チェリルさん、後押しをする
「またのご来店をお待ちしておりますー」
「……ますー」
ミリアとアレットの声に見送られ、ラルフとティアは喫茶店ディープフォレストを後にした。
この頃になるとラルフの緊張感もだいぶん解けており、普段通りに振る舞いができるようになっていた。
ちなみにだが……ミリア達と馬鹿騒ぎをしたからこそ、こうして緊張がほぐれたということを本人は気がついていない。あの妹はなんだかんだ良いながらも、兄第一で考えて行動しているのだ。
――しかし、結構時間使ったなぁ。
デートと称しながらも、最後にはラルフ、ティア、ミリア、アレットの四人で卓を囲んで駄弁っていたおかげで、結構時間を使ってしまった。
太陽は真上から少し下がっており、あと一時間もすれば空は茜色に覆われることになるだろう。
「次どこ行こっか。一応、ウィンドウショッピングとか考えてたんだけど……人多いしなぁ」
喫茶店ディープフォレストの建っていた脇道から本通りに出てみれば、相変わらずの人の量だ。ウィンドウショッピングをするには、この人混みの中に入っていかなければならない。それは、人混みが苦手なティアにはきついだろう
「ねぇ、ラルフ。私、ちょっと行きたいところがあるんだけど」
「ん? いいよ」
これからのプランも考えてはいたのだが、ティアの行きたいところがあるのなら、そこに行くのが望ましいだろう。
――ん? あれは……チェリルか?
一体どこに行くのだろうかと、考えていると……人混みの中から見慣れた小さな姿が、こちらに向かって駆けて来ているのが見えた。
「……あ、コケた」
「大丈夫かしら……」
ぐしぐしと目尻をぬぐって立ち上がると、その小さな人影――チェリル・ミオ・レインフィールドはラルフとチェリルの前でやってきた。
よほど焦っていたのか、この時期であるにもかかわらず汗を掻いている。
「ティア、ラルフ、デートはまだ終わってないよね!」
「お、おう。終わってないけれど……」
いきなり何事かとラルフが疑問符を浮かべていると、唐突にチェリルの小さな手がラルフの手首を握ってくる。
普段は控えめなチェリルにしては問答無用な行動に、ラルフは内心で面喰ってしまう。そんなラルフの内心を知ってか知らずか、チェリルはティアに顔を向ける。
「ねぇ、ティア、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけだから、ラルフ借りて良い?」
「? えぇ、いいけど」
「ありがとう! ほら、行くよ、ラルフ。ぼさっとしない!」
「ちょ、ちょっと待てって!?」
チェリルに腕を引っ張られて……という割とレアな経験をしながら、ラルフは物陰に引っ張り込まれる。当のチェリルは、誰もいないことを確認するように辺りをキョロキョロと見回している。
「なんだよ、チェリル。また誰かにいじめられたか?」
「違う違う。ねぇ、ラルフ、このデートの締めくくりでティアに渡すプレゼントとか用意してる?」
「…………え、用意するもんなの?」
少なくとも、アルベルト大先生のアドバイスにはそんなものはなかった。
というか……『ティアさんの性格を考えると、ラルフ君が無理に高いものを送ろうとすると気後れしてしまう可能性があるから、そういうのは駄目だよ』と言っていた。
そんなラルフに向かってチェリルは、によっと小馬鹿にした笑みを浮かべると、チッチッチと指を振った。
「駄目だなぁ、ラルフは。いいかい、これはティアにとって最後になるかもしれないデートなんだよ。普通のデートじゃぁないんだ。わかる?」
「まあ、そうだが……」
「ふふん、いいかい、経験豊富なボクが思うにだね――」
「チェリルって、今まで誰かと付き合ったことあるのか?」
胡散臭そうに目を細めるラルフに、チェリルはむんっと平らな胸を張る。
「甘く見ないで欲しいね。ボクは数百、数千という恋愛経験をした、恋愛の超絶スペシャリストだよ! 男女の機微なんて、ちょちょいのちょいさ!」
「恋愛小説とか、そういうオチじゃないよな?」
「…………………………」
「…………………………」
「数多の恋と失恋を経験した女優ハルウェン・オーリスの暴露本があってだね」
「そこに直れ」
「あーごめんなさい!! 嘘です! まともにしゃべったことがある男の子はラルフぐらいです!!」
両手を拳にしてグリグリのポーズで迫ると、涙目で謝ってきた。この少女は相変わらず耳年増というか何というか……。
「と、ともかく……その、ティアもエア・クリアに帰っちゃうし、何か記念となる『形に残るもの』を送ると喜ばれると思うんだよ」
「む、確かに」
親しかった人と離ればなれになる時、再会を期して、互いの大切な物を交換する……などはよく聞く話だ。絆は目には見えないものではあるが、だからこそ、それを象徴する『形ある何か』を手元に置きたがるのは人の性だ。
確かに、チェリルの言うことには一理あった。
「うん、だからさ。これをラルフに託そうと思って。ラルフとティアのデートの話を聞いてから、寝ずに今の今までずっと錬成をし続けてたんだよ」
そう言って、チェリルが渡してきたのは、ふんわりと柔らかなベルベットで覆われた上品な小箱だった。
「開けても良い?」
