幕間 五種族代表者会議 終
時はラルフとチェリルがセシリアに捕えられ、シルフェリス大使館に連行された時点まで戻る。ちょうどこの時、二日目の五種族代表者会議は紛糾していた。
争点はフェイムダルト神装学院生を含む、シルフェリスの神装者一斉引上げについてである。
一端、頭を冷やすという事で一日目の会議は解散となった訳だが……二日目になってもシルフェリスの代表であるザイナリアの意見は変わらなかった。
これに対して、徹底抗戦の構えに出たのはゴルドとフェリオだ。
「大型終世獣は一種族が足掻いた所でどうこうできるシロモノじゃない」
ゴルドは唸るようにそう言ってザイナリアの鉄面皮を睨み据える。その隣では、フェリオが眉を寄せながら腕を組んでいる。
「ゴルドが少々感情的になっている部分は否めませんが……ザイナリア卿、この男が言っていることは事実です。貴方がどのような対抗策を得たのかは知りませんが、大型終世獣は我らの予想の上を行く力を持っています。シルフェリスだけで対処しようとする、その考えは余りにも危険です」
大型終世獣と直接対峙し、その圧倒的なまでの力を前にしたことがある二人は、ザイナリアの言葉がどれほど危険なことなのか、よく理解していた。
今まで出現した大型終世獣二体は、全ての種族が一致団結することで、多大な犠牲を出しつつも何とか撃退できたのだ……もしも、ザイナリアが神装者を一斉に引き上げた場合、事はシルフェリスだけでは済まず、他種族にまで及ぶ。
シルフェリス達の霊術による援護が無くなれば、流れる血はより増え、犠牲となる神装者も増えることだろう。ただでさえ、新たな大型終世獣の危機が目の前に迫ってきているのだ……本来ならば、このようなことで争っている場合ではない。
だが、それでもザイナリアの意見は翻らない。
「それはそちらの都合というもの。我らシルフェリスは大型終世獣に対抗できるだけの力を手に入れた……故に、これ以上慣れあう必要はない。幾度もそう言って説明しているのだが、いつになったら理解してもらえるのだろうか」
「だから、何でシルフェリスって枠だけで考えようとするのかと言ってるんだッ!!」
ゴルドの拳が苛立たしさをぶつけるように机に叩き付けられる。
「今は種族がどうこう言ってる場合じゃねぇ! 今までは大型終世獣が一体ずつ現れているからまだ何とかなった……だが、これから先も同じだとは言えねえだろ! 状況が厳しくなればその分だけ死ぬ奴が出てくる! お前は、シルフェリス以外の種族なら、どれだけ血が流れようとも構わねぇっていうのか!」
「私が導くのはシルフェリスの民だけだ」
明確な肯定の言葉がザイナリアの口から放たれた瞬間、ゴルドの総身から凄まじいまでの威圧が膨れ上がる。少しでも戦いの中に身を置いたことがあるものならば、それだけで腰を抜かしてしまいそうな威圧感が会議室を包み込む。
だが、それが極限まで高まるよりも前に、フェリオが瞬時に発現した神装<雪桜>の鯉口を切ってゴルドの前へ突き出す。
澄んだ冬夜を思わせる刀身に映った自分の歪んだ顔を前にして、ゴルドは歯を噛みしめる。
「抑えろ、ゴルド」
「…………」
ゴルドとて腕力で物事を解決しようとは思っていないし、解決できるとも思っていない。暴力などという甘っちょろい方法で屈するほど、ザイナリアという男は容易い人間ではない。
だが――それでも。
「テメエが自分自身の信念のもとに動いているのは分かる。人間が一人で出来ることなんて高が知れている……お前はお前でシルフェリスのことを必死に護ろうとしてるんだろうよ。だがな、これだけは言わせてもらうぞ」
苛烈な光を瞳に宿し、ゴルドは真っ向からザイナリアを睨み付ける。
