ラルフさん、デートに誘う
ティアの元気がない。
喫茶店『ディープフォレスト』の裏方で働きながら、ラルフは小さく吐息をついた。
今は春期休暇中……学院もないので、リンクのメンバーと顔を合わせるのは主にバイト中ということになるのだが、どうにもティアの表情から憂いが取れない。
「ねぇ、ラルフちゃん。ティアちゃん、何かあったのかしら?」
この喫茶店のオーナー兼ビースティス大使館責任者兼アレットの母親であるレオナ・クロフォードがラルフにそう尋ねてくる。
「まぁ、シルフェリスの強制帰国が決まったみたいで……それで……」
「あぁ、なるほどね」
その一言だけで全てを察したのだろう……レオナが困ったように表情で頬に手を当てる。
ティアの背に広がる純白の翼と、漆黒の翼――大罪人の娘という烙印。それは、シルフェリス達からすれば、唾棄すべき象徴ともいえる。
今はそれほどでもなくなったものの、以前のティアは、シルフェリスとすれ違うだけでも隠すことのない嫌悪と侮蔑を向けられていた。
そして、それは本国ではより顕著なものとなるだろう。
ティアにとってエア・クリアは心休まる故郷などではなく……敵地と言っても過言ではないのだ。恐らく、待っているのは迫害と差別の日々だろう。
それがティアに憂いを与えているのだということは想像に難くない。
「レオナおばさん、こう、大使館責任者の力で何とかなりませんか?」
「それが出来れば苦労はしないんでしょうけどねぇ。私達がティアちゃんを庇った場合、最悪、『犯罪者の国外亡命幇助』と言われてしまう可能性があってね……」
「ティアは犯罪者なんかじゃありません」
ムッとラルフが言い返すと、レオナから両肩をポンポンと叩かれた。
「分かっているわ。でも、それだけティアちゃんの立場は難しいってことなの。ごめんね、力不足で」
「いえ、俺の方こそすみません……」
自分でも感情的になったと理解しているラルフは、素直に謝った。
レオナが淡く微笑んで表に向かったのを見送り、ラルフは後頭部を掻いた。
『ラルフよ、焦ってもどうしようもないぞ』
『そうよぉ。その程度のことでいちいち動揺していたらきりがないわよぉ』
「そうだな……ってか、アルティアはともかく、何でまだいるんだよ、ロディン」
頭の上にアルティアがいる分にはいいのだが……香辛料が入っている棚の上にロディンがいる理由がよく分からない。
ラルフが半眼を向けると、彼女はにやぁぁぁぁっと粘着質な笑みを浮かべた。
『あらぁ、どこにいようと私の自由よぉ。それともぉ……フレイムハートちゃんはぁ、私に意見できるとでも思っているのかしらぁ?』
「ぬぐ……」
『諦めろ、ラルフ。コイツはこういう奴だ……』
肩に降りてきたアルティアがため息交じりに言う。諦めの境地にいるアルティアとラルフを笑いながら見下ろしていたロディンは、身軽な動作で棚の上から飛び降りると、ラルフの肩に飛び乗ってくる。
右肩にアルティア、左肩にロディン……モフモフした感触が顔をサンドウィッチしている。
『それよりもぉ、アルティア、ちょっと付き合ってちょうだいなぁ。貴方が非在化しているあいだ、この子の傍に居てぇ、ちょぉぉっと聞きたいことができたからぁ』
『………………分かった。ラルフ、ちょっと行ってくる』
沈黙を挟みアルティアが頷く。そして、二柱は窓から外に向かって飛び出し屋根へと登って行った。一体何を話すつもりかは分からないが……必要があることなら、アルティアが後でラルフに話してくれることだろう。
それよりも、今はティアのことだ。
調理台の方へと顔を向けてみれば、包丁を手に、ボーっとした様子でキャロッテを切っている。
――あんなボーっとした様子で野菜切ってて大丈夫だろうか?
