王都クラフト攻防戦⑥~灼熱のアルティア~
『死』が猛烈な速度で鼻先を通り過ぎてゆく。
攻撃の瞬間瞬間に脳裏をかすめる恐怖を、集中と気迫で強引にねじ伏せ、ラルフは相対する敵に意識の全てを向ける。
「ぬぅぅぅぅぅぅッ!!」
ジレッド・エシュロットが繰るウォーハンマーが、霊力の加速を受けて、超重武器とは思えぬ速度で次々とラルフに襲い掛かってくる。
ラルフは、超重武器とは一度振り抜けばそこに大きな隙ができるものだとばかり思っていたのだが……このレベルの相手になると、そのような陳腐な常道は通じないようだ。
ジレッドはウォーハンマーを振り抜くと、その勢いのままに自分も一回転して、そのまま次の一打を放ってくるのだ。一撃目の攻撃が、二撃目の前動作となり、二撃目の攻撃が、三撃目の前動作となる。
つまり、延々と全速力の攻撃が降りかかってくるのだ。
無論、言うほど簡単ではない。下手をすれば超重武器の重さに自分自身が振り回され、致命的な隙を見せてもおかしくはないのだが……ジレッドは強靭な足腰と、上半身の筋肉でこれを半ば強引に御している。
その姿は、まさに意識を持った鋼の旋風。近づくものに等しく破壊をまきちらす暴虐の渦を前にして、ラルフは防戦一方になっていた。
――くそ、ぶつけるなら全力の一撃じゃないと……!
そもそも、この暴力の嵐ともいえる状況を潜り抜けて、一撃を叩きこむこと自体が尋常ではないほどの難易度なのだが……問題はジレッドが纏っている鎧だ。
オルフィ・マクスウェルによって祝福を受けた鎧は物理的・霊術的な威力をほぼカットしてしまうという壊れ気味の性能を有している。
腰の入っていない一撃では、むしろ、ダメージを無視してそのまま殴り飛ばされてしまう可能性が高い。必要なのは、鎧の防御性能を貫通し、ジレッドを戦闘不能に持ち込むことができるだけの一撃だ。
となれば、放つのはラルフの必殺技である『ブレイズインパクト』一択という事になるだろう。
だが……それを入れるのが難しい。
「くっ!!」
ラルフは舌打ちを一つして、バックステップを踏むとジレッドと距離を取る。
後退したラルフに対してジレッドは……その場で立ち止まり、こちらを警戒して動かない。
それもそのはず。ジレッド、そして、サフィールが積極的な攻勢に出てこないのは、ラルフの背後でチェリルが大火力の霊術を展開しているからだ。
巻物――スクロールと言うらしい――を合計三十七つ展開し、サフィール達を牽制しているのだ。霊術に疎いラルフには分からないが……少なくとも、尋常ではない霊力は感じられる。発動すれば、ここ一帯が壊滅状態になることは間違いないだろう。
「ていうか、民家が次々と吹っ飛んで瓦礫になってるんだが、中の人は大丈夫なのか……?」
「あぁ、人の気配はないから大丈夫じゃないかな。事前に避難誘導でもしていたのだろう」
ラルフとチェリルの視線の先、ジレッドの後ろでサフィールが、杖の先端を地面につけて、高速で霊術陣を描きながら、同時並行して詠唱を開始している。
それを見たチェリルが、ほぅ、と感嘆の吐息をこぼしている……ラルフにはよく分からないが、かなり高等な技術を使っているようだ。
だが、ラルフの相手は彼女ではない。
目の前、ウォーハンマーを構え体勢を整えているこの男こそ、ラルフが打倒すべき敵だ。
