思わぬ遭遇
視察もある程度終わり、そろそろ歓待の宴が始まるため王城に戻ろうかと……グレンとジェイクがそう話していたときに、事件は起こった。
「む。何か騒がしいな」
「……そのようですね」
日常という名の喧噪とは毛色の異なる、興奮した人々の怒声と悲鳴、そして……爆発音。
周辺の霊力が、攻性霊術を使用したとき特有の乱れ方をしている。喧嘩――というには、あまりにも物々しい雰囲気が空気を伝播して伝わってくる。
「行くぞ」
「お、お待ちください、グレン様! 危険です! ここは我々が――」
「言っている場合ではあるまい。死人が出てからでは遅い、先に行くぞ。トリプル・ラッシュ」
必死に止めようとする護衛のシルフェリス達にそう告げると、グレンは身体強化魔術を使用して、跳躍する。王者を示す深紅のマントを翻し、一足飛びで民家の屋根に飛び乗ったグレンは、街の様子を見回す。
「あそこか」
言うが速いか、グレンは屋根を蹴って騒乱の中心に向けて跳ぶ。次々と民家の屋根を足場にして、瞬く間に現場へと近づいたグレンは、視界に騒ぎの原因を捉えた。
騒ぎが起こっているのは丁度、首都クラフトの玄関とも言える、最も大きく、最も賑わう大通りであった。
ここを通行するのは、主に荷物を満載した商人達の馬車や、貴族が使っている豪奢な馬車だったりするのだが……今、大通りに止まっている馬車は、あまりにも物々しい造りをしていた。
木材を多用するシルフェリスには似合わぬ、鋼鉄の馬車。窓は一切なく、出入りするであろう開口部も非常に小さい上に、三重のロックが掛けられている。恐らくは中に乗ったものは外の様子を一切知ることはできないだろう。
まるで、移動する監獄だ。
そして、この馬車に物々しい装備をした兵達が随行している。
――装備からして、第二近衛か。
第三近衛の中でも選りすぐりの神装者が所属することができる第二近衛――第一近衛には及ばないまでも、その戦闘力・練度は高いと聞く。
そして、そんな第二近衛の兵達が戦闘を繰り広げているのである。
「第二近衛十名近くを相手にするとは……一体誰が――」
視線を左右に振ったグレンは、その騒ぎの中心にいる人物を目にして思わず眉をしかめた。
その背に広がるのは純白の翼と……漆黒の翼。使用している神装は杖型の神装<ラズライト>。
グレンもよく見覚えのある女性――ティア・フローレスであった。
「きゃあぁ!?」
霊術を繰り出しながらも、必死に立ち回っていたティアだったが、側面から打ち込まれた遠距離霊術の一撃をもらって大きく吹き飛び……民家の壁面にたたき付け、気絶してしまった。
グレンがここに駆けつけるよりも前から戦っていたのだろう……身につけているフェイムダルト神装学院の制服はボロボロになり、その白い肌からは幾筋も深紅の血が流れている。
造りの良い顔立ちは疲労に染まっており、目の下には濃いクマが浮かんでいる。
「この女……手こずらせやがって!!」
第二近衛の一人――ティアに殴られたのか、鼻血を出している――が荒々しい足取りで近づくと、手に持った槍型神装の石突きを大きく振り上げた。
そして、その石突きでティアの顔を殴りつけようとした……その時だった。
「感情にまかせて、意識を失った相手を殴りつけるとは、関心せんな」
硬質な音を響かせ、グレンのガントレット型神装<アビス>が、石突きを受け止めた。
そして、目の前で驚く第二近衛を見て、グレンは大きくため息をついた。
「おまけに精鋭と呼ばれる第二近衛ともあろうものが、学院を卒業すらしていないヒヨッコに一撃をもらうとは……不意打ちだったとしても、あまりにも腑抜けすぎてはいないか?」
「だ、黙れ! 貴様、何者だ!」
「ドミニオスの王、グレン・ロードだ」
平然とグレンが告げると、ザワッと野次馬を含めたその場にいた者達が騒ぎ始める。奇異と敵意の目に晒されながらも、一切気後れする様子もなく、グレンは目の前の第二近衛に向けて口を開く。
「エドワーズよ。よければ何があったのか、聞かせてもらえるか?」
「は!? な、なぜ俺の名前を……」
動揺する男を尻目に、他の第二近衛達がグレンを警戒するように無言で包囲網を構築する。それを視界に捉えたグレンは、口の端をにぃとつり上げた。
「ふむ、実力行使なら遠慮をする必要は無いぞ。我が許そう。かかって来るが良い」
右人差し指を動かし、グレンは周囲を睥睨する。
「教育してやろう」
