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灼熱無双のフレイムハート~創世の獣と聖樹の物語~  作者: 秋津呉羽
六章 獣姫の結婚式~男の意地と誇り~
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茜色の決意

 予選決勝で意識を失い、次にラルフが目を覚ましたのは医務室のベッドの上だった。

 随分と時間が経ったのか、すでに空は茜色に染まっており、開け放たれている窓から入って来る風が、淡く色づいたカーテンをふわりと揺らしている。

 ラルフはゆっくりと上体を起こし、ぼんやりと天井を見上げる。


『ラルフよ、目が覚めたか。体調の方はどうだ?』

「あぁ……」

『……? おい、ラルフ。大丈夫か。目が虚ろだぞ』


 未だに幻痛は収まっていないのか、胸を掻き毟りたくなるほどの痛みが走っているが……それ以上に心に空いてしまった穴の方が痛かった。

 無力。

 まさにその一言に尽きた。

 何もできなかった。何も為せなかった。何も残せなかった。

 ただ、惨めに這いつくばって、涙を流すアレットの背に手を伸ばすことしかできず……その手だって何もつかむことが出来ずに、地に落ちた。

 流れ落ちる涙を拭ってやることすらできなかった。

 ラルフは無言で立ち上がると、枕元に置いてあった制服に袖を通し、ゆらりとした足取りで出口に向かって歩きはじめる。


『お、おい、ラルフ! どこへ行くのだ!』


 アルティアがどこか慌てたように声を掛けてくるのを、どこか遠くへ聞きながら扉を開けると……ちょうどそこにミリアが立っていた。


「兄さん、目が覚めたんですか……って、何してるんですか」


 水を汲みに行っていたのだろう。ミリアの手には水差しが収まっている。

 机の上に水差しを置き、出て行こうとするラルフにそっと寄り添う。


「一人で出歩こうなんて無茶です。お医者さんも療養が必要だと言っていました。だから――」

「お願いだ、ミリア、アルティア。少しの間だけでいい一人にしてくれ……」

「兄さん……」

『ラルフ……』


 ここではないどこかをぼんやりと見ながら、力なく呟くラルフの言葉に、呻くようにミリアが答える。その声からして、随分と酷い顔をしているのだということは、簡単に予測がついた。


「頼む、ミリア……」

「必ず、帰ってきてくださいね」

『んむ、遅くなったら迎えに行くからな』


 ミリアとアルティアの言葉に頷くこともなく、ラルフはフラフラと……まるで、夢遊病者のように、頼りない足取りで外へと向かってゆく。

 それから、どこをどのように歩いたのか、ラルフは覚えていない。

 ただ、目の前にある道に沿うようにひたすら歩き続け――気が付けば、闘技場の前に立っていた。

 すでに格闘大会は終わっているのだろう。

 茜色に沈む闘技場は静寂に包みこまれており、誰の姿も見ることはできない。


「………………」


 未練……なのだろう。

 今日の戦いでルディガーに勝っていたなら――『もしも』を語ることほど愚かな物はないのは、ラルフも重々承知している。

 だが、それでも思わずにはいられないのだ。

『俺が貴様に負けることなど絶対にありえん』

 ルディガーの言葉が脳裏によみがえる。認めたくないという感情をよそに、ラルフの冷静な部分がそれを肯定している。

 ラルフとルディガーの間には確かな実力差が存在している。

 上手くやって……引き分けに持ち込める程度だろうか。

 増長、していたのかもしれない。

 新しい技を覚え、仲間との連携も上手く行くようになって、強くなったと思っていた。

 けれど、神装とアルティアのフォローが無い状態のラルフは、もしかしたら何も成長していなかったのかもしれないと、そう思ってしまう。

 無論、そんな事はない。グレンやアルベルトとの特訓の末、ラルフ自身も大きく力を伸ばしているが……今は、前向きに事態を捉えることが出来なかった。


「よう、ラルフ。格闘大会決勝、お疲れ様だな」


 唐突に、背後からとても聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 驚いて振り返ってみれば……そこには、無精ひげを生やした偉丈夫であり、ラルフの父親でもあるゴルド・ティファートが立っていた。


