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灼熱無双のフレイムハート~創世の獣と聖樹の物語~  作者: 秋津呉羽
八章 リンクフェスティバル~それぞれの行く先~
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君のことを護るから

 一時間近く歓談したラルフとティアは、二人そろってマリーの病室を後にした。無個性な廊下を歩いていると、隣を歩いているティアがポツリと言葉をこぼす。


「ありがと、ラルフ」

「別にお礼を言われるようなことはしてないけどね」

「……ん、そだね」


 そう言って、ティアが無言でラルフの方へと身を寄せてくる。

 肩が触れ合うか触れ合わないかというギリギリの距離で、彼女はどこか吹っ切った様な笑顔を浮かべる。


「金髪だったことから分かると思うんだけど……お母様は遠縁とはいえ王家の血を引く家の出でね。なんていうか、お嬢様なの」

「上品な人だったもんね」


 ティアの歩幅に合わせて歩みを遅くしながら、ラルフは先ほどの病室で会ったティアの母を思い出す。浮世離れしていると言うほどではないが……どこか世間擦れしていない印象を受けた。


「うん、娘の私から見ても凄く優雅な人でね。お母様の淹れてくれる紅茶、凄く美味しいんだよ。歩き方や言葉使いも綺麗で……それに、舞踏会に出た時も踊るのが上手なんだ。本当に……生粋のお嬢様なんだと思う」


 そこでティアは言葉を区切って、俯いた。


「だからかなぁ……お父様が国家反逆罪で投獄された事実に耐えられなかったみたいで……今も、お母様の中ではお父様は立派な貴族で、自分の翼も、私の翼も白いまま……」

「…………」

「お母様の心……壊れちゃったんだ」

「そっか……」


 マリー・フローレスが患っていた病は、体ではなく心を蝕む病だったのだ。そして、ティアは今の今までそれをたった一人で支えてきたのだろう。


「なぁ、ティア。もしかして、ティアが必死にバイトを探してた理由って……」


 ラルフの言葉に、ティアは何も言わず寂しげな笑みを浮かべる。

 本来、シルフェリスであるティアは国から十分な給金をもらっており、バイトをする必要などないのだ。彼女が必死にバイトを探していたのは、恐らく……この総合病院で入院する母の入院費を稼ぐためだったのだろう。


「心の傷の治療ってマナマリオスで試験的に導入されているだけでね。シルフェリスの私達は、ここでしか治療を受けられないんだ。まぁ、エア・クリアにお母様を一人残していくことはできなかったから、ちょうどよかったんだけどね」

「ティア……」


 眉を下げてラルフが言うと、ティアは慌てて両手を振った。


「あ、で、でも大丈夫なんだよ! 何かね、匿名で私を援助してくれる人がいるみたいで……その人のおかげで何とかやりくり出来てるから!」


 それでも、ラルフはやりきれない思いだった。

 ラルフはティアの父であるブライアン・フローレスから託された伝言を、彼女に伝えた時のことを思い出す。驚いて両目を大きく見開いたティアは、次の瞬間、堪えきれないといった様子で顔を覆いその場に崩れ落ち……まるで、子供のように泣きじゃくっていた。

