城下町へ
オルフィ・マクスウェルという看板の効果は抜群だった。
うじゃうじゃと近衛兵がうろついている城内を突っ切るという大胆極まりない作戦は、ラルフの心配などよそに順調極まりなく進んだ。まあ、さすがの近衛兵も、守護対象であるオルフィ自身が、進んで脱獄の手伝いをしているなどとは夢にも思うまい。
途中で、異様に物々しい一団とすれ違ったが、オルフィが強めの口調で何かを言うと、恭しく頭を下げて引き下がった。
内心、ヒヤヒヤしながら黙々と赤い敷物の上を歩き続けていると、ようやく城門へと辿りつくことができた。
時間としてはそれほど経っていないのだろうが、体感時間としては異様に長く感じたラルフであった。できるなら、二度としたくないものである。
「ここまでくれば大丈夫でしょう。守衛の者にはわたくしから話を通しておきます。このまま、何食わぬ顔で城門を潜り、城下町で待っているチェリルさんと合流してください」
「うん、ありがとう、フィー。助かったよ」
城の中を通り抜け、前庭の影に退避したラルフは、オルフィに向かって深々と頭を下げた。
そんなラルフに、オルフィは小さく頭を振って応える。
「いえ、わたくしは自分の出来ることをしただけです。気にしないでください。あと、アルティアさん……こちらが頼まれていたものです」
ん? と首を傾げるラルフに差し出されたのは、キラキラと輝く拳大の宝石だった。
まるで虹を内に閉じ込めたかのように、光の加減によって七色に色合いを変える透明感のある宝石……それを、ラルフの肩に止まっていたアルティアが器用に翼で受け取った。
『うむ、感謝する。む……オルフィ女王、これは相当な年代ものではないだろうか』
「はい、ファンタズ・アル・シエルの『狼暦の砦』で出土されたものです。いざという時のために持たされていたものですが……わたくしには不要な代物。ご要望にはお応えできましたでしょうか?」
『んむ、十分すぎるほどだ。感謝する』
「なぁ、アルティア。それ何?」
ラルフが宝石を指差して尋ねると、アルティアがこくんと頷いた。
『トゥインクルクリスタルだ。霊力を内部に取り込む性質のあるトゥインクルマナが凝縮・圧縮したものでな。純度は大幅に落ちるが……チェリルのアトリエにトゥインクルマナの大結晶が置いてあっただろう』
「あー。あの凄く高い石ころか」
ラルフとしては、鉱石の性質よりも、目玉が飛び出るほどの値段の方が印象に残っている。
「それが何で今必要なのさ?」
『まぁ、保険のようなものだ。使わないで済むなら、それにこしたことはない』
「ふぅん?」
ラルフにはよく分からないが……アルティアなりに考えてのことなのだろう。
いちいち深く、細かく、穿ったことを聞かなければならないほど、ラルフとアルティアの信頼関係は薄くはない。
大きな宝石を落とさないように両翼を使って抱きしめるという、妙にファンシーな姿をお披露目している相棒を一瞥し、ラルフは改めてオルフィに向き直る。
「何から何までありがとう、フィー。それじゃ、俺はそろそろ行くよ」
「はい……」
そう答える彼女が寂しそうに見えるのは、ラルフの目の錯覚だろうか。
オルフィはシルフェリスの国の女王だ。この別れが、数少ない友人との今生の別れとなることを彼女はよく分かっているのだろう。
だからこそ、ラルフは苦笑を浮かべながら、あえてこの表現を使う。
「またね、フィー」
「…………えぇ。また、ラルフさん」
それは儚く脆い希望なのかもしれない。
けれど、『さようなら』で結ぶよりも、再会を願う気持ちを込めて『またね』という言葉で締めた方がこの場には相応しいとラルフは思ったのだ。
ラルフは再び目深にローブを被ると、オルフィに背を向けて城門へと歩き出す。
前庭にも複数の近衛兵達が行き来しているが……来賓用のマナマリオスのローブを目にすると、何事もないように傍を通り過ぎてゆく。
そして、ちょうど城門へと差し掛かったラルフは、守衛達に軽く頭を下げて会釈をすると、何食わぬ顔でその場を通り過ぎようと――
『囚人ラルフ・ティファートが脱走! 囚人ラルフ・ティファートが脱走! 各自警戒を厳とせよ! 各自警戒を厳とせよ! 第三近衛兵は第二近衛兵に持ち場を引き継ぎ、城下町にて脱走者の追跡をせよ! なお、生死は問わない! 繰り返す!』
恐らく、霊術か何かで増幅された声が、大音量で王都クラフトに響き渡る。
さすがは王城を守る兵士達とでも言うべきか……突然の警報に対して困惑や疑問を抱くことなく、瞬時に意識が切り替わる。城内に満ちる空気が、戦場のそれへと完全に入れ替わったのが何よりの証拠だ。
――いったいどこでバレた……ッ!?