と、そんなラルフの嫌な予感はすぐさま的中する。
「痛っ!?」
ビクッとティアの肩が震える。
驚いて振り返れば、どうやら包丁で指先を切ってしまったらしく……人差し指の先から真っ赤な血が流れていた。
「ほら、上の空で包丁を使うからそうなるんですよ」
ラルフが向かうよりも早く、ミリアが滑るようにティアに近づくと、素早く処置を始める。
どうやら、ティアのことを心配していたのはラルフだけではなかったようだ。
「ごめん、ミリア……」
「しゃっきりしろ、というのはちょっと酷かもしれませんが、元気を出してください。貴女がしょんぼりしていると、私まで落ち込んでしまいます」
「う……うぅ……ありがとう、ミリアー!」
ティアがミリアをギューッと抱きしめる。
豊満な胸を押しつけられたミリアが、物凄く微妙な顔をしていたが……小さくため息をついて、ポンポンとティアの頭を撫でている。何だかんだで様々な障害を一緒に乗り越えてきただけあって、この二人は特に仲が良い。
「大丈夫か、ティア?」
「あ、ラルフ……うん、ごめん、心配かけちゃって」
ティアが微かに頬を赤く染めながら微笑む。
一見すると元気に見える笑顔だが……それでも、ティアの笑顔を見慣れているラルフは、そこに拭いきれない影を見出すことができた。
――何とか元気づけてあげたいんだけどなぁ。
どうすればいいだろうかと考えたラルフは、ティアの立場を自分の立場に置き換え……そして、ポンッと手を打った。
「なぁ、ティア。明日って予定空いてるか?」
「え? うん、空いてるけど……」
ティアの言葉に、ラルフは笑顔で頷く。
「ん、ならさ、俺と二人で歓楽街アルカディアに遊びに行かないか? そうすれば、多少は憂鬱な気分も晴れるんじゃないのか?」
ラルフとして名案だと思った。
故郷の漁村にいた頃も、気が滅入った時は遠泳したり、ぼんやりと釣りをして気を紛らわしたりしたものだ。こういう時は、別のことをして忘れてしまうに限る。
だが……どうやら、目の前にいる女性二人にとっては違う意味に映ったようだ。
ミリアは普段の無表情から更に表情が抜け落ち、それと対照的にティアはトマトのように顔面を赤くしている。
え? なんで? と内心でラルフが首を捻っていると、ティアがもじもじと指をこね合せながら、上目遣いでラルフに視線を送ってくる。
「ねぇ、それって……デートのお誘い……?」
「………………え゛?」
男、ラルフ・ティファート。初めて女性をデートに誘った十八歳の春であった……。
――――――――――――――――――――――――――――
ラルフのデート発言で空気が凍り付いている頃……喫茶店の屋根では、別の意味で緊迫した空気が張り詰めていた。
『――と、言うことなんだけど。ねぇ、アルティア? 私が言ったことぉ、正解でしょ?』
『…………』
ロディンから受けて指摘――これに対して、アルティアは何も言えず、黙り込んでしまう。
だが、その無言こそ最大級の肯定であるということは疑いようもない。黙り込んでしまったアルティアの周囲を回りながら、ロディンはクスクスと笑う。
『うふふふ、やっぱりねぇ。あのフレイムハートちゃん、何か普通の人間とは違うと思って、ずっと傍で観察し続けていたんだけれどぉ……うふふ』
『……何が言いたい』
アルティアが絞り出すような声を出すと、ロディンは喉の奥で笑うような声を出す。
『いいえ、別にぃ。ただ……そうねぇ。人形遊びは楽しいぃ?』
『ラルフは人形ではない!』
『うふふふふ、まぁ、アルティアをイジメルのはこのぐらいにしておきましょうかぁ。あまり本気で怒らせるとぉ、私が黒こげになっちゃうものねぇ……ふふふ』
『この性悪が……』
『んふふふふふ、そんなこと言っちゃってぇ……じゃぁ、ジャバウォックの情報は知りたくないのねぇ?』
