星誕祭一日目――ミリアさんはやりくり上手
星誕祭一日目。
学院という名の閉鎖社会にとって、祭りとは換気のようなものだ。
刺激が少なく、マンネリ化した日常に入り込んでくる外界の風は、学院の若者たちの胸を躍らせるには十分に魅力的だ。だからこそ、この日の学院の空気はどこか浮つき、ふわふわとしている。
そう……少なくとも、この数時間後には。
「やべぇぞ、ミリア! すげぇ眠い!」
「かなり鬱陶しいですが、その徹夜明けテンションを持続させてくださいね。今から山のように食料を運ぶことになるんですから」
時刻は日が変わってから少し経ったぐらいだろうか。
まだ、太陽が顔を出す気配すらなく、周囲は暗闇に閉ざされている。星誕祭を心待ちにしている学生達も、ほぼ例外なく夢の中にいることだろう。
そんな中、ラルフとミリアはトラムに乗って歓楽街アルカディア目指して移動していた。
ただ、普段彼らが利用している通学用トラムとは異なり、今、ラルフ達が乗っているのは大量の荷物を積んで移動できる貨物輸送用トラムである。
どうも、普段ラルフ達が学院で勉強をしている間は、通学用トラムの代わりにこの貨物輸送用トラムが走っているそうだ。また、早朝にも、各国の大使館近くに併設されている港に荷揚げされた物をこうして歓楽街アルカディアに向けて運んでいるのだとか。
ちなみに、歓楽街アルカディア行きの線路は貨物輸送用トラム専用であり、学生は使用できないのだとか。今回、ラルフ達が乗せていってもらっているのは、市場に用があるという事で特別に許可が出たからだ。
荷物と一緒に貨物室に乗っているラルフは、右手で目元を擦る。
「目を閉じたら眠ってしまいそうだ……」
「安心して目をつぶって大丈夫ですよ。その時は、まぶたの上から眼球を破壊しますから」
「怖いよ!?」
早朝に起きたこともそうだが、頭上から聞こえてくる、すぴーすぴーというアルティアの健やかな寝息が余計に眠気を誘う。
「なぁ、ミリアは眠くないのかよ」
「私は昨日早く寝ましたから。きっちりと睡眠時間は取りました」
「俺も早く寝たはずなんだけどなぁ……」
どれだけ眠っても、早起きすると眠いのは何とも不思議なことである。
ラルフは立ち上がると、眠気を覚ますために窓を開け放って外を眺める。秋の入り口に立っているせいか、身を撫でてゆく風は、思った以上に透明で冷たい。
ラルフが外の景色を見ながら、頭の上で寝ていたアルティアを懐に入れて暖を取っていると……不意に視界の端に光が見えた。
「おぉ……ミリア、あれ」
「見えましたか。あれが歓楽街アルカディアに設立されている、中央市場ですよ」
こんな時間であるにもかかわらず、煌々と光が灯っているのは、歓楽街アルカディアの端に位置する巨大な市場だ。
すぐ傍に複数の貨物輸送用のトラムが止まっている所を見るに、他種族の大使館方面からも荷を積んできたのだろう。
また、複数の種族が入り乱れて忙しそうに走り回っており、威勢の良い声がそこかしこから聞こえてくる。活気という言葉が形になれば、恐らくこんな感じなのだろう。
「うお、凄いな。なんか食べ物がいっぱい並んでるぞ」
「といっても、最大農業国であるビースティスの大陸『ナイル』からの農産物が大半を占めますが。マナマリオスの食料自給率はほぼ0ですし、シルフェリスは農地が少なく、ドミニオスはここから最も離れていますから輸送が厳しい。ただ、それでも多種多様な農作物が見れるし、何より安い」
「…………」
なぜだろう、財布代わりの生徒手帳を握りしめたミリアの背後に炎が見えてしょうがない。
「つかさ、ミリア。そんなに大量の食糧を買い込むお金ってあるの?」
「この日のためにゴルドおじさんから融資してもらいました。相当量を買い込めるはずです。あとは、私が気迫負けしなければいいだけの話」
「え、気迫?」
「そうです」
この時点で、ラルフはミリアが何のことを言っているのか分からなかったが……市場に降り立ってから、ミリアの言うことを理解することができた。
どうやら、この市場は『せり』によって業者間で商品の売買が行われるらしいのだが、これがラルフの思っていた以上に別世界な出来事だった
まず、業者間で話される言葉が、早口すぎて何をしゃべっているのか分からない。
ただ、それはラルフだけらしく、ミリアを含めた他の業者はきっちり聞き分けて反応をしていた。
次に、指を立てたり手を前に出したりと、ジェスチャーで何かを表現していたようだが……これも、ラルフには、最後の最後まで何をしていたのかすら分からなかった。
