喫茶店『ディープフォレスト』
三人がアレットに案内されたのは、表通りから少し奥に入ったところにあった木造の喫茶店だった。
表通りにある真新しくてオシャレな喫茶店とは異なり、古色蒼然とした様相である。
アルカディア自体が作られてそんなに時間が経っていないので、もともと古木を使って建てられたのであろう。
深い色合いの木材の表面を、ほどよく手入れされた蔓草が伸びる様はどこか歴史を感じさせる。
だからといって、古臭くてかび臭いという訳ではなく、店前は綺麗に掃き掃除がされているし、表に並んだ花壇の花々は鮮やかな色合いを誇っている。
経営者はマメな性格をしているのだろう。
「わぁ、良い感じのお店」
「本当ですね。これはなかなか」
花壇の前に座り込んで花を愛でるティアと、少し離れて店全体を見るミリア。
ラルフはそこら辺の機微に関しては鈍いのでよく分からないのだが……ただ、このお店から風格のようなものぐらいは感じられた。
ラルフは何気なく視線をお店の出入り口に持っていくと、そこにメニューが書きこまれた小さな看板があった。
その内容に目を通したラルフは、思わず首を傾げた。
「? どうしたんですか、兄さん」
「いや、俺は飲んだことないからよく分かんないけど、珈琲一杯で4000コルって高いよな?」
「……は?」
ラルフの言葉にミリアの目が点になった。
ここまで呆気にとられたミリアの顔が何気にレアだ。
ついでに値段が書き込まれた看板を指し示すと、完全に固まってしまった。
それはどうやらティアも同じのようで、目を大きく見開いて硬直している。
ちなみにだが、表通りにある喫茶店の珈琲一杯の平均価格が400コル程度だ。
つまり、この喫茶店で扱っている珈琲はその十倍。ボッタクリと言われても文句が言えない価格だ。
「珈琲がジョッキで来たりすんのかな」
「いや……さすがに……それは……」
「というか、ジョッキで珈琲なんて誰が得するのよ」
「多い方が得するだろ?」
さも当然のことのようにラルフが言うと、女性二人組から呆れたような視線が飛んできた。
「これだから……」
「兄さんは大人しく米だけ食べててください」
「なんでそんなに扱いが雑なんだよッ!?」
完全に困惑する三人を楽しそうに見つめていたアレットが、喫茶店の扉に手を掛ける。
「……ほら、おいで。中に入ろ」
「あ、はい」
ティアを先頭に恐る恐る中に入った三人を迎えたのは、カウベルの軽快な音と、芳醇な香りだった。
外装からも想像がつく通り、しっとりと落ち着いた内装がまずは目に付く。
観賞用植物があちこちに飾られ、窓際にはガラスで作られたリンゴのアンティークが等間隔に並べられている。
四人掛けのテーブル席が三つと、カウンター席が五つ。
カウンターの奥にはラルフが見たこともない器具が整理整頓されている。
そして――
「あら、アレットちゃんじゃない。後ろの子達はお客様かしら?」
四人を出迎えたのはビースティスの妙齢の美女だった。
年のころはアレットよりも少し上と言ったところか。
髪はアレットと同じ蒼銀色。
瞳は翡翠を思わせる色合いをしており、視線を合わせていると吸い込まれてしまいそうな深みを感じさせる。
何よりも印象的なのはその雰囲気だろう。
包容力――といえばいいのか。ふんわりと包み込むような笑顔は、見ているといつの間にか心にある警戒心が溶けて消えてしまうかのようだった。
ただ……ラルフはどこかでこの笑顔を見たことがある気がしてしょうがなかった。
ラルフが記憶の糸を辿っていると、その答えに辿り着く前に、隣のミリアが口を開いた。
「あの、失礼ですが……レオナ・クロフォード様でいらっしゃいますか?」
「あ! そうだ、レオナおばさぶぇッ!?」
一撃目と寸分違わぬ所に肘鉄が入った。
予備動作なし、至近距離、完全無音と三拍子そろった見事な一打である。