 『お父様』と……次々とあふれる涙を拭いながら、彼女が何度もそう呟いていた姿がいまだに忘れられない。


 ――強いなぁ、ティアは……。


 ラルフが初めてティアとこの学院で出会ったその時から……この子は、その小さな双肩に様々なものを背負っていたのだろう。

 歩みを止めることも許されず、かといって母親のために潰れることも許されず。

 たった独り……敵と他人しかいないこの学院にやってきた彼女がどれほど心細かったのか。ラルフには想像することもできない。

 だからこそ……。


「よかった……」

「え、何が?」


 自然とこぼれた言葉に、ティアが首を傾げる。そんな彼女に向かって、ラルフはニッと笑顔を向ける。


「ティアと出会えてよかった。こうしてティアの隣を歩いていれば、君のことを護れるし、落ち込んでいたら励ませるし……少なくとも、ティアを一人ぼっちにせずに済んだ」

「…………ばっかじゃないの」


 こつんと、肩をぶつけてきたティアは、それきり無言。横目で盗み見れば、前髪で表情こそ見えないものの、耳まで真っ赤になっていた。

 ニヒヒっとラルフが笑うと、こつん、こつんと、ティアが何度も肩をぶつけてくる。それが心地よくも、くすぐったくもあってラルフは頬を掻いた。


「なら、ティアはお母さんを入院させるためにこの学院に来たんだな」

「うぅん、それもあるけど……それ以上に冒険者になってもう一度、フローレス家を再興するためにこの学院に来たのよ。一獲千金といえば冒険者になるのが一番の近道だし」

「まぁ、冒険者って儲かるらしいもんな。そっか、ティアの将来の目標は自分の家の再興なのかー」


 ぼんやりとラルフが呟くと、ティアが首を傾げて顔を覗きこんでくる。


「ラルフは何か目的があってこの学院に来たの?」

「んー? それが目的って目的はないんだよなぁ。俺は神和性があったから、なし崩し的にここに来た感じでさ。そっかぁ……将来の目標かぁ……」


 恐らく冒険者になるんだろうなーというのは分かるのだが、そこからの具体的なビジョン……もっと言えば、冒険者になる明確な目的がラルフにはない。

 今は、強くなることに全力を注いでいるものの……その先がないのだ。

 どうしたもんかな、と呟きながら虚空を見上げていると、ティアがラルフの服の裾を軽く引っ張ってくる。ん? と振り返ってみれば、ティアが足を止めていた。


「あ、あのね、ラルフ。その……もし、良かったら……この学院を卒業しても、私と一緒に――」

「貴様ら、こんな所に何の用だッ!!」


 ティアの言葉が最後まで紡がれるよりも先に、病院の静寂を破るような怒声が響いた。

 視線を上げてみれば……そこに、病室から出てきた男女のペアが立っていた。

 リンク「セイクリッドリッター」のリーダーであるクレア・ソルヴィムと、そのメンバーのダスティン・バルハウスである。

 ダスティンといえば、ラルフが入学式の時にボコボコにしたメガネ君だが、彼と会うのはリンク対抗団体戦以来だろうか……随分と久しぶりに顔を見た気がする。

 クレアを護るように立ちはだかるダスティンに対し、ラルフもまたティアを護るように前に出る。

 互いに睨み合う形になったラルフとダスティン――入学式の時は互角の戦いを演じた二人だったが、今、この時、双方の間には圧倒的な実力の開きが存在していた。

 ラルフの総身から発せられる灼熱の炎にも似た苛烈な闘気を前にして、ダスティンの腰が完全に引けている。

 互いの神装をぶつけ合うまでもなく、勝敗の行方は火を見るよりも明らかだった。


「決闘を吹っ掛けたいなら相手になるから表に出ろよ。その気がないなら吠えるな。ここは病院だぞ、静かにしてろ」

「ぐ……」

「そうですね、ラルフさんの言うとおり静かにしなくてはいけませんよ、ダスティン。ここは病院で、患者さんが安静にすべき場所なのですから」


 そう言って前に出てきたクレアは、優しくダスティンの肩を叩いた。


「し、しかし、クレア様……」

「貴方は少しラルフさんとティアさんを目の敵にし過ぎです。先入観と風評に目を曇らせてはいけません」

「も、申し訳ありません」


 思った以上に素直に謝罪したダスティンだが、ラルフ達を見る視線は相変わらず鋭い。

 まぁ、無理に仲良くする必要もないだろう。


「ダスティン、すこし彼らと話をしたいので席を外してもらえませんか?」

「ですが私はクレア様の護衛として……!」

「大丈夫ですよ、彼等が私を害するとは思えませんから。ね、お願い、ダスティン」


 両手を合わせて可愛らしくお願いをするクレアを前に、顔を赤くして狼狽えたダスティンだったが……再びラルフ達を睨み付けてくる。


「貴様ら、クレア様に指一本でも触れてみろ! 後悔させてやるからな!」

「うるせえ、メガネ割んぞ!」


 ラルフが一喝すると、青筋を浮かべながらもダスティンが外へと出ていく。

 それを確認した後、クレアが静かな足取りでラルフ達の方へと近づいてくる。背後……ティアが身を強張らせるのが雰囲気で分かった。


「こんにちは、ラルフさん、ティアさん。ダスティンが騒がしくしてごめんなさい。悪い子ではないんだけど、少し熱くなりやすくて……」

「こんにちは、クレア先輩。ほら、ティアも」


 ラルフが促すと、ティアが明らかに不機嫌そうな顔になりながら、無言で頭を下げた。無愛想なティアの態度にも気を悪くした様子もなく、クレアは柔らかく微笑む。


「この病院には新鮮な果実を生搾りしたジュースが有名なカフェが併設されているんです。もしよければ、そこで少しお話し……したいと思うんですが、難しそうですね」


 クレアはそう言って笑みを苦笑に変える。彼女の視線の先には、あえて視線を合わせないようにそっぽを向くティアの姿がある。


「ティア」


 少し語気を強くしてラルフが言っても、彼女はラルフの後ろから出てくることはない。むしろ、ラルフがクレアを擁護するような発言をしたせいで、より頑なになってしまった感がある。


