授業『終世獣について』
「神装者……つまり、私達が冒険者として何故、このような教育を受けているのか。それは過去の対戦の悲劇を繰り返さないためということもありますが、それ以上に、終世獣との戦闘に備えるためです」
カツカツと小気味よい音と共に板書をしながら、エミリーが教鞭を振るう。
昼食を終えて、太陽が少しずつ地平線に向けて落ち始める時間帯――眠りそうになる自分と必死に戦うラルフと、真面目な顔をして授業を聞くティアの姿があった。
「以前も説明しましたが、終世獣は厳密には生物ではありません。その証拠に戦闘不能になるまでダメージを与えると霊力になって溶けて消えますし、食事も必要としません。現在、特殊な霊術の一種と言われていますが……実は、それも判然としていないんですね。何せ、終世獣は繁殖するわけですから。そのような規格外の霊術などあるのかと疑う学者さんも多くいます」
エミリーは黒板に終世獣、神装者と書き込み、双方に向かって矢印を書く。
「終世獣はその高い身体能力にものを言わせて無差別に人に向かって襲い掛かってきます。これが最大の特徴と言っても良いかもしれませんね。人間以外には見向きもしません。捕食目的ではなく単純に殺めるためだけに襲い掛かってくるわけです。まるで、人間を滅ぼすために造られたかのよう……そう言われるのも納得ですね」
一息。
「終世獣の身体能力は高く、真っ向からぶつかって勝てるのは神装者だけです。もちろん、小型の終世獣なら大多数で囲むことで一般人でも倒すことも可能ですが……中型ともなれば、もはや神装者にしか倒すことはできません。特に中型の終世獣は霊術を使用する個体も確認されています。もしも、将来戦うことになった場合は十分に注意してください」
終世獣と書かれた文字の上に、直接攻撃、霊術とエミリーは書きこむ。そして、その下に小型、中型、大型と三つの言葉を付け足す。
「現在、小型、中型は数多く確認されていますが……大型は歴史上まだ二体しか確認されていません。まず一体目は神装大戦中に乱入してきた、人類が初遭遇した大型終世獣『リンドブルム』。そして、二体目が八年前にビースティスの大陸ナイルに出現した八つの首と八つの尾を持つ蛇の大型終世獣『ヤマタ』です」
ヒューマニスの大陸ガイア――リンドブルム。
ビースティスの大陸ナイル――ヤマタ。
大型の言葉の隣にその文字列が追加される。
「このヤマタは特殊な終世獣で全身に迷彩が施してあったのです。なので、出現が確認されたのは、ビースティスの首都の目と鼻の先でした。そこまで全く気付かれずに接近してきたわけです」
「え、誰も気づかなかったんですか?」
ティアが驚いて質問をすると、エミリーは深く頷いた。
「当時の人の話では、目の前の空間から滲むようにして姿を現した……ということらしいです。さぞ驚いたでしょうね。さて、このヤマタですが、リンドブルム程ではないにしろ桁違いの戦闘能力を持っていました。体表を覆う鱗は高い霊術・物理防御力を備えており、その八つの首からは人を一瞬で消し飛ばす霊術砲――ブレスを放ってきたわけですからね。もちろん、首都に詰めていたビースティスの神装者達だけでは手も足も出ません。まさに絶体絶命ですね。各国の大使館に設置されている転送陣から援軍を送り込んでもらうにしても、時間は掛かりますからね」
転送陣とは遠い場所から一瞬で人や物を送ることができる特殊な霊術だ。
地面に巨大な円を描き、その縁に沿って緻密な霊術式を書きこむことにより、同じ霊術式を書いた転送陣へと移動できるのである。
とても便利な霊術なのだが……この転送陣を作成するには専門の知識を必要とする上、使用できるのは一回だけ。
おまけに転送陣を描くための道具――粉末状にした高純度のトゥインクルマナという鉱物――は非常に高価で、云百万コルが吹っ飛ぶ。
そのため、大型の終世獣が襲来した際、迅速に援軍を送るため――という名目で各国の大使館にしか設置されていない。
無論、このフェイムダルト島の東西南北にある各国の大使館にも転送陣が設置してある。
閑話休題。
「この時、各国の援軍が来るまでヤマタを足止めしたのが当時、冒険者として頭角を現し始めていたゴルド・ティファートとフェリオ・クロフォードの二名でした」
