ロディンの戯れ
朝食を食べ終わった後、ラルフは着替えるとランニングに出かけた。
基本的にラルフは早朝にトレーニングは一通り終えているのだが、今日のような休日には追加で走り込みをしたり、鍛錬所に行ったりしている。
浮遊大陸エア・クリアで拘束されていたことで、筋肉が若干落ちていたこともあり、最近は基礎トレーニングを重点的に行っている。
特に、走り込みは全ての基本だ。リンクフェスティバルも近いし、よほどオーバーワークにならない限りは、やっていて損はないだろう。
ラルフ自身も季節を感じられるランニングは大好きなのだが……。
『なぁに? 言いたいことがあるなら言ったらどぉお?』
「いや別に……」
七割程度で流しながら、ラルフは肩に乗っかっているロディンに半眼を返す。
自分の部屋に戻ってランニング用の軽装に着替えた瞬間、肩に乗っかられたのである。そして、そのままランニングに至る。
軽快に地面を蹴って、トラムの線路沿いの道を進む。
ラルフのいるビースティス寮のある東から出発し、学園を通って、マナマリオス領である西端へ島を横断。そこから、ドミニオス領である南を経由して島を半周し再びビースティス寮へ……普段のランニングコースである。ちなみに、危険なのでシルフェリス領である北は通らない。
ラルフは、ビースティスの寮から学園に向かって駆けながら、肩のロディンを盗み見る。
アルティアと同じ、この世界を形作った創生獣が一柱……人間からは想像もできないほどの悠久の時を生きてきた存在。
その姿を見ていると不意に、ラルフの脳裏に浮遊大陸エア・クリアを脱出した時に、アルティアにぶつけた質問が蘇った。
アルティアとは全く異なる思考回路を持つロディンならば、一体どのような答えを返すのだろうかと……ラルフはそう思いながら口を開く。
「なぁ、ロディン。これは、アルティアにも聞いたことなんだけど……」
そう前置きして、ラルフはロディンを見る。
「終世獣を倒せば、この世界は平和になるのかな?」
『人が人である限りぃ、それはないわねぇ』
「……即答なんだな」
ラルフが言うと、ロディンはニヤッと口の端を歪める。
『なぁにを言っているの。終世獣を生み出す前からぁ、人は人と殺し合っていたのよぉ? 争いがない状態を平和というのならぁ、それは永遠に訪れないでしょうねぇ』
「アルティアは、人の可能性を信じてやれって言ってたけど」
若干不貞腐れた様に言うと、ロディンはクスクスと笑う。
『うふふ、人間信奉者のアルティアが言いそうねぇ。争いこそがぁ、人という種に刻まれた業だというのにねぇ』
「世界中の人が仲よくできるかもしれないじゃないか」
『それが出来ていたらぁ、リュミエールは狂わなかったわぁ。そして、リュミエールが狂わなければぁ、終世獣もいなかった。今の世界はねぇ、遠回しに人間が作り出した結果なのよ』
その言葉を認めたくなくて、ラルフはムキになって言い募る。
「でも、英雄クラウド・アティアスさんの下で、全ての人たちは一致団結したって……ッ!」
『人類共通の敵である終世獣がいたものぉ。ふふふ、皮肉よねぇ。どんなに手を尽くしても人の争いを止められなかったリュミエール。けど、抹殺を決意して終世獣を創ったことで、人は手を取り合うことを覚えたのだからぁ』
ロディンの言葉が容赦なくラルフの心に突き刺さる。
「俺は何と戦えばいいんだろう。誰を倒せばいいんだろう。まるでこれじゃ、俺達の本当の敵は終世獣じゃなくて、人間自身なんじゃ――」
ラルフが考えていた最悪の結論が、ロディンの口からそのまま形となって出てきたのだから。
『それは歴史が証明しているはずでしょう? この世代の人間が初めて終世獣に遭遇した時……人々は何をやっていたでしょう?』
「……神装大戦」
弱った獲物に止めを刺すような言葉に、ラルフは苦々しい思いを抱きながら答える。
そう、歴史上では人類が初めて遭遇した終世獣は大型終世獣『リンドブルム』となっており、この時、人類は神装を武器に戦争を――神装大戦をしていたのである。
よほど苦々しい表情をしていたのだろう。肩に座ったロディンがラルフの頬を、ぷにぷにと前足で突いてくる。
『ふふ、そう不貞腐れないでちょうだいなぁ。私はねぇ、だからこそ、人間が好きなのよぉ』
「…………? 今の話のどこに人間を好きになる要素があるんだよ」
心底疑問を浮かべて言うラルフに、ロディンがどこか恍惚とした様子で空を見上げる。
『愚かしくぅ、理解不能でぇ、低俗な人間がぁ、くだらない理由で互いに首を絞めあい、足を引っ張り合い、蹴落とし合う。これぞ、私にとって最高の娯楽! 無限に続く日々の中でぇ、私の無聊を慰めてくれるのは、人間達の醜く、ドロドロとしたぁ姿だけだわぁ』
「ほんっとに性格悪いな……お前」