「テメエが『他種族』という枠で括った彼らもまた人間だ。傷つけられば血を流すし、大切な家族や恋人を護るために、自分の命を懸けて必死に戦ってる。お前が必死で護ろうとしているシルフェリス達と、何にも変わりはしねえよ」
過去に起こった大型終世獣『ヤマタ』との戦い――この戦いについて語る時、大抵の場合は大型終世獣の恐ろしさと、それを相手に立ち回った『救国の英雄』ゴルド・ティファートとフェリオ・クロフォードの華々しい活躍が主題に上がる。
だが……その当人であるゴルドは、自身の活躍を華々しいなどとは思わない。
ゴルドとフェリオにできたのは、あくまでも『ヤマタ』の足を止めただけなのだ。倒すことはおろか、有効打を与えることすらできなかった。
『ヤマタ』を倒したのは、その場に集結した全種族の神装者が協力したからだ。命を懸け、誰もが必死に大切な人を護るために戦った結果が、『ヤマタ』の撃破に繋がったのだ。
無論、その勝利と引き換えに支払った代償は大きかった。
父が死んだことを理解できず、亡骸を何度も揺する子がいた。
冷たくなった恋人に縋り付き、天を呪うように慟哭を繰り返す女がいた。
屈強な男が、物言わぬ骸となった友を前にして、言葉もなく涙を流していた。
戦いに出向いた父親の帰りを、祈りながら待つ家族の姿があった。
必死に息子の名前を呼びながら、人ごみの中を駆け回る母の姿があった。
そこに、種族などという垣根などありはしない。そんな陳腐なものでは決して括ることができない、剥き出しの人間の『生』だけが存在していた。
己の無力さを噛みしめながら、ゴルドは少し離れた所からその光景を見ていた。だからこそ、ザイナリアの選民思想を決して理解できないし、受け入れようとも思えない。
まあ、エミリーの件があって、ゴルドがザイナリアと個人的な感情でも対立しているという事もあるのだが……それはさておき。
「冒険者だけでなく、フェイムダルト神装学院の学生までも引き上げてしまえば、そんな当然のことすら分からなくなる。ザイナリア……テメエは自国の民を、自分自身で完結してしまうような狭量な人間の住む国にしたいのかよ」
ゴルドの問いかけに対し、真っ先に答えたのはザイナリアではなかった。
「やーめとけ、ゴルド。これ以上、問答を重ねた所で無駄だ。無駄無駄」
ドッカと机の上に足を置き、事の成り行きを見守っていた凱覇王レッカ・ロードが、そう言って、適当に手を振った。
「だがな、レッカ」
「ゴルド、お前は一つ勘違いをしている」
レッカはそう言って、視線をザイナリアに向ける。
「お前が言ったことぐらい、この男は理解してるんだよ。全部理解している上で、今回の件に踏み切ろうとしている。分かるか? 『自国の民を自分自身で完結してしまうような狭量な人間にしてしまって良いのか?』ってのは的外れだ」
決して揺らぐことのないザイナリアの視線と、冷めきったレッカの視線が交錯する。
「こいつは、シルフェリス達を自分自身で完結するようにしたいんだよ。シルフェリスという民が唯一にして絶対ってな。感情と理性が完全に乖離してるコイツに、お前の言葉は絶対に届かんよ、ゴルド」
「意外とよく見ているようだ、凱覇王」
「俺様はゴルドと違って、お前と何度か顔を突きあわせているからな。お前の人となりを多少なりとも知ってりゃ、嫌でも理解できる。なぁ、そうだろ? フェリオ」
「…………」
レッカの問いかけにフェリオは無言という名の肯定を示す。そんなフェリオの様子を笑って眺めながら、レッカは口の端を釣り上げる。
「良いではないか、孤軍奮闘大いに結構。好きにさせておけばいい」
そう言って、凶悪な笑みを浮かべたレッカは、嬲るようにザイナリアを見る。