ラルフはローブの中でドッと汗が噴き出してくるのを感じていた。
頭の中で、牢屋を脱出した時から、今までを一通り総ざらいしたラルフだったが……どこにも脱出を疑われるような場面はない。
「そこのマナマリオスの者よ、少し足を止めてもらおう」
ちょうど城門を通り抜けたラルフの背後から、声が掛かる。
血の気が引く音とはこんな感じなんだと、どこか他人事のように思いながらラルフは大きく深呼吸をする。
暴れまわる心臓をなだめながら、近づいてくる硬質な足音を聞く。
足音は二つ……両左右からラルフを挟むように近づいてくる。音の大きさと、方向、そして衛兵の気配を体全体で感じながら、ラルフは衛兵との彼我の距離を推測する。
「申し訳ないが、非常事態だ。素性を確認――」
守衛が言葉を全て言い終えるよりも先に、ラルフは急旋回……ローブの裾を大きく翻して相手の視界を完全に奪う。
「ごめん」
端的に謝りながら、ラルフは右の守衛の鳩尾に拳を叩きこむ。完全に意識を刈り取ったのを確認するよりも早く、全身に急制動を掛け、左の守衛の腹に肘打ちをぶち込む。
明確な手ごたえを得て、両左右の守衛がぐったりとその場に倒れ伏す。鮮やかともいえる手並だったが……いかんせん、タイミングが悪かった。
「いたぞ! あそこだッ!!」
声の方に顔を向けてみれば、学院で戦った近衛兵達と同じ鎧を着た一団が、ちょうど城内から出てくるところだった。
先ほどの警報を聞く限りでは、彼等が城下町の警戒を行う第三近衛兵なのだろう。
「げ、さすがにあの数は相手にできないぞ……!」
そう言ってる間にも、近接神装を持つ近衛兵が高速でラルフの方へと突っ込んでくる。
その後方では、遠距離攻撃型神装を持つ近衛兵が並び、彼等に護られるように霊術師が詠唱を開始している。
瞬時に陣形を構築して攻撃に移るあたり、第三近衛兵の練度の高さが見て取れる。ただ、それを相手にするラルフからすればたまったものではない。
城門を超えればすぐそこに城下町がある関係上、問答無用で霊術や遠距離神装をぶっ放してくる可能性は低いが……どちらにしても、ラルフに向かって突撃してくる近衛兵に囲まれたら終わりだ。
『ぐ……いけるか、ラルフ!』
「この状況で背中を向けるのは自殺行為だけど……くそッ!」
背中を向ければ、霊術なり矢なりがピンポイントで飛んでくる可能性が高いものの……今は手段を選んではいられない。
ラルフが城下町に紛れ込むために、駆け出そうとした――その時。
「え……?」
前方、城下町の方角で光が瞬いた瞬間、ラルフを掠めるようにして猛烈な速度で光弾が通過して行った。
動体視力に自信のあるラルフですら捉えきれぬ速度で飛翔した光弾は、過たず次々に近衛兵達に直撃する。派手さこそないものの、一切の無駄なく、着実に、確実に、光弾が近衛兵の数を減らしていく。
「い、一体何が……」
「ほらほら、ラルフ君。ボサッとしてないでとっとと来たまえ」
唖然とするラルフの視線の先……そこに、チェリル・ミオ・レインフィールドが立っていた。
先ほどの光弾は彼女によるものなのだろう。両手が神装<ルヴェニ>の上を凄まじい速度で動き回り、固定砲台よろしくチェリルの周囲の空間から次々と光弾が発射されている。
この間、驚くべきことに彼女は一切の詠唱を行っていなかったのだが……霊術に疎いラルフは、その異変に気が付くことができなかった。
「チェリル! 無事だったか!」
「君の方は無事とは言い難いみたいだね。随分と屈強なお友達が増えたみたいじゃないか」
ニヤニヤと揶揄するような笑みを浮かべるチェリルに、ラルフは微かな違和感を覚える。
この状況、普段のチェリルならば泣いて再会を喜ぶはずなのだが……目の前にいるチェリルは余りにも余裕に満ち満ちている。少なくとも、小心者のチェリルが浮かべる表情ではない。
それが表情に出ていたのだろう。チェリルが苦笑を浮かべる。
「過程や検証を一足飛びに越え、問答無用で正解へと至るその獣じみた直感は一種の才能だね。遺伝でもするのかね、それは」
「へ? 痛!?」
間の抜けた声を上げるラルフの額にデコピンを喰らわせたチェリルは、ふぅ、とため息一つ。
「ともかく、城下町へ逃げ込むよ。こんな大通りでやり合うには物量が違いすぎる」
「お、おう!」
リーダーシップを発揮するチェリルに連れられ、ラルフは違和感を抱えながらも、騒がしい城下町の中へと駆け込んでゆくのであった……。