「ぶっ!?」
舟をこぐのを必死に我慢していたラルフは、唐突に出てきた聞き覚えのある名前に思わずつんのめった。
唖然とした表情で黒板を見ると、エミリーは苦笑を浮かべながら板書を続ける。
「たった二名で丸一日ヤマタをその場に釘付けにした彼らの活躍により、体勢を整えたビースティスを中心とした連合軍はヤマタを討伐することに成功したのです。ビースティスがヒューマニスに対して好意的なのも、貴方のお父さんのお陰なんですよ、ラルフ君?」
「…………親父、フェリオおじさん、いつの間にそんな事してたんだ」
「え、やっぱりラルフのお父さんなの!? しかも、クロフォードって……クロフォード先輩のお父さんよね」
慌てて教科書をめくれば、確かに太字で『ゴルド・ティファート』、『フェリオ・クロフォード』と書いてある。
放心状態のラルフの隣で、ティアも驚いている。
それはそうだろう。
大型終世獣は本来個人で相手できるようなものではない。
そんな規格外の相手を、倒すに至らなかったとしてもその場に丸一日釘付けにしたのだ……もはや、人間業ではない。
「その功績を評されてゴルド・ティファートとフェリオ・クロフォードは世界で四人しかいないS級冒険者に昇格。更に……っと、これ以上詳しく話すと長くなるので割愛しますね。詳しく知りたければ、二年生に進級してビースティス史を取るか、放課後私の所まで聞きに来てくださいね」
「先生!」
「はい、なんでしょうラルフ君?」
珍しく……それもう、本当に珍しくラルフが勢いよく手を上げた。
それを見て嬉しそうに微笑んだエミリーはラルフに聞き返す。
「S級冒険者って後二人は誰ですか?」
「一人目は現在のドミニオス国王レッカ・ロードですね。彼も王になる前は冒険者として未踏地域の数々を開拓しましたし、終世獣との戦いでも獅子奮迅の活躍を見せていますからね」
「あと一人は誰なんですか?」
ティアの質問にエミリーはバツが悪そうな表情をする。
だが、期待に目を輝かせる二人を前に誤魔化せないと思ったのだろう……大きなため息をついた。
「エミリー・ウォルビル。私ですね……」
「おぉ……」
「えっ!? 凄いじゃないですか、先生!」
興奮気味の二人の前で、エミリーはひらひらと手を振った。
「いえ、本当に私はおまけですから。というか、ゴルド先輩とレッカ先輩が『面倒だから、後はよろしく頼むわ』って私の所にファンタズ・アル・シエルで見つけた古文書とか碑文とか大量に放り投げてくるから、渋々それを全部解読して学会に発表していたら勝手にS級冒険者に認定されていただけです。全く、あの脳筋達は……頭脳労働を全部私の所に放り投げてきて……そのくせ、ゴルド先輩は私に全然会いに来てくれないし……」
「せ、先生……?」
「はっ!? そ、そう言う訳ですから。先生のS級ってのはあんまり当てにしないでくださいね」
暗い顔で恨み節を始めていたエミリーはハッと気が付くと、笑顔を取り繕った。
割と鬱憤がたまっているのかもしれない。
その時、ちょうど授業終了の鐘の音が鳴り響いた。
エミリーはどことなくホッとした様子で持ってきた教材を片付けると、板書を消し始める。
「それでは今日の授業は終了です。お疲れ様でした」
「はい、先生ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
頭を下げる二人を見て、エミリーは思い出したように言葉を紡ぐ。
「あ、そうそう。今日からリンクの勧誘が許可されます。割と強引に勧誘をしてくる子達も……その表情からして、洗礼は既に受けたようですね」
微妙な表情をしたラルフを見てエミリーは苦笑する。
「この校舎から南に行ったところにリンクが活動する部室棟がありますから。興味があれば色んなところを見てみるのも良いかもしれません。はい、リンク加入申請書も渡しておきますね。ここだ! と言う所があったらそれに氏名とリンク名を書きこんで提出してくださいね」
そう言ってエミリーは簡素な作りのリンク加入申請書を手渡すと教室を出て行った、と……思った瞬間、入れ替わるようにミリアが全速力で教室に駆け込んできた。