「大型終世獣云々以前に……国土が最も小さい上に、地下資源の一切ない痩せこけた土地しか持たないお前らが、世界から孤立して、どれほど持ちこたえられるか見物だな」
そう……シルフェリスが抱える最大の問題点はそこだ。
浮遊大陸エア・クリアは、浮遊樹と呼ばれる巨大な樹が広げる根を基部としている。
つまり、エア・クリアの大地は浮遊樹の根に付着した砂や岩石によって構成されているにすぎないのである。そのため、大陸の面積は五種族の中でも最小。大陸の外縁部では頻繁に大地の崩落が発生し、土地の栄養は浮遊樹に吸い取られてしまうため、農作物の育成にはとことん向いていない。無論、そんな土地に地下資源など求めようもない。
食料の大半はビースティスからの輸入に頼っており、食料自給率は絶望的なまでに低い。一応、マナマリオスと協力をして農地用の浮島を開発してはいるが……焼け石に水といった程度の効果しか得られていない。
つまり、世界から孤立した場合、シルフェリス達を待っているのは自滅という未来なのだ。
現実問題を突きつけられたザイナリアは、それでも一切の動揺を表に出すことはない。
「貴殿の心配することではない」
そのセリフがハッタリなのか、真実を語っているのか、その鉄面皮からは全く読み取れない。
互いに牽制しあうような沈黙が、一瞬だけ場を満たす――その瞬間を見計らったかのように、突然会議室の扉が開いた。
「か、会議中、失礼いたします! 火急の用なので……!」
全員の視線が集中する先には、学院の教職員と思われるドミニオスの男と、全身をフルプレートで覆ったシルフェリスの男が立っていた。
職員のドミニオスは焦ったように、事の成り行きを見守っていた学院長イスファ・ベルリ・グラハンエルクの元へ向かい、シルフェリスの男はザイナリアの方へと寄っていく。
実は、シルフェリスの男がこうして会議室にやってくるのは今回で三度目だったりする。一体何をしているのか気になるが……ザイナリアが容易く口を割るとは思えない。
「おい、あのドミニオス、ドレエム先生じゃないか? 懐かしいな」
「む? おぉ、昔に比べて頭髪が寒々しいことになっていたから気付かなかったが、ドエムではないか。相変わらず女に豚と罵られながら蹴りを入れられてそうな、愉快極まりない面をしているな!」
「レッカよ、とりあえずお前は先生の名前を正確に覚える所からやり直してこい」
レッカの言葉に、フェリオが頭痛を堪えるように眉間を揉んでいる。
そんなこんなしている内に終わったのだろう……二人は互いに牽制しあうように会議室から出ていく。再び会議室に沈黙が満たされると、イスファが困ったように頭を掻いた。
「ザイナリア殿。何やら随分と不穏な報告がされたのじゃが……なんでも、オルフィ女王陛下誘拐の容疑で学院の生徒の身柄を拘束したとか」
「えぇ。例え学生といえども我らが至宝である女王陛下を誑かしたとなれば、看過できません。彼等はエア・クリアで我らの法にて裁かせていただく」
――穏やかじゃないな。
その話が本当ならば大問題だろう。
オルフィ・マクスウェルはある意味、シルフェリスの希望の象徴でもある。そんな彼女に害を与えたともなれば極刑は確定である。
ただ……ゴルドはその話に、どこか違和感を覚えていた。
シルフェリスの至宝であるオルフィ・マクスウェル。
その身に万に一つがあってはならないため、彼女の周囲には常に屈強なシルフェリスの近衛兵が警護についている。その実力は本物であり、学生ではそもそも太刀打ちできない。
まぁ……それこそ、学生離れした能力や実力を持っているならば話は別だろうが、それでも十重二十重に展開している近衛兵達を出し抜き、女王をさらって行くなど、学生にできるのだろうか。