周囲の者達が色めき立ったその瞬間……路地からジェイク達が飛び出してきた。
「お、お待ちください、グレン様! この場はその拳をお収めください!」
「間が悪いな、ジェイク。折角今から面白くなるところだったというのに」
「お戯れはほどほどになさってください……」
ジェイクはため息交じりに言うと、馬車の護衛をしていた第二近衛達をキッとにらみ付けた。
「馬鹿者!! 賓客であるグレン様に剣を向けるとは何事か!」
「は、はっ! 申し訳ありません!」
ジェイクの一喝に、第二近衛達が一斉に神装を消して姿勢を正す。その様子を見て、グレンは顎をさすると、目線をジェイクに向ける。
「ふむ、ジェイク。この者達はお前の部下か?」
「はっ! 未熟な身ですが、私が第二近衛の隊長を務めさせていただいております!」
ジェイクの言葉に、グレンが小さく嘆息して答える。
「礼儀の面はどうでも良い。いきなり首を突っ込んだ我にも非はある。だがな……そこの男は学生に殴られていたぞ。練度が落ちているのではないか?」
「お恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」
そう言って、ジェイクが部下達を再度、にらみ付ける。
隊長の鋭い視線に、部下達の顔色が無くなる……まあ、武の頂点に立つドミニオスの王に練度の低さを指摘されるなど、恥以外の何物でもあるまい。
「ジェイクよ、この馬車は何か聞いても良いか」
「はっ、国家反逆罪を犯した死刑囚ブライアン・フローレスの輸送を行っております」
「ふむ」
背後を振り返れば、傷つき、地面に倒れたティアの姿。そして、目の前の護送車にはその父であるブライアンが入れられている……。
大体の事情を察したグレンは、無言で倒れているティアを肩に担いだ。
「ぐ、グレン様、一体その娘を――」
「この娘は我が学生時代の知り合いでな。悪いがこの娘の身柄は我が預からせてもらう」
正確には、知り合いの知り合いなのだが……脳裏で、赤毛の少年の姿が浮かぶ。
この場でティアを見捨てた場合、女性としての尊厳を踏みにじられ、この娘は目も当てられない末路を辿ることになるだろう。
その根拠になるのは――
「この場に置いていては、そこに隠れているゲスの毒牙に掛かってしまうだろうからな。そうだろう、ドミニク・ボンドヴィル」
その一言に、物陰に隠れていた『何者』かが逃げ去ってゆく。
――ま、ドミニクからすれば、散々辛酸を舐めさせられた相手だからな。あの性悪なら、ここで網を張ってティア・フローレスを待ち構えていてもおかしくはない。
というよりも、敢えてティアに情報をリークし、この場に誘い込んだ可能性すらある。
ティアを担いだグレンに、第二近衛――エドワーズがどこか焦ったように声を掛けてくる。
「で、ですがその娘は重罪人の娘……片黒翼です。しかも、護送車の通行を妨害した上、我等に対して神装を発現して攻撃を仕掛けてきました! これは重大な――」
「ふむ、ならば一つ聞かせてもらおう。先に神装を発現して攻撃を仕掛けたのはどちらだ? シルフェリスの法……確か刑法の六十二条に正当防衛が認められているはずだが?」
平然とした顔でシルフェリスの国の法律を諳んじてみせるグレンに、周囲の近衛兵達が困惑を見せる。
以前、ラルフにも言っていたことだが……このグレン・ロードという男、将来自身が王になることを見据え、学院生時代にその下地を作るために活動を行っていた。
全ての種族が揃う学院では古今東西の書物が集まる……そこで、グレンは全ての国の法律を頭に叩き込んでいたのである。無論、そこで卒業生達の顔や名前も覚えた。
常軌を逸した記憶力を持っていることもあって、グレンは文官も真っ青なほどの知識量を有している。この男の前では、下手な言い逃れなど意味を持たない。
「も、もちろん、その女が先に……」
グレンは半眼で男を見据えた後、懐から金貨が満載された袋を取り出すと、野次馬の集団の少し前に向かって放り投げた。
「この一連の騒動を見ていた者達よ! 正直にありのままに、なにが起こったのか答えてはくれないか! 答えた者は、好きなだけその袋から金貨を持ち出すことを許す。ただし、嘘を付いた者は、草の根をかき分けてでも見つけ出し、それ相応の制裁を下すと思え」
グレンと野次馬達のちょうど間という絶妙な距離――そこに置いてある金色の煌めきに、誰もがゴクリとつばをならす。