『いつの間にこんなに肘打ちの精度上げてたんだよお前!?』と突っ込みたいが、激痛に悶えて声が出ない。
そんなラルフを見てくすくす笑っていた美女――レオナ・クロフォードは小さく頷いて見せる。
「もういい歳なんだからおばさんで良いわよ。それにしても貴方達……ラルフ君とミリアちゃん? まぁまぁ、随分と大きくなったのねぇ。おばさん、一目じゃ分からなかったわ」
「レオナ様は昔と変わらずお若いままで、すぐに分かりました」
「あら、お上手。それに様なんてつけなくていいわよ。レオナおばちゃんと、昔のように呼んでちょうだいな」
楽しそうに談笑する隣では、ティアがアレットに質問をしている。
「ミリアの口ぶりからして……クロフォード先輩のお母様ですか?」
「……うん、そう」
「うわ、お姉さんかと思った……」
確かに、少し歳の離れた姉と言ったほうが納得できるほどに若々しい。
マナマリオスのように長寿の種族もいるが……ビースティスの平均寿命はヒューマニスと大して変わらない。
恐るべき若々しさである。
ミリアとの談笑に一区切りついたのか、レオナはティアの方へ視線を向ける。
「そちらのお客様はミリアちゃんのお友達かしら?」
「あ、はい。ティア・フローレスと言います。クロフォード先輩にもお世話になっています」
「あらあら、ご丁寧にどうも。私はレオナ・クロフォード。アレットちゃんの母親と、この喫茶店のオーナーと、ビースティス大使館の全権大使をしております」
「こちらこそご丁寧にえぇぇぇ!? ぜ、全権大使!?」
ティアの返礼が途中から悲鳴に変わった。
このフェイムダルト島は学院を中心にして東西南北に各種族の寮があることは以前説明したが、ここに各種族の大使館も併設されている。
ここで各種手続きなどを行うことができ、また、給金もここで受け取ることになっている。
完全中立地帯であるフェイムダルト島と各国との玄関口になっているのである。
そして、そこの全権大使ということは、大使館において最も偉い人物ということだ。
もっと言えば、レオナがフェイムダルト神装学院のビースティスの生活を保護していると言っても過言ではない。
そして、その全権大使が歓楽街の路地裏にある喫茶店のマスターをしていたのだ……ティアが驚くのも無理ないだろう。
「……お母さん、部下の人に仕事押し付けてきたの?」
「あら、お母さんそこまで不真面目じゃないですよ。自分のお仕事は朝の内に全部済ませています。まあ、必要最小限しかしてないから、皆てんてこ舞いでしょうけれど、一生懸命やればきちんと終わるはずよ」
しれっとそんなことを言うあたり、なかなかいい性格をしているようだ。
「それよりも、折角来たのならゆっくりしていってちょうだい。今から珈琲でも淹れましょうか。ちょっと待ってて――」
「……あ、お母さんちょっと待って。ここにいる三人はアルバイト希望で来てるの。お母さん、お手伝いさんが欲しいってこの前言ってたから」
「あら、そうなの。力仕事もあるし来てくれるのなら助かるけれども……」
そう言いながらもあまり驚いた様子はない。
もしかしたら、この話を切り出してくると予想していたのかもしれない。
ふーむ、と呟きながらレオナは頬に手を当てて三人に視線を向ける。
その時、ティアが一歩前に出てレオナに向けて口を開いた。
「私、黒い翼を持っているからお店に迷惑をかけるかもしれません……でも、でも! その分一生懸命働きます! だから、お願いします、私をここで雇ってください!」
そう言ってティアは深く深く頭を下げた。このまま放っておけば土下座でもしかねない勢いだ。
それだけ……何か差し迫った理由があるのだろう。
少なくとも、自分の欲望を満たすためにお金が必要なのではないと、それだけは分かる。
