星誕祭二日目――校舎潜入
「ま、まさかここまで警戒が厳になっているとは……ッ!」
学院の敷地内――職員室のすぐ傍でラルフは、壁に背を預けながら大きく深呼吸をした。
その隣には大きく息切れをしているチェリルとオルフィがいる。チェリルにいたっては立つ元気もないのか、地面に座り込んで放心状態である。
エクセナ・フィオ・ミリオラのことを聞くためにエミリー女史に会いに行く――その目的を果たすために職員室を目指して移動を開始したラルフ達だったが、それが甘い考えであったと実感せざるを得なかった。
フェイムダルト神装学院中央に陣取っているトラムの駅だが、ここを中心にしてシルフェリス近衛兵達が広く布陣していたのである。この島の交通手段であるトラムを抑えてしまおうという考えなのだろう。
それ以外にも、各大使館に通じる道はトラムの線路沿いに真っ直ぐに伸びているので、トラム中央駅を抑えるのは理に適っている。
ただ……このトラムの駅を抑えているという事はつまり、シルフェリス達はオルフィがはぐれたのでなく、誘拐されたと考えていることに他ならない。
もしも、オルフィがはぐれたと考えているのならば、彼女がいなくなった歓楽街アルカディアを中心に探すはずだ。それをせずに、各大使館に繋がっている学院を中心に人員を配置しているということは、オルフィが誘拐されたと仮定し、犯人の逃走経路を封鎖しているという事を意味している。
ラルフ達はこの布陣を迂回し、こっそりと職員室に向かって忍び込もうとしたのだが……ここで予想外の事態が発生した。
「ま、まさか、近衛兵達が全員、マナレセプターを持っているなんて……フィ、フィーは大切にされているんだねぇ……」
「も、申し訳ありません」
息切れをしながらチェリルが言うと、オルフィは申し訳なさそうに頭を下げた。
『しっかりするのだ、チェリル』
「あ、ありがと、アルティア~」
肩に止まったアルティアが翼を使って風を送ってくれることに感謝しているチェリルに向け、ラルフは疑問をぶつける。
「なぁ、そのマナレセプターっていうのが、近衛兵が手にしてた半透明の鉱石だよな?」
「そうそう。復習になるけど、全ての人が大なり小なり霊力を宿しているのはラルフも覚えてるよね? 覚えてなかったら帰って速攻で図書館ね」
「覚えているであります!」
ラルフは直立不動で答える。
実力試験の筆記のため死ぬ気で勉強した内容だ……早々忘れることはない。
「その霊力の波長はその人唯一無二のもの。同じものは一つとしてない。あのマナレセプターはトゥインクルマナにインメルス鉱を加えて……あー、とりあえず、霊力の波長を捉えるモノだと思って」
「えっとつまり……フィーの霊力の波長を捉える道具だと思っていいのか?」
「本来の使用方法とは違うけど、今回の件に限ってはそれで正解。フィーの霊力を捉えるためにオーダーメイドされた一品だね。普通、魔術を使えないシルフェリスの内在霊力なんて微量すぎて測定できないけど、フィーは別格だからね。たぶん、フィーが近くを通ったらマナレセプターが即行で反応してお縄だよ」
「うへぇ」
「でも、一個作るだけでも割とコストがかかる代物なのに、あれだけ装備してるなんて……相当焦ってるね、あれ」
チェリルはげんなりとした表情でそう呟いた。
そう……学院に散らばっている近衛兵達は、全員がこのマナレセプターを携帯していたのだ。一定範囲内に近づいたら速攻でばれてしまうため、ラルフ達は右に左にと近衛兵達の隙間を縫って必死に走ってここまで来たのである。
「フィー、大丈夫かい?」
「え、えぇ、何とか。でも……」
額の汗を拭い、オルフィは小さく吹き出した。
「不謹慎だとは分かっているのですが、何だか冒険に出ているようで少し楽しいです」
「楽しむのは結構だけど見つかった場合、俺とチェリルの首が吹っ飛ぶからほどほどにね」
「わ、分かりました」
浮かれているオルフィに軽く釘を刺しながら、ラルフは二人を見回す。