『ラルフ、あと少し……あと少しだ。だから、それまで時間を稼いでくれ。今のお前には苦しい戦いになるとは思うが、決して屈するな』
「ん、分かってる。アルティアも急いでくれよ」
前方、サフィールの詠唱と霊術陣が同時に完了。
霊術陣が眩い光を放つと、そこを始点とし、巨大な岩石が大地を突き破って次々と突き出す。まるで槍衾のような密度で隆起する岩石の雪崩が、ラルフを飲み込まんとするが――
「第三十一スクロール起動――光よ、あれ」
チェリルの小さな囁きが空気を微かに揺らした瞬間、ラルフの目の前にあった大地がゴッソリと抉れた。音も光も何もない……『消滅』を顕現する霊術『オーバー・レイ』だ。
だが、迫りくる脅威が消え去ったからといって、安心などできない。
岩石の槍衾の影に隠れて接近していたジレッドが、一気に加速を掛けてラルフに迫ってきたからだ。
速い。
確かに速いが……しかし、一度その速度を体感した今なら、まだ対応ができる。
ジレッドを迎撃せんと両腕に力を込めたラルフだったが、それよりも先にチェリルが動いた。
「第二十六スクロール起動――極光を炉にくべて錬成されし光刃よ、刹那に煌めき敵を討て」
詠唱に応じて、まるで光の翼を広げるようにチェリルの左右に七十二の光剣が展開する。
荘厳な光景ではあるが……敵対する者からすればたまったものではあるまい。
ギョッと目を剥いたジレッドとサフィールに向かってチェリルが手を振ると、全ての光剣がその切先を一斉に彼らの方角へと向けた。
「穿ち貫け。レイジングソード」
鈴を鳴らすような澄んだ音ともに、次々と光剣が高速で射出される。連なる剣が帯となり、鋭く夜気を切り裂く。
「くっ……! ジレッド、自力で1/4は打ち落としてください! ガトリング・ブラスター!」
「マジか!?」
サフィールが虚空に素早く指を走らせ、己の霊力で霊術陣を描くと、そこから膨大な量の弾丸が迸る。
チェリルのレイジングソードと、サフィールのガトリング・ブラスターが激突するが……一撃一撃の重さが明らかに違う。ガトリング・ブラスターの弾幕を、レイジングソードが容赦なく切り裂きながら突き進み……そして、その先にいるジレッドに切っ先を突き立てんとする。
「サフィール、しっかり後衛の仕事をしろ!」
「分かっています! 分かっていますが……あのマナマリオスの少女は一体何なのですかっ。ヘタをすればSクラスレベルの霊術師ですよっ!」
「俺が知るか! ぐっ!?」
威力が弱くなったレイジングソードを、次々とウォーハンマーで殴り落としているジレッドに、ラルフが一瞬で肉薄する。
灼熱の炎をまとった拳が、ジレッドの鳩尾目がけて繰り出されるものの……ウォーハンマーの柄が直撃を阻む。
すぐさま左の拳を叩きこもうとするラルフだったが、それよりも早く、ジレッドは柄の中心を支点としてハンマーを旋回。ラルフの側頭部を目がけて、空間を抉り抜くような勢いで槌頭が振り抜かれる。
「あ、あっぶな……! この!」
「ちっ! ちょこまかと!」
スウェーバックでこれを回避したラルフは、さらに一歩突き詰め、ジレッドの顎を狙う。
人体急所の一つとして数えられる顎は、脳に直接衝撃が届く部分だ。強烈な拳打を武器とするラルフの場合、軽く当てるだけでも脳震盪を狙えるが……。
直撃かと思われたラルフの拳は、けれど、ハンマーを振り抜いた勢いを利用して強引に上体を逸らしたジレッドに回避されてしまう。
――嘘だろ……ッ!?
