幕間 ソルヴィム親子
憂鬱……とまではいかないまでも、重くなる気持ちを内に抱え込みながら、クレア・ソルヴィムは重厚なオルト材の扉の前に立ち尽くしていた。
学院ではリンク『セイクリッドリッター』のリーダーとして、浮遊大陸エア・クリアでは由緒正しきソルヴィム家の長女として、かくあるべしと周囲のプレッシャーに晒され続けているクレアだが、それでもこれからのことを思うと自然と表情が硬くなる。
大きく深呼吸を一つすると、クレアは覚悟を決めて扉をノックした。
「入りなさい」
端的でありながらも、異様なほど重量のある言葉に気を引き締めると、クレアは失礼しますと前置きを挟んで扉を開く。
扉の向こう側は質実剛健という言葉がこれ以上ないほどに、しっくりハマる執務室だった。割と華美な装飾を好むシルフェリスにしては珍しく、徹底的に機能のみを追い求めた内装は、無駄を一切排されているが故に、在るべきものが在るべき場所にあるという理路整然とした美しさがある。
扉と同じく、頑丈で手触りの良いオルト材で作られた机の上で手を組んでいるのは、白髪の混じった鳶色の髪に、氷を思わせる深く凍える蒼の瞳を持つ初老のシルフェリスにして、クレアの実父――ザイナリア・ソルヴィムだった。
まるで、相手の内心を全て見通すかのような、鋭く透徹した視線に射抜かれたクレアは、背中に氷を突っ込まれたかのように、ゾクリと身震いをする。
実父ではあるものの……クレアは父の前に立つと、いつも自分が矮小極まりない存在に思えてしょうがない。
「お久しぶりです。御父様におかれましては――」
「学院の方はどうだ」
前口上など必要ないとばかりにザイナリアは本題を切り出す。
多少怯んだクレアだったが……すぐさま平素な表情を取り戻すと、静かに口を開く。
「順調です。学業、実技、共に満足のいく結果を残せました。詳細については、以前、そちらにお送りした成績表の方を参照にしていただければ――」
「クレアよ。私がわざわざお前をここに呼んだのは、お前の口から学院のことが聞きたかったからだ。成績表に書かれていることなど、しょせんは表面をなぞった程度にすぎない」
分かっていた。
父がこの場所に自分を呼んだその真意も、本当に聞きたがっていることも重々に承知しながらも……見当違いであって欲しいと心のどこかで望んでいた。
「クレアよ。改めて聞こう……学院の方はどうだ」
改めてそう切り出し、先ほどよりも研ぎ澄ませた言葉をクレアに向けてくる。誤魔化しを許さないその声に、クレアは観念したように軽く顔を俯かせながら口を開いた。
「私個人の成績は満足いくものではあります。ただ、この学院に来て、リンクを任され、人の上に立つことの難しさを実感しています」
まるで罪を告白するかのように、クレアが絞り出すような声で言葉を紡ぐと、ザイナリアは吟味するかのように目を閉じた。
「一学期のリンク対抗団体戦でゴルド・ティファートの息子に、大敗を喫したらしいな」
「……はい」
なぜそれを、という言葉を引っ込めるのに多少の努力が必要だった。だが、冷静に考えてみれば当然と言えば当然だ。
この学院は五種族が集う地――表面上は完全中立地帯であり、全ての種族が平等に神装について学ぶ地であるとされているが、そこには大なり小なり、各国の思惑が紛れ潜んでいる。
恐らくだが、学院生に扮したザイナリアの『目』がどこかにいるのだろう。ザイナリアはこうしてクレアを呼び出して話を聞いているが……その実、彼女がこの学院で何を為したのか、筒抜けになっているに違いない。
無言になるクレアに対し、小さく嘆息してザイナリアは目を開く。
「ボンドヴィル家の若造に随分と手を焼き、あまつさえ、リンクを乗っ取られているような状況だそうだな。お前の今の立場は、飾りでしかない……違うか?」
「……いいえ、相違ありません」
装飾し、誤魔化そうとした事実を、一切の誇張無くザイナリアの言葉が抉り出す。
