・ロードとすれ違ったことが原因だろう。
この世界で、唯一、王としてオルフィと並び立つ者。恐らくオルフィは、あの廊下での短いやり取りで、グレンに感化されてしまったのだろう。
――まぁ、女王陛下の劣等感の原因だしな、そこらへん。
オルフィ・マクスウェルの劣等感――それは、王でありながらこの国の政務にほとんど携わることができていないことである。より正確に言えば、『王』でありながら、『王』としての役割を果たせていないことである。
なまじザイナリア卿という、外交に政務まで何でもござれな辣腕宰相がいるものだから、余計にオルフィの活躍する場面がないのである。
無論、オルフィも時間を見つけては勉強をし、政務に食らいつこうとしているのだが……圧倒的な経験値と膨大な知識を有するザイナリアに完全に置き去りにされている。
そして、その事をオルフィ自身も良く理解しているからこそ、不満をかみ殺して、現状に甘んじているのである。
そんな現状にオルフィが項垂れていた時、現れたのがグレン・ロードだったのである。
オルフィとは異なり、自ら陣頭に立って、民のために王道を切り開くその姿は……まさに、世に言う『王』としての姿であった。
そんなグレンとの邂逅と重なるように、大型終世獣が襲来――インフィニティーであり、同時に『王』であるオルフィだからこそ、民に安心と安全を与えることができる機会が訪れてしまった。偶然といえば偶然なのだが、あまりにもタイミングが悪かった。
長い間、澱のように溜まりに溜まった劣等感が、オルフィの中で鬱屈した感情となっていたのだろう。オルフィはザイナリアに『自身の出陣』を提案するために、行動を開始してしまったのである。
今の彼女の勢いだと、ザイナリアに否定されてしまっても、『義は我にあり』とばかりに強権を発動して押し通してしまう可能性すらある。
――まいったな……。
確かに、オルフィの考えていることは間違ってはいない。
オルフィは神装者ではないが、それを覆して余りあるほどに強大な霊力を行使することができる。更には『インフィニティー』という天性の素養を最大限に活かすため、幼い頃より霊術の英才教育を受けてきた彼女の霊術の腕前は、第一近衛から見ても唸るものがある。
彼女が放つ戦術級霊術は、地形を変え、大軍勢を一瞬にして灰燼へと帰し、如何なる霊術をも飲み込んでしまう。まさに強力無比としか言いようがない。
だが――
――終世獣は常識が通用しない。万が一という可能性がある。
例え、どれほどオルフィが強くとも、その周囲を第一近衛が護衛していたとしても……『万が一』がある可能性があるのだ。
終世獣とは、平然と人間の常識や先入観の枠外からこちらに攻撃を仕掛けてくる。
第一近衛になる前は、冒険者として生計を立てていたジレッドはそのことを良く知っている。ましてや相手は大型終世獣……ビースティスの大陸『ナイル』を襲ったヤマタなど、完全迷彩能力を有し、索敵系の霊術を全てすり抜けて直接首都に攻撃を仕掛けたという過去もある。
オルフィという存在はこの国の屋台骨だ――万が一、彼女の命が無くなるようなことがあれば、その影響は計り知れない。
――何とかザイナリアのオッサンが言いくるめてくれりゃいいんだが……。
もはや、ジレッドやサフィールの第一近衛では、オルフィを止めることはできない。
重くなる足を引きずりながら、ザイナリアがいるという練兵場へとやってきたオルフィ、ジレッド、サフィールだったが……そこで、異様な光景を目にすることとなる。
「なんだ……あれは……」
普段、神装者で構成される第一~第三近衛兵達が使う、神装者用の練兵場……そこに、ザイナリアの姿があった。だが、ジレッドが注目しているのはその先。
ずらりと並ぶ黒外套の集団だ。
数は十人ほどだろうか。
スッポリと黒の外套を頭から羽織っているため、大まかな体格しか見て取ることはできない。だが、この時点ですでにジレッドはこの集団の『異様』な様を看破していた。
――全員、体格が同じだと……?