多少強引であったとはいえ、直撃コースの攻撃を回避したのだ……己の武器の特性を完全に把握していなければ、無理な動きだ。
少なくともこの男……『ハンマー』という武器を振るうことで生じる力の方向、強さ、反動などを完全に己の動きとしてモノにしている。ボディーコントロールもさることながら、己の得物の習熟具合が尋常ではない。
これほどになれば、もはや自身の体の延長上と言っても過言ではあるまい。
だが、相手の力量に舌を巻いているのは、なにもラルフだけではない。
「くそ、コイツもコイツで、学生のモノとは思えねえ拳圧してやがる……!」
「がぁぁぁぁぁぁ! ブレイズインパクトぉぉぉぉぉぉッ!!」
強引に体を引き戻し、反撃のウォーハンマーをブレイズインパクトで迎撃する。
拳とハンマーの打面が激突し、灼熱の炎と衝撃波を周囲にばら撒きながら、ラルフとジレッドが後方に弾き飛ばされる。
「答えろ、坊主! お前らは一体何者だ! ただの学生かと思えば、女王陛下と繋がりがあるわ、俺らとまともに打ち合える実力を持ってるわで、正体が見えん……」
「フェイムダルト神装学院一年、『燐』クラスのラルフ・ティファートだ! それ以上でもそれ以下でもない!」
正々堂々メンチを切ったラルフに対し、背後のサフィールが首を傾げた。
「『燐』クラスといったら生粋の落ちこぼれ集団じゃないですか」
「あぁ、そこの彼とボクを一緒にしないでくれたまえ。落ちこぼれは彼だけだ」
「余計なお世話だよ!?」
ラルフがチェリルに突っ込みを入れていると、ふと、何かに気が付いたかのようにジレッドが動きを止めた。
「いや待て。ヒューマニスで『ティファート』……お前、ゴルド・ティファートの息子か!」
「え、なんで親父を……?」
「化け物ぞろいのSクラス冒険者だぞ、知らない奴の方が珍しい。そして……サフィールにSクラスレベルと言わしめる嬢ちゃんの素性も知りたいもんだがね」
眼光鋭く睨み付けてくるジレッドに対し、チェリルはどこ吹く風と言った様子で手の中でスクロールを弄んでいる。
「ただの天才チェリル・ミオ・レインフィールドさ。それ以外の何に見えるんだい?」
チェリルの言葉に、ジレッドが背後に声を掛ける。
「サフィール、聞き覚えがあるか?」
「発明家のチェリル・ミオ・レインフィールドの名は聞いたことがありますが……少なくとも、『スクロール』なんて高難易度の霊具を使いこなせるとは思えません」
まるで、不可解なものを見るかのような瞳で、サフィールはチェリルを見つめる。
「あれはユグドラジュフォーミュラー数式という特殊な霊術発現方法を、紙面に焼き映して使う代物なんですが……詠唱を省略できる代わりに、極めて制御が難しいのです」
サフィールはそう言うと、チェリルの向こう側を透かして見ようとするかのように、目を細める。
「過去、スクロールを使いこなすことができたのは、スクロールの発明者であるエクセナ・フィオ・ミリオラ本人ぐらいでしょうか」
ギョッとラルフが目を剥いてチェリルの方を振り返ると、彼女はニヤッと肯定とも否定とも言い難い笑みを返してきた。そして、不敵な笑みを浮かべたまま、チェリルが口を開く。
「ほぉ、ならボクがそのエクセナ・フィオ・ミリオラかもね?」
「いえ、彼女は我が国の浮島のメンテナンスに来て、原因不明の失踪を遂げ、以後、行方不明となっています。ただ……もしも、生きていたとしたら、確かに貴女の言っていた通り、私達の倍の年齢になっているでしょうね」
「くっくっく、そうかいそうかい」
喉を振るわせたチェリルは、軽く周囲を見回した後、ニヤニヤと底意地の悪い笑顔をジレッドとサフィールに向ける。
「さて、目的の時間稼ぎは終わったかい? 随分と集まったようだけど」
「へ? え、ちょっと待て、チェリル。それは……」
だが、その言葉を全て言い終えるよりも先に、ラルフもチェリルの言葉の意味を理解した。
今の今まで戦闘に集中していたため、気が付かなかったが……街の角、通りの先、そして、屋根の上まで、いたる所に鎧を纏ったシルフェリス達の姿が見えた。
そう……第二・第三近衛兵達によって、ラルフ達が戦っている地点を中心にして、包囲網ができあがっていたのである。
「い、一体いつから……?」
