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灼熱無双のフレイムハート~創世の獣と聖樹の物語~  作者: 秋津呉羽
九章 第Ⅶ終世獣ジャバウォック~本当の翼~
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夢なら覚めなければいいのに……

 ティアの案内でやってきたのは、校舎と校舎の間にある、何の変哲もない中庭だった。

 ただ……ラルフとティアにとっては特別な意味を持った場所でもある。


「ここ……」

「うん、ラルフと初めて出会った場所」


 そう、ラルフが入学のしおりを片手に迷い込んだ巨大な学院……そこで、初めて声を掛けた女性、ティア・フローレスと出会った場所だ。


「懐かしいな。普段はここには来ないもんな」


 ラルフがそう言って、街路樹に背中を預けて周囲を見回す。

 ここがすべての始まりの場所。

 もしも、ここでティアと出会わなければ……ラルフの一年間は全く別の物になっていたことだろう。

 根拠も確信もないけれど、でも――


「運命みたいだよなぁ、ティアと俺が出会ったのって」

「ラルフがそんなロマンチックなことを言うなんてね」


 クスッとティアが笑い、ラルフと背中合わせになるように、街路樹にもたれかかった。

 彼女の顔は見えない……けれど、樹を挟んだ向こう側にその存在を強く感じられる。


「…………」

「…………」


 お互いに無言。

 静かで、けれど、どこか優しい時間が二人の間に流れてゆく。


「すごく、不安だったんだ。この学院に来るの」


 ぽつりと、ティアが言葉をこぼす。


「エア・クリアには誰も味方がいなくて……むしろ、石を投げられるような状態で……。そのときの私は誰も信じられなくって、目に映る全ての人たちが敵に見えてた」


 ラルフは無言。ただ、彼女の独白に耳を傾ける。


「この学院に来てもそれは同じで……寮に入った初日にも、さんざん言われてね。あはは……『こんな売国奴の隣部屋は嫌だ』って言われたんだよ。本当に、参っちゃうよね」


 かすかに沈黙が挟まれる。

 恐らく、その当時のことを思い出しているのだろう。


「だから、逃げるように学院に来てね。入学のしおりを片手に、ここをぶらぶらしてたんだ。そしたら……とっても珍しいヒューマニスの男子に声を掛けられたの」


 クスッと笑い声が聞こえてきて、それにつられてラルフも笑みを浮かべた。


「ずいぶんと格好いいヒューマニスだったんだろうな、その人」

「うん」


 冗談で言ったラルフの言葉に、ティアは全くためらうことなく返事をする。

 完全な不意打ちをもらってしまったラルフは、頬が熱くなるのをごまかすように顔をしかめて、うなり声を上げる。


「本当にビックリしたんだよ。私に何の縁もゆかりもないのに、ダスティンから私のこと庇ってくれて。でも、その時の私は人の善意を信じることができなくて……貴方のことも疑ってた。黒翼のことを言われて、思わずカッとなっちゃったし」

「いや、あれは俺が悪いでしょ」


 ラルフの言葉に、ティアが首を振るのが雰囲気で伝わってくる。


「だって、普通ヒューマニスは黒翼のことなんて知らないわよ。そう分かっていたにもかかわらず、私は手を上げた……あれは、私が悪いよ、どう考えたって」

「むぅ」


 言葉に詰まってしまうと、ティアがかすかに笑みを含んだような声でラルフに語りかけてくる。


「その人ね、私がそんなにひどいことしたのに……入学式で、もう一度私のこと庇ってくれたの。ボロボロになって、すごく血を流して……それでも、絶対に倒れずに、私のこと、護ってくれた」

「…………いや、まぁ……」


 今更言われると凄まじく恥ずかしい。

 当時はとにかく必死で、周囲のことなど気にしている暇などなかったが……第三者の口から自身の行動が語られると、何とも言えない面映ゆさを感じる。


「その人は……ラルフは……それからもずっと、ずっと、私のこと護ってくれた。どんな悪意に晒されても、どんな暴力が襲いかかってきても、いつだって私の前に立って……護ってくれた」

「…………」

「その中で、親友もできて、優しい先輩にも恵まれて、良いバイト先を紹介してもらって……学院の成績だって、分不相応なぐらい良くって。たくさん辛いこともあったけど、今思い返してみれば、驚くほどに順風満帆で」