今ここで下手な言い訳などしようものなら、クレアの心は二度と立ち直れないほどに徹底的に叩きのめされることだろう。この男の言葉には、それだけの威力がある。
「お前から見て、ドミニク・ボンドヴィルはどういう男だ?」
「それは……プライドが高く、人心掌握に優れた男だと思います。また、他人を蹴落としてでも這い上がろうという強い野心を感じます。それこそが、彼を突き動かしている原動力となっているのではないかと」
ラルフに徹底的に叩きのめされてから、以前のような周囲に当たり散らすような言動は鳴りを潜めたとはいえ……その在り様は変わっていない。
相変わらず表面上は分かりやすくクレアに従い、けれど、実際はリンクを私物化してメンバーを使って好き放題している。クレア個人としては好きになれない人物ではあるが、人心掌握に限って言えばクレアよりもよほど優れている。
だが――
「器の小さい男だ」
クレアの所見をザイナリアは一刀の元に伏した。
「野心とは己の内にて研ぎ澄ますものだ。周囲にそれと知られる時は、既に状況を完了させていなければならない。野心を気取られるということは即ち、敵をつくり、周囲に警戒心を抱かせることに他ならない」
「で、ですが、実際に彼はリンク『セイクリッドリッター』の人心を掌握しています。それは……」
「学院のリンクシステム――絶対のルールの上に成り立つ集団のトップに立つ。そこに何の意味がある。それが何に繋がる。トップに立ち、そこから次はどこに足を踏み出す」
「…………そ、それは」
言葉に窮するクレアに、ザイナリアは冷めた視線を向ける。
「フェイムダルト神装学院という枠組みが消えれば、それまでだ。残るのは、クレア・ソルヴィムの不興を買い、有象無象の頂点でふんぞり返っていたという事実だけだ」
そう、それだけなのだ。
学院を卒業し、本国であるエア・クリアに帰ったその時に残る物は何もない。むしろ、手元に残るのは、貴族界の大御所であるソルヴィム家の長女であるクレアの不興を買ってしまったという負債だけだ。それよりも、今の内にクレアに取り入り、卒業後にソルヴィム家に関わるための取っ掛かりを作る方が幾分建設的だ。
「プライドが高いのではなく幼稚な自尊心を持て余しているだけ。人心掌握に秀でているのではなく、同レベルの者達で日和ることしかできないだけ……クレア、お前はいつになったら客観的に他者を評価できるようになるのだ?」
「申し訳……ありません」
感情を乗せていない平坦な声であるにもかかわらず、その声は想像以上に鋭くクレアの心に突き刺さった。まるで……お前もドミニクと同列の存在だと、そう断じられているかのようで。
何も言えなくなってしまったクレアは、ただただ、次に父が放つであろう辛辣な言葉に怯えながら身を竦ませることしかできない。小さく体を震わせていると……トントンと、小さく扉が叩かれる音がした。
一体誰なのかと内心で首を傾げたクレアだったが、ザイナリアはどうやらそれだけで要件が何なのか理解したようだ。
「分かった」
手短にそう返すと、ザイナリアはクレアの方へと視線を向ける。
「クレア、お前も下がりなさい。次こそは良い報告を聞かせてもらうぞ」
「はい……粉骨砕身の覚悟で臨みます」
クレアはそう言って深く深く頭を下げると、早足にならないように自制しながら扉を開けて外に出た。振り返り、再度頭を下げた後、ゆっくりと扉を閉め――クレアは、震える吐息をついた。
正直、生きた心地がしなかった。
ザイナリアという男の前では嘘、偽りの衣は意味を成さない。真実を覆い隠して誤魔化そうとすればするほどに、弁舌鋭く抉られるだけ……普段は辟易しているドミニクですら、父であるザイナリアに比べれば、可愛く感じられるほどだ。
「頑張らないと……」
気負いを感じながら、クレアは少しふらつく足取りで父のいる執務室を後にしたのであった……。
久しぶりのクレア・ソルヴィム先輩登場。この人、リンクとか、親子関係とか、何気に作品屈指の苦労人だったりします。