「うん。それじゃ、職員室に移動しよう。さすがに校舎内まではいないと思うけど……警戒を緩めないようにな」
厳粛な顔で頷く二人を確認し、ラルフは先陣を切って校舎内に入ってゆく。
マナレセプターに反応するのはオルフィの霊力……つまり、ラルフがいくら傍を通ろうとも反応などしない。そのため、まずはラルフが周囲の状況を確認し、安全だと判断してからオルフィとチェリルを招き入れるという段取りである。
二階にある職員室を目指してラルフが先行していると……ふと、階段の上から視線を感じて足を止め、顔を上げた。
そこにいたのは、一人のマナマリオスの少女だった。
タイの色からして三年生だろう。短めに切りそろえられた紫紺の髪は純白のカチューシャで整えられ、瞳は蒼というよりも水色に近い。平均的なマナマリオスよりも身長が高いためか、どこか大人びている……クールビューティーとでも言えばいいのだろうか。
だが、何よりも印象的なのは、ラルフを見下ろすその瞳だろう。
無色透明――まるで、感情という感情が根こそぎ欠落してしまっているかのような瞳だった。ラルフを見るその視線には、一切熱がこもっておらず、まるで路傍の石を見るかのように無意味で、無価値で、無感動だった。
視線には多少なりとも意志や熱が宿る物だと考えていたラルフは、初めて感じた無色な視線に晒され、無意識のうちに身構えていた。
一秒、二秒、三秒……緊張感に満ちた空白の時間が、双方の間に積み重なる。
その色のない視線に一体どんな意図が込められているのか、それをラルフが察するよりも先に、まるで興味を失ったかのように、彼女は踵を返して去っていってしまった。
「………………」
偶然、視線が絡み合っただけなのかもしれない。
だが、ラルフの直感にも近い場所が――いくつもの激闘でラルフを勝利へと導いてきた感覚が、ただの偶然ではないと告げている。
『何か感じることがあったか、ラルフ』
「ん、まぁね」
学院に入学してからこの方、相棒として過ごしてきたアルティアにはラルフが何を考えているのか分かるのだろう。ラルフはアルティアの言葉に軽く頷き返した後、遠くからこちらの様子を見ていたチェリル達に合図を出す。
それからは順調に職員室までの道のりを進み、どうにか近衛兵には見つからずにエミリーと会うことができた。会うことはできたのだが……。
「……エクセナのことを?」
ラルフ達の問いかけを受け、エミリーにしては珍しく、眼鏡のレンズ越しに目を丸くしてキョトンとしている。
それはそうだろう。
エクセナはラルフ達にとって直接的に……どころか、全くもって関係性のない人物である。
そんなラルフ達の口から何の前フリもなく、旧友の名が出てきたのだ。エミリーが混乱するのも無理はない。
「はい、こちらのフィーさんがエクセナさんと知り合いらしくて。以前、先生の話にエクセナって名前が出てきたので、もしかしたら、と思って」
「エクセナのことを知っているの!?」
ガタンと、椅子を鳴らして立ち上がったエミリーに職員室全員の視線が集まる。それに気が付いたエミリーは恥ずかしそうに咳払いを一つすると、再び椅子に座り直した。
だが……その瞳だけは、真剣そのものだ。
「確認のために聞かせて欲しいんだけど、貴女の言うエクセナは、マナマリオスのエクセナ・フィオ・ミリオラで間違いないのね?」
「は、はい。少なくとも、本人はそう言っておりました」
「そう……貴女は、どこまでエクセナのことを知っているのかしら?」
エミリーに問われ、オルフィはラルフ達に話したこととほぼ同じ内容の話を口にする。
エクセナが農業用浮島のメンテナンスでエア・クリアに来たこと。
幼い自分に学院のことや友達のことなど、色んな話をしてくれたこと。
挨拶もなく別れてしまったことがどうしようもなく悲しく、再び会うために星誕祭に来たこと。
そして、そのエクセナが行方不明だと知らされた事……。
ラルフがエクセナのことを知った経緯については色々ややこしいので、行方不明の下りについては曖昧に言葉を濁したが……エミリーは深くは追及してこなかった。