「そりゃ、ティアが頑張ったからだって。分不相応とかいうなよ。セイクリッドリッターに勝てたのだって、俺がグレン先輩と戦えたのだって、ティアの歌があったからだろ」


 そう、ティアの詠詩霊術――『蒼穹への翼』があったからこそ、ラルフは<フレイムハート>の力をすべて出し切ることができたのだ。

 少なくとも、彼女がいなければラルフだってここまで善戦できていない。


「あはは、じゃあ、持ちつ持たれつなのかな」

「そゆこと」


 ラルフも、ティアも、ミリアも、チェリルも、アレットも……誰が欠けても今の結果には辿り着けなかっただろう。そして、それはきっと、これからも変わらなくて。


「大丈夫だって。これからだって皆で力を合わせていけば……」


 だが、調子良く出てきていたラルフの言葉は、ゆっくりと消えていく。

 この春季長期休暇が終わればティアはエア・クリアに帰ってしまう――彼女に『これから』はないのだ。

 彼女がいなくなる――そう想像するだけで、何故だか胸にぽっかりと穴が空いてしまったかのように虚しく感じられてしまう。彩鮮やかだった日常が、まるで白黒になってしまったようで……。


「私がいなくなったら寂しい?」

「そりゃ……寂しいさ」

「じゃあさ、二人で逃げちゃおっか。何もかも捨てて」

「え?」


 あまりにも唐突な提案に、ラルフは声を裏返してしまう。

 だが、彼女は声に笑みを乗せながら……歌うように言葉を紡いでゆく。


「まず、ビースティスの食料輸送船に二人でこっそり乗り込んで、『ナイル』に行くでしょ? 到着したらこっそりと船を抜け出して、私とラルフで旅をして……色々な所を見て回るの。『ナイル』は農村が多いから、たぶん、どこも人手が足りないと思うんだよね。だから、穏やかで、平和そうな村を見つけたら、そこで家を借りて……二人で住み始めるの。裕福な生活は望めないかもしれないけど、誰にも邪魔されず、優しい時間の中でゆっくりと歳を重ねていって……ふふ、素敵だと思わない?」

「…………そうだな。それができたら、な」

「…………できるって、言ったら?」


 声の調子はいつもの通りで、ティアが今、どんな表情でその言葉を紡いでいるのか、それを窺い知ることはできない。

 ただ……ラルフはティアに聞こえないように小さく吐息をつくと、空を見上げながら口を開く。


「できないよ。できたとしても、お母さんと、お父さんを置き去りにしたっていう事実が、永遠にティアを苦しませると思う。その時点で……優しい時間なんてものはないんじゃないかな」

「そうだね……うん、分かっては……いるんだけどなぁ……」


 分かっているからこそ、より強く『もしも』を抱いてしまう。

 ラルフもティアも、世界を取り巻く状況に抗えるほどに強くはなくて、『今』を容易く捨てられるほどに冷徹にはなり切れなくて。


 ――大切な物はたくさんあって……簡単に優劣が付けられるほど、単純じゃなくて……。


 ゆっくりと太陽が沈んでゆく。

 空は茜色に染まり、もうすぐ、今日という一日が終わることを教えてくれる。

 ティアが帰ってしまう日が、また一日近づいてしまう……。


「ねぇ、ラルフ」

「ん?」

「……そっち、行きたい」

「ん、いいぞ」


 ラルフが応えると、ティアがゆっくりとラルフの前に回り込んでくる。

 茜色の空の下、淡い色合いに照らされた彼女は本当に息をのむほどに綺麗で。皮肉なことに……彼女が流す涙が、より一層、その美貌を美しく見せていた。

 ふわりとティアの金髪が踊り、その小さな体がラルフの腕の中にゆるりと納まる。胸元に寄り添ってくるティアの体温と、甘い香りに、なぜだか胸が締め付けられるような気がして……ラルフは、その柔らかい体を壊さないようにそっと抱きしめた。


「一緒にいられるだけでいいのに……それ以上、望まないのに……」

「うん……」

「ひっく……う、うぅ……ひぅ……」


 ラルフの胸に縋り付き、ティアはぽろぽろと涙を流す。

 歯がゆかった……この子の涙を止めてやりたいと思うのに、無力な自分は何もできない。

 大切な人が泣かなくてすむように強くなりたいと、そう願っていつだって全力で走って……けれど、現実はそれ以上に暴力をもって容易く人々を巻き込んでゆく。


「あのさ、ティア。ちょっと見てくれないかな」


 ラルフはそう言って、ポケットからビロードに包まれた小箱を取り出す。

 そして、ティアの前でその蓋を開ければ、そこには美しい煌めきを宿したペアリングが収まっている。


「これ……」


 一瞬、言い淀んだラルフだったが……心の中でチェリルに詫びを入れて、口を開く。


「うん、チェリルがさ、今日のデートのためにって用意してくれたんだ。大切な友人であるティアにとって、今日のデートが大切な思い出になるようにって。だからさ、チェリルのために……あーいや、違うな」