『む……』
ロディンがちらつかせた情報を前にして、アルティアは口をつぐんだ。
ジャバウォック――正式には第Ⅶ終世獣ジャバウォック。
神光のリュミエールが創生獣大戦の後期に作製した大型終世獣であり、圧倒的な攻撃性能と、『特殊能力』を備えた厄介な相手である。
過去、アルティアと英雄クラウド・アティアスも戦ったが……ジャバウォックに随伴していた大量の中・小型終世獣の群れに邪魔をされて、討滅することはできなかった。
ジャバウォックが活動を再開したとなるとマズイ。
少なくとも、この世界に多大なる被害を出した『第Ⅵ終世獣リンドブルム』や『第Ⅲ終世獣ヤマタ』よりも遥かに面倒な相手だ。下手をすると、国が一つ落とされる可能性がある。
『その情報を渡してはくれないか』
『あらぁん? それならぁ、頼み方ってものがぁ、あるんじゃないのかしらぁん?』
『…………じ、情報を教えては……いただけないでしょうか……』
『んふふふふふ、アルティアったら可愛いぃわぁん』
ロディンは、両手でアルティアの頬を挟むとぷにぷにとこね回し始めた。
焼き殺してやろうかと思ったアルティアだったが……この性悪黒猫は、ひらりひらりとかわしてしまうことだろう。
『んふふ、えぇっと、ジャバウォックだけれどぉ、人間達が『ガイア』と呼んでいる大陸に上陸してぇ、人間達が掘り出したトゥインクルマナを根こそぎ持って行ったみたいねぇ』
『なるほど』
それだけでアルティアには大体の全容を想像することができた。
終世獣が目的意識を持って行動している……明らかに、創生獣マーレとレニスの差し金だろう。そして、トゥインクルマナを持ち去ったのは、大型終世獣が活動するのに必要な霊力を確保するためだ。
恐らく……大地の属性を持つレニスによって、高温高圧でトゥインクルマナを加工し、トゥインクルクリスタルにするのだろう。マナからクリスタルに加工することにより、霊力の貯蓄効率がぐんと上がるからだ。
『霊力の大量確保に動いたということは、ファンタズ・アル・シエルから遠くにある大陸……浮遊大陸エア・クリアか、ドミニオスが住むシャドルを狙う可能性が高いな』
『そうねぇ。残りの大型終世獣と言えばぁ第Ⅷ、第Ⅸ、第Ⅹ終世獣ぐらいなものだけれどぉ……少なくとも、その程度の霊力では目覚めさせるのは無理でしょうねぇ』
世界を分かつ巨大なる大蛇――第Ⅷ終世獣ヨルムンガンド。
全てが謎に包まれた存在――第Ⅸ終世獣イシュタル。
破滅を身に纏う漆黒の龍――第Ⅹ終世獣バハムート。
創生獣大戦の終極に創られたこの三体については、アルティアもこの程度しか知らない。
この三体が実戦に出る前に、その創造主たる神光のリュミエールが討たれてしまったからだ。そのため、今もファンタズ・アル・シエルのどこかで眠りつづけているだろうと言われている。
ただ、一つ言えることがあるとすれば……下手をすれば、この三体は創生獣と同レベルの戦闘能力を有している可能性があるということだ。
もしも、レニスとマーレがこの三体を覚醒させてしまったら、もう誰も世界の破滅を止めることはできないだろう。少なくとも……覚醒の前に討滅せねばなるまい。
――問題は、何故、レニスとマーレがエア・クリアとシャドルを狙うかだが……。
これに関してはアルティアも分からない。
何らかの意図があるとは思うのだが、それを知るには情報が少なすぎる。
『情報助かった、ロディン。とりあえず、ラルフと対策を練ることとする』
『あらぁ、そう。貴方の口から素直に感謝の言葉が聞けるなんてねぇ……んふふ』
ちらりと笑うと、ロディンは闇にまぎれて消えていった。
それを見送ったアルティアは空を見上げる。
これはアルティアの予感でしかないのだが……少しずつ、戦いは終幕へと向かっている、そんな気がしていた……。