黒外套越しに推測される背格好が十人共に同じなのだ。
似ている……などという生易しいものではなく、気味が悪いほどに一致しているのである。
身長が同じであっても、脂肪や筋肉の付き方、体のバランスと癖は個人によって異なる。そのため、どうあっても体格が『全く同じ』になるということなどありえないのだ。
にもかかわらず、体格どころか直立する角度、姿勢までぴったり一致しているときている。
まるで、人間と同じ大きさの人形が、ズラリと並べられているような、そんな不気味さを感じる。振り返れば、サフィールも同じ印象を受けたのだろう……怪訝そうに眉をしかめている。
そんな第一近衛の二人の疑問など気付かぬように、オルフィはザイナリアに向けて歩を進める。
「ザイナリア卿! 話があります!」
オルフィの接近に気が付いたザイナリアは、相変わらずの鉄面皮を崩すことなく、振り返る。
その際、ジレッドは黒外套たちの素顔を確認しようとしたが……顔にはのっぺりとした仮面が付けられており、その正体を確認することはできなかった。
「何用でございましょうか、オルフィ女王陛下」
ザイナリアがそう答えると、オルフィは一度、緊張したように唾を飲み……そして、口を開く。
「此度の大型終世獣討伐の任……わたくしも、同行します」
――うわいちゃ、断定か……。
内心で困り果てたジレッドは、助けを求めるようにサフィールの様子を窺う。
そこでは「くっ、オルフィ女王陛下のなんと慈悲深く、凛々しい御姿か……このサフィール、涙が止まりませぬ!!」とサフィールが滝のように涙を流していたので、スルーすることにした。
「世を知らぬわたくしでも、大型終世獣の脅威は重々承知しています。ビースティスの民達が住まう大陸ナイル……彼の地で引き起こされた惨劇を、我らが大陸で引き起こさぬためにも、今こそインフィニティーの力を振るうべき時が来たのです」
胸に手を当て、ザイナリアを真っ向から見据えながらオルフィは言い放つ。
『オルフィ女王の身に危険が及ぶ』という返答は、今のオルフィには通じない。
というか、ジレットを含む第一近衛達がその答えを返したところ、『ならば貴方達は、この身可愛さに民を見殺しにしろとわたくしに言うのですか!!』と一喝されてしまった。
――あのオッサンは、確実に女王陛下を戦場には出さないはずだ。なら……どうする。
女王信奉者であるジレットからすれば、腹立たしい事ではあるが……ザイナリアにとって、オルフィ・マクスウェルは体の良い隠れ蓑だ。それをわざわざ、危険に晒すはずがない。
固唾を飲んで事態を見守っていたジレットの前で、ザイナリアは深く、深く頭を下げた。
「民を深く想うオルフィ女王陛下の御言葉、このザイナリア、深く感じ入りました。なるほど、確かに女王陛下の仰る通り、人知を超えるインフィニティーの力……振るう時は、今を置いて他にありません」
「ザイナリア卿……貴方なら分かってくれると思っていました! ならば、すぐにでも出陣の準備を――」
「だからこそ」
パッと表情を明るくしたオルフィの言葉に被せるように、ザイナリアは言葉を紡ぐ。
そして、頭を上げると、右腕を大きく広げて黒外套の集団たちを、オルフィに示して見せる。
「この者達が出陣するのです」
「…………ど、どういうことでしょうか、ザイナリア卿」
ザイナリアが何を言いたいのか理解できなかったのだろう……オルフィが動揺を露わにしながら、問い掛ける。これは、ジレッドとサフィールに関しても同じだ。
全員が疑問を浮かべる中、ザイナリアは感情を乗せぬ無機質な口調で続ける。
「女王陛下の御言葉のままにございます。『大型終世獣という脅威を前にした今、インフィニティーの力を振るう時は、この時を置いて他にない』」
ザイナリアは、そう言って大きく両手を広げ――嗤った。
「そう……今こそ、インフィニティーの力で! シルフェリスの力で! 大型終世獣を屠り、その威光を全世界の者達に示す時――」
「十名のインフィニティーからなる部隊――【リベリオン・クレスト】出陣の時なのです!」
「馬鹿な! そんな話あるか!」
オルフィ女王の前であるにもかかわらず、ジレッドは気が付けば叫んでいた。
そうさせる程に、ザイナリアが放った言葉は到底信じられるものではなかった。言葉を放った相手がザイナリアでなければ、ジレッドは欠片も信じることはなかっただろう。
インフィニティーは伝説とまでうたわれる存在……少なくとも、シルフェリスに伝わる歴史において、過去にオルフィを除いて一人しか確認されていないのだ。
それが唐突に十人も出現するなど……夢物語でしかない。
どこか必死なジレッドの言葉に、ザイナリアは仮面を外すように笑みを引くと、黒外套の一人に向かって顎でしゃくってみせる。
すると、その一人は手を前に掲げ――霊力を収束させ始めた。
最初は微かなそよ風が発生し、それは直ちに暴風へと姿を変える。周囲の霊力が渦を巻くように黒外套の元へと根こそぎ引き寄せられる……まるでそれは、世界が黒外套の元へと落ちていくような光景。
異常という言葉すらも陳腐に聞こえるほどの、圧倒的な霊力の収束……少なくとも、これほどまでに埒外な霊力収束を、ジレッドは今まで一度しか見たことがない。
そう――オルフィ・マクスウェルの霊力収束だけだ。
「もうよいであろう」
ザイナリアの指示を受け、黒外套が霊力の収束を止める……ただそれだけで、世界は平静を取り戻した。
地面を踏みしめた姿勢のまま、ただ呆然と成り行きを見守るジレッドの隣では、サフィールもまた同じように言葉を無くしていた。
そしてなによりも……最も強く衝撃を受けていたのは、オルフィ・マクスウェル本人であった。
まるで、この世の終わりを目撃したかのように顔面蒼白になり、その瞳もどこか虚ろで。
「わ、わたくしは……。な、なら、わたくしが……ここにいる……意味は……」
うわ言のように呟くオルフィの前に跪き、頭を垂れたザイナリアは、口を開く。
まるで、今、目の前で起こった事実をオルフィに理解させるように。
「オルフィ・マクスウェル女王陛下、これで御理解いただけたかと思います。陛下は出陣などする必要などないのです」
微かな沈黙を挟み……ザイナリアは、ただ一言。
「貴女はただ、玉座に坐していればいい」
そう言って、ザイナリアは黒外套達を引きつれ、何事もなかったかのように去ってゆく。
取り残された三人は何もできず、ただ、その後ろ姿を眺めることしかできなかった……。
さて、この話からラストに向かって、好き放題ばらまいてきた伏線を、片っ端から回収していくこととなります。『あぁ、あれってそういう意味だったんだ』というのが、ちょこちょこ入ると思いますので、楽しみにしていただければ幸いです。