エピローグ① 父親達
ラルフを強く強く抱きしめ、泣きじゃくるアレットを眺めながら、ゴルドは自分の顎を撫でる。
その表情は何とも複雑で、彼の内心が穏やかではないことをこれ以上ないほどハッキリと示していた。
「なぁ、フェリオ」
「何だ?」
「俺の息子は天才かもしれない」
「また息子自慢か……と笑ってやりたい所だが、今回ばかりは同意だ」
ゴルドの隣では、フェリオもまた難しい顔をしていた。
「最後にラルフ君が見せた動きだが……いかに身体能力を強化する『気力法』とはいえ、あの反応速度と拳速は物理的にありえない。あれが以前ゴルドの話していた『烈魂法』という技か?」
「恐らく……ラルフの動きが速すぎて、俺もハッキリと確認はできてないがな」
ゴルドはぼりぼりと荒っぽく頭を掻く。相変わらず、その表情は苦虫を噛み潰したかのように渋い。
フェリオが腕を組み、眉を寄せたまま呟く。
「しかし……どういう原理なのだ、その烈魂法という技は。筋力や反射神経の強化でどうこうなるものではないぞ」
「気力法が肉体と精神のリミッターを解除する技とするなら、烈魂法はその先、魂のリミッターを解除する技っつった方が分かりやすいか」
『烈魂法』――それは、ゴルドの奥の手とも言える技だ。
肉体と精神の限界を超え、リミッターを外すことで爆発的に身体能力を上昇させるのが気力法ならば、さらにその先……肉体と精神よりも高次にある『魂』のリミッターを外すことで、自分自身の存在を限定的に昇華させるのが烈魂法だ。
実際にその技を発動させたところを誰にも見せたことがないため、ゴルド以外、その効果のほどは知らないが……ゴルドはこの技の威力をよく知っている。
「魂のリミッターを解除して自身を高次の存在へと昇華させる……そうすることで、今、俺達が縛られているこの世界の理からも片足抜け出すことになる。ラルフが最後、あり得ない速度で拳を振るったのもこれだ」
「なるほど……物理法則に縛られなくなったからこそ、あの速度と動きが可能だったと言う訳か。随分とデタラメな技だ」
「理解が早くて助かる。ま、昇華と言っても完全ではないし、本来は神装とセットで使うことで真価を発揮する技なんだが……しかし、この短期間で烈魂法を……いや、確かに習得する条件は揃ってるが……」
「習得する条件というと、エミリーが激怒したあの一件のことか」
「……そうな」
過去、ラルフがゴルドに向かって『なんでそんなに強いんだ』と聞いたことがあるが、その時ゴルドは『限界の一つや二つ越えねえと、冒険者なんてやってらんねえよ』と答えた。
そして、その言葉は、まさにその通りなのだ。
一つ目の限界が肉体と精神の限界ならば、二つ目は魂の限界。
気力法を習得するために肉体と精神を徹底的に追い詰めたわけだが……烈魂法はそこから更に、生と死の狭間を彷徨う所まで、自身を追い詰める必要がある。
生と死の狭間――まさに、魂が剥き出しになる状態である。
ちなみにだが、ゴルドが烈魂法を習得した際も、まさに半生半死となっていたわけだが……後にこれを知ったエミリーが大激怒。
「先輩の許可はもう取りませんッ!! 勝手にします!」と一方的に宣言するなり、未踏都市アルシェールの拠点の合鍵を勝手に作って、勝手に出入りするようになり、勝手にゴルドの世話を焼くようになったという経緯がある。
閑話休題。
「ラルフは気力法を習得するために自身を徹底的に追い詰めていたからな。そこにルディガーとの戦闘で更に疲弊し、畳み掛けるように連撃を貰って半生半死……限定的にでも、烈魂法を習得する条件は揃っている」
「なるほど……しかし、それほど追いつめられていたのなら、意識だって曖昧だろう。ラルフ君に実感はないかもしれないな」
「そうな。でも、それでいい」
アレットの腕の中で眠っているラルフを見ながら、ゴルドはそう呟く。
「気力法は使用者の肉体と精神に負荷を掛けるが……烈魂法はそれの比じゃない。魂に負荷を掛けるってことは、自身の存在を削るってことだ。使い方を誤れば、自我が崩壊してもおかしくない。俺の我が儘かもしれんが、息子にはそんな危険な技は使って欲しくない」
