ラルフさん、デートに挑む
緊張で死ぬ、それがラルフの心境を正確に表した一言であった。
「女性を待たせちゃいけないよ」というアルベルトのアドバイスを忠実に守ったラルフは、約束よりも一時間早く待ち合わせ場所に到着していた。
だが、この一時間がラルフにとってまさに蛇の生殺しというにふさわしい時間であった。
これからのティアと過ごすデートを、頭の中でイメージしようとしても全く浮かんでこないのだ。それどころか、うまくやれるだろうかと不安ばかりが募っていく。
「な、なぁ、アルティア……あぁ、いないんだっけ……」
普段は何かとアドバイスをくれるアルティアも今は不在……アルベルトと一緒に美味しいお酒が置いてある店に行ってしまっている。
<フレイムハート>を介して繋がっているので、呼び出そうと思えば呼び出せるのだが……さすがに、ここで助けを求めるのは情けなすぎる。
「戦いの前の方が緊張しないな、これ……」
戦いを前にした時は、これから繰り広げられるであろう激闘に意識が闘志一色になるため、緊張感が入り込む隙がないのである。まあ、多少は緊張もするが……どちらかといえば武者震いに近い。
「よ、よし、折角だしティアが来るまで柔軟でもして体をほぐし――」
「早かったんだね、ラルフ。まだ約束の時間より三十分早いよ?」
「ひょぉう!? お、おう! ちょ、ちょっと早く来すぎたみたい……で……」
早口でまくし立てていたラルフだったが、その声はティアの姿を見て尻すぼみに消えていった。
普段見るのが制服姿ばかりで、ほとんどティアの私服を見たことがないラルフだったが……正直、『これほどとは』というのが、第一印象だった。
身に纏っているのは足首まで丈のある清楚な白のワンピース。その上から、アクセントとしてうっすらと青み掛かったカーディガンを羽織っている。
白のワンピースは清楚でありながらも、意外と大胆に胸元が開いており、首元から下げられた銀のペンダントがアクセントできらりと光っている。
手首には銀のブレスレット、耳には月を模したピアスが揺れている……普段はあまり装飾品を身に付けない分、そういった小物がドキリとするような色気を醸し出している。
そして、何よりも……普段はポニーテールにしている髪を下ろしているのが大きい。
なぜ、髪を下ろすだけで、女性はこうも印象がガラリと変わるのだろうか。普段は活発なイメージの強いティアだが、今のティアはどこかの貴族の令嬢のように見える。
――いやいや、そうだ。ティアは元々、貴族の令嬢なんだったっけか。
猛烈な勢いで空回りを繰り返す頭でラルフが必死に考えていると、ティアが手に持った大きめのバスケットを揺らしながら、身じろぎする。
「そんなにまじまじと見られると恥ずかしいんだけど……」
「え!? あ、ご、ごめん!! え、えっと……!」
必死に頭の中からアルベルトのアドバイスを掘り起こす。
そう、確か、デートに来る女の子はオシャレに気合いを入れているのだから、きちんと褒めてあげること。最悪なのは、さらっと流してしまうこと……だったはずだ。
「あの、その……き、きき……」
「…………」
ほんのりと頬を染めながら、何かを期待するように見つめてくるティア。
普段とは違う、大人の魅力と色香に溢れた彼女を目の前にして、ごくりと生唾を飲んだラルフは、回らない舌を必死に動かして、言葉を紡ぐ。
「綺麗……です……か?」
「何で疑問系なのよ!?」
「元気ですか――!!」
「知るか!! あーもう、まぁ、ラルフがサラッと女性の服装を褒められるとは思ってなかったけども……」
そう言って、しょうがないなぁ、という感じの笑みを浮かべるティア。
「あ、でもティアのその服って、裾が長いから接近戦で足運びを相手の目から隠すのに役立ちそ――」
「ふんっ!」
「痛ぇ!? 何で殴るんだよ! ……あ、すみません、連打は、連打は勘弁してください」
「むしろ、なぜ殴られないと思ったのか聞きたいわよ!」
腕を組んで不機嫌そうにプイッとそっぽを向かれてしまう。
あはは、と誤魔化し笑いを浮かべたラルフはこの話題は不利と判断し、話題転換を試みる。
「とりあえず、喫茶店にでも行かない? おすすめの喫茶店があるんだけど」
「…………わかった。んじゃ、行きましょ」
若干ふて腐れた様子のティアの前に立って、ラルフは歩き始める。
「あのさ、ティア」
「あによ」
「なんつーか……似合ってるよ、服。俺、ティアの私服なんて初めて見たけど……やっぱ、ティアって美人なんだな。あんまりにも綺麗でびっくりしてさ……ちょっと言葉でなかった、ゴメン」
「…………もっと早く言ってよ」
さすがに照れくさくてティアの表情を確認はできなかったけれど、なんとなくその後の沈黙は心地よいものになったような、そんな気がした。ただ……そんな心地よい沈黙もあまり長くは続かなかった。
喫茶店を目指して歩きはじめてから二十分後――
「…………なぁ、ティア」
「…………なに?」
「道に迷った」
「えぇ、えぇ! さっきからクルクル地図を回しながら首を傾げてるのを見て、そうなんだろうなーとは思ってたわよ!! ほら、貸しなさい!」
「面目ない……ここなんだけど……」
まさか歓楽街アルカディアで遭難しようとは。
地図を手渡して、場所を指定するとティアは驚いて目を丸くした。
「あら……カフェ『リル・ティーア』じゃない。よくこんなオシャレなカフェ知ってたわね?」
「え、知ってるの?」
「うん、だって最近『ミューシュー』って女性誌で特集組んでたもの。隠れ家的本格カフェ……ってね。大体の女子はこのお店知ってると思うわよ」
――ナイス! ナイス! アルベルト先輩ありがとう!