 咄嗟に逃げそうになる自分の口を塞ぎ、ラルフは大きく深呼吸をして、まっすぐに泣き濡れたティアの瞳を見返す。


「今は離ればなれになっても、もう一度、俺とティアが出会えるように……その、受け取ってもらえると嬉しい」

「うん……ねぇ、ラルフがはめてくれない……?」

「ん、分かった」


 ラルフは頷き、『ラルフ・ティファート』と彫り込まれた指輪を手にして、そこで硬直した。ティアが差し出した手は左手。当然のように指が五本ついているわけだが……。


 ――これ、薬指にはめて良いのか……ッ!?


 ヒューマニスの習慣では、左薬指につける指輪は婚約指輪であることが一般的だ。ドミニオスを除く他種族でも同じことが言える。

 ちなみに余談であるが、ドミニオスの手は戦うためにあるとされるため、武器は身につけても、装身具は身につけない慣習がある。


「…………」


 自分の心臓の鼓動が耳にうるさい。

 無意識に、腕の中にいるティアの表情を確認して……ラルフは心を打ち抜かれたような錯覚を覚えた。まるで、ここが世界で最も安全な場所だとでも言うように、ティアの表情は安らいでいて……目が合うと、柔らかく、とろけきった笑顔を向けてくれる。


 ――ええい、ままよ!!


 ここで尻込みして別の指に指輪をはめたら、それこそ男として失格だ。

 ラルフは壊れ物を扱うように、ティアの左手をすくい上げると……その薬指にそっと指輪を通した。


「ふふ、別の指に通したらどうしてやろうかと思った」

「まぁ……その……これが、俺の正直な気持ち……だから……」


 ティアの目をまっすぐに見ながら、ラルフがそう答える。

 その言葉がどういう意味を持っているのか、ラルフ自身、しっかりと理解している。

 理解した上で……言葉にして、彼女に伝えたのだ。

 対して、彼女は無言でラルフの左手に触れると、小箱から『ティア・フローレス』と名前が刻み込まれた指輪を手に取り……一切迷うことなく、その薬指に通した。

 そして、ティアの指輪と、ラルフの指輪をそっと触れあわせる。


「えへへへ」 


 ――あ、やばい。可愛い。


 どうしてやろうか、この娘……と、真面目に思う。

 自分の腕の中で無防備極まりない姿を見せるティアを前にして、ラルフは内心でもだえる。もしかして、ラルフを男だということを忘れているんじゃなかろーか。


「ティア」


 名前を呼んで、指輪をはめてくれた左手で彼女の頬に触れる。

 そうすると、彼女は少しだけ驚いたように目を見開き、けれど、ラルフの求めているものを正確に理解して、頬を緩めた。


「夢なら……もう、ずっと、覚めなければいいのにね……」

「そうだな……そうすれば、これからも一緒にいられるのにな」


 言葉を交わす間も、少しずつ二人の顔は近づいて……夕暮れの中、二つのシルエットが溶けるように一つに重なる。

 今はただ、刹那の夢であっても、そこにある確固たる幸せにその身を浸して――

 

 ――――――――――――――――――――――――――――

 

 そして、この数日後――ティアはエア・クリアへと帰国していった。

 誰も見送りには行かなかった……というか、彼女本人が来ないで欲しいと言ったのだ。

 何でも、これ以上皆の顔を見ると、本当に帰れなくなってしまいそうだから、と。

 シルフェリスが誰もいなくなってしまった校舎は、何だか閑散として寂しくて……それ以上に、大切な誰かがいなくなってしまった日常は、どこかがらんどうに思えてしょうがなく。

 そんなラルフの空虚など知ったことかと言わんばかりに、新しい生活が始まる――


ちなみに、余談ですがティアの母親は療養継続という形で学院の病院にいます。あと、エミリー先生も……というか、この人は諸事情があってエア・クリアに返ってくるのを禁じられているので、引き続き学院の教員を続けることになります。

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