「そのセリフ、エミリーの前で一言一句違えずに言えるか? きっと、『なら、先輩も使わないでください!』と火が付いたように怒るぞ」
「エミリーに心配掛けちまってるのは、分かってるっての」
「分かっているならいい」
憮然とした表情でそう言うゴルドをみて、フェリオが笑う。
二人とも口を閉ざし、止まらぬ歓声の中で身を寄せ合うラルフとアレットをどこか優しい瞳で眺めている。ゴルドはラルフの、そしてフェリオはアレットの……互いに親として自身の子供の成長を実感していた。
そんな時、不意にフェリオがぽつりと呟く。
「なぁ、ゴルドよ」
「なんだ」
「アメリアさんが亡くなって、もう随分と経つな」
「…………」
アメリア・ティファート――ラルフの母にして、最愛の亡き妻の名にゴルドは口をつぐむ。
若干表情を強張らせるゴルドへ視線を向けることなく、フェリオは言い含めるようにゆっくりと言葉を形にしてゆく。
「今もアメリアさんを心から愛していたことは重々承知している。だが、お前もいい歳だ……そろそろ、エミリーの想いに応えてやったらどうだ。ラルフ君も分別が付く年齢だろう、お前が再婚したとしても――」
「フェリオ。お前は俺が冒険者をやっている理由を知っているはずだ」
フェリオの言葉を途中で遮り、ゴルドは強い口調で断定する。
声は大きくなくとも、そこには、万の言葉を費やすよりも強い意志が込められていた。
「俺はこの命が朽ち果てるまで、絶対に諦めるつもりはない。だから……俺はエミリーの想いに応えてやることはできない」
「……そうか」
微かな吐息とともにフェリオが俯くのを見ながら、ゴルドは小さく笑う。
「ま、忠告だけは受け取っておくさ。エミリーにも、とっとと良い男を見つけて嫁に行けとは言ってるんだがな」
「エミリーはお前のことを学生時代から今の今まで、ずっと想い続けているんだ。あんまり残酷なことは言ってやるな。さすがに不憫だ」
「……アイツは俺に対する恩を、愛情と勘違いしているだけだ。俺なんかよりも相応しい相手がいるはずなんだ」
ゴルドの悪あがきとも取れる言葉に、フェリオが呆れたように嘆息する。
「一つ言わせてもらうがな……エミリーを『人造インフィニティー計画』の呪縛から解き放ったのは紛れもなくお前だ。ゴルド以上にエミリーに相応しい男はいないと、私は確信しているよ」
「随分と推すな、フェリオ」
「エミリーは可愛い後輩だし、お前は大切な親友だ。そんな二人がすれ違い続けるのを身近で見せられる身にもなれ」
ゴルドは気まずそうに視線を逸らしながら、学生時代のことを思い出していた。
『人造インフィニティー計画』
その忌まわしい名前を聞いたのは随分と久しい。
決して尽きることのない無限の霊力を行使し、唱える霊術は天を裂き、地を割ると言われている伝説のシルフェリス――インフィニティー。
伝え聞く存在を人工的に作り出さんと、シルフェリスの一部の貴族達が暗躍したのが、この人造インフィニティー計画であった。
これはゴルドがエミリーから直接聞いた話なのだが……何でも、この人造インフィニティー計画は、霊力と密接な関係を持つ魂を人為的に改変することにより、インフィニティーを生み出そうという試みだったらしい
だが、魂という極めてあやふやな代物を改変することは至難の業だ。
そこで、貴族達が目を付けたのが、神装であった。
魂の在り様が形となったものが神装だ。ならば、その神装の在り様を変えてやれば、魂にも影響が出るはず――人の尊厳を人の手によって歪めるという、正気の沙汰ではない思想を、当時のシルフェリスの貴族達は躊躇いもなく実行した。
そして、数えきれない犠牲の上に生み出されたのが、試作インフィニティー『エミリー・ウォルビル』であった。
感情を、個性を、意志を、願いを、未来を、過去を――全てを殺された肉の体を持つ木偶の人形。当時のエミリーはそう言うに相応しい存在だった。
その能力を試すため、当時のフェイムダルト神装学院に入学させられたエミリーは、圧倒的な力を振るい、学院を恐怖の坩堝に陥れたのだが……当時、二年生だったゴルド・ティファートの手によって歪められた神装<ディストラウト>を破壊され、インフィニティーという呪いから解き放たれた。