そして最後に……集まってきた業者さんが全身から放つ『少しでも安くせり落とす』というオーラが凄まじい。この場にいる業者の者は生活がかかっているのだ、よく考えれば当然と言えば当然である。
そして、山千海千の業者を相手にして一歩も引かないミリアはかなり異彩を放っていた。
女性特有の遠くまで響く高い声で、次々に品物をせり落としてゆく。
ラルフがそんなミリアを感心しながら眺めていた……その時だった。
「あら、ラルフちゃんじゃありませんの!!」
考えるよりも先に体が動いた。
右足を基点にして素早く半身を捌くと、先ほどまでラルフがいた地点にニュッと両手が差し伸ばされた……回避運動をしていなければ、今頃思いっきり抱きしめられていたことだろう。
「お、おぉう、おはようございます、シア先輩」
「むぅ、相変わらずつれないですわぁ」
そこには、着物ではなく、カーキ色の野暮ったい作業着を身に着けたシア・インクレディスが立っていた。華やか、艶やか、煌びやか、を地で行く彼女にしては随分と地味な出で立ちだ。
「シア先輩、こんな朝早くにどうして?」
「インクレディス家は様々な事業に手を伸ばしていましてよ。それこそ、農産業も例外ではありません。後学のために、現場に足を伸ばしてその雰囲気を知っておくのは、上に立つ者として必須なことですわ」
「インクレディス家ってお金持ちなんですね」
「うふふ、我が家にラルフちゃんが来てくれるなら、盛大に歓待いたしましてよ?」
「えぇと、機会があれば……」
「言質取りましたわー!」
ラルフにとっては何気ない一言だったが、割と致命的だったかもしれない。
一人で微妙に後悔していると、シアが軽く周囲を見回す。
「ラルフちゃんは、ミリアさんの付き添いですの?」
「あれ? そうですけど、ミリアがここに来てるの知ってるんですか?」
「えぇ、割とこの市場には来ていますわよ、あの子。まぁ、小売業者を間に挟まない分、ここなら安く商品を仕入れられますからね」
「???」
「つまり、やりくり上手、という事ですわ」
頭上に疑問符を浮かべるラルフに対し、シアは淡く苦笑しながら言う。
「『大切な人が食べるものだから、安価であっても質には妥協したくない』……そう言っていましたわ。大切に思われているんですのね、ラルフちゃん」
「何か、面映ゆいです」
ミリアが裏でそのようなことをしているとは思っていなかった。
ラルフが学院で好き放題できているのは、ミリアがこうして裏で支えてくれているからなのだと、改めて思い知った気分だ。
『縁の下の力持ち』とは、彼女のような人物のようなことを言うのだろう。
もしも、今日、ここに来ていなければ恐らく、卒業まで――否、卒業しても知ることはなかっただろう。
「お待たせしました、兄さん。次行きま……シア先輩?」
「おはようございます、ミリアさん」
ニコニコと笑みを浮かべながら上品に挨拶をするシア……育ちが良いためか、野暮ったい作業着でも実に絵になる。
ラルフはシアの横を通ると、ミリアの前に立ち、おもむろにその頭を撫でた。
あまりにも突然のことに唖然としていたミリアだったが、ようやく事態を認識できたのか、ほんのりと頬を朱色に染めた。
「兄さん、一体何事――」
と、そこまで言って、ミリアは何かに気が付いたようにキッとシアを睨んだ。
鋭いミリアの視線を向けられながらも、シアは愉快そうに笑うだけ……さすがは場数を踏んでいる上級生とでも言うべきか。
そんなシアを横目で見た後、ラルフはニッと歯を見せるような笑みを浮かべた。
「ミリア、ありがとな」
その礼が何に対してなのか……聡明なミリアは察することができたのだろう。頬を朱に染めたまま、ふて腐れたような顔をした。
「別に……好きでしていることですから」
「ん、そっか。でも、ありがとな」
「別に……兄さんのお世話は私の役目ですし」
「うんうん」
ラルフは頷き、ポンポンとその頭を叩くと、手を離す――その前に、ミリアの手がキュッとラルフの服の裾を掴んだ。本人が俯いているので、その表情は見えないが……耳が赤くなっている所からして、赤面しているのだろう。
「あの、お兄ちゃん……もうちょっとだけ……」
「…………はいはい」
リンクの勧誘があったころ以来か……珍しくミリアの口から『お兄ちゃん』が出てきたことに苦笑しながら、ラルフは優しくミリアの頭を撫で続けた。
そんな二人を、シアは少し離れた所から微笑ましく眺めていたのであった。