心の中でアルベルトに向けて大喝采をあげていると、ティアが心配そうに尋ねてきた。
「でも、大丈夫なの?」
「え、何が? あぁ、値段のことかな。ふふん、ここはナイル産の本格豆を使用しているけど、流通何とかを何とかしたおかげで、とっても安く飲めるんだぞ」
「要領を得ない答えをありがとう。そうじゃなくって……ここ、特集を組まれてからすごい人気で、少なくとも朝一で予約とってないと入れないわよ?」
「……………………え?」
そして、ティアの危惧はものの見事に当たった。
何とか到着してみれば、そこはまさに戦場というにふさわしい有様だった。
混み合う人々、忙しそうにフロアを駆け回るウェイターさん、そして、店の外まで長蛇の列を作るカップル達……。
唖然として真っ白になっているラルフの横で、ティアが店員をつかまえる。
「あの、どれくらい待ち時間がかかりそうでしょうか?」
「大変申し訳ありません。大体三時間ほどお待ちいただくことになりそうですが……」
「あぁ、そうですか。ありがとうございます」
いいえ、と営業スマイルを浮かべた店員さんが、急ぎ足で店内に戻っていくのを見送り、ティアが顔をのぞき込んでくる。
「並ぶ?」
「あ、いや、さすがに三時間は……他のお勧めのカフェに――」
「『アルウェール』とか『モルドンレッセ』とか?」
「そうそう、兄メールとか、おうどんメッセとか」
「言えてない言えてない」
さすが女子、そういうところの情報はよく知っているようだ。
ラルフがアルベルトからもらったメモ帳を見ながら言うと、ティアは難しそうに眉を寄せる。
「うーん、ここら辺は有名どころばかりよね……どこも似たり寄ったりだと思うけどなぁ」
夏期長期休暇とは違い、春期長期休暇は『長期』が入っている割に短い……というよりも、中途半端だ。船を使って故郷の大陸に帰るには短く、渡航だけでほとんどの日程を使い切ってしまうのである。
そのため、春期長期休暇はほとんどの学生がこのフェイムダルト島に残る。
まあ、そんなわけでこの時期の歓楽街アルカディアは、暇をもてあました学生でとにかく賑わうのだ。それは、目の前のカフェを見れば一目瞭然だろう。
だから、大体どこの店も満杯になってしまうのである。
女性にとってのバイブルである『ミューシュー』に取り上げられた店ならば、なおさらだろう。
「どうしよ……」
順調にいくと思われたデートがいきなり暗礁に乗り上げた。
若干顔色を悪くしているラルフとは対照的に、『この状況を予想していた』とばかりにティアは苦笑を浮かべている。
実は、このようなオシャレな場所などとは無縁のラルフが、一生懸命今回のデートのために下調べをしてくれた、という事実だけでティアとしては割と満足だったりするのだが……当のラルフはそこまで考えが及ばない。
どうしたものかと、ラルフが何気なくメモを眺めると、不意に小文字で『困ったら裏へGO』と書かれていることに気が付いた。
ラルフは藁にもすがる思いで、メモ帳をひっくり返すと……流麗な文字でこう書かれていた。
『ラルフ君へ。おそらく混んでいると思われるので、午前中のうちに『ラルフ』名義で予約を取ってあります。初デート、頑張ってね! アルベルトより』
――よっしゃぁぁぁぁぁ!! ありがとう、アルベルト先輩―――ッ!!
このデートが無事に終わったら菓子折りを持って行こうと心に決めながら、ラルフは店員をもう一度捕まえる。
「あの、ラルフで予約してあった者ですが……」
「あぁ、ご予約のラルフ様ですね。少々お待ちください」
急いで確認をしに行く店員の背中を見ながら、ティアが驚いたように目を丸くする。
「予約とってたの?」
「ふふん、まぁ、できる男は準備からして違うってね」
ほぼすべてアルベルトの仕込みだが。
ワクワクしながら、店員が戻ってくるのを待っていたラルフだったが……心に余裕ができたためだろう。不意に、複数の視線がこちらに向いていることに気がついた。
いったい何だろうかと更に意識を集中させて……そして、その視線がティアの黒翼に集まっていることに気がついた。
振り返って、ティアの様子を見てみれば、彼女は少しだけ居心地悪そうに肩をすぼめている。ティアの黒翼は、その意味を知っていようが知っていまいが、嫌でも注目を集めてしまう。この翼のせいで、迫害を受けてきた彼女からすれば、少なくともこの視線は心地のよいものではないだろう。
「…………」
「お待たせしました、ラルフ様。では、お席に――」
「あの、すみません。ちょっと急用ができてしまったので、予約はキャンセルで」
「え?」
隣にいたティアが驚いた様子で、小さく声を漏らした。
「キャンセルの場合は、キャンセル料が発生しますが」
「あ、払います」
「あの、ラルフ……」
ティアが何か言い終えるよりも早く、生徒手帳で支払いを済ませたラルフは、問答無用でティアの手をつかんだ。
「それじゃ、行こうかティア。実は俺の知ってる店で隠れ家的な店があるんだよ」
「え、え!?」