まあ、それから紆余曲折あって、無垢な幼子のようなエミリーをゴルドが護り、育てることになったのである。もちろん、幾度もエミリーを回収するためにシルフェリスの刺客が送り込まれたが、レッカとフェリオの協力を得て、ゴルドはその度に刺客を撃退してきた。
そうこうするうちにエミリーに自我が芽生え、人造インフィニティーの被検体として価値が無くなったことから、シルフェリス達はエミリーの回収を諦めたのである。
ちなみにだが、人造インフィニティー計画について、シルフェリスの解答は『一切関知していない』の一点張りであった。さすがに、人体実験を前提としたこの計画を表沙汰にはできないと考えたのだろう。
ビースティス九血族連合筆頭となったフェリオ、そして、ドミニオスの国王となったレッカの苛烈な追及によって、それからは一切この計画について聞かなくなったが……それには別の理由がある。
本物のインフィニティーが現れたからだ。
その名はオルフィ・マクスウェル――シルフェリスの切り札であり、天空に浮かぶ地『エア・クリア』を総べる女王。その能力は本物であり、事実、本来なら百人単位で詠唱する戦略級霊術をたった一人で発動させたと言われている。
――正真正銘のインフィニティー、オルフィ・マクスウェル。だが、どうにも怪しい。彼女の能力というよりも、その隣に平然とした顔で立っている奴がな。
そして、オルフィが女王へと台頭すると同時に、宰相へと成り上がった者がいる。
その男の名はザイナリア・ソルヴィム。
シルフェリスの貴族筆頭……同時にティアの父を陥れた貴族であり、リンク『セイクリッドリッター』のリーダーであるクレア・ソルヴィムの父親でもある。
そして……エミリーの話では、人造インフィニティー計画にも深くかかわっていたとか。
ただ、このことを立証するにはエミリーの話だけでは弱く、のらりくらりと追及をかわされ続けた結果、今の今まで野放しになっている。
これはゴルドの勘でしかないのだが……恐らく、この男こそがシルフェリスの『闇』だ。
真の闇とは、光の当たらぬ奥深くで胎動し、決して誰の目にも映ることはない。
そう、決して。
「さ、この話はここまでにしておこう。今は、若い二人の旅立ちを祝福しなければな」
「ん? あ、あぁ。そうだな」
思考の中に沈み込んでいたゴルドは、フェリオに声を掛けられたことで不意に我に返った。
フラワーシャワーが舞うこの場には似つかわしくないことを考えたと……ゴルドは肩をすくめ、再び視線をラルフ達の方へと向ける。
ゴルドの隣では、フェリオが少し遠い目をしながら、ラルフとアレットを眺めている。
「少し寂しくもあるが……私も、ラルフ君になら安心してアレットを任せられる。きっと、ラルフ君ならば、アレットを幸せにしてくれることだろう」
「あーそれなんだがな、フェリオ」
フェリオの勘違いが割と深刻なレベルに達していることに気が付いたゴルドは、若干気まずく感じながらも声を掛ける。
「たぶん、ラルフはアレットをそんな風には見てない」
「……なに?」
目が点になっているフェリオを見ながら、ゴルドは考えながら口を開く。
「ラルフにとって、アレットは家族みたいなもんなんだよ。ミリアと同じ括りだ。今回、結婚式に乗り込んできたのも恋慕というより親愛の方が近い」
「だが、アレットの目はどう見ても……」
「まぁなぁ……」
倒れ伏したラルフを見つめる涙で潤んだアレットの目には、限りない慈愛に溢れていて……少なくともそれは、友人や家族に向けるものではない。
既婚者である二人には、それがどういった対象に向ける目なのか、よく分かった。
頭痛を堪えるように額に手を当てるフェリオに対し、ゴルドは両手を後頭部に回して、苦笑を浮かべる。
「自慢じゃねぇけど、競争倍率高いぞー俺の息子は」
「どこからどう聞いても自慢にしか聞こえん。まぁ……こればっかりは本人達の気持ちに任せるしかないか」
「アレットがラルフの嫁に来てくれるなら、こっちとしては諸手を上げて歓迎させてもらうがな」
「当然だ、私の自慢の娘だぞ」
「否定するつもりはねーよ」
どこか誇らしげな親友の顔を見ながら、ゴルドは軽く肩をすくめたのであった……。