「君、もっと早く気づきたまえよ。こんなに長時間、ド派手に霊術戦をしてるんだ。そりゃ気が付くってものさ。君はもうちょっと集団戦について勉強する必要があるね」
恐らく、ラルフ達が戦っている間、静かに、けれど、確実にラルフ達を捕縛するために展開していたのだろう。
ジレッドとサフィールも、時間が経過すればするほどにラルフとチェリルが不利になっていることを理解しているからこそ、悠長に問答に付き合っていたのだ。
「まぁ、誇りたまえ、ラルフ君。第一近衛に『二人だけでは厄介』と思われる程度には、君は強かったと言う事だ」
「いやいやいや、何を呑気な!?」
構えを取りながら、慌てふためくラルフだが……それ以上に焦りを浮かべていたのは、ラルフ達を追い詰めているジレッドだった。
「全員、掛かれ! すぐさま捕縛しろ!」
ジレッド本人もウォーハンマーを構え、第二・第三近衛の面子に向かって声を張り上げる。
ジレッド達とラルフ達が相対してそう時間は経っていない……それでも第一近衛の二人は、チェリル・ミオ・レインフィールドという少女が底知れない存在だという事を理解したことだろう。
そんな彼女が『包囲網が形成されていると理解していたにもかかわらず、されるがままになっていた』のだ。
つまり――
「ボク達の目的もまた時間稼ぎだ。タイムアップは君らの方さ。そうだろ、アルティア君?」
『時間稼ぎ、御苦労だな。もう十分だ』
次の瞬間、そこに太陽が生まれた。
世界に満ちる夜をひっくり返し、一瞬にして昼夜が逆転する。顕現した莫大な光は、けれど、誰の目を焼くこともなく、淡く、優しく全てを包み込む。
そして、光が収束した時――そこには、威風堂々と一羽の霊鳥が佇んでいた。
大きさはラルフとチェリルを悠々と背に乗せることができるほど。
灼熱の太陽を思わせる真紅の翼は優雅でありながらも雄々しく、周囲の者達を見回す緋色の瞳は、ルビーにも負けない高貴な輝きを宿している。
ただ、そこにある……それだけで、生命としての格の違いを感じずにはいられない。まさに、太陽の化身というに相応しい気高き者。
不完全ではあれど……これこそが、創生獣の一角『灼熱のアルティア』本来の姿である。
この瞬間だけは、今立っている場所が戦場であるということを忘れ、誰もが唖然という言葉を顔に張り付け、霊鳥を眺めている。
先ほどまで飄々としていたチェリルですらも、アルティアの神々しさに呆然としている中、唯一……ラルフだけが切なそうな顔でアルティアを見上げている。
「アルティア、本当は俺よりも背が高かったんだな……」
『この姿を見た第一声がそれというのは、なんとも複雑だな』
その言葉に、ラルフは軽く首を傾げる。
「どんな姿になってもアルティアはアルティアだろ?」
『…………そうだな』
「だが、背が高いのだけは許さん!」
『そこから離れんか、馬鹿者』
もふっと翼で頭を叩かれる。とても上質な羽毛の感触が心地よい。
『ともかく、チェリル、ラルフ、二人とも私の背に乗れ。すぐにここから離脱する』
「おう! ほら、チェリルのボーっとしてないで行くぞ!」
「……君のその異常なほどの状況適応力には舌を巻かずにはいられないね」
どこか呆れたように言いながらも、チェリルはラルフに続いてアルティアの背に飛び乗る。
その段階になってようやく我に返ったジレッドとサフィールが、慌てて得物を構えるが……それよりも早く、アルティアは翼をはためかせ急上昇。
翼の一振りで、考えられないほど高く舞い上がる。
「明らかに物理的な制約を超えた飛翔だね、これは……興味深い」
「アルティア! 追撃の霊術が来るぞ!」
『案ずるな』
サフィールや、他のシルフェリス達が放った霊術が迫るが……アルティアが何もせずとも、それらは直前で弾けて消えてしまう。
『私を打ち落とそうとするなら、上級霊術ぐらいは欲しい所だな』
「ふぅむ……アルティア君。羽を一枚もらっても良いだろうか? すこし研究をしてみたい」
『今の霊術レベルでは、何も分からんとは思うが……構わんよ。さて、急いでこの空域から脱出するぞ。しっかりとつかまっておけ』
アルティアはそう言うと、翼を大きくはためかせ、瞬時にトップスピードに乗って、フェイムダルト神装学院のある方角へと飛び立った。
こうして……ラルフは、浮遊大陸エア・クリアから脱出することに成功したのであった……。