ゴルドが内心で首を捻っていると、イスファが大きくため息をついて、その学生の名前を言葉にする。
「拘束されたのはチェリル・ミオ・レインフィールドと、ラルフ・ティファートじゃ」
「…………………………………………は?」
レッカがほぅ、と呟いて顎をさすり、フェリオが驚きに目を剥く。
そして、最後にゴルドが間の抜けたような声をこぼした。頭がこのタイミングでその名が出てくることを拒んでいた。
だが、次第に頭が状況を理解してくるにつれ、顔が引きつって来るのを感じた。
「おい待てや。どうしてそこで、ラルフの名が出てくる」
「我らが女王を誑かそうとしたからだと言ったが?」
ザイナリアの鉄面皮は憎たらしくなるほどに平常運転だ。
ゴルドは混乱しそうになる頭を必死に整理し、現状の打開策を探る。親の贔屓目を抜きにしても、ラルフは誰かを騙そうとする人間ではない。
可能性として最もありそうなのは、何らかの事件に巻き込まれたという事だろう。だとすればそれは何なのか……そこまでゴルドが考えていると、不意に隣でフェリオが声を上げた。
「とにかく本人かオルフィ女王と話をさせていただきたい。ラルフ君は私の息子も同然でね……彼が女王に何らかの危害を与えようとしたとは考えにくい」
口元で手を組み、剃刀のような視線をザイナリアに向けるフェリオ。普段の温厚な彼からは想像もつかない程に剣呑な雰囲気を感じながらも、ザイナリアは平然と言葉を返す。
「残念ながらそれはできない」
「どうしてだ!!」
ゴルドが机に拳を落としながら咆哮する。
この時――ゴルドの見間違いかもしれないが、ザイナリアがうっすらと笑ったように見えた。
「女王の身に万が一があってはならない……緊急事態であったため、オルフィ女王共々、転送陣を用いて浮遊大陸エア・クリアに移送させてもらった」
絶句するゴルドとは正反対に、フェリオはザイナリアの言葉に視線を鋭くする。
「なるほど、貴方の考えが読めたぞ。ゴルドを……いや、違うな。ゴルドとエミリーを牽制するためのカードとして『ラルフ・ティファート』を手元に置いておくつもりか」
『人造インフィニティー計画』の真相に一番近いところにいるゴルド・ティファート。
そして、その計画によって生まれた理性ある化け物エミリー・ウォルビル。
この二人はザイナリアにとって怨敵ともいえる存在だ。
『人造インフィニティー計画』の根幹をなすエミリーの神装を破壊し、計画そのものを頓挫させたゴルドはもちろんだが……インフィニティーにも迫る力を有しながら、理性と感情を手に入れたエミリーもまた、危険極まりない存在である。
共にS級冒険者という肩書き通り、常人とは比較にならない力を持っているため、排除することすらままならない。
だが……ラルフの命を握ることで二人を同時に牽制し、一方的に動きを封じることができるのだ。現在の状況をザイナリアが意図的に作り出したのかは不明だが、少なくとも、このチャンスを逃すほど馬鹿ではあるまい。
「ざけんなよ……」
ビシリとゴルドが拳を置いた机にひびが入り、蜘蛛の巣状に広がる。
低く、地の底から響いてくるような笑い声を上げながら、ゴルドはゆっくりと顔を上げる。殺意を通り越し、狂気に至る一歩手前の、極めて危険な光を宿した瞳で、ザイナリアを睨み据える。
「もしも、ラルフに何かしてみろ……世界の果てまで貴様を追い詰め、殺してやる」
「…………」
ザイナリアは無言。ただ、その瞳に撤退の二文字は見えない。
結局――膠着状態に陥った五種族代表者会議は、これ以後まともに進行するはずもなく。シルフェリスの冒険者一斉引上げは、半ば黙認されるような形で幕を下ろしたのであった……。