「決勝戦、見てたぜ。ピューレル血族の天才相手に随分と善戦してたじゃねーか。お前も随分と強くなったもんだな。あとちょっと、お前に思い切りがあれば押し勝てていたかもしれんな」

「…………」


 ラルフは何かを言おうとして、けれど、結局何も言うことが出来ずに口を閉ざした。

 夕暮れ時……茜色の光が二人を淡く、温かく照らし、互いの間にわだかまる沈黙ですらも少し軽くしてくれるように感じた。


「なぁ、親父」

「ん?」


 微かな躊躇いを含んだ沈黙の後、ラルフは意を決して口を開いた。


「俺は、間違っていたのかな」

「…………」

「我がままだってのは分かってるんだ。姉ちゃんの決意に泥を塗ってるってのも理解してる。でも……でも、あんな悲しそうな姉ちゃんの顔……」


 そこで一端言葉を切ったラルフは、強く、強く、血が滲むほどに強く拳を握った。


「大切な人が幸せになって欲しいと願うことは、間違っているのかな。俺は、どうしたらよかったんだろう……」


 分からなかった。

 ルディガーの言葉にも、アレットの言葉にも、揺るがない信念が存在していた。

 それでも、ラルフにはアレットのあの涙が決して正しい結末だとは思えない。

 だからこそ、全力で否定したい……そう思う一方で、ビースティスの未来のために行動しているルディガーの言葉にも正しさがあると理解できた。

 自分は一体どうしたらよかったのか……ラルフにはその答えを見つけることができないでいた。


「まーフェリオから大体の事情は聞いてる。その上で言わせてもらえばな……正しい結論なんてねーよ。そもそも、この世に全てが報われる絶対に正しい結論なんて、そんな都合のいいモノは存在しねぇ」


 ゴルドはその場でひざまずくと、俯くラルフと視線を合わせて語りかける。


「我を通せば誰かの願いが潰える。それでも、誰もが自分の我を通したくて必死に行動している。だからこそ、争うし、喧嘩するし、口論になるんだよ」


 言い聞かせるような低く、穏やかな言葉がラルフの心に染み入ってくる。


「ラルフだけじゃない。皆、手探りで生きてんだよ。ただ、俺は思うんだけどな……アレットの決意に泥を塗るとか、彼女のために引けとか、偉そうに大上段からラルフに言えるほど、アイツはアレットのことを知っているのか?」


 ピクリと、その言葉にラルフの肩が跳ねる。


「そうじゃないだろ? ラルフ・ティファートは、アレット・クロフォードのことを心の底から大切に思っていて、だからこそ、幸せになって欲しいと願った……そうだろ?」


 ラルフが無言で首を縦に振ると、ゴルドは満足そうに笑った。


「じゃーお前はそれでいい。ガキンチョが一丁前に周りのことなんて気にしてんじゃねーよ。ビースティスの未来がーとか、血族がーとか、そんなこと、元を正せばビースティスの偉い奴らが本来どうにかするべきものなんだよ」

「…………」


 俯いてラルフは沈黙したまま。

 その息子の様子に何か、察するものがあったのだろう……ゴルドは、苦笑を浮かべると大きな手を広げてポンッとラルフの頭に手を乗せた。


「勝ちてぇか」


 こくんと、頷く。


「死んだ方がマシってぐらい、厳しい鍛錬をする羽目になるぞ」


 こくんと、頷く。


「学院も休むことになる。お前の成績が低空飛行だったら、最悪の場合もう一回一年生をやり直さないといけなくなるかもしれんぞ」


 こくんと、頷く。

 無言で頷き続けるラルフの姿に、更にゴルドは苦笑を深くする。


「よし、分かった。父ちゃんがお前を勝たせてやる。だからな、ラルフ――」


 そう言って、ゴルドはグシャグシャとラルフの頭を撫でまわす。



「もう泣くな」



「…………っ」


 ボロボロと悔し涙を流し、けれど、それを見られたくないがために俯き、口を閉ざしていたことを看破され、ラルフはぶんぶんと首を横に振る。

 負けず嫌いな息子に笑みを深くしながら、ゴルドはラルフに背を向ける。


「アレットの結婚式まで残り十日だ。死ぬ気で仕上げるぞ」

「……応」


 ゴルドの言葉に、短く、けれど、力強くラルフは答えたのであった。


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