チェリルの許可をもらって小箱を開けてみれば……そこには、綺麗に並んだペアリングが収まっていた。陽光を受けて艶やかな輝きを放つ二つの指輪――不思議と目を離せなくなるような魅力を放っている。
「これ……」
「ミスリルを錬成した指輪だよ。ミスリル自体、加工が難しい貴金属だからね……作るのは苦労したけれど、その分、自信作だよ」
よくよく観察をしてみれば、指輪の内側には『ラルフ・ティファート』『ティア・フローレス』と名前まで彫り込んである。
「でも、こんな貴重な――」
だが、すべてを言い終えるよりも前に、チェリルは首を振ってラルフの言葉を止めた。
「ティアはさ……こんなボクにとても親切にしてくれた友達なんだ。学校だけじゃなくてさ、ボクがちゃんと食べてるかアトリエにまで様子を見に来て、ご飯作ってくれたり、掃除を手伝ってくれたり……」
「…………」
「本当に……大切な、大切な友達なんだ……」
ぐしぐしと目尻を荒っぽく拭うと、チェリルは毅然とした表情で顔を上げる。
「だから、今回のラルフとのデートは思い出に残る物になって欲しい。ボクにできるのはこんなことぐらいだけれど、それでも、このデートがティアにとって大切な思い出になるのなら、一番だって思うんだ」
一瞬、これはチェリルが自分の手で渡した方が良いんじゃないかと……そんな考えが過ったラルフだったが、小さく頭を振ってそれを否定する。
この指輪にラルフとティアの名前を彫り込んである――それこそ、チェリルがラルフ達に何を望んでいるのか、明確に示しているのではないか。
「…………分かった。これは俺が責任を持って預かる」
ラルフが強い意志を込めて言うと、チェリルは満足そうに笑った。
「うん、このデートが成功するかどうかはラルフにかかってるんだから、頑張ってよね! あ、それとその指輪はラルフが用意したことにするんだよ。ボクの名前は出さないよーに」
「でも……っ!」
「出さないよーに!」
改めて強い口調で言われてしまう。
この指輪はチェリルのティアに対する真の友情が詰まった物だ……それを、伝えずに渡してしまって良いのかと葛藤したラルフだが、断固として引く様子のないチェリルを前にして、小さく吐息をついた。
「わかったよ……」
「うん、それでいいんだ。じゃ、ボクは帰るよ、いい加減眠いんだ……」
「おう。気をつけてな」
「ふふん、ラルフこそ頑張りなよ」
そう言って、チェリルは大きく手を振るとまた人混みの中に消えていった。
ラルフは少しの間だけ指輪を眺めると、それを丁寧に箱に収めてポケットの中に入れた。
「よし、戻るか」
自分自身に気合いを入れ直し、ラルフがティアのいるところに戻ると……ティアが四人の三年生にナンパされていた。それを見て、ラルフは慌てるよりも先に何となく納得してしまった。
――まぁ、あの見た目だしなぁ。
あれだけの美人だ……声が掛けたくなる男心も分かる気がする。
「ごめん、ティア。待たせた」
「お、遅いわよ、ラルフ!」
少し慌てた様子でティアが言うと、ささっとラルフの後ろに隠れてしまった。
ラルフの眼前……背の高い男達は、ラルフとティアを見比べると、はーっと大きくため息をついた。
「おいおい、マジで男連れかよー」
「嘘だと思ったんだけどなぁ」
「しゃーないわ。これだけの美人だしな、ノーマークの方が奇跡だろ」
「そらそうか……って、こいつ、灼熱無双のフレイムハートじゃねえか!?」
一人の声に反応して、他の男達がラルフに向かって一斉に視線を向けてくる。無遠慮な視線に晒されながらも、ラルフは特に慌てる様子はない。
それもそのはず……最近、こんな風にジロジロとみられることが多く、慣れてしまったのである。
その原因は、春季長期休暇前に行われたリンクフェスティバルで、ラルフがグレンと互角以上の戦いを繰り広げたことに起因する。
『あの不敗を誇ったグレン・ロードが本気を出して戦って互角』という事実は、それこそ圧倒的なインパクトを持って学院中に広まったのである。更にいえば、そのグレンが凱覇王レッカ・ロードを打倒してドミニオスの王になったものだから、余計に噂の拡散が早まったのだ。
そんなこんなで、今では、ラルフの知名度はそれこそ、知らぬ者がいないまで高まっていた。
「その灼熱無双のフレイムハートですが、何かご用ですか?」
ラルフがティアを庇いながら言うと、男達はげんなりした表情をした。
「強い上に、美人の彼女持ちとかマジかよ……爆発しろよ……」
「あーあー神様は不公平だよなぁー」
「行こ行こ、やってられんわ」
どやどやと愚痴をこぼしながら男達は去って行った。
その後ろ姿を見送ったラルフは、ニヤッと笑いながらティアの方向を振り返った。
「美人だって」
「よかったわね、その美人が彼女ですってよ」
「うん、なんか優越感」
「ほら、馬鹿言ってないで行くわよ」
思わぬラルフの返しを受け、ティアが頬を染めながらラルフの背中を小突いてくる。
あはは、と笑いながらラルフがティアの隣を歩こうとした瞬間……手に柔らかくて暖かい感触が触れ、ぎゅっと握りしめられた。
驚いて見てみれば……ティアが照れくさそうにうつむきながら、ラルフの手を握っていた。
「その、またナンパとかされるの、嫌だから……」
「お、おう……」
何となくぎこちなく、けれど、背中を掻きたくなるようなくすぐったさの中で、二人は殊更ゆっくりと歩き出す。