リンクフェスティバル開幕⑧~血の術式~
「ブレイク!」
チェイリルの叫びに打ち消された。
「……ッ!?」
驚愕を浮かべて固まるセシリアから、チェリルはヨロヨロと逃げ出して距離を取る。
肩で息をして、セシリアの次なる攻撃を警戒するチェリルだったが……当のセシリアは信じられないモノを見たように、顔を引きつらせている。
「貴女……今、何をしたの?」
「え? ブ、ブレイクですけど……」
チェリルが当然のことのように言うと、セシリアは悪鬼の如く表情を歪めた。
「ありえない! 私は<フィグメント>に封入した霊術を使用したの! 霊術の構成そのものを<フィグメント>に封入してるから、詠唱から相手の霊術構成を読み取り、先手を打つ『ブレイク』は私に通用しないはず!」
「はい、だから発動と同時にブレイクしました」
「嘘……そ、そんな事できるはずが……」
必死で言い募るセシリアに対し、何をそんなに必死になるのか疑問なチェリルは首を傾げた。
「だって、いくら<フィグメント>が無詠唱で霊術を使えたとしても、霊術を発動する上で霊力は消費するでしょう? セシリア先輩と戦ってる中で、どの霊術が、どれぐらいの霊力を、どのような形で使うのか記憶したんで……例え無詠唱でも、ボクの前で一度でも使った霊術については、もう先読みできますよ」
「あ……ありえない……」
その言葉にセシリアは愕然とした表情のまま、無言で首を横に振った。
チェリルは当然のことのように言っているが、これは通常では考えられないほどの超絶技巧だ。先ほどのチェリルの発言は、例えるなら、ポーカーで相手の手札が全て見えていると宣言しているようなものだ……もはや、インチキのレベルに達した技術である。
これは同時に――霊術師として、セシリアよりもチェリルの方が優れていると証明してしまったことを意味している。
「嘘よ……そんな、嘘に決まっている!」
悲痛な叫びと同時に<フィグメント>が光り輝く。
そして、完全無詠唱の霊術が発動し――
「ブレイク」
チェリルの一言で霧散した。
そもそも、チェリルが使う『ブレイク』は霊術戦において究極の後の先――見方によってはインチキと言われても文句が言えないほどの技術なのだ。
幾度となく<フィグメント>の無詠唱霊術を見せられたチェリルが、その打開策を打ち出したのは、無理なからぬ話ではあった。
「ブレイク、ブレイク、ブレイク、ブレイク、ブレイク」
<フィグメント>が光り輝き、その度にチェリルのブレイクが打ち砕く。
チェリルの言葉に一切の虚飾がないと理解したのだろう……セシリアが顔色を無くし、完全に沈黙する。
先ほどまでの苛烈な霊術戦と比較して、不気味な程に静まり返った戦場――場を支配する無言の圧力に動けずにいたチェリルだったが、不意に低く、唸るような笑い声が沈黙を破壊した。
「ふ……ふふふふ……それでも――」
セシリアは自分の親指を口元に持っていくと、その指先を噛み切った。
溢れ出る真紅の血、そして、悲壮なまでの覚悟を表情に浮かべながら、彼女はチェリルを睨み据える。
「私は霊術で誰かに負けるわけにはいかないのよッ!! 私が私であるために……私のただ一つの拠り所を、奪われてたまるものですかッ!!」
セシリアが血の溢れ出す親指で、素早く<フィグメント>のページに『何か』を書きこんでゆく。唖然としてセシリアを見ていたチェリルだったが……その動作にハッと我に返った。
「人体の一部を媒介にして霊術を発動するなんて危険です! 何が起こるか分かんないですよ!」
「黙りなさい! 私は、私が最高の霊術師であると証明してみせる! 例え……どんな方法を使ったとしても!」
妄執――今の彼女を評するならその一言に付きた。
その理由が何なのか、チェリルには分からない。ただ、彼女には、彼女なりの絶対に引けない理由がそこにあるのだろう。
<フィグメント>が濁った血の色の光を放ちながら、一人でに空へと浮かび上がる。
そして、表紙から無数の血色の鎖が放出され、セシリアの両手両足を縛りつける。まるでそれは、十字架に縛り付けられた聖人の如く。
血の鎖が脈動するようにセシリアから無尽蔵に霊力を吸い上げ、<フィグメント>の中に送り込んでゆく。霊力を吸い上げた<フィグメント>は、自身を中心として巨大な霊術陣を虚空に形成し始める。
古今東西の霊術陣を記憶しているチェリルだが……目の前の<フィグメント>が書き上げている霊術陣は一度として見たことがない代物だ。
――そもそも……あれは、本当に神装なの?
眼前のおぞましい光景を目の当たりにして、チェリルは純粋な疑問を浮かべる。
本来、神装とは使用者の魂を反映した武装……だが、今、チェリルの目の前にある神装は、あまりにも歪極まりない。
あれはまるで……セシリアの寄生している悪魔のようではないか。
「な、なんにせよ、止めなきゃ!」
このままでは、血を経由してセシリア自身を構成する霊力を、術式に全て吸い取られて死んでしまう。
「『森羅を打ち砕き、真理を焼き尽くす光よ、其は破滅の代行者、幾数千の英雄であろうと、汝を止めること能わず、今こそ生誕の天秤を傾ける――』、わ、わぁ!?」
だが、チェリルの詠唱がすべて終えるよりも先に、<フィグメント>から無数の鎖がチェリルに向かって射出される。
詠唱を中断して地面を転がり、何とか回避したチェリルだが……先ほどまで自分が立っていた所を見て、ゾッと鳥肌が立った。突き刺さった地面は腐ったかのようにどす黒く痩せ、芝生はカラカラに乾いて自壊する。
恐らくだが……霊力を過剰に吸われたためだろう。
「次が来た……!?」
あわあわと立ち上がって逃げるチェリルだが、<フィグメント>から伸びる鎖は凄まじい勢いで増えていく。チェリルが紙一重で鎖を回避するたびに、周囲の有機物から色が失われ、枯れ果ててゆく。
「こ、こんなの、詠唱する暇なんてないよぅ!! セシリア先輩、起きて! これ、なんかおかしいですよ!!」
息を切らしながら転がりまわるチェリルの声に、けれど、セシリアは無反応。
そも、セシリアの目は虚ろで宙を見上げたままピクリとも動かない。今の彼女に意識があるのか甚だ疑問だ。
「ひっ!? わ、わぁぁぁぁぁ!!」
とうとう回避できなかった血の鎖がチェリル目掛けて、突進してくる。
頭を抱え、ギュッと体と縮こまらせたチェリルだったが……聞こえてきたのは、肉を貫通する音ではなく、硬質な金属音だった。
「え……?」
恐る恐る顔を上げてみれば……そこには、両手に双剣型神装<ヴァリアブルスラスト>を下げ、自然体で立つアルベルト・フィス・グレインバーグが立っていた。
「あ、アルベルト先輩……」
「チェリルさん、大丈夫かい?」
ラルフと別れてから、学院中を走り回っていたのだろう……全身汗だくになりながらも、アルベルトはチェリルに微笑んでみせる。
そして、その視線を虚空に浮かぶ<フィグメント>に向ける。
「因縁……だね。まさか、セシリアが自分からコレを使う日が来るなんて」
異様としか言いようがない<フィグメント>の在り方を見ても、アルベルトは一切動揺する様子は見えない。それどころか、整った顔には強い意志が宿っている。
「チェリルさん、アレを霊術で撃ち落としてくれないかな。君のことだから分かってるとは思うけど、アレは鎖で拘束した相手から際限なく霊力を搾り取る」
「アルベルト先輩、あれって何なんですか!? ボク、あんな異様な神装初めて見たんですけど!」
「僕もそこら辺はよく分かってなくてね。でも……途轍もなく危険なものだという認識だけは持っておいてくれ」
「わ、分かりました! じゃあ、詠唱に入るので、その間――」
「分かってる。僕が全力であの鎖を打ち落とすから、頼んだよ。さて」
鎌首をもたげる血の鎖を前にして、アルベルトは両手の<ヴァリアブルスラスト>を握り直す。
「数年ぶりの再戦か……あの時、僕は弱くて何もできなかった。でも……」
アルベルトはそう呟くと、右目を覆っていた眼帯に手を掛ける。
その下から現れたのは、金色の瞳。
マナマリオスの特徴である左の蒼瞳、そして、異端ともいえる輝きを放つ右の黄金瞳で<フィグメント>を睨み据え、アルベルトは<ヴァリアブルスラスト>を構えた。
「今回は勝たせてもらう。彼女は返してもらうぞ」
宣誓と共に、アルベルトは鋭く地を蹴った。