後ろ手で勢いよく扉を閉めたミリアは、肩で大きく息をしながら、げっそりとした表情でラルフとティアを見渡す。
『随分と疲弊しているな、ミリアよ。またリンク関係で追い駆けられたのか?』
「そう……です……ね……。昼食時は上級生から、小さな休み時間には同級生から勧誘が……もう、いい加減ウンザリです」
わりかしポーカーフェイスの多いミリアだが……表情に疲れが出ているということは、よっぽどしつこく追い駆けまわされていたのだろう。
確かに、朝と同じ勢いで四六時中勧誘されれば誰だって疲弊する。
「まぁ、とりあえず座れよ」
ラルフは立ち上がってミリアに椅子を勧める。
ミリアは誘蛾灯に惹かれた虫のようにふらふらと寄ってくると、そのまま座り込んだ。
そんなミリアの様子を見ながら、ティアが口を開く。
「それで、この教室に逃げ込んできたのね」
「この教室の存在自体を知らない人も多いですから」
「悪かったわね、影の薄いクラスで」
ミリアの言葉通りこの教室はあまり周知されていない様子で、ラルフもこの教室に入ってからはまだ一度も勧誘を受けていない。
それが良いことなのか悪いことなのかは分からないが。
「兄さん、ティアさん、帰りましょう。今すぐに。即刻。直ちに」
「いや、悪いけど俺、リンク棟に行ってみようと思ってるんだけど」
ラルフがそう言った瞬間、ミリアの顔から表情と言う表情がスッパリと抜け落ちた。
「兄さん? 私にもリンク棟に行けと言うんですか? ははは、本気ですか?」
「分かった! 分かったから喋りながら頸動脈を絞めようとするな……ッ!!」
首に向かって伸びてくるミリアの両手を掴み、ラルフが必死で訴える。
幼馴染の心温まるスキンシップを必死で防ぎながら、ラルフはミリアに提案する。
「そうだ! ミリア、背中に『売約済み』って書いた紙を貼って歩けば……悪かった! 兄ちゃんが悪かったからッ!!」
ラルフの首へと伸びていたミリアの手の力が冗談の域を超えた。
一進一退の攻防を繰り広げる二人を白けた目で見ていたティアは、カバンの中から大きめの冊子を取り出してそれを一枚ずつめくり始める。
「でも、ラルフの第一候補はクロフォード先輩の『陽だまりの冒険者』で良いんでしょ?」
「そ、そうだけどさ……ッ! あれ、ティアの読んでるその冊子って何?」
「有志が作ったメンバー募集してるリンク一覧だって。中央トラム乗り場に平積みされてたわよ。ほらほら、ミリアもいい加減諦めなさいよ。ラルフがデリカシーないのはいつものことでしょ」
今にも舌打ちしそうな表情で手の力を緩めたミリアに、両手を合わせて謝ったラルフは、ティアの肩越しに冊子を覗き見る。
リンク名に、募集人数、リンク紹介、連絡先まで書いてある。
それがずらずらと列挙してあるのだ……この冊子に登録してあるリンクは相当数に上るだろう。
「リンクってこんなにあるのかよ……」
「違うわよ。これはあくまでも新入生を募集してる中小リンク。上位リンクは募集なんてしなくても人が集まってくるし、クロフォード先輩みたいに募集するつもりのないリンクもここに名前はないわ。だから、リンクの合計数はもっと多くなるんじゃないかしら?」
「うへぇ」
一体何を基準にしてリンクに入ればいいのか分からなくなるような多さだ。
逆に言えばそれだけたくさんの選択肢があるともいえる。
アレットが言っていたように、リンク選びも学園生活の楽しみの一つと言うのも頷ける。
なら、この冊子に乗っていないリンクにはどんなものがあるのだろう――ラルフがそう思ったちょうどその時だった。
「邪魔するぞ」
何の前触れもなく教室の扉が開いた。
その場にいる全員が目を丸くする先、そこにドミニオスの男が立っていた。
短く刈り込まれた紫紺の髪に、血の色を連想させる鮮烈な紅の瞳――少なくとも、ラルフに面識はない。
何より……これほどの威圧感を放つ相手を忘れるはずがない。
「グレン・ロード……」
ラルフが警戒をしていると、隣のティアがポツリとそう呟いた。
そう、そこに立っていたのは三年『煌』クラス筆頭――学院最強の名を欲しいがままにする、全戦全勝の覇者、グレン・ロードだった……。