だからだろうか……ラルフも自然と一歩前に出ると、深く頭を下げた。
「レオナおばさん、俺からもお願いします! ティアは何にでも真面目で一生懸命な女の子です! だから……だから、ティアのこと、雇ってあげてください!」
「いえ、兄さん。なにを他人事みたいに言ってるんですか。私達も雇ってもらえないと生活ピンチなんですからね」
「あ、そうだった。ついでに俺とミリアも雇ってください!!」
ラルフの横で、ミリアがどこか諦めたようにため息をついている。
ラルフとミリアは長い付き合いだ……自分のことより他人を応援してしまう男だと分かっているのだろう。その上で、ミリアもレオナに対して深く頭を下げた。
そんな三人を前にしてレオナは小さく微笑んだ。
「はいはい、とりあえず頭を上げてちょうだいな。これじゃきちんと目を見て話すこともできないわ」
その言葉に、全員が頭を上げる。
必死な表情をしている三人を前にしてレオナは苦笑。
「この喫茶店はクロフォード家……というか、完全に私の趣味でやってる店だから、別に売上とかその辺りは結構適当なの。お客さんも、高いお金を出しても美味しい珈琲が飲みたいって人とか、興味本位で来る人とか、結構特殊だし。だから、ティアちゃんやミリアちゃん達が危惧していることは気にしなくていいわ。でも、そうねぇ……」
視線の先、レオナは何か考えるように人差し指を唇に当てていたが、不意に何か思いついたようにポンッと手を打った。
「じゃあ、一つ条件を飲んでもらえれば雇ってあげても良いかな」
「……お母さん、意地悪言わないで」
「あら、アレットちゃん怖い。大丈夫よ、貴女にとっても悪い話ではないから」
ラルフ達三人の後ろで静かに控えていたアレットが、険のある視線をレオナに送っている。
そんな娘をなだめるように、うふふ、とレオナは笑いかける。
「あの、その条件って……」
「新入生の『リンク』への勧誘が開始されるのは明日からよね?」
唐突に出てきた『リンク』という単語に、ラルフは首を傾げる。
「リ――」
「リンクというのは学生間で組む疑似ギルドです。一つのリンクの最大加入メンバーは十人。冒険者となってからは基本的にギルドに所属し、そこの構成員とパーティーを組んで冒険を行うことになるわけですから、学生時代からその真似事をして経験を積ませようというシステムです。分かりましたか? 分かったら少し静かにしててくださいね、兄さん」
「はい……」
先手を打って怒涛のように説明をしたミリアの横で、ガックリと首を垂れるラルフ。
捕捉をすると、リンク同士が戦う『リンク対抗団体戦』などという学院の行事もあり、ここで得た成績は個人の評価に直結する。
そのため、リンクへの加入はとても重要なのである。
昨日行われた上級生との交流戦も、上級生が今年の新入生の中から目ぼしい生徒を見つけるための行事でもあるのだ。
ちなみに、リンクを立ち上げるために必要なのは書類一枚だけで、とても簡単なうえに審査も面倒な手続きもいらないということで、現在、リンクが乱立している状態にある。
そのため、誰もが目を血走らせて有望な新入生を自分のリンクに引き込もうと躍起になっているのだ。
これに対して新入生は、有力なリンクに入って自身に箔を付けるか、中小リンクに入って無難な成績を収めるか、自身でリンクを作ってのし上がるか……多岐にわたる選択を迫られる。
どのリンクに入るかによって自分の今後が決まるのだ。誰もが慎重になる。
そして、先ほどレオナが言ったように明日からリンクの勧誘合戦が始まる。
この勧誘合戦が熾烈を極めるのだが……それは、明日、ラルフ達は身をもって知ることになるだろう。
それを踏まえた上で、ニコッとレオナは笑い――
「アレットちゃんのリンクに入ってくれたら、ここで雇ってあげても良いわよ」
そう提案したのであった。