袋の大きさからして、恐らく、一家族が贅沢をしなければ数十年は暮らせる額が入っていると思われる。かすかな沈黙を挟み……野次馬の中から、ボロを纏った子ども連れの女が一歩、前に出た。
「あ、あの、私見ていました……その、女の子が第二近衛に掛け合っていたら、いきなり神装を発現した兵士さんに殴られ、止むに止まれず神装を発現して、応戦していたのを……」
「そうか、分かった。では、好きなだけ金貨を持って行くが良い」
恐る恐るといった様子で近づいてくる女性に、グレンは微笑みかける。
「なにを遠慮する必要がある。これだけの目撃者がいるにもかかわらず、正直に答えてくれたのはお前だけなのだ。いっそ、お前が全て持って行って良いのだぞ?」
「あ、ありがとうございます、ありがとうございます!!」
そう言って女が金貨に飛びつき、夢中で懐に金貨を詰め込み始めたその瞬間、野次馬達が一斉に手を上げ始めた。
「お、俺も見ていたぞ! 黒翼の娘は、どう見ても正当防衛だった!!」
「そうよ! そこの第二近衛の人が、一方的に殴っていたわ!」
「俺も! 俺もその現場を見たぞ!」
一斉に手を上げ始める野次馬達に向かって、グレンは鷹揚に頷く。
「うむ、分かった。金貨は好きに持って行くが良い。これは全てお前達のものだ」
その一言で、我先にと野次馬達が金貨の袋に群がる。大騒ぎとなっている野次馬達を尻目に、グレンは再び目の前の第二近衛の方へと視線を戻す。
「ということらしいのだが……どういうことだ? 説明はしてもらえるのだろうな?」
「……………………」
街にも様々な層の人間が住んでいる。
その中には、貧困を極め、明日の生活にすら困る者達もいるだろう……それこそ、第二近衛に目をつけられてでも、生活の糧を手に入れなければならない者も。
そういった者が最初に手を上げ、発言してくれれば、しめたものである。あれだけ脅しを掛けたのだ……さすがにこの場でグレンの不利になるような発言をする者はおるまい。
後は見ての通り、『それなら自分も』と個が埋没するほどの大多数が一斉に発言をし始める。少し卑怯ではあるかもしれないが、集団心理を利用した上手い方法だ。
まあ、グレンがこのような方法をとったのは、ティアが正当防衛だという確信があったからだ。
何せ、近衛がウジャウジャと見回りしている街中で、これだけの数の第二近衛に対して、率先して仕掛けるメリットなど欠片も無い。そんなことをするのは、よほどの馬鹿か、腕に自信のある者ぐらいだろう。
滝のような脂汗を流す男を一瞥し、グレンは大きく右足を上げると……渾身の力で地面を踏みつける。轟音と共に地が揺れ、広範囲にわたって、綺麗に舗装された路に蜘蛛の巣状のヒビが入る。
金に群がっていた野次馬達も、第二近衛も、ジェイクも、誰もが凍り付く中で……グレンは目の前の第二近衛を睥睨する。
「我に向かって平然と嘘をつくなど……随分と舐められたものだ」
「……………………あ、あぁ……」
もはや、見ていることすら不憫に思えるほど、男は震えていた。歯の根はかみ合わず、顔色は紫を通り越して白くなっている。
全身から凄絶な魔力を発するグレンは、さながら物語の中で語られる魔王を彷彿とさせ……誰もがその姿に恐れ戦いた。
だが、その中で唯一、ジェイクが足を動かし、グレンと第二近衛の男の間に立った。
「グレン様、彼は私の部下です。部下の失態は私の失態……咎は私が負います。どうか、寛大なお心で部下にお慈悲を……!」
そう言って、跪き、真っ向からグレンの瞳を見返してきた。
物理的な圧力すら感じられるグレンの威圧に対し、ジェイクは一歩たりとも引かない。刹那でありながらも、永遠に思える時間が過ぎ、グレンはマントを翻した。
「貴様の心意気に免じて、許す。そろそろ歓待の宴が始まるだろう……行くぞ」
「はっ!」
グレンはティアを担いだまま、歩を進める。
放心したままの現場を取り残し、グレンは護衛の八人を引き連れて迎賓館へと戻る。
「ジェイク」
「はっ、何でしょうか」
「有能な人材は喉から手が出るほど欲しくてな。我と共に来る気は無いか?」
グレンの言葉に、ジェイクは目を丸くし……そして、笑う。
「大変光栄に思いますが、私はオルフィ・マクスウェル女王に忠誠を捧げております故……」
「そうか、それは残念だ」
ジェイクがそう言うことを分かっていたかのように、グレンは口の端に笑みを浮かべて肩をすくめる。そうして、グレンの首都クラフト視察は終わったのであった。