ただ、疲れたように深くため息をつくだけだ。
「やはり、貴女も事態の真相については知らないのね」
どこか悲しそうにエミリーはつぶやいた。
「あの子が行方不明になったのはシルフェリスの大陸『エア・クリア』。けれど、時を同じくしてマナマリオスの大陸『スフィア』にあるあの子の家から大量の血痕が見つかった」
「……ッ!!」
――あちゃぁ……。
オルフィがショックを受けると思ってあえて言わなかったことが、アッサリとエミリーの口から出てしまった。心配して視線を滑らせると、案の定、顔面蒼白になったオルフィがいた。
「勘違いしないでね、その時、あの子の死体は見つからなかった……皆、好き勝手な憶測を言っているけれど、私はあの子が今もどこかで無事に生きてるって信じてる。もしよければ、貴女もあの子の無事を信じてくれると嬉しいわ」
「……はい」
どこか蒼い顔をしながらも、オルフィは小さく頷いた。
気をしっかりと持っているオルフィに微笑みかけ、エミリーは考え込むように顎に手を当てる。
「あの子の失踪には色々と不明な点が多くてね。死体が見つかっていないこともそうだけど……エア・クリアからの出国手続きが無いのも関わらず、別大陸であの子の血痕が見つかったことも謎。エア・クリアであの子が使っていた住処がどこなのかも不明。たぶん……『誰か』が『何か』を隠そうとしている気がするの」
「つまりそれは、エクセナお姉ちゃんの失踪に誰かが関わっているという事ですか?」
オルフィの言葉に、エミリーは頷き返す。
「あくまでの推測にすぎないけどね。エア・クリアに赴任したエクセナと最後に会ったのはレッカ先輩だから、あのチャランポランに聞けば色々分かるんでしょうけれど……絶対に何も教えてくれないのよね」
凱覇王レッカ・ロード――最強と名高いドミニオスにして、楯突く者はその拳で容赦なく血祭りにあげるという究極の唯我独尊男。その圧倒的な力と名は他の四種族の間にすら轟き、ドミニオスの民は誰もが彼に対して尊敬と同時に、強烈な畏怖を抱いている。
それをチャランポラン呼ばわりである……ラルフは事情を知っているが、オルフィとチェリルはあんぐりと口を開けて固まっている。
「先生、凄いですね。ドミニオスの王をチャランポランって」
ラルフが驚きを声に乗せて問うと、エミリーは「え?」というように首を傾げていたが……ここにきてようやく自分の失言に気が付いたのか、眉を片方だけ跳ね上げた。
「え、えぇっと。せ、先生、学生時代にあのチャランポ――レッカ・ロード先輩と色々と関わる機会があってね。あ、あはははは……し、知り合いなの! そう、知り合い!」
「そ、そうですか……」
ものすごい剣幕で言われ、ラルフとしては頷くしかない。
三人の胡乱気な視線にウッと言葉を詰まらせたエミリーは、再度咳払いをする。
「そういうわけで、先生もそれ以上のことは知らないの。ごめんなさい……」
「凱覇王にもう一度話を聞くわけにはいきませんか」
ラルフの言葉に目を剥いたのはチェリルだ。
「ちょ、ラルフ! 滅多なことは口にしない方がいいよぅ!」
威圧感のある相手に対しては徹底した苦手意識を持っているチェリルからすれば、レッカ・ロードなど、顔を合わせるのも御断りだろう。
ラルフの言葉に、エミリーはゆるゆると頭を振る。
「あんなんで――れ、レッカ・ロード先輩も国王という立場がある以上、忙しいでしょうから難しいと思うわ。それに、あの人はエクセナのことをあまり語ろうとはしない……呼ぶとしても、それこそ失踪の手がかりを見つけない限り、何も話してはくれないでしょうね」
「有力な手がかりかぁ……」
そんなものが簡単に見つかるようなら、誰も苦労していない。
結局――分かったのは『レッカ・ロードが事態に付いてもう少し詳しく理解している』という一点だけで、他の手がかりは一切手に入れることができなかったのであった。
ようやく次からはアクションだー。