首根っこを掴んで、ぶら下げてやろうとしたラルフだったが、ロディンは素早く動いて、地面に降り立った。
『んっふふふ。ま、日々を心穏やかに過ごすコツはぁあまり深く考えないことよぉ』
「話半分に聞いておくよ……」
『ふふ、そうしてちょうだいなぁ』
ラルフがそう言うと、まるで手を振るかのように尻尾をくねらせ、ロディンは道沿いの森の中に消えていった。何というか……本当に神出鬼没な猫である。
消化不良な気持ちを持て余しながら、ラルフはそのままランニングを続行。真っ直ぐに突き進み、学院中央にあるトラム乗り場を経由して、西のマナマリオス領方面へと走り続ける。
ラルフからすれば軽く流している程度なのだが、実際はかなり速度が出ている。幼少の頃から怠けることなく鍛え続けてきたラルフの身体能力は、神装抜きでも目を見張るものがある。
その時、視線の先に小気味よい音を立てながら進むトラムを発見する。
「ん……? もしかして、あれってティアか?」
休日の早朝……乗客が0に近いトラムの中で、ただ一人、ティアが席に座ってぼんやりと外を眺めているのを発見する。どことなく物憂げなその表情が気になったラルフは、こっそりと神装を発現して一気にスピードを上げる。
トラムの速度は割とゆっくりなので、ラルフが<フレイムハート>を発現して走ればアッサリと追いつくことができる。こういう時、形のない神装は便利である。
「よっと。おはよう、ティア!」
「きゃ!? お、おはよう……凄い登場の仕方するわね、アンタ……」
ラルフはトラムに飛びついて窓枠を掴むと、車体に足を突っ張って壁面に張り付いた。明らかな不安全行為なのだが……幸いにも、運転手にも気づかれていないようだ。
至近距離で手を振るラルフを呆れたように見ていたティアだったが、堪えきれないといった様子でクスッと笑った。
「ランニングの途中?」
「おう。ティアを見つけたから今は休憩中だけど」
「あら、私のために時間を作ってくれるんだ」
「ティアが何となく元気なさそうだったからな。元気づけようと思って」
ラルフがそう言うと、ティアが窓枠の片肘をついて、フッと表情を柔らかくする。
「……そういうところ、ずるいわよね」
「何がずるいんだよ。俺はいつだって正々堂々してるぞ」
「そーいう意味じゃーないっ」
人差し指で額を突かれる。言っている意味が分からずラルフは首を傾げ、ティアはそんなラルフを見て、嬉しそうに笑う。
何となくだが……最近のティアは以前と少し変わったようにラルフは思う。
大勢でいる時は以前と同じようにギャーギャーと言い合う仲なのだが……上手くは言えないものの、二人きりになるとどことなく視線や言葉が柔らかくなるように感じるのだ。
「ん……」
窓からすこし身を乗り出したティアの金髪が、風に乗って淡く煌めく。
右手で髪を軽く抑えるその仕草は、驚くほど整ったティアの容姿と相まって、否応なしにドキリとさせられるほどに綺麗で……ラルフは無意識のうちに見惚れてしまった。
そんなラルフの視線に気が付いたのだろう。ティアが少し困ったように頬を染める。
何だかむず痒い雰囲気を誤魔化すように、ラルフは一つせき払い。
「ところで、ティアはマナマリオス領に何の用があるのさ?」
明らかな話題逸らしだったのだが、ティアも照れくさそうにそれに乗っかってくれた。
「じゃ、じゃぁ、ここでクイズね。マナマリオス領にはドミニオス領、シルフェリス領、ビースティス領にはない特別な施設があります。なんだと思う?」
「トレーニングジム」
「はーい、まったく躊躇わなかった脳筋君にはペナルティーアタックです」
ぺしぺしと、頭に軽いチョップを連打されながら、ラルフは渋い顔になる。
「じゃあ、ヒントくれよ。あと、チョップやめい」
「んーそうね。マナマリオスは他の種族にはない、高い技術力があるわよね。それに関連した施設よ」
「技術力ねぇ」
ティアが物憂げになる、マナマリオスの技術が関係する場所……そこまで考えて、ラルフは一つの答えを導き出す。
「ティアってお腹のお肉を気にしているみたいだし、簡単でお手軽に痩せることができる施設とかいたたたたた!? ほめんらはい、ほめんらはいっ!?」
「ほぉぉぉぉ、乙女の体重事情に土足で踏み込んでくるとはいい度胸してるわねぇ、ラルフぅ~?」
両頬をつかんで引き伸ばされる。
この男、こういうところでは圧倒的にデリカシーが欠けているのが玉にキズである。
ティアは大きくため息をつくと、視線をトラムの進行方向に向ける。
「ほら、あっちに大きな建物が見えてきたでしょ。あそこが目的地――総合病院」
そう言ったティアの視線の先。
そこには白亜という言葉がピッタリくるような純白の建物がそびえ立っていたのであった。