「その、なんかスミマセン、クレア先輩」

「いえ、自業自得ですから。では、手短に」


 そういって、クレアはピンと背筋を伸ばすと、美しい所作で頭を下げた。


「ラルフさん、拉致の件では大変ご迷惑をお掛けしました。謝っても許されることではありませんが……」

「いやいや、クレア先輩が謝ることじゃないですから! 頭を上げてください!」


 ラルフが慌てて言って、ようやくクレアは頭を上げてくれた。彼女は悲しげに眉を下げ、俯いたまま口を開く。


「私には……頭を下げることぐらいしかできませんから……」


 その一言には万の言葉を費やしても言い表せない感情が込められている……そう感じたラルフは、二の句が告げられなくなってしまう。


「謝るだけなら誰だってできるわよ」

「…………ティア」


 ボソッと背後で呟かれた言葉に、ラルフは非難を込めた半眼を向ける。

 流石に言いすぎたと思ったのか、ティアはどこかバツの悪そうな表情で視線を逸らした。完全に板挟み状態になったラルフは、こっそりと内心で嘆息する。

 この二人の拗れっぷりは相変わらずというかなんというか。

 そんなラルフの内心を正確に読み取ったのか、クレアが一歩後ろに下がった。


「お伝えしたかったのはそれだけです。お時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした」

「ああいえ、その……本当に気にしないでくださいね」


 下手な慰めは逆に彼女を傷つけるような気がして、ラルフは無難な言葉を選んで投げかけることしかできなかった。

 不器用なラルフの言葉に微笑んだクレアは、再度小さく頭を下げると、そのまま去ってゆく。

 恐らく、クレアもクレアでラルフの知らぬものを抱え込んでいるのだろう……にもかかわらず、ピンと背を伸ばして歩く彼女の背中は、どこか眩しいものに思えた。

 クレアの後ろ姿が消えるまで、ラルフがその場で見送っていると……。


「……ごめんなさい」

「それ、俺に言うセリフじゃないでしょ」


 まるで、懺悔をする信者のように小さく呟かれた言葉に対し、ラルフは嘆息交じりに返す。

 振り返れば、そこには肩を落として小さくなるティアの姿があった。ありありと罪悪感が浮かんでいる表情を目にしたラルフは再度、ため息をつく。


「まぁ、俺がわざわざ言わなくてもいいと思うけど……ティアも本当は、クレアさんが悪い訳じゃないって分かってるんでしょ」


 頭の後ろで両手を組みながら、ラルフは指摘する。

 ティア・フローレスは聡明な女性だ。

 ザイナリアの犯した罪を理由にクレアを糾弾するということが、どういうことなのか……父であるブライアンの罪を理由に、謂れ無き罵倒を受け続けてきたティアが分からぬはずがない。

 無言で視線を向けていると、ティアが強く唇をかんだ。


「感情が……追いつかないんだもの……」


 今にも泣き出しそうな震えた声を聞けば、それ以上問い詰めることなんてできなくて。

 ティアが今まで受けてきた仕打ちが、叩きつけられた罵倒が、突き刺さった侮蔑と嘲笑の視線が、何よりもこの残酷極まりない現実が……彼女が素直になることを阻んでいるのだろう。

 雨の中に捨てられ、震えながら声を上げる子犬のような彼女を前にして、ラルフはガリガリと頭を掻いた。


「あーもう」


 一歩、前へ。

 内心で、どうとでもなれと思いながら――


「なにも怖がる必要なんてないぞ」


 幼い頃、ミリアにしてやったようにポンッとその頭に手を乗せた。そして、絹のように柔らかい手触りを感じながら、その頭を優しく撫でる。


「さっきも言っただろ? 何があったって、何が来たって、俺がティアを護ってみせる。寂しいなら傍に居るし、悲しいなら隣で笑ってやる。だからさ……そんな悲しい顔するなよ。ティアは元気な方が似合ってる」

「……っ。だ、抱きしめるぐらい……してみせなさいよ……」

「んーそれはちょっとレベルが高いかなぁ」


 たはは、とラルフが笑ってみせると、ティアは強引に目元を袖で拭って……そして、涙混じりに、ニコッと笑ってみせた。

 雨上りの空はいつだって深く、遠く、どこまでも澄んだ青空で。それはきっと、笑顔にだって同じことが言えるのだと、ラルフはこの時初めて知った。

 その笑顔に完全に心を奪われてしまっていたラルフは、ハッと我に返って頬を掻いた。


「ま、まぁ、元気になったのならよかった」

「うん……ラルフが『護る』って言ってくれたから。傍に居るって、約束してくれたから……」


 彼女はそう言って、ラルフに近寄るとぴったりと身を寄せて……指と指を絡め、手をギュッと握ってきた。俗にいうところの恋人つなぎに、ラルフの頬が紅潮する。


「病院を出るまででいいから……だめ?」

「む、無防備すぎるぞ……」


 視線を合わせることができずにいるラルフの耳に、クスっと笑い声が聞こえてくる。


「こんなことしたの、ラルフにだけよ」

「……さいですか」


 結局……ラルフは病院を出て手を離すまで、ティアの顔をまともに